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行政の仕事を私企業が代理的に実行していくという方式が実在しているのかは分かりません。

このやり方の延長線上には私企業的な行政(ひいては私企業的な国家も??)が生まれる可能性がもしかしたらあるのかな等と想像しました。

これがどこかの国や地域において既に実現しているのかどうかを自分は知りません。 [参照]

大手広告代理店や人材派遣会社を通して公共事業をやっていると見做す事も実は可能なのではないか……等と思いました。

昔の公共事業は建設業(?)における労働者を通してお金を国民へ行き渡らせるという方式だったのかもしれませんが(詳細は知りません)(ダムや何かを作ったり??)、現代ではそれが人材派遣業(?)を通してというやり方に変わったのかな……等と思いました。

広告代理店に関しても、その事業に関わる人数が多いならば、そこへお金を渡していく事が公共事業的な意味を持ちうるのかな……とも思いました。

中抜き云々に関しても、本来の業務への対価は払いつつも大元の企業へお金を渡す事によって労働者へお金を行き渡らせるという視点もあるのかなと感じました。

仮にそれらが公共事業的であるのだとしても、どのような役割がそれらの企業に行政から期待されているのかについて行政は国民に説明しておいた方が良いのではないか……等と思いました。

行政が直接やるよりも私企業へと委託する方が量的•質的•内容的な面において効率的だったりスムーズに運んだりする場合もあるのではないでしょうか。

例えば小さな政府でありながら(志向しながら)も、私企業を利用する事によって質的•量的に充実した仕事をするという事も可能なのかも……等とも思いました。

前提として組織の性質に拘わらず一貫して適法的(?)に振る舞っていく必要はあるような気がします(疑義は呈されていないだろうと思いつつも)。

権力の使い方については組織の性質に関係があるような気がします。

そして組織の性質の変化は権力の使い方の変化を促すのかもしれません。

しかしその変化•変容•移行がスムーズに行かない場合は多いのかもと思いました。

また「権力の使い方に関する規定が組織の性質を決めるのか、それとも組織の性質が権力の使い方を決めるのか」という観点から色々な現実の事例を検討していく場があるならばそれは面白いのでないか……等と思いました。 [参照]

例えば
(1)内憂外患(定義不詳)がある
(2)目標を達成したい
(3)時間的猶予がない
(4)予算が乏しい
etc.
……の状況に応じて、権力の集中や分散といった変化及びそれの具現化した形態としての統治機構が生まれるのかな等と思いました。

開発独裁(?)的な何かや軍事政権(?)などを連想しながら、上記を思い浮かべました。

民主集中制(?)(詳細は知りませんが)や極度に間接的(?)であるような選挙制度(例を特に挙げるつもりはありませんが)等を採用するに至った背景には、色々な事情があったりしたのだろうな……等と思いました。 [参照]

党内における選挙においては有権者(党員??)自体の数を増やす事ができるのかもしれません。

また選挙に関する法律は党内の選挙においては適用されない……のかもしれません。
つまり選挙を適切(?)(定義が難しそうですが)に実施するのは困難なのかなと思いました。
例えば党内部や外部からの色々なダーティな干渉や工作が蔓延る余地があるのかもしれない等と思いました。

それらの結果として、党員による直接選挙はあまりよろしくない……という結論に至ったのかな等と推測しました。 [参照]

以下の一連の感想に攻撃する意図はありません。
参考リンクは興味深かったです(斜め読みしました)。

【感想1】
>>>平等選挙などの選挙の基本原則
突き詰めていくならば、平等選挙とは何を意味するのだろう等と思いました。

【感想2】
>>>正当な民主制
「正当な民主制」とは何を意味するのだろうか等と少し思いました。

【感想3】
>>>選挙は多数派の意見を重視すると言う手法なので

選挙において一票の価値に差を付ける事も可能ではあると思います。
その場合には「多数派の意見を重視する」事にはならないのかも等と思いました。

【感想4】
第三段落の内容についての自分の理解は以下の通りとなります。

(a)全体においては少数派となる政党内部における多数派
(b)全体における多数派

ここにおいて、(a)の意味は(b)のそれと異なるのではないかと感じました。

【感想5】
北朝鮮の話が出てきました。
それと直接関係があるかはよく分からないものの、間接選挙(?)は選挙の正当性(?)を曇らせうるのかな等と(何となく)思いました。
ただ間接選挙についての感想は今はなく別の機会に書こうかと思っています。

【感想6】
感想を記す事を通じて、自分にとって選挙の持つ意味(意義??)は明白ではないというような気がしました。 [参照]

これは分かる気がします。

日本語を母語としないひとたちに対してのみならず(日本語を母語としていても)様々な理由によって発信を理解する事が困難であるような人達に対しても、相手の理解を期待できそうな単語や言い回しを使う事は有効であるような気もしました。 [参照]

これについては確かにそうだという気がしました。 [参照]

開かずの踏切(?)のようなものを初めて体験したのだが、朝の慌ただしい(個人差あり)時間帯に沢山の人(色々な人)から「時間を奪っている※」のは割と酷いような気がした。
※この表現が適切かどうかは分からない。

大体20分強は閉まっていたのではないかと思われる(正確に計った訳ではない)。

忍耐力を養う訓練のように考えたり、他の人達の様子を観察したりして自分は待っていたがこのように自分が振る舞ったのは初めての体験だったからだと思われる。

鉄道会社の都合に通行人が翻弄されるのを自分は理不尽だと感じていたのかもしれない。

陸橋や隧道のようなものを作る為の費用を補助金の形を取るなどして行政が鉄道会社へ与えれば良いのではないかという気がしました。

勿論全ての踏切という訳ではなく影響の大きい地点を中心にという事ですが。

なるほど……招待リンクを張ろうと(真面目に)検討した事がなかったので、仕組みをあまり理解していなかったようです(自分の話)。

【個人としての話】
利用できる回数を制限して張るならば、流入人数が増えすぎず良いのかもしれないと思いました。

期間限定かつ利用回数制限を設けてある招待リンクを定期的(例えば3ヶ月に1回など)に張る位ならサーバーへの負荷もコントロールできるのかなと思いました。

【サーバーとしての話】
ある期間中における招待リンク発行可能数をこのサーバーの利用者全体もしくは各利用者に対して割り当てるという仕組みを設けると流入量をコントロールできるのかな等と思いました。

【おまけ】
各利用者に割り当てていく方式では流入する人の属性•特徴が偏りにくいのかな等とも思いました。

反対に、沢山のリンクを張る人が特定の誰かに偏っている場合には招待される人も特定の属性•特徴に偏ってしまうのかな等と想像しました。

「前年に比べて」毎年増えている……と言おうとしていたように思いますが、何と比べているのかまず確認しておこうという話になりました(自己完結)。 [参照]

いや、流石にそれはないか……。

何に比べてというところが「前年」ではなく、「例年」や「基準年(?)」だったりするのかもしれないですよね……。 [参照]

花粉の飛散量は毎年(!)n倍(nは1より大きい)であるような気がしています。

記録を開始した年の飛散量に比べると、現在ではその時の何倍の量が飛んでいるのでしょうか??

これは言いたい事をあまり正確に表現していなかったのかもしれません。

思想上の仲間を見つけて群れを作る場合に、外部からの批判の視線に晒されにくいが故に過激化していってもその事を自覚しにくい……辺りが適当かと思います。

外部からの批判や検証に晒されにくい事が弱点にもなりうるのかな程度の意味です。 [参照]

以下は確信がなく、ただふと思い付いただけの内容なのですが……。

Twitterのような色々な人からの視線が向けられる場では寧ろ陰謀論的な何かは熟成しにくいのかな等と思いました。

反対に、この点においてmastodonのような場では人の目が届きにくいが故に一旦仲間を見つけるとその人達が強固に結び付いて何らかのグループを形成してしまいやすいのかな等とも思いました。

エコーチェンバーの発生しやすさについて述べています(いるつもりです)。

アリアを聴いただけですが、ケンプのこの演奏には好感を持ちました。

多分バスの速さを決め、それにソプラノがつられて行く(?)という具合なのではないでしょうか。

アリアにおいて、グールドは内声(と言って良いのか分かりませんが)までも独立した声部のように扱っていたような気がします。

一方、ケンプは主旋律と(バスが引き連れている(?))伴奏といったような2つの構成要素へと還元しているように思いました。

アリアにおいてこの主旋律と伴奏は妥当だという気がしました。

後続の曲をまだ聴いていない為にそれらに対しても同様のアプローチをケンプが取ったのかどうかを知りませんが、もしフーゲッタにおいても同様のアプローチを取っていたならばそれは奇妙に響いたのかもしれません(そんな事は流石にしそうにはないと思いますが)。

グールドの演奏は印象に残っていますが、このケンプの演奏の方が実は正統的というか自然だというような気もしました(但し何が"正当的"であり"自然"であるかについて自分はあまり詳しくはないと思います)。

また、ケンプのこの演奏を聴いた後に、「グールドは何でもかんでも対位法を通じて理解しようとしていたのかな」等と自分は少し思いました。

とはいえ楽しみ方が何通りもあるのは聴く方としては有難い事だと思います。 [参照]

興味深い話題だと思いました。

安楽死の実現の為に必要な条件を満たす事が出来ない場合(大抵はそうなのかもしれませんが)であっても、「死を望む程の何らかの苦しみを抱える人へと必要なサポートを提供するきっかけ•繋がりが生まれうる」という点において安楽死の可能性について相談する事の出来る場所がある事には肯定的な意味があるのかもしれない……と思いました。

つまり、困っている人達を可視化する事によって繋がりを生みサポートを提供する機会が生まれうる……と思いました。 [参照]

大変興味深い記事だと思いました。
問題発見とその解決に関する読み物としても楽しめると思います。

ところで医療刑務所における医官の待遇ってどんなものなのだろう。

(比較的楽だけれども)経験値が高まらないが故に"医師としては使い物にならなくなる"職場において働く事を医師が忌避するという話を聞いた事があるのだが、医療刑務所はそれに該当するのだろうか?

それとも医療従事者側の人数が少ない(?)が故に(想像です)何でもかんでも診ざるを得なかったり、激務だったりするのだろうか(他が激務ではないとは言っていません)。

dailyshincho.jp/article/2023/0

「クラシック」を試しにキーワード購読してみているのだが、目当ての音楽以外にも色々と引っ掛かりそうだと思う。

ところでクラシックはいつからいつまで位を大体想定して使われている言葉なのか?

個人的にはJ.S.バッハはクラシックではなく、ベートーヴェンはクラシックであるような気がしているが、ではラモーやクープランはというとクラシックであるような気がしなくもない。

"フランス古典"という区分は所謂"クラシック"とは違うと思われるが、それをもクラシックと呼んでいる人もやはり恐らく少しはいるのではないか。

ここでは恐らく時間的な範囲を示すよりも様式面での特徴が考慮されているのかもしれない。

では"クラシック"らしさとは一体何なのか……🤔

滑りやすい場所が何処かについてはともかく、「転倒の数は降雪量にほぼ比例」しているのだろうか……??

雪国経験値(仮称)、降雪量、積雪量、凍結の具合(気温??)、地形(傾斜の有無??)、そしてそもそも指摘されているような滑りやすい場所の多寡が関係しているのではないだろうか……。

例えば降雪量の多い場所に沢山の高齢者が住む為の街を作る場合、滑りにくさに配慮して街を設計する事は可能なのだろうか?

twitter.com/Ortho_FL/status/16

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