この組み合わせでビジネス社から出すのか。10年前なら信じがたいけど、いまとなっては納得してしまう。
1型糖尿病が生活習慣病ではないのは間違いないが、2型だって、生活習慣ものすごくきちんとしてても、なるのよ。
・酒飲まない
・タバコ吸わない
・野菜たくさん、ご飯少なめ、腹八分目
・週3ジム通い、趣味で職場の駅伝クラブ
・睡眠は毎日7時間確保
の生活でも、なります。
2型だって「自堕落が招いた自己責任」扱いされるのは理不尽だなと思う。
おれが商業出版社の編集だったら友田さんが「もう増刷しません」と言い出したタイミングですぐに文庫化させてたからなんか悔しいぜ(というか、なんでどこも文庫化しないんだ、早くしないなら本屋lighthouseで「同人誌単行本を同人誌文庫化する」というくだらないことしちまうぞ、と思ってたところ)。
https://twitter.com/tomodaton/status/1787042297949143388?s=46&t=chyQfs6W2RfeREPFeTQ2mA
『現代詩手帖5月号 特集パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」読んでる。しんどい本で、少しずつしか読めないんだけど、「技巧の講義はクソどうでもいい、私の仲間が死んでいる」というヌール・ヒンディさんの詩を読んで、ずっと朝から「表現」ということを考えてる。
「受け取られるために」整形された言葉、というのは、極限状態の人たちが、余裕のある側に「合わせた」言葉を選び、表現し、「それでようやく受け取られる」ということだし、その定形をして、なお受け取られないということでもあって。
訴えているのに、聞かれない言葉があるということでもある。
#fedibird #読書 #FreePalestine
福嶋さん、基本的に「差別とたたかうべきだ」という姿勢で、それ自体は間違ってはいないんだけど、たたかうべきなのは「差別に耐えうる状況にある者」であって、全員ではないんですよね。福嶋さんの脳内にはカウンターの人たちが浮かんでいるのかもしれないけど、反差別を主張する者らの中には当然ながらマイノリティ当事者もいて、かれらはむしろ「たたかいから逃げるべき」なのだけど、そこをまったく見てないように思える。つまり我々がたたかうのは、マイノリティがたたかわずに逃げられるようにするためで、でもアリーナ論だとそのたたかいにマイノリティが巻き込まれてるよ、というのがアリーナ論への批判だということ、もしかして気がついてないのかな。
トランス差別に具体的に言及
もはや本屋は言論の主戦場ではなく、現代の主戦場であるSNSに議論の「タネ」を供給するための場でしかない。そしてどの「タネ」が選ばれるかについてもパワーバランスの影響があるため、たとえ本屋店頭にある数が少なくても、ヘイト言説のほうが採用されやすい(採用されてSNSに投稿されたあとの影響力も大きい)。
例:トランス女性に対する差別が圧倒的に存在する社会においては、「トイレで云々」という言説があればそれが強烈な勢いでもって活用されることになる。これはヘイターだけに限らない。トランスの存在すら知らない者も同様に、「そんな危険なやつがいるのか」という反応になる。そしてそれが印象に残り、「気軽に」SNSに投稿されることでまたその「危険言説」は強化される。
起こったことや考えたことを気軽にSNSに投稿するのが現代社会であり、そこではあまりにも「気軽に」自覚のない差別が投稿されている。マイノリティはそれを目にする。本屋からヘイト本が一掃されたところで「ヘイト」は日常に溢れているし、それを我々は目にしている。ただしそれは意識しなければ気がつかないのだけど、それは本屋店頭だろうとSNSだろうと同じこと。本屋にアリーナができていてもほとんどの者は気がつかない。書店員自身がヘイト本であることに気がついていない場合もあるのだから。
そして、やはり我々出版業界人は「人はみな本屋に行くものだ」ということを前提としすぎている。本屋に行く者よりSNSを開くことのほうが多いことなど、考えるまでもないのだけど。
福嶋が店頭からヘイト本を外さないのは「本を外したところで社会にあるヘイトはなくならない」「むしろ店頭から外すことでヘイトの存在そのものも隠蔽してきまう(から抵抗できなくなる)」という理由もあるようだけど、いまや「言論」の場は本屋店頭ではなくSNSに映っているということが、理解できていないように思える。
差別やヘイトに活用できる「タネ」を見つけた悪意ある者はそれをSNSでの投稿に盛り込む。仮に本屋からヘイト本が消えたところで、残念ながらその「タネ」はどこにでもある。そして、本屋にあるヘイト本を「抵抗」のために読むのはその時点で反差別の意識がある者に限られており、多くの読者は気にせずに済む者としてのマジョリティである。ゆえに、ヘイト本を目にした者の反応の多くは「本屋で見かけただけの知識をもとにした、悪意のない差別意識の開陳」にしかならない。意図的に差別したい者は言わずもがな。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。