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だからこそスポーツの世界に染まりきると「システムの不公平さを緩和しよう」という動き、つまり反差別的なありかたにピンと来ないマッチョな生き方をしてしまう傾向もあるのだけど、とはいえスポーツでも不公平さの緩和は可能な限りしていて、その塩梅の積み重ねが「ルール」として表出している。だから長い歴史のあるスポーツはルールが細かくあったり、なんでそんな微妙な数字?みたいなのもある(野球のマウンド-ホームベース間は18.44m=60フィート6インチとか)。

それでも不公平さは取り除けないし、だからこそたのしいとも言える。強風が名物の千葉マリンスタジアムでは不慣れなビジターチームはフライを落としやすいが、ホームチームですら落とすこともある。ホームランのはずが平凡な外野フライになることもある。風が吹くタイミングなんて制御できなきのだから、こんなことに文句を言っても仕方がなく、呆れて笑うのが健全な楽しみ方である。

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女子日本代表でストライカーやってた人と小学校が同じだったから一緒にサッカーやってましたけど、2学年上かつその頃にはすでに身体ができあがってるようなその人相手に、常に背の順では先頭で腰に手を当てるポーズをしていた私は叶うはずもなく、くやちいくやちいとやっておりましたが、だからといってその人を排除したいとは思わなかったよね。なにも言わなければ男と認識されてもおかしくない体つきだったからたぶんテストステロン値とかは高めだったと思うし、そんな「女性」はどこにでもいる。そしてそんな「女性」相手に「身体能力の差」で負ける「男性」もたくさんいる。そういう「不公平さ」を含んだうえでやるのがスポーツ。

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スポーツやってると「生まれ持ったものの差」に対する腹立ちやら嫉妬やらは日常茶飯事なんだけど(「あんな大きい奴に勝てるかよ」「あれだけ足が速ければな......」とか)、そこに「差別したい者」が乗っかってこれちゃうのがスポーツ界におけるトランス“問題"なんですよね。選手当人らはふだんやってる「背の高さ」「足の速さ」とかへの愚痴くらいの感覚で言及していても、差別したい者らはそれを利用できてしまう。

そして選手たち(少なくともトップレベルでやってる者ら)は、そんな「生まれ持ったものの差」による「不公平さ」なんてものは織り込み済みで、だからこそ日々練習をしてそれを乗り越えようとしている(がゆえに愚痴も言いたくなる)。つまり余計なお世話だから黙っているのが吉。ナンオブユアビジネス。

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佐藤創  鳥羽・なかまちに住んで
三重県は鳥羽、なかまちに、地域おこし協力隊としてやってきた佐藤さん。地域の人とのほど良い距離感や関係、この町に住み、事業をやってゆくことについて。ちょっとだけ自由な無法帯での生き方の具体例。

大東悠二 わかち合う時を求めて、わたしたちの共有地をつくる
子どものころ、母と映画をみた時間が「わかち合い」の原点だった。
二度のパリ旅行、シェイクスピア&カンパニー書店との出会い、ちがいのある人が共に過ごせる「共有地」、だれもに開かれた「場」づくりの軌跡。

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関口竜平 適当な空間、得体の知れない大人
「町には本屋が必要だ」。そんな言葉を「本」を取り巻く状況ではよく耳にする。本屋は共有地、とも。いったい町に必要とされている本屋とは、共有地であるとは?そんな逡巡なんて関係なく乱入してくるこどもたち。書店主と子供たちの関係について。

井上彼方 それでもその先を夢見て
小説を書く/読む場を開くとき、書籍は読者が集う場所になる。SF小説を通して、そして、一緒に暮らしているぬいぐるみや猫たちとのかかわりを通して、「他者」のいる場を考えてゆく。
ここではないよりよい世界を夢見ることの、現実を変革する力を信じて。

小泉初恵 水俣、メガネ、天然魚
海と山に囲まれた小さな町、水俣。全国どこにでもありそうなこの町はかつて水俣病が起きた場所。そして、天然の魚みたいなひとがたくさんいる。この町で起きたことを、語り、伝えようとしてゆくことを、町の外からやってきて、町に暮らすまなざしで語る。


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『だれかといない場所』

書店や、本を通した場づくり、水俣、鳥羽、「共有地」と名乗る場所。五つの「場」や土地を維持したり、そこで生活していたりする人々の「共有地」にまつわるエッセイを集めています。

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スポーツ選手への誹謗中傷も、他者の性別をジャッジしたくなるのも、おそらく根本にあるのは支配欲やコントロール欲なのだと思う。期待した結果をもたらしてくれないスポーツ選手、自分の認識する世界とズレるありかたをしている者は、自らの支配/コントロール下にいない存在であり、それがストレスになる。

当然、日々の生活には「期待にそぐわない他者」が溢れているのだから、それに耐性のない者はストレスフルな日々を送ることになり、その不満の解消に「期待にそぐわない他者」への誹謗中傷や差別が使われる、という悪循環となっているのだろう。

ま〜た売上0か〜〜〜???٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و

構造の問題をどうにかしようともせずに書店の閉店をただただ嘆き悲しんでいるだけの業界人を見ると、24時間テレビとかで障害者ががんばっているのを見て感動しちゃってる者らを見るときと似たような感情にはなりますけども。そういう感情以外はもはや抱かないですね。

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こういうことを「本の未来を考えよう」みたいな企画で書いたり話したりする機会を与えてもらえない(あいつは面倒なことを言うから関わらないでおこう、となる)のがこの業界なので、私はもう諦めています。いわゆる大きな「業界」というものは早々に潰れておしまいなさい、くらいのことは思っている。もうどんな本屋が閉店しても悲しくない、というか感情がなにも動かない。なぜなら当然の結果だから。

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書店現場は「出版業界の搾取構造によって生じる諸問題を書店員自らの搾取によって解決する」という入れ子構造(?)によって成立しているため、そのやりかた=環境に慣れきった書店員は業界内にある搾取構造を批判することができない(そもそも意識化できない)。まさにどん詰まり。

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結局、すべてが「エモ」でなあなあにされ問題を生み出している構造は改善されない。それはこの閉店ツイートに溢れる「お疲れさま」「かなしい」「こんなに素敵な書店が」といったリプや引用にもあらわれている。そして、こういう「構造」は出版業界にかぎらずこの社会のいたるところにあるのだろう。

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こういったことを書店員たちのなかで(あるいはSNSで)言うと「心ある出版社社員もいる」などと言われるのだが、これは構造の問題であってあなたの知り合いに心ある者がいるとかどうとかは関係なく、構造そのものをどうにかしなければ搾取する者/される者が生じ続けるだけなのだ、ということが理解されないため、その点でも改善が見込めないでいる。構造自体が問題を抱えている場合、構造内部にいる個々人の性格のよさだとかなんだとかは無効化されるのだから、問題は切り分けて考えなければならないのだけど、搾取構造に慣れきってしまっている(つまり「思いやり」「情緒」で問題を乗り越えてきている)書店員たちは、その切り分けができない。

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正社員でもボーナスが出たり昇給したりなどはほとんどない。パートアルバイトならなおさらで、そんなものは経験したことないのが大半だろう。昇給するのは最低賃金が上がったときだけで、どれだけ長く勤めようがスキルを磨こうが仕事をこなそうが賃金は変わらない。高校生の新入りアルバイトと同じ時給で働いている。ちなみに私もこのパターン。

こんな状況にさせておいてなにが「出版業界は文化の担い手」だよすっとこどっこいが、と思うが、出版社の者らは書店現場がこんな状況であることを知らない場合もあり、往々にして驚かれる(がその後なにか改善のための行動をとる者はほぼいない)。

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そしてそのような見下し=下請けとみなす行為は、往々にして無自覚になされているし、見下されているほうもそれに気がついていない。あるいは日々の労働をこなすのに精一杯で気がつける余裕がない。このような環境なので、当然、書店現場および出版業界全体が反差別のようなありかたを追求構築維持などできやしない。特に書店現場でどうにかやっている者らは、そもそも自らが搾取される側にいるため、まずかれらが救われる=反差別の実践が自らを救うということを自覚しなければならないが、その壁を突破できないでいる。反差別を訴える=自らの労働環境を搾取であると批判することなど、身の程をわきまえない傲慢な要求だと思わされている。

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まず書店現場もしくはチェーン内部で「女/非正規の言うことなんて」が発動し、それを突破しても次は書店-出版社という上下関係のなかで「女/非正規の(もしくは書店の)」が発動するため、搾取構造が維持され続けている。

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スタッフの顔がわかる写真を拡散するのは憚られるけども、ご覧のように圧倒的な男女差(と二元論にするのもよろしくはないが)があるのが書店現場というものです。このなかで正社員はおそらく2〜3名(いればいいほうで店長だけということも多々ある)。なお、この書店は業界内ではそれなりに名の通っているところ。なぜ書店現場からの業界問題改善の要求が通らないのか、という問いの答えが推測できますよね。「女/非正規の言うことなんか聞かなくていい」ってこと。

x.com/mzsm_kuzuhaeki/status/18

五輪というエンタメを自らのストレス解消のために使っているため、不甲斐ない結果となった選手やそれに関わった相手選手や審判をストレスの捌け口にする。これはスポーツの問題ではなく社会の問題であり、政治の失敗がもたらした負の連鎖。このような形でも、スポーツに政治は持ち込まれている。持ち込むな、と言っているのはこのように誹謗中傷という形で無自覚に持ち込んでいる当人だったりもする。

news.yahoo.co.jp/pickup/650920

From: @gucchi_penguin
fedibird.com/@gucchi_penguin/1 [参照]

@gucchi_penguin ひところそれなりにいた韓国人選手がいまひとりもいないということが幸運にも思えてしまうほどの酷いありようが、野球ファンのSNSにはある。もちろんこの不在は10年代前半に激化した嫌韓の結果でもあるのだろうけど。このように、エンタメにもスポーツにも政治は侵入している。しかもど真ん中にガッツリと。

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隅田川の花火のニュース見てたら大衆が入場規制に対して本気でイライラしてる様子が映し出されてて、つまりこれはそれほどまでに娯楽に飢えているということ、換言すればそれほどまでに日々の生活がストレスフルなのだ、ということのような気がして、恐ろしさと憐憫を感じてしまった。たかが花火にそこまで本気になれてしまうということ、本気にならざるを得ないということ。

これは野球ファンのSNSを見ていても同じものを感じる。チームや選手に対する誹謗中傷がここ数年酷くなる一方で、それは野球の試合というエンタメを自らのストレス解消の手段として使っているということで、そのストレスが不甲斐ないチームやミスをした選手のせいで解消されないことによる新たなストレスが、誹謗中傷として発露しているということなのだと思う。当然、それらはすべて「弱者」「異端」へと向かう憎悪として転換される可能性を持っている。

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