大手広告代理店や人材派遣会社を通して公共事業をやっていると見做す事も実は可能なのではないか……等と思いました。
昔の公共事業は建設業(?)における労働者を通してお金を国民へ行き渡らせるという方式だったのかもしれませんが(詳細は知りません)(ダムや何かを作ったり??)、現代ではそれが人材派遣業(?)を通してというやり方に変わったのかな……等と思いました。
広告代理店に関しても、その事業に関わる人数が多いならば、そこへお金を渡していく事が公共事業的な意味を持ちうるのかな……とも思いました。
中抜き云々に関しても、本来の業務への対価は払いつつも大元の企業へお金を渡す事によって労働者へお金を行き渡らせるという視点もあるのかなと感じました。
仮にそれらが公共事業的であるのだとしても、どのような役割がそれらの企業に行政から期待されているのかについて行政は国民に説明しておいた方が良いのではないか……等と思いました。
行政が直接やるよりも私企業へと委託する方が量的•質的•内容的な面において効率的だったりスムーズに運んだりする場合もあるのではないでしょうか。
例えば小さな政府でありながら(志向しながら)も、私企業を利用する事によって質的•量的に充実した仕事をするという事も可能なのかも……等とも思いました。
以下の一連の感想に攻撃する意図はありません。
参考リンクは興味深かったです(斜め読みしました)。
【感想1】
>>>平等選挙などの選挙の基本原則
突き詰めていくならば、平等選挙とは何を意味するのだろう等と思いました。
【感想2】
>>>正当な民主制
「正当な民主制」とは何を意味するのだろうか等と少し思いました。
【感想3】
>>>選挙は多数派の意見を重視すると言う手法なので
選挙において一票の価値に差を付ける事も可能ではあると思います。
その場合には「多数派の意見を重視する」事にはならないのかも等と思いました。
【感想4】
第三段落の内容についての自分の理解は以下の通りとなります。
(a)全体においては少数派となる政党内部における多数派
(b)全体における多数派
ここにおいて、(a)の意味は(b)のそれと異なるのではないかと感じました。
【感想5】
北朝鮮の話が出てきました。
それと直接関係があるかはよく分からないものの、間接選挙(?)は選挙の正当性(?)を曇らせうるのかな等と(何となく)思いました。
ただ間接選挙についての感想は今はなく別の機会に書こうかと思っています。
【感想6】
感想を記す事を通じて、自分にとって選挙の持つ意味(意義??)は明白ではないというような気がしました。 [参照]
開かずの踏切(?)のようなものを初めて体験したのだが、朝の慌ただしい(個人差あり)時間帯に沢山の人(色々な人)から「時間を奪っている※」のは割と酷いような気がした。
※この表現が適切かどうかは分からない。
大体20分強は閉まっていたのではないかと思われる(正確に計った訳ではない)。
忍耐力を養う訓練のように考えたり、他の人達の様子を観察したりして自分は待っていたがこのように自分が振る舞ったのは初めての体験だったからだと思われる。
鉄道会社の都合に通行人が翻弄されるのを自分は理不尽だと感じていたのかもしれない。
陸橋や隧道のようなものを作る為の費用を補助金の形を取るなどして行政が鉄道会社へ与えれば良いのではないかという気がしました。
勿論全ての踏切という訳ではなく影響の大きい地点を中心にという事ですが。
なるほど……招待リンクを張ろうと(真面目に)検討した事がなかったので、仕組みをあまり理解していなかったようです(自分の話)。
【個人としての話】
利用できる回数を制限して張るならば、流入人数が増えすぎず良いのかもしれないと思いました。
期間限定かつ利用回数制限を設けてある招待リンクを定期的(例えば3ヶ月に1回など)に張る位ならサーバーへの負荷もコントロールできるのかなと思いました。
【サーバーとしての話】
ある期間中における招待リンク発行可能数をこのサーバーの利用者全体もしくは各利用者に対して割り当てるという仕組みを設けると流入量をコントロールできるのかな等と思いました。
【おまけ】
各利用者に割り当てていく方式では流入する人の属性•特徴が偏りにくいのかな等とも思いました。
反対に、沢山のリンクを張る人が特定の誰かに偏っている場合には招待される人も特定の属性•特徴に偏ってしまうのかな等と想像しました。
アリアを聴いただけですが、ケンプのこの演奏には好感を持ちました。
多分バスの速さを決め、それにソプラノがつられて行く(?)という具合なのではないでしょうか。
アリアにおいて、グールドは内声(と言って良いのか分かりませんが)までも独立した声部のように扱っていたような気がします。
一方、ケンプは主旋律と(バスが引き連れている(?))伴奏といったような2つの構成要素へと還元しているように思いました。
アリアにおいてこの主旋律と伴奏は妥当だという気がしました。
後続の曲をまだ聴いていない為にそれらに対しても同様のアプローチをケンプが取ったのかどうかを知りませんが、もしフーゲッタにおいても同様のアプローチを取っていたならばそれは奇妙に響いたのかもしれません(そんな事は流石にしそうにはないと思いますが)。
グールドの演奏は印象に残っていますが、このケンプの演奏の方が実は正統的というか自然だというような気もしました(但し何が"正当的"であり"自然"であるかについて自分はあまり詳しくはないと思います)。
また、ケンプのこの演奏を聴いた後に、「グールドは何でもかんでも対位法を通じて理解しようとしていたのかな」等と自分は少し思いました。
とはいえ楽しみ方が何通りもあるのは聴く方としては有難い事だと思います。 [参照]
大変興味深い記事だと思いました。
問題発見とその解決に関する読み物としても楽しめると思います。
ところで医療刑務所における医官の待遇ってどんなものなのだろう。
(比較的楽だけれども)経験値が高まらないが故に"医師としては使い物にならなくなる"職場において働く事を医師が忌避するという話を聞いた事があるのだが、医療刑務所はそれに該当するのだろうか?
それとも医療従事者側の人数が少ない(?)が故に(想像です)何でもかんでも診ざるを得なかったり、激務だったりするのだろうか(他が激務ではないとは言っていません)。
「クラシック」を試しにキーワード購読してみているのだが、目当ての音楽以外にも色々と引っ掛かりそうだと思う。
ところでクラシックはいつからいつまで位を大体想定して使われている言葉なのか?
個人的にはJ.S.バッハはクラシックではなく、ベートーヴェンはクラシックであるような気がしているが、ではラモーやクープランはというとクラシックであるような気がしなくもない。
"フランス古典"という区分は所謂"クラシック"とは違うと思われるが、それをもクラシックと呼んでいる人もやはり恐らく少しはいるのではないか。
ここでは恐らく時間的な範囲を示すよりも様式面での特徴が考慮されているのかもしれない。
では"クラシック"らしさとは一体何なのか……🤔
滑りやすい場所が何処かについてはともかく、「転倒の数は降雪量にほぼ比例」しているのだろうか……??
雪国経験値(仮称)、降雪量、積雪量、凍結の具合(気温??)、地形(傾斜の有無??)、そしてそもそも指摘されているような滑りやすい場所の多寡が関係しているのではないだろうか……。
例えば降雪量の多い場所に沢山の高齢者が住む為の街を作る場合、滑りにくさに配慮して街を設計する事は可能なのだろうか?
https://twitter.com/Ortho_FL/status/1623950463799554049?t=tVa1EdhBPYb06lRf0cX0SQ&s=19
フーガ(音楽)を好む。
返信がない場合や遅れる場合があります。