その人の置かれた環境ではそれらの言葉のそのような使い方であっても「多分通じそう」であるが故に、呼び方を正確にするという意識が働いてこなかったのかなとは思います(どう表現しても言い訳として聞こえるのでしょう……)。
USBメモリの事をUSBと呼んだり、wikipediaの事をwikiと呼んだり自分はしていました。
これは単に違いに気付いていなかったという事だと思います。
確かに「知能の面で努力を求められる」のかもしれません。
ご指摘については勉強になります。
ジェンダーの解体というよりもジェンダー規範の解体という方が、内容的により適切かつより伝わりやすいと思いました。
また、
(1)genderが社会的性区分という概念自体を指すのに対して、実際に解体を志向しているのはその概念の中における在り方つまり「規範」である。
(2)それ故に(具体的な)規範の解体という表現は成り立つものの、概念自体の解体は(そもそも出現してしまった以上??)基本的に無理なのでは……というお考えなのだろうと推測しました。 [参照]