見栄えとかあんまり気にせず、自分が食べたい味のパンを食べ続けています。ハード系のクッペです。お手本にしたのは、柳川さんのレシピ。
https://oceans-nadia.com/user/11285/article/3194
でもWEBを見ると、いろんな作り方があるんですね。こねない長時間発酵には興味のあるレシピがたくさんある。
こねることの意味、グルテン形成のことなど、こちらは大変参考になったリンク。
捏ねるパンと捏ねないパンの違い パンをこねる意味は? | Piece of Oishi
https://pieceofoishi.com/jp/cooking-science/why-knead-bread/
そろそろ見栄えのするバゲットなんかも作ってみたいです。アマゾンではプロが執筆したレシピ本を買おうか買うまいか逡巡する日々…。
春節なので、母がなんか作っている模様です。今、夜の内に発酵させる分を仕込んだので、うちからは明朝パンを持っていくか…(東アジア的な行動)。
遊び言葉の地域差なんかも最近の学生達には人気があるので、演習で「グーとパーでチームを分けるときのかけ声」の地域的変異を調べてもらったチームがあるんですが、本題とは別のところで「グーとパー」「グーとチョキ」はあるのに、「パーとチョキ」の組み合わせは一つもなかったと。
なぜなのか?という考察がちょっと面白くって、2つの仮説を出してきた。1つはグーのほうが生得性が高いからではないかと。そんな発達段階があるか研究を見たわけではないけど、子どもは最初にグーを覚えて、最後にチョキを覚えるのではないかという仮説でした。言語学的に考えると、グーは無標的(フツー)、チョキは有標的(特殊)であるから、グーは必ず含まれるというもの。
もう1つは、視認性の高さが関連するのではないか、と。大勢で手を出し合ったときに、グーとそうではないものは見分けが付きやすいが、チョキとパーは区別が付きにくいと。これも2種類の区別を、一方が無標的、もう一方が有標的であることで効率的に識別できているのだとしたら、という話だからそれなりの理屈にはなっている。
ふーん。そうかもね、という話でした。
データ整形に取り組む一日でした。データの結合など、自分で数時間考えて、どうにもならんということで、諦めて「エクセル掲示板」なる場所にたどり着き、先達に教えを請うなど…
https://www.excel.studio-kazu.jp/cgi-bin/kazuwiki2r.cgi?mycmd=recent
いやー、すごい。一瞬で解決していただいた。お礼の課金できるなら課金したいくらいありがたかった。iferror、index、match関数を組み合わせての解決案、その関数が素晴らしくってノートに書いて読解してみて、理解できたところで改めて感動。
ふだんこんな関数使わないっす。
ファイルは30個くらいあるんで作業終了までまだずっと先ですが、1万行を超えるハードなファイルだったので本当に助かった。
何事においても、先達はあらまほしきことなり。今日の感動を書き記しておく次第。
ところで、自宅では、遠近両用が辛いときはメガネを外して生活していることも多い。視力は0.1は余裕で足りないくらいなので、かなり見えないほうだから、物体の輪郭はかなり見えていないんだと思う。でも、家の中に何があるかは大体分かっているから、それで困ることは殆どない。
料理、もちろん包丁も指を切るということはなくて、体が安全な感覚を覚えているんだなあと思ったことがある。洗い物なんかも基本的には問題がないが、やはり洗い残しが後から見つかって、家人から「洗えてない〜」と指摘を受けることはあります。当然ながら見えてなくても何でもできるというわけではないのでした。
それでごく稀にメガネをかけずに外を歩いてみることがある。外の世界は体が覚えている情報が少ないので、思うようには動ける感じがない。まあそれでも、よほど危ないところでない限りはどうにかなる(ご近所さんに出会っても挨拶はできないが)。見ることを諦めている状態は眼筋等にとってはもちろんのこと脳にとってもとても楽で、危険を察知しようとする部分は盛んに動いているのだろうけれど、いつも使っている視覚の処理を諦めているときの穏やかな浮遊感がある。
メガネを外して自宅で生活しているときと同じ、脳がやっている視覚の処理が緩んでいる感じは、リラックスの感覚なのでしょうね。
新年早々、新しいメガネを発注しました。昨年8月頃からいよいよ遠近両用メガネデビューを果たしたのですが、外付けモニタって正面の位置にあるために、レンズのちょうど上半分で見ることになってしまうのですね。眼精疲労がすごくて、昔使ってた単焦点レンズのほうが(柄は壊れている)、ずっと楽。
それで池袋のメガネドラッグで徹底して「自分の生活に合うメガネ」について相談した。結果、遠近両用メガネは自動車の運転用などに使うとして、新たなメガネはちょうどいい距離を40センチ〜1メートルくらいに設定してもらった。デスクワーク専用のメガネということですね。
改めて考えてみると、職業柄、この距離で世界と接することがいちばん時間的に長い。この距離こそが自分が一番大事にしなければならない距離だった。度数でばかりメガネを選んできたような気がするけれど、距離というのはあまり考えたことがなかった。
なお、壊れたメガネは山形に住んでいるときに購入したもので、レンズ入ってわずか11g。この軽さを関東で求めてもお店にはなかった。金属製の非常に薄いフレームでお気に入りだったけど、軽くて楽な分、強風に吹かれたときにメガネが飛んでいって壊れたのだよね。長時間楽に使えるこういうメガネにしたかった。
これには及ばないが、新たなメガネもけっこう軽い。
「弁当を使う」という言い方を編集者が知らなかった、という事例がネットで話題になっていた。恥ずかしながら僕もこの言い方を知らなかった。JKの日本国語大辞典では1786年の用例を初出としていて、江戸以降の言い方なんだろうとざっくり見て取れる。
ひまわりで青空文庫全文検索をかけてみたら、近現代に至って寺田寅彦、壺井栄、江戸川乱歩…と有名作品にもたびたび使われていていた。昨晩、妻の実家で、昭和20年生まれ神田育ちの義父に「弁当を使う」を聞いたことがあるか尋ねてみると、まったく聞いたことがないという。
代わりに「歯抜かりがする」という表現を聞いた。僕の作ったあんパンの生地が歯にくっつく感じのこと、として使っているようです。妻曰くその昔NHKの銀河テレビ小説でその言い方を耳にしてから、実家では使うようになった気がするということだから、江戸弁なのかは手元に今ある資料では分からない。JK日国には「歯ぬかり」は立項せず。これも青空文庫で調べてみると、一件だけヒットする。
宮本百合子『芽生』(1981初版)に「恋をするんならお七の様な恋をする。それでなけりゃあ歯ぬかりのする御 (一字不明) みたいな恋はしたくない…」彼の女はよくこんな事をその男に云う事があった。」とのこと。著者は1899東京生。
@kuzan ご指摘ありがとうございます。えっ、と思って『日本語学大辞典』を引いてみたら、ご指摘の通りでした。
「類似の概念として、位相差、社会方言、指標性等が挙げられるが、これらはすべて現実社会における話し手のグループや発話場面に結びつけられているのに対して、役割語は、話し手が現実に存在するか否かは必ずしも問題とはならない。」(『日本語学大辞典』「役割語」の項目)
位相差などと区別するために、役割語には「現実に使用されない」ことが要件となっているとばかり思い込んでいました。これは私の不勉強でした。
ただ、他の複数の研究者から「現実に使用されないこと」が要件であるという話を聞いたことがあります。私も定義を読み飛ばして、位相差との違いからそうだろうと思い込んでいたのでした。
ヴァーチャルとリアルは本質として区別できないという指摘は、金水先生の初期の記述にすでに埋め込まれているのですね。リアルな言語の仮想性のことは、私も議論したことがありましたが、最初から折り込みずにだったとはお恥ずかしい限りです。
この考え方だと、言語を実体的にみない点で、日本語学的なような気がして、文学部的だなと感じます(言語学よりも距離があるという意味で)。
山形時代からずっとお世話になっているオーロラコーヒー。関東に引っ越して、同じくらい美味しいお店を見つけるまでネット注文しますよ、と伝えてから5年間辞められないでいる。名残惜しさも当初はあったが、関東に来てから色々試しても「これは」というものに実際なかなか出会えないのでした。
この手のものはきっと相性もあるのでしょう。華やかなコーヒーではなく毎日飲み飽きないものを探しています。でも、これが飲み飽きないので仕方ない。
そのオーロラコーヒーもとうとう値上げに踏み切らざるを得なかったようです。200gで1200円。いずれ来る値上げへの心の準備として、西友の500gで400円くらいので「トレーニング」した時期もあるけれど、そもそもコーヒーなど贅沢品なのだから、ケチるくらいなら飲まなければいいですね、と開き直って年末にポチったのでした。
オーロラコーヒーに並ぶと思ったのは、唯一、台北市永康街にある蔵田珈琲豆専売。2019年を最後に行けてないです。
学生に教わった「関西弁あるある アニメで誇張されすぎてとても異次元な関西弁」、TikTokからです。
コナンファンが見れば、これが大阪弁話者とされる服部平次に母語話者が違和感を表明した動画だと分かるようです。そもそも僕は昨今のアニメ声優の演技がとても苦手で、マンガはもっぱら原作派です。ここで指摘されるのも、まずは誇張された演技であるようですが、おそらくは原作にも存在しているであろう、ある種のエセ関西弁に対する指摘があるのも興味深い。
形容詞連用形は、いわゆる西部方言では「固くなる」は「かた-う-なる」というウ音便を経由して「かとうなる」「かたなる」「かとなる」などのバリエーションが見られます。が、「かとうなる」は世代が上の関西弁という印象があるようで、リアルな口語の反映とは感覚的にみなせないようです。
動画に連なるコメントにも、おそらくは母語話者によるだろう「かとうなる」へのツッコミが溢れています。興味深い事例だと思いました。
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868