この世のつらみがすべてハラミやサラミになる呪文
どうやら書誌情報を管理してる団体みたいなところに登録されたようで、インテルネッツの海に放たれておりました(なんか恥ずかしいからマストドーンでのみ報告)。ただいま絶賛ゲラ修正作業中。予定通り進めば4月下旬、村上春樹の新作が発売されて盛り上がり、少し盛り下がった頃に刊行です。当然のことながらlighthouseでも予約は取りますが、個人的には(無理せず通える範囲に本屋がある場合は)家の近くの本屋で注文して、本屋自身にこの本の存在を認知させてもらいたい気持ちが強いです。んー?なんだなんだー?なんか本屋の本だぞー?読んでみるかー?と本屋自身がなること(そして本屋の意識が変わること)、それがこの本の意図なので。まあ、そんなことよりゲラ修正を終わらせろ、という話なのですが。あと確定申告と、各種文字起こし、『灯台より』関連の原稿赤入れなどなど。せきぐちはめのまえがまっくらになった。
「代わりに読む」はある種のリミックスであり、「代わりに読む」を代わりに読むのもまたリミックスである。2024年はそれだった。そして2025年は「プルーストを読む」を読む、その営みを軸にした本を出そうとしている。これもまたリミックスであろう。高まっている。
定義=暴力となる場合がある、ということをまず認識しておきたい。
学生の頃フーファイのコピバンやったことあるんですけど、メンバー全員で便所サンダル履いてみたら音の抜けがよくなりましたね。
たとえば政治の話などをしなくていい/しないほうがいい場所というのも我々の生活には必要なのではないか、ということをここ数年のSNSを見ていると逆説的に思い始めているので、ある程度クローズドで限定的な場所として機能させられるmixi2が、そのような場所になるといいなという期待がある。我々は「政治の話ができない存在(場所、人、仕組みなどなど)はクソだ」と言いがちだが、政治や社会に苦しめられている者こそ、それから離れられる場所を(たとえ現実逃避だとしても)持たなければならないと思う。我々はあまりにもたたかいすぎていて、あまりにも疲弊しすぎている。そして他者の善意を信用できなくなっている。もちろんこれが理想論でしかないことはわかっているが、それでもやはりそのような場所を意識的に作らねばならないフェイズにあると考えている。
SNS、結局なにを使おうとも「制作元や世間が求める使い方」をしてしまうと最終的には同じ状況を作り出す気がするので、そういうものに乗っからずに使ってみる。とりあえず、mixi2とやらは誰もフォロバせずなにも返信せずで、公式の言うところの「繋がった人、繋がりたい人との関係性を深められる」からは距離をとってみようと思っている。たぶんメルマガに感覚は近く、「どうやらある程度のユーザーに読まれているらしい」という状態をメルマガとはちがって短文投稿で感じる、というイメージか。とにかく、お店公式アカウントに対する従来のイメージ=期待からは外れたものにしたい。複数SNS運用がデフォルトになってきたので、使い分けを意識的にしていこうと思う。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。