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この両者は不可分の存在であり、自己構成しよう(アイデンティティ化しよう)とした瞬間、自己構成された自分(アイデンティティ化した自分)が発生するのと同時に、語るものと語られたもの、語り手と聞き手が同時発生する。

(7):語るもの=個体構成する意識
(8):語られたもの=個体構成された実体(生命としての存在)

(7):語り手=個体構成する意識
(8):聞き手=個体構成された実体を承認する意識

おそらく、これが天秤座(7)と蠍座(8)の意識だと思われる。だが、問題は蠍座(8)としての聞き手側の存在。聞き手とはただ単に承認するだけの存在なのか?ナラティブ論が示すように、そこには語り手に影響を与える相互作用性があるのではないか?

もしそうだとすると、語る行為(個体構成する意識)とは自分ひとりで成されるものではない―ということになる。聞き手(他者が持つ価値観・社会通念など)を意識した上での語り。むしろ、聞き手を意識しないで語ることなどできない―と。

他者(他者認識)の本質はここにあり、自己(自己認識)と切っても切れない不可分のものだと。

蠍座(8)があれほどまでに他者を求めるのは、このあたりに本質があるのではないだろうか…。

そういう全体性(関連性)を作り上げるには、自分を客観的に捉え、これまで経験してきた出来事の1つ1つを、そこで味わってきた想いの1つ1つを、外在的な視点でまとめあげる(意味づける)ことが必要。

そういう意識作用のことを象徴的イメージで表したのが、あのキョンや岡部の外在的視点。そして、この外在視点は「自己を物語る意識」として作用する。自分自身のことを語るとは、それまでの出来事すべてを関連づけ、意味付けを与え、1つの構成物(作品)としてまとめること。この語りの作用がなかったら、自分が体験してきた出来事はすべてバラバラの脈絡のない断片物にすぎない。

この語り=ナラティブは、個体にとってはアイデンティティ化を促進する意識であると同時に、語られたもの(あるいは語りを聞くもの)という反映意識を作り出す。

これは自分が心の中で語ることを想像してみると分かると思うが、内言(外言でもいい)で、自分自身のことを語ろうとした瞬間、その語り(内言)を自分の耳で聞いていることに気づくはずだ。

・語り=語られたもの
・語ること(語り手)=聞くこと(聞き手)

●臨床心理学におけるナラティヴ分析
repository.dl.itc.u-tokyo.ac.j

このイメージは例えば、アニメ「涼宮ハルヒの消失」でのキョンがタイムリープをして過去の自分を見つめるシーン、あるいはアニメ「シュタインズ・ゲート」最終話で、岡部がクリスを救い出したあとに過去の自分を見つめるシーンにあたる。

キョンが過去の自分を客観的に(客体として)眺めているシーンにしても、岡部倫太郎が過去の自分を客観的に(客体として)眺めているシーンにしても、こんなことは実際にはありえない。つまりこれはあくまで象徴(イメージ)としてのものであり、この外在的な視点にこそ(それが表す意識にこそ)重要なポイントがある。

この意識とは何なのか?
自己を外部的な客観視点で捉えようとする意識とは何なのか?

それがその主体(キョンや岡部)をより大きなものとして構成しようとする意識=自己アイデンティティを構成する意識と言える。私たちは自分というのを考える時、そこにそれまで経験してきた想い・感情・考えといったものをすべて含めて”自分”だと思っているはずだ。その全体性こそが「わたしとしてのアイデンティティ=他の誰でもない”このわたし”」だと認識している。

【語りと語られたもの】

天秤座(7)と蠍座(8)の意識を、「個体としての構成と実体化を行う意識作用」と考えている。問題は「ここにどうやって他者が関わってくるのか?」だ。この他者問題(他者認識)について、ずっと考えを巡らせている。

以前まとめた視野空間の視点から考えると、獅子座(5)としての主体認識と乙女座(6)としての客体作用を統合したものが、天秤座(7)としての個体構成意識(自己アイデンティティを構成する意識)だと思われる。それはエルンスト・マッハの自画像的なPOV視点(一人称視点)だったものが、視点を外部に移すことによって(外在視点)、主体を客体化させた「人間(わたし)」というイメージを作り出す。

本来、私たちが持つPOV的な一人称視点では、「身体を持った客体化した人間」というものは生まれでてこない。この人間としての身体イメージ(そこには主体としてのイメージも含まれる)の元になるイメージがどこからやってくるのか?―それが天秤座(7)の個体意識を構成する意識だと。

この作品ではあくまで「女性の社会的立場(射手座・山羊座)」という視点だから、個々の女性が持つ女性性(ホルモンを始めとする女性性的な資質)の変換を扱っているわけではない。

※これには天秤座・蠍座の視点が必要

そういう意味で男性に女性性そのものを体験させることにはなっていないが、それでも教育・慣習といったこれまでの社会が作り上げてきた世界観の変換(反転)を、見事に表現している。

こういう(自分が抱いている)世界そのものの変換こそが、水瓶座的な精神といえる。1つの世界(社会=価値観)から別の世界(社会=価値観)へ場所を移す。異国・異民族・異文化・異世界といった水瓶座のキーワードは、そういう異なる世界観(価値観)へ自らを放り込むことによって、他集団のことを理解し、それによって自集団のことをより深く理解させる。

それにより、集団と集団を止揚するより上位の超集団(より一般化された上位の集団)を作り上げる。国際機関に象徴されるもの。男性も女性も、大人も子供も、白人も黒人も黄色人種も、金持ちも貧乏人も、健常者も障害者も、人間も動物も。すべてが含まれるより上位のあり方を見出そう…と。

●軽い男じゃないのよ 予告
youtube.com/watch?v=2bFHdkzqSZ

【世界の変換(入れ替え) 水瓶座の精神】

映画「軽い男じゃないのよ」を見た。とても素晴らしい作品だった。最初は「なんだ、よくある女性の男性性化(悪い意味での男性性化)か…」と思ったが、そうではなく、男性に女性の社会的立場を実感させる見事な演出だった。映像だけで、女性の社会的立場を男性に実感させてしまうことが可能なんだ…と、ただただ脱帽した。

最初はコメディーっぽい雰囲気だったのが、だんだんと女性が味わっている理不尽な思いを、見ている視聴者に植え付けていく。「あぁ、女性ってこんな思いをしていたんだ…」と、男性なら誰しもが実感させられるのではないだろうか。

映画のラストシーンのシニカルさも見事だった。男性優位→女性優位→男性優位と、世界そのもの(価値観そのもの)を変換させることによって、見ている人は自分のそれまで抱いていた常識がぐちゃぐちゃにされてしまう。

映画を見終わったあとには、自分の価値観がまったく新しいものへ変えられているのに気づくだろう。

【追記】

ちなみに、ちょうど今私のホロスコープでは「トランジット海王星がネイタル月にアスペクト」を取っている。この配置が起こる時、なぜか私は映画を猛烈に見るようだ。図ったわけではないのだが、自然とそういう風に導かれる。

【1996/01~1997/01】
トランジット海王星とネイタル月の60度
大学の図書館で映画を見漁る
街のレンタルビデオ(VHS)を借りまくる

【2010/02~2011/01】
トランジット海王星とネイタル月の90度
ゲオでレンタルDVDを借りまくる

【2024/02~】
トランジット海王星とネイタル月の120度
Netflixに加入

こういうのは本当に興味深い。自分の資質(興味・才能)がこの分野にある―というのを星が教えてくれているわけだ。そして、それはどうやっても表に出てきてしまうものだと。

そして、存分にそれを体験したあと、新たな覚醒が起きる。自分の世界(意識体験)に飽き、他人の世界(意識体験)に興味を持つようになる。他人が経験したものを、他人の視点(意識)で体験するように。そうなると、わたしもあなたも彼も彼女も、みんな同じような感覚になり、自我の崩壊が起きる(個体意識の終わり)。

そして、個体的な意識から集団的な意識へと進化する。

※おそらく、これが映画「2001年宇宙の旅」でのスターチャイルドの誕生、小説「地球幼年期の終わり」でのオーバーマインドとの一体化

と、いろいろ想像の羽を広げてしまったが(笑)、物質的なあの世イメージ・天国地獄イメージを取り払うと、もっと違ったものが見えてくる。そういう視点で見えてくるものもあるのではないだろうか。

そうであるなら、この映画で表現されていたように「さっさと死んであの世に行けばいいのでは?」と思うかもしれないが、それは違う。スピリチュアルでよく言われるように、「この世は(本来の生きる場所である)あの世に行く前に、先に必要なことを体験する練習場(修業場)」であって、いわば義務教育をする場。それをサボって進もうと思っても、その先でうまくいかない。

そして、そのイメージももうちょっと複雑で、「本来の生きる場所」というのは、ただ単に個人的な自由な意識体験をするだけでなく、その先の体験=個人を超えた意識体験へ向かう世界だと思っている。

それが個体意識から集団意識(より上位の意識体)への進化だと。

占星学的にいえば、ホロスコープで示される1ハウス~12ハウス(牡羊座~魚座)までの意識体験をすべて経験する。そこには、個人としてできるすべての意識がつまっている。その経験を積んだ上で、あの世に行く。

あの世では夢の世界で見られるように、自分が体験した意識を自由に創造(改変)できる。望む世界の現実化。子供時代から成人時代から老年時代まで、意識のレベルを自由に。

※映画のラストで描かれたシーンがここ

記憶というのは、個々の人間(とそれに関わる人たちとの相互作用)によって創造されている「意味づけの体系(解釈づけの体系)」にすぎず、次の世界(あの世)に行けば、また違った記憶(意味づけ)が創造されるのだろうと。

それがあのエンディングでのシーンであり、主人公はあの世にいってまた新しい世界(記憶・解釈)を創造しているのだろうと。

それは夢の世界とまったく同じで、ヌースで「夢の世界とは死後の世界だ」と言っているように、生から死の世界へと移って、そこで様々な意識体験をより自由に創造しているのだと思われる。

私たちの今の常識は、物質・空間というのが「絶対的な(外に存在する)もの」と認識してしまっているので、自分たちの意識の内部にある(内に存在する)ものだと理解していない。本当は人間の主体認識(獅子座:太陽:意識)が上位にあって、その下に思考(認知)・感情(記憶)があり、それを元に物質世界(での体験)を生み出している―ということ。

獅子座(5):創造(意識・認識)

蟹座(4):感情(記憶)
双子座(3):思考(認知)

↓※ここから下が私たちが生きている(と思っている)世界
 ※仮想空間と考えてもいい

牡牛座(2):感覚(物理情報の処理=現実化)
牡羊座(1):衝動(環境世界のイメージ=志向性)

【映画:ザ・ディスカバリー】

最近時間を持て余すようになり、ふと思い立ってNetflixに加入した。話題になっているNetflixがどういうものか、試しにみてみようと。映画一覧を見ていると、確かに今までにない面白そうな作品がけっこうある。

そんな中で見た作品。「ザ・ディスカバリー」。

死後世界もの、タイムループものといったジャンルだろうが、結末にとても惹かれた。こういう終わり方(解釈の仕方)はいろいろ想像の羽を広げてくれて、思わず考え込んでしまった。

私はスピリチュアルを長年やってきたので死後世界はあると普通に思っている。ただ、それはよくあるようなイメージではなく、もうちょっと違った形を想像している。

それは「意識とは何か?」に関わる問題で、この作品ではエンディングを見る限り、「記憶とつながる創造行為をする主体」といった捉え方をしているようだが、私もそれと同じようなイメージを持っている。

この世と思っている現実世界はあくまで「意識(主体)の創造行為」によって経験されている(作り出している)ものにすぎず、それぞれ個々の人間が自分の意識内でそれぞれのテーマを作り出し、それを経験している体験世界だと。

今なら分かる―。

あの大きな景色は意識としての象徴なのだと。木星的な意識の象徴。それは実際の、具体的な場所としてあるのではなく、あくまで「物事を大きな視点で捉える意識・出来事を大きなまとまりで意味づける意識」として存在する。

東京(都会)のような具体的な場所を探すのではなく、自分自身の心の中を探すべきだったのだ。それまで生きてきた10代20代を振り返りながら、そこで得た経験を1つの大きな指針としてまとめるような意味を、自分の中に。

だが、それだけではまだ時間が足りない。30代40代の経験も含めて、ようやく大きなまとまりの視点(意味づけ)を得られる。

自分がこれまでやってきたことすべてを関連づけ、そこに意味を見出し、進むべき目的となるような指針を与える。そういう俯瞰意識こそが、あの電車の窓から見えた大きな景色の正体(場所)だったのだ。

40代終わりになって、ようやく私はあの景色の場所へたどり着けた。ずいぶん時間がかかったが、諦めなくて良かった。

【木星の視点意識】

先日用があって、久しぶりに電車に乗った。窓から見える景色を眺めながら、ふと20代の頃を思い出した。毎朝満員電車に揺られながら、遠くに見える都心のビル群を眺める。「社会という大海原で、自分の人生を生きるんだ!冒険の旅に出るんだ!」。心は意気揚々としていた。

遠くに見える家々の連なりが、ビルの密集が、そこに行けばきっと未知の冒険が待っている予感を駆り立てる。「あの大きな場所へ行けば、あの大きな都会へ行けば…」。

だが、東京へ行こうが、大手町のビル街へ行こうが、期待していた冒険などどこにもなかった。あるのは単調な毎日だけ。行って、作業して、疲れて、帰って。目の前の景色には、個々の家や1つ1つのビルなど、ごく日常的な街並みだけだった。

電車の窓から見える、あの大きな景色(そこに期待していた何か)はどこを探しても見つからない。その幻滅とともに私の20代は終わった。

※画像はお借りしたもの

意識の順番が正しくなったことで、木星の意識は次から次へと(自分が本当にやりたい)新しい体験を用意してくれる。その数を増やせば増やすほど(思索の時間は長くなるが)、自分の求めるより高度な知識・深淵な概念を得られるようになる。

その上位概念の意識の獲得によって、自分の表現できる世界そのものが大きくなる。仕事なら仕事のプロフェッショナルに、恋愛なら恋愛のプロフェッショナルに、人生なら人生の達人に。

なぜなら、それを可能にする本質の理解(上位概念)を得たから。

自分のちからでできる世界が大きくなり、結果、たくさんの人が自分の周りに集まってくる。人を導くリーダーとしての素質(まとめるのは土星の意識なので別)。

「もっともっとたくさんのものを集めよう」が先に来てしまい、1つ1つのものに共通する一般性・抽象性を見出すことが疎かになる。1つの体験・経験に時間をさかず、「よし次へいこう!よし次へいこう!」と気持ちが先走り、結局、「抽象的な上位の概念」を見出すことなく終わってしまう。

そういう人の言動・行動は非常に浅薄なものになり、無責任・無鉄砲・信頼の欠如といったものになる=木星のネガティブ例

・無闇矢鱈とあっちこっちに手を出し、結局、手に負えなくなって逃げ出す
・大言壮語を吐いて偉そうなことをいって、結局、何もできず去っていく
・地に足をつけられず、放浪癖となる…etc
・恋の遍歴を重ねた割に人間理解が浅い、信頼関係の構築が下手…etc
・次こそ成功してみせる!と言いながら、その都度失敗する

これを「意識の順番をもとに戻す」ことによって、正しいあり方へ変えることができる。個人惑星→木星へと。

・(自分が本当にやりたい)1つの事を体験し、そこで得た経験をより高度な深淵な何かを見出して、次への体験へと移る。
・次の体験で学んだことを先の経験と照らし合わし、より高度で深淵な何かを見出す(思索の時間を作る)。
・そして、また次の体験へ…とを繰り返す。

木星の意識作用は内包としての一般化・抽象化作用と考えるので、その具体例としては、例えば、理念・信条・思想・哲学といったものとして現れる。これらが上位のカテゴリー概念として現れることによって、その下に個々のものが集まることができる。

そう考えると、なぜ木星の意識が「拡大・発展・拡張」といったキーワードとして現れるのか分かるだろう。帰納的意識として、一般化・抽象化した概念を引き出すには、たくさんの個々の具体物を集めないといけない。

AとBとCとDと…、とたくさん集めていって、それらに共通するものを探し出す。集める数が多ければ多いほど、そこから導き出させる抽象性は高くなる。これが木星の拡大意識(もっともっとの意識)。

◯反転としてのネガティブ性

では、先の記事であげたように、この木星意識が「意識の他者化(意識の順番の反転)」を起こすとどうなるか?

本来は、1つの個々のものを体験し、経験し、そこに隠れる一般性・抽象性を探してから、次の個々のものを体験し、経験し、先のもので得られた一般性・抽象性と照らし合わせながら、より高度な一般性・抽象性を探っていく―という流れになるのが、逆転したものになってしまう。

【木星のネガティブ性の例】

ちょうどいいテーマなので、次は木星のネガティブ性をホロスコープ構造論的に考えてみる。木星・土星ともに、「個体的なものを1つの集合としてまとめる際に必要な意識作用」と考える。集合として働くちから、集団を形成するちから。

そういうちからを具体的に考えた時、浮かんでくるのが「一般性・抽象性」といったもの。以前書いた記事では、それを内包と外延の意識としてまとめた。

内包=抽象化:1つ1つの個々のものを集め、それらに共通する一般的・普遍的な概念を見出す(帰納的思考)

外延=具体化:すべてのものに共通する一般的・普遍的概念から、個々の具体的なものを見出す(演繹的思考)

※土星の意識作用を外延的な意識と考えるが、それは個々の具体的なものを見出す=まとめる際に必要な意識が「規則・ルール・規範・倫理」といった精神的束縛のものとして現れると思われるから。支配という意識のもここから生まれる。

カテゴリー的に考えれば、1つ1つの要素を「より上位の概念」としてまとめる部分集合的な概念(国籍:日本人・アメリカ人など)―になる。

土星を例にまとめてみたが、

・ 「奇数←偶数」
・ 「下位←上位」

というネガティブ性の基本構造はすべての外惑星に当てはまる。木星が先手をとったとき、土星が先手をとったとき、天王星が先手をとったとき、海王星が先手をとったとき、冥王星が先手をとったとき。

教科書に書かれている外惑星のネガティブ例を調べれば、だいたいどれも上で書いたような構造になっているのが分かるだろう。そして、それをポジティブに変換するときのコツが「意識の順番をもとに戻すこと」であることも。

この「意識の順番をもとに戻す」という作業が、実は太陽が持つちから。桐吉先生の記事では「気づきを促す」と書かれていたが、そういう意識化作用を持つのが太陽の「主体(としての)認識力」。

・ わたしはそれを意識する
・ わたしがそれを認識する

認識する(意識する)とは、そこに光をもたらすことと同じ。すべての惑星は太陽の光を浴びることで、その姿を表す。姿を表すことによって、その惑星本来のちからを発揮する。ネガティブであるとは「闇に隠れてまだその本来のちから発揮していない状態」にすぎない。

※ ホロスコープ構造論的に、太陽の意識(獅子座:5)がなぜこういう反転作用を持つのかはまだよく分からない。5番目としての主体認識。それはこれからの課題。

◯土星の抑圧の例

上に書いたのは「男性性の過剰表現」という例だったが、他によく見られる例は「抑圧」のパターン。土星ではこれが1番多い。これも外惑星である土星の意識が先手を取ることで起きるが、その際の気持ちが「ゴールのイメージがあまりに大きすぎて(今の自分から見て遠すぎて)、その不安に心が押しつぶされてしまっている状態」と言える。

・ そんなの自分(個人惑星)には無理だ
・ とても怖くてできないよ…

そうやって個人惑星の表現を抑圧し、歪めてしまう。この場合も意識の順番をもとに戻すことが有効。ただ、最初のダメージ(自分はダメだ…子供の頃からいろんな失敗をした…)があることが多いので、そのケアをしながら、少しずつ自信を与えてあげることが必要。

・ 大丈夫、ゆっくり時間をかけていいんですよ
・ あなたにはそれだけの力があるんですよ
・ 1つなにか達成する度に「その成功をしっかり心に刻みましょう」

そうやって個人惑星の表現(自分が本当にしたいこと)を小さなことから1つずつやっていく。成功例を増やし、そのたびにそれを意識し、ゆっくりと大きな表現へまとめていく。

それはまだ小さな表現で、土星から見れば「全体性の中の部分部分」としか見えないかもしれない。でも、その部分部分がたくさん集まることによって、いつか全体としての大きな表現(それらすべてをコントロールできる自分)になる―と直感で理解する。

・ 土星特有のコツコツやっていく意識
・ 時間をかけて大業を成す意識
・ 上を見上げながら「いつかあそこに登ってやるからな!」と奮い立つ意識

土星本来の意識がサポート役になって応援してくれる。

「ゆっくりやっていって大丈夫なんだ」と分かることで、心に余裕が生まれる。男性性だけでなく、女性性の表現も受け入れられるようになる。

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