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ふと頭に浮かんだメロディが何か分からなくて、グーグル先生の前で口笛で再現してみたら、西部警察2のテーマと判明。めちゃくちゃ懐かしい!

youtu.be/FetIKf3j25U

小学生の頃、だいたい男子はプロレスごっこか西部警察ごっこかだったと思った。

海外では学生がChatGPTを使ってレポートを書くことに困っているというが、そうでしょうなあ。幸いにも僕が専門としている内容はまだ簡単には答えられないようですが、いずれ乗り越えられることでしょう。

バンクーバーから聞こえてくるのは、レポートでは危険なので口頭試問を入れるケースも増えてきたとか。マスな授業ではそれはできない。問い方を考えなければなりませんね。

研究成果を公表するHPの作成にあたって、cssにメディアごとに異なる表示をさせるためのviewport指定を入れたい。が、書き方が分からない。という出発点におりまして、いまChatGPTに、PC・一般的なスマホ・一般的なタブレットを想定してCSSを書き換えてください、と指示を入れたらできてきたよ。

HTMLファイルのヘッダも今風にアレンジしてくれた。

明日実際にサーバにアップする。こういう使い方ができるのは嬉しい。

ちなみにTeX Tikzで散布図もすぐコード書いてきた。じゃあそれをpandasでとお願いしたらすぐ出してきた。こちらがやりたいことを指示すると、それでアレンジしてくる。マジですか。

いつかイラストで「こういうふうにアウトプットしたい」と示したら、実現するコードも書いてきそうだな。いやー、人間がやるべき仕事が何なのか、よくよく考えねばならない。

研究会にオンラインで参加しながら、合間にパンを2周焼く。食事用のクッペと、久しぶりのあんぱん。

先月からパンを買わなくなったな。これ、いつまで続くかな。自分で焼いた方が自分好みの味だから、思った以上に続いてる。

食事用のは、クッペ、バタール、レーズンパンを回している感じです。

「持つに値しない感情を意図的に揺さぶろうとする企てからは、身を守らなければなりません」とのこと。メディアリテラシーと総括すると途端に味気ない感じになってしまうが、言い換えるならばそうなるのだろう。

ただし、真贋を問題にしているようで、必ずしもそれだけでもなさそうであることに注意とも思う。創作物はフェイクではない。物語的な「真実」は現実ではないが、持つに値する感情を生む、と読む余地はあるだろう。

文脈から判断する限り、共感を生むような感情が、その「持つに値する感情」なのでしょう。

カズオ・イシグロ「物語には“分断”に対抗する力がある」 | ノーベル賞作家が語る「創作の意義」と「次世代への期待」 | クーリエ・ジャポン
courrier.jp/news/archives/3103

「現在のように分断された世界では、感情を揺さぶる物語を作るときに気をつけるべきことがあります。その感情を常に『真実』に結びつけることです。さらに、持つに値しない感情を意図的に揺さぶろうとする企てからは、身を守らなければなりません。そのためには、映画、本、テレビなどのコンテンツに批判的になることが求められます。」

いつも部屋の暖房を付ける前は10度以上だが、今日は6度スタート。部屋が暖まるまでに時間がかかる。

こんな日ですが、埼玉から静岡まで出張です。新幹線が止まりませんように。

僕の直観だと「とんち」も由来は「頓知」だけど、漢語の意識が弱いので、ちょっとおかしみの響きが伴うように感じられる。和語ではないが「ポンチ絵」もどこか禁忌の匂いがする。これはちょっと直接的ですかね。「アンチ」「安置」がそうではないのは、語源意識がしっかりしているからでしょうか。「ポンチ」はpunchが語源だから、もし「パンチ」だったらおかしみはない。なんとなく語源が不明なので、語種認定ができないのではないか。

人名などは語源不明になりがちで、語種認定もそもそも怪しい世界だから、類例がありそうに思われます。たとえば東京ラブストーリーで有名な「カンチ」なんかもちょっと三下感が漂う。

そう考えると、「げんち」が母語話者の直観として美しくない、というのは言語感覚に優れた観察だと思います。(3/3)

で、「げんち」はどうか。確かに僕の直観としても、幼児っぽい、規範的でない発音のように感じます。ひとつには漢語音としてのプロトタイプ的発音は2拍+2拍であって、第2拍に「ん」を含む場合であっても、「あんしん」「かんかつ」が大多数なわけですが、それを外れているということ。さらにいうと3拍語で第2拍に「ん」を含む卑語等が多いことによるのではないか。比較的公的な場で書きやすいやつでいうと「うんこ」「うんち」などが典型例でしょうかね。

3拍漢語では「現地」「半途」「頑固」など特殊な印象を持つことはないが、和語的なものではぐっと卑語的な印象が増える。言質は漢語として異例の読み(文字通りでは「げんしち」)だから、漢語の意識が弱く、和語のカテゴリで認知してしまうので、結果、卑語の響きが出るんじゃないかと思います。(2/3)

「げんち」という読みが母語話者の直観として美しくない、というのは非常に興味深いです。これはおそらく音配列則(Phonotactics)の問題につながっていると思われます。言語にはより一般的な音の並びと、特殊な並びがあって、通常許されないか珍しい音の並びは、卑語に使われると言うことがある。

日本語だとよく知られているのは、和語で濁音始まりに悪口が多いのは、古く日本語に濁音始まりの語が少ない=特殊な並びだから、というのがあります。PayPayが何となく軽薄な感じがする、と僕は思っていますが、これもp音始まりの特殊性でしょう。(1/3)

KATO Daikaku さんがブースト

私、本来の「げんち」という読み方が美しくなくて、昔からどうも苦手というか、むしろ積極的に嫌いで。でも最近は慣用読みとして「げんしち」や「げんしつ」という読みも受け入れられているので安心して?いたのだけど、今回悪友夫婦に見事「言質の読みは『げんち』だよ!」と指摘されてしまった。まぁ歴史的に正しいのはそうだから敢えて反論しなかったのだけども…何だかちょっと悔しい😅

「言質」の正しい読み方は?「げんしつ」でも「ことじち」でもなく…【脳トレ漢字83】 | サライ.jp

serai.jp/hobby/1059775

娘の高校入試、合格発表が出た。こんなに勉強しない受験生がいてもいいのかなと思うくらいだったが、まあどうにか。

入試の翌日に合格発表とはありがたいですね。定着率を上げようとするものだとしても。

今年度は息子の大学進学がなんとか決まり、娘の高校進学も決まった。親としては大きめの仕事が終わったような気がして、ほっと一息です。

パンのレシピを読み漁るようになって、ジャーゴンもずいぶん理解できるようになってきた。

二次発酵のことを「ホイロを取る」などと言うようですね。最初はなんだそれは、と思っていましたが。ここに、panpediaなる百科事典がありまして、「ホイロ」が立項している。

panpedia.work/entry/hoiro

もとは二次発酵を行うための発酵器を「ホイロ」と言っていたと。これは唐宋音の「焙炉」ですね。日本国語大辞典@JapanKnowledgeによれば、「木の枠(わく)や籠(かご)の底に厚手の和紙を張り、炭火を用いて遠火で茶の葉や薬草、海苔(のり)などを乾燥させる道具。ほいろう。」とのこと。意味用法が拡張して、パンの二次発酵にも使うようになったのでしょう。

次世代デジタルライブラリーに1939年刊『製パン教程』なる本があって、「第四節酵母の取扱生麵生麵の膨脹焙爐上の注意」であるとか、「パン型に型詰され、或はてんぱんに型取られ焙爐に移される」などと記載されている。1929年刊『農産製造学』なる本にもパンの製法が記されるが、「焙炉」は使われていない。古くは茶を観想させる用法はあれど、パンには用いられていないようです。

いかにも現代的なパン作りの話題に古色を湛える表現が出てくると、不思議な感じがしますね。

週末、バゲット3回目。加水率を少なくして、こねる方向でグルテン形成。これまで300gの粉に対して、250gの水だったのを、220gにしてみた。

結果、しっかりとした膨らみと軽みのあるクラムに。やっとバゲットらしい食感になった。写真は25分焼いたものだが、20分で十分かもしれない。慣れるまでこのパターンを繰り返してみることにする。

長時間発酵の方向性はまだ確かめられていない。このところ9時間程度で失敗することが多かった。年末はやはり時間があったのだろう、12時間近く寝かせられていた。もう一度、長めに寝かせたときにどう仕上がるかを確かめてみたい。

グルテンが充分に形成されない、ってこんな感じかなというもたっとした仕上がりでも、しっかりリベイクするとこれはこれでおいしい。中国の花巻のような、水分量の多いもっちり感と、外のパリパリも悪くないです。

それを食べた妹曰く、母が作ったマントウのパンバージョンみたいな味がすると。まあ、それはそれですな。

夕刻以降、めまいも少し収まって、今週予定している講演の準備が結構進んだ。良かった。

「分布から歴史へ」というあたりが参考になりそうですね。国語研に有象無象のものが眠っていて、そのなかにお宝が…という筋はあるかもしれませんね。

しかしプロジェクトがあったとは。秋永先生がこの手のことを演習で扱って下さったのは、1995年頃でした(授業では初めてだったと聞いた記憶が)。比較的古くから関心が持たれていたのですね。

本日、娘の高校入試。早朝に起きて、見送る。それから仕込んでいたパンの続きを。

成形は良かった。クープもかなり満足。しかし少し「歯ぬかり」がする仕上がり。次回は一次発酵を12時間しっかり取ってみよう。あとはこねないとは言うものの、時間を短くするならこねないと結局グルテンが弱くなるようですね。時間を長く取るか、こねるか、このバーターなのでしょう。

ハード系は水が多くベタつくので、こねないレシピが便利!と思っていましたが、いまいち膨らみが悪い。次はもう少しこねてもみよう。

あとは天板の余熱だなー。下からの熱が大事、と書いてあった。天板を入れずに予熱しているのも良くないのでしょう。成形した生地をあまり触りたくないが故に、天板に載せっぱなしにして、余熱は天板なしにしている。

工夫しなければならないポイントが少しずつ見えてきた。何事も研究ですね。

ありがとうございます。空山先生もでしたか。年齢を重ねると頻度が低くなると聞いていました。来年で五十ですから、そろそろお別れしたいものですね。

これの淵源はどこまで遡れるんでしょうね。子ども達が二手に分かれて遊ぶなんてのは、近代に限定されるものでもないような気がします。如何にも学校方言のようには見えますが。

いま調べてみると、偏頭痛への対症療法として、イミグランの注射なんかがあるんですね。10年前はまだなかったような気がする。イミグランはあった。注射の効果は高いようで、群発性頭痛の人などにとっては救いでしょう。

閃輝暗点も若い頃は大きな日輪のような形で現れていたのが、いまは視野の片隅に小さく現れる程度。だからといって痛みの大きさは小さくなったわけではありませんが、年と共に変わるんでしょうかね。

閃輝暗点を予防するというような記事もある。10年前はそんな記事はなかった。閃輝暗点を防ぐというようなスキーム自体が存在していたかどうか。(閃輝暗点は予防できません、という記事も存在している)

血管拡張説が当時は支配的でしたが、いまは脳神経機能の不全と考えられている模様。

いずれにしても今も昔も夢のような薬が開発されたわけでもなし、「おとなしく寝ろ」に如くはなし。

若い頃から偏頭痛持ちで、いわゆる閃輝暗点を伴うきついやつなんですが、この10年くらいは数年に一度くらいの頻度に収まって、人間らしい生活ができています。30代の前半くらいは週に何回という頻度の時もあって、授業中に閃輝暗点が始まるとメカドックよろしく(渡辺さん)目が見えないまま授業をしたものでした。

かつては常時携帯していたトリプタン系製剤も今は持たず。まだ市販はされないのですね。たまに苦しむくらいなら、その時だけお仕事はごめんなさいすればいい、と思うに至っていますが、ここぞと言うときには発症はせず、山を越えて落ち着いたときに出るんですよね。

というわけで一昨日、帰宅途中に閃輝暗点が始まって、久しぶりの偏頭痛に苦しんだのでした。しかし問題は、ロングテイルなめまいと吐き気がしばらく続くことです。デスクワークがこれがしんどい。料理とかパン作りは全然大丈夫だけど、PCで作業とか読書とか、大学教員として必須の基礎スキルはすべて調子が悪いです。トリプタン系製剤も「その時」の痛みは抑えてくれるが、この吐き気みたいなものは無理。

そういえばそういう薬はもらったことがないなと思って、薬局に行ったら五苓散を進められました。効果はまだ分かりません。

世の偏頭痛持ちの諸氏よ、共に耐え抜きましょう。

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