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バスリコーダーやグレートバスリコーダーの音を聴けたのは良かったです。

音色は大変美しいのですが、多分同族楽器以外と組み合わせると他の楽器の音色によってこれらの楽器の音色は容易く覆い隠されてしまうのではないかと思いました。

それ故リコーダー(フルートも??)では目立つ中高音域が生き残ってきたのかなと思いました。

またベーム式か何かのような機構の改善がリコーダーに導入されていないならば、低音域への拡張に伴う楽器の巨大化が引き起こす運指上の困難さや半音階等の多用など音楽的嗜好の変化についていく事が難しいのかも……等と思いました。
更に言えば巨大化に伴うレスポンス自体の鈍化は前述した音色の隠蔽されやすさも相俟って、これらの楽器を他の楽器とのアンサンブルから遠ざけたのかもしれないと思いました。

ただ声楽との合奏はこれらの楽器に対してまだ開かれていると感じます。
特にバスリコーダーは魅力的だと思いました。 [参照]

興味深かったです。
自分はジャズも知らないし、そもそも言っている事をよく理解できたのか定かではないのですが。

多分「他調からの和音(属和音)を借用し、その調へ一時的に転調している」という風に解釈しているのかな……と思いました。

その一時的という期間の長さをどの程度に設定するかによって、また終止形や調性を確定させるかのような和声進行を明確化させるかどうかによってジャズっぽい雰囲気を出せるのかな……と思いました。

具体的に言えば多分例えば一小節毎に臨時的な転調をさせ、かつ特定の調における終止形を避けるというのがこのうような音楽を理解する鍵なのかなと思いました。

極端な事を言えば恐らく属和音の提示だけであっても任意の調性が確立したかのように演出できるのかもしれません。

更に言えばその属和音さえも遠隔調へ飛ぶ前にある出口のように振る舞えるのかもしれませんから、そこから事実上あらゆる調性と飛ぶ事ができるのかもしれません。

余談ですが、このような手法をフォーレ•シューベルト(ワーグナーも??)は好みそうだと思いました。
またサンソン•フランソワがジャズ風の即興をした事があるという話を(何となく)思い出しました。 [参照]

>>>
(1)genderが社会的性区分という概念自体を指すのに対して、実際に解体を志向しているのはその概念の中における在り方つまり「規範」である。
(2)それ故に(具体的な)規範の解体という表現は成り立つものの、概念自体の解体は(そもそも出現してしまった以上??)基本的に無理なのでは……

以上の引用部分についてはトマス・アクイナスの「神学大全」において似たような考え•捉え方を見たような気がします(トマスはgenderについて語っていた訳ではなかったように思いますが……)。 [参照]

この自分のトゥートの下の方において、自分はgenderという単語をsexだと解釈していたようなのですがこれは自分が誤解していたという事なのだろうと今になっては思います。

参照した元のトゥートの初めの方においてgenderは性の区分と呼ばれており、文章の最後の方においても(一貫して)同じように性区分だと呼ばれていたようですのでそれをsexと解釈していたのは自分の過ちでした。

ところでgenderが(社会的)性区分という枠組み自体であってこれの解体が不可であるなら、同様にこれをtransする事も不可なのでは……と思いましたがどうなのでしょうか。

可能なのはジェンダー規範をtransする事なのでは……という程度の意味です("のんぱすーな人々"の所謂パス度の話ではなくて、単に理屈の上ではという話です)。 [参照]

>>>genderのおーもとの意味はgenreなんかと一緒なので性別ではなく性区分としました。

確かにgenreという言葉の意味を汲み取る(?)と区分の方が訳語としては適当なような気はします。
性別というとsexの方を連想してしまいかちなのでは……とも思います。
それを避ける為には性区分の方が良いのかもと思いました。 [参照]

その人の置かれた環境ではそれらの言葉のそのような使い方であっても「多分通じそう」であるが故に、呼び方を正確にするという意識が働いてこなかったのかなとは思います(どう表現しても言い訳として聞こえるのでしょう……)。

USBメモリの事をUSBと呼んだり、wikipediaの事をwikiと呼んだり自分はしていました。

これは単に違いに気付いていなかったという事だと思います。
確かに「知能の面で努力を求められる」のかもしれません。
ご指摘については勉強になります。

ジェンダーの解体というよりもジェンダー規範の解体という方が、内容的により適切かつより伝わりやすいと思いました。

また、
(1)genderが社会的性区分という概念自体を指すのに対して、実際に解体を志向しているのはその概念の中における在り方つまり「規範」である。
(2)それ故に(具体的な)規範の解体という表現は成り立つものの、概念自体の解体は(そもそも出現してしまった以上??)基本的に無理なのでは……というお考えなのだろうと推測しました。 [参照]

(恐らく過去においては1つであったと思われる)ある概念をgenderとsexという2つの言葉へと分離する試みは人間及び社会の性質についての理解を深めるのに役立つと感じます。

尤も、この理解の仕方自体も将来においては変わっているのかもしれませんが。 [参照]

この記事は面白かったです。

テーマや発表の仕方が魅力的である場合には、読者は「のめり込むように」読むのかもしれません。
そのような時には、読者の理解力が一時的に向上しているかもしれない……等と思いました。

参照しているトゥートの後半部分「以下暴言になるけど」より下の部分についての感想を以下に綴ります。

>>>(過度に)のんぱすーな人々はそもそもgenderをtransできてないわけだし、

確かにそうだと思います。

>>>genderが性区分そのものである以上はgenderを解体とかなくしたりはできなくね?

例えばgenderを社会的性と見做し、またsexを生物的性(?)であると見做すなら「genderを解体」できるという解釈が成り立つのかも……等と思いました。

>>>あえて性区分と表記したけど、それには男と女しかないとかいうのも浅さを感じてしまうのであったよ……

この点については同意します(ここでの性区分という言葉についてはsexと同じ意味を持つと解釈しました)。
また、genderにおいてもsexにおいても男と女しかない訳ではない……というような気がしました。 [参照]

出入りするなら梯子によってであるような気はします。

しかしそもそもこれが現実に存在するのかどうか自分は疑問を持ちました。

CGか何かなのではないでしょうか。
また、ミニチュア(ジオラマ??)なのかもとも思いました。

その場所を利用した事のない人がCGを用いて描いたか、利用に関する配慮までは気が回らなかった(?)AIによる画像の自動生成かも……と出入りが困難そうであるという観察を通じて自分は予想しました。

ミニチュアを作るような人は作られた物がどのように利用されるかまでを考慮して作っていそうな気がしました(想像です)

画像がAI由来かどうか確かめる技術の存在を耳にした事があります。
その技術を使えばどの程度の真実味(?)があるのか分かるのかも……と思いました。

仮に実在するならば、土地をこのように利用する必要は何故あったのか……とも思います。
落ち武者や隠れ里的な何か(?)とやはり関係があるのでしょうか?? [参照]

面白そうだと思い、購入しました(Kindle版)。

いつ読み終わるか分かりませんが、取り敢えず読み始めました。 [参照]

ジェンダーについて話す際には、言葉の定義を摺り合わせてから本題へと入る方が良いのかも等と感じています。

また言葉の定義に関して言うならば「トランス女性」という言葉にも自分は少し引っ掛かっているようなところがあります……。

つまり性別違和•性分化疾患•autogynephilia(異性装も含む??)等など色々な人達を一緒くたにして話してしまうような定義の混乱のような何かが、そのトランス女性とやらの概念に関連しそうな色々な分野(法律上の扱い•トイレやお風呂はどうするetc.)に(恐らく必要以上の??)誤解と混乱を生んでいるでは……と感じます。 [参照]

文法上はともかく、生物学上においてはgenderという言葉に他者から観測される性区分という要素が含まれていたのではないか……と思いました(生物学について自分は詳しくないのですが)。

-----(以下少し脱線)-----
文法上の性の区分もしくはその概念については性別(?)によって代名詞を使い分ける例がwikipediaのジェンダーの項(日本語版)に紹介されているのを確認しました。

確かに英語において代名詞にhe/sheを用いる際には、対象の性区分についての他者による観測の結果がその使い分けに反映されているのかもしれない……とは思います。

しかし(個々の名詞に性があるらしい)仏語における自転車(le velo 男性形)や自動車(la voiture 女性形)といった性区分の使い分けも同様に他者からの観察に基づいているのかどうか自分は知りません。
-----(以上脱線終わり)-----

(とはいえ)"他者から観測される性区分というニュアンスがあったように思う"というご指摘は、enderという言葉の現在における使われ方や使われ方の変遷を理解する上において重要だろうと思いました。

また、言葉の定義が共有されていない場合には話が混乱するのではないかという気がしました(当たり前すぎる話かもしれませんが)。 [参照]

😋
美味しそう&楽しそうで何よりです。

右側の冊子の内容と表紙の絵も気になります。
ビールを飲んで川に転落しているのでしょうか。 [参照]

このトゥートの内容が果たして妥当なのか自分はあまり良く分かっていません。

ただ東洋経済の記事をさらっと読んだ限りにおいてはこの赤木氏の発言について「断言が多い気がする。何か危なそうだな……」という感想を持ちました。

尤もトゥート自体に書かれている「こういう人物が入り込む『スキ』を作ってしまったことが『敗着』だった」という文章を読んだ事が、自分の読み方と感じ方を捻じ曲げてしまっていたのかもしれませんが(言い訳か何かのように聞こえるかもしれません)。 [参照]

(この話題に限らず)レスポンスは一般的(?)に難しいと感じます。

「相手の発言内容に対して反応が正確なのかどうか」
(問いと答えの対応関係が正確なのか。例えばそのやり取りを一問一答形式(?)に変換できるのか)

「相手の発言を踏まえつつも正確には反応せず、そこから話題を発展させていくのか」
(話術が巧みなように見えるものの、正面から答えず『はぐらかしている』ようにも受け取られてしまうのかも)

「(半ば意図的な)曲解、皮肉や揶揄(?)を敢えて交えながら相手の発言におけるおかしいと思われた点などを浮き彫りにしていくのか」
(答えている側にとっては楽しいのかもしれないが、聞いている側は苛立ちを覚える場合が多いのかもしれない……)

望んだ反応を得られない場合には話し手が怒り出す事があるのかもしれない……等と時々思います。 [参照]

後になって、話すスピードに関するレスポンスとなっていないような気がしてきました。

自らの読解力の不足を痛感する流れとなっています😌 [参照]

早口な患者は病人ではない説があったり、聴き取れていない医者が病人である説もあったりするのかなと思いました。

そもそもその科に来る人は高齢であったり、舌がもつれるなどしていたりする場合が多いのかもしれないと思いました。

そのような環境下においては、医師の聴き取る能力が低下していても(何となく)診療を続けている事があるのかも……などと思いました。

聴診器に向けて(!)患者がゆっくり喋ると、医師は患者の発言を聴き取りやすくなるのかもしれません。

「この医師、大丈夫かな……」と思ったら受診をやんわり奨めてみるのが良いのかもしれないですね(神経内科や耳鼻科でしょうか)☺️ [参照]

この見解は興味深いと思いました。

この文章における身体性は「五感」という意味であると理解して良いものなのか気になりました。

この文脈における身体性という言葉にどのような意味を持たせているのだろうか……と思いました。

身体性という言葉は至るところ(分野)に顔を出す言葉だという気がしています。

便利な言葉なのかもしれませんが、人によってその意味するところが違うの可能性があるのかも……等と思いました。

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