この世のつらみがすべてハラミやサラミになる呪文
どうやら書誌情報を管理してる団体みたいなところに登録されたようで、インテルネッツの海に放たれておりました(なんか恥ずかしいからマストドーンでのみ報告)。ただいま絶賛ゲラ修正作業中。予定通り進めば4月下旬、村上春樹の新作が発売されて盛り上がり、少し盛り下がった頃に刊行です。当然のことながらlighthouseでも予約は取りますが、個人的には(無理せず通える範囲に本屋がある場合は)家の近くの本屋で注文して、本屋自身にこの本の存在を認知させてもらいたい気持ちが強いです。んー?なんだなんだー?なんか本屋の本だぞー?読んでみるかー?と本屋自身がなること(そして本屋の意識が変わること)、それがこの本の意図なので。まあ、そんなことよりゲラ修正を終わらせろ、という話なのですが。あと確定申告と、各種文字起こし、『灯台より』関連の原稿赤入れなどなど。せきぐちはめのまえがまっくらになった。
今日も売上が絶望だったので、過去の自分が(お店でのイベント用に)書いた最高の論評を読んで悦に浸っている。この本が文庫化したら巻末の解説に使ってほしい。エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)
https://books-lighthouse.stores.jp/items/6573fe470c846b0001d50367
本日も無事、売上0(来客0)です!
出版社には値下げ販売の権利があるのに本屋にはない。しかも買い切りで仕入れていてもできない(から返品できないデッドストックが増えていく)。私はアナキストだし独立系書店的なあり方だから古本屋に売ったりしちゃうけど、大手取次と契約している一般的な本屋はそれもできない(こっそりやってるところはあるだろうけど)。
値下げも値上げもできず出版社の決めた定価でしか販売できないのは、価格調整という販売スキルのひとつを封じられているのと同じで、にもかかわらず「本屋の売り方に工夫がない」みたいなことを言われたりするのは納得がいかない。
出版社がブックフェスで売ってる値下げ本、ほとんどが製本時にできたB本とか本屋から返品されて汚れのあるもので、それでもいい読者がよろこんで買ってるわけだけど、それを本屋がやってはいけないことの理不尽さ。お客さんの不注意で汚れた本でさえも買い切りだと返品不可だったりするのだから、まさに「なにもできない」物質であり負債として店頭に残ることになる。
だから本屋lighthouseでは出版部機能の充実を図っているのだけど、それができない本屋のほうが多いし、作り手になれないことを能力不足として責めるのは間違っているので、やはり「仕入れた本を売る」だけの利益でやっていける環境を構築しないといけない(もちろんその手段のなかには政治もある)。
たまにうちでやってる店前ミニブックフェスみたいなのは出店料も販売手数料も取っていない。出れて3ブースかつ幕張の立地では売上もたかが知れていて、そんなの取ってたら出店者の利益がなくなるから。そして出店ブース目当てで来た人がlighthouse店内の本も買うことが多いから、それで十分プラスアルファの利益となる。パイが縮小し続けている業界なのだから、少ないパイをいかにして分け合うかという方向でも生き残りの方法を考える必要があるはずなのに、なぜか「独り勝ち」する方法だけがもてはやされ、どんどんプレーヤーを減らし、つまりパイを減らしていく方向に突き進んでいる気がする。
浅草と下北でブックフェスやってて、移民難民フェスもやってて、予想通りの閑古鳥だったのだけど、文フリや神保町ブックフェスのときもそうで、結局「作り手」にならないと生き残れない世界になっているのが苦しい。文フリはZINE程度のものでも出れるけど、出版社にならないと出れないものに関しては近郊の本屋は完全に割を食うだけになるので、このへんも業界内の上下関係が露骨に出ていて嫌になる。出版社は値下げ販売もできるしね。本屋が大事だなんだと言うなら、本屋が割を食わない仕組みを作りなさいよとずっと思ってる。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。