埼玉の北の果て。素晴らしい場所でした。

今日お会いした仏像さん。100体にお会いした中で、一番グッときたかたです。

天気の良い一日。データ分析もそれなりに進み、午後は娘の自転車を見てもらいに。雨ざらしで5年、まあよくまだ動くこと。街のスナップ。

植栽がこんもりしてちょっとした生態系が生まれている感じ。カマキリは4年くらい連続で見ています。

長野で撮影した写真だけど、たぶんアンドロメダ星雲だと思うんだけどなあ。へったくそなんですけど。

今年もヤマボウシは大量に実を付けている。ジャムをつくる気力がなく、ぼたぼたと落ちていくのをほうきで掃き取る日々…。ひとつだけお皿に載せてみた。

秋バラは花弁一つ一つがしっかりしている。香りも強い。

珍しく今日は池袋から帰宅。ジュンク堂でこれも買う。

来た!体系的に勉強できるのがありがたい。やはりきちんと学ぶときにネットではなかなか。

今更ですが、連休中に訪れた長野のお寺、光善寺。いい光でした。

週末、妹夫婦が住む長野県宮田村というところへ。星空がとても美しかった。

さてこの論文が言いたいのは、日本が翻訳による技術の体系化によって工業製品の製造を爆発的に高め、それが経済的な発展を遂げたとするもの。日本人が技術書を読めたことが大きいとするのですね。ここから先の理屈は経済学なのでよく分からない。しかし、ある集団が技術力を高めるためには知識の民主化が必要で、そのためには日本語で書かれた技術書、その基盤には日本語に翻訳された技術用語がたくさんあったということは間違いがない。

この知識の民主化が日本語によって行われたということは、重要なポイントだと思う。かつて水村美苗が『日本語が滅びるとき』で書いたように、近代的な日本は近代的な日本語を構築することによって得られたという見通しは大筋として正しいと思う。(3/4)

論文そのものは次のリンクに。
"Codification, Technology Absorption, and the Globalization of the Industrial Revolution",Réka Juhász, Shogo Sakabe & David Weinstein,National Bureau of Economic Research, 2024
nber.org/papers/w32667

曰く、スクレイピングによって図書館から図書データを入手して比較すると、1870年に存在していた技術書の84%が英・仏・独・伊語で占められていたところ、1910年では66%となって代わりに日本語が19%を占めるようになると。これはもちろん翻訳によるもので、Figure6を見ればその突出は明らか。これを語数の増加で見たのがFigure7。我らが『日本国語大辞典』(第2版)の初出例から年代を割り出している(どうやってデータを作ったんだろう)。これは日本語学者の仕事として見たかった…(2/4)

夏の間はサボっていたパン作りも再開。やっぱり涼しくなるとパンが食べたくなる。

チョコチップのパン。いつもは強力粉だけですが、強力粉250gと薄力粉50g、250度で12分。軽い口当たりのパンとなりました。

で、今日の当たりは円光寺。お庭がすごく綺麗。寺宝には円山応挙もあって驚きました。が、日本語史研究者としては、伏見の木活字を見ることができたのが眼福でした。

仁和寺は一枚だけ。平日昼時ということもあって、私しかいないという瞬間もあり、静けさを存分に楽しむことが出来ました。

岩国市から京都市に移動しまして、一日中日があるということで、京都市をチャリで回ってみた。30kmくらいで限界を迎えたわけですが、東寺→仁和寺→円光寺。ママチャリでしたが変速が付いていたのでそこそこ楽でした。

明日から本番なのにいいのか?栄養剤飲んでお昼寝したから大丈夫です。

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