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「男性性の過剰表現」という例では、例えば、太陽・火星と土星のアスペクトなら、土星の意識である「全体性としてまとめあげ、1つの上位的意識として表現するちから(支配するちから・マスターするちから)」が先手を取ってしまい、自分個人の想い(太陽としての自己表現・火星としての能動性・自律性)を凌駕してしまう。

先に土星意識が働くことで、「もっとすべてをコントロールして、全部できるようになって、周囲に認められなければ!それを証明しなければ!」という気持ちが強くなる。そういうちからは時間をかけて経験を積むことによって少しずつ可能になっていくのに、先にゴールのイメージ像から入ってしまう。

すると、当然無理が出る。あっちこっち歪みが出ているのに、それでも「頑張らなければ!自分を証明しなければ!」と追い込んでしまう。

この意識の方向性をもとに戻すと(太陽・火星→土星)、先に個人惑星の意識を表現しようとする。

・ 私はこういうことをしたい=自己表現(太陽)」
・ 私はこういう行動・挑戦をしたい=自己能動性(火星)」

①星座・ハウス・惑星の順番の反転

牡羊座(1)←牡牛座(2)
双子座(3)←蟹座(4)
獅子座(5)←乙女座(6)
地球←月
水星←金星
太陽←火星

であったり、

②内惑星と外惑星の順番の反転

太陽(その他の個人惑星)←木星
月(その他の個人惑星)←土星
水星(その他の個人惑星)←天王星
金星(その他の個人惑星)←海王星

であったり。

意識の順番が「小から大、低から高、下から上」と働かず、その逆方向の「大から小、高から低、上から下」と逆に働いてしまうこと。

そうやってたどり着いたのが「ホロスコープの構造論」。桐吉先生が書かれた今回のテーマにおいても、それを心理占星学の視点ではなく、ホロスコープ構造論の視点で見るとどうなるのか―?

例えば、今回の「男性性の過剰表現」というテーマは、心理学的には防衛機制の中の「補償・反動形成の複合」のような例に当たると思われる(※過剰表現している男性性は自身の隠れた得意分野でもあるので、正確にはこれとは少し違うと思うが)。

人間のネガティブ性は、こういう心理的な防衛機制となって現れるが、では「それがホロスコープの構造とどう関係しているのか?」についての説明がない。ここが分からないと、いくらその人のバースチャートを作って心理占星学的な解釈をしようが、事の本質にたどり着けない。

構造論的には、「意識の他者化」に本質があると解釈する。それは本来、

・ 意識は「奇数→偶数」へと進む
・ 意識は「下位→上位」へと進む

という流れがあるのに、それと反対の流れ、

・ 「奇数←偶数」
・ 「下位←上位」

へと意識の方向が逆を向いてしまうことによって起こる。

それを見るには、やはり時間をかけてその人と向き合うしかないのだと。いくら部分部分の配置をたくさん並べ立てても、それがどうやって組み合わさって、その人自身のこれまでの経験として現れているかは、「その人そのもの」を知らないとたどり着けない。

私はそれを悟ったからこの仕事をやめた。「人を本当の意味で知るというのはそれだけ重いことだ」と知ったから。そういう人は私の人生の中で1人2人でいい。その人と共に人生を歩み、様々な姿を、その歩みをこの目で見届ける―。

自分と同じくらいの密度で、その人のことを知りたいと。

そういう意味で、私はプロの占星家としては失格だ(笑)。プロとしてクライアントの方と向き合っている方は本当にすごいと思う。私はそういう職業的なプロではなく、研究者としてのプロでありたい。

純粋に占星学の仕組みそのものを探求する研究者。40代の天王星ハーフリターンを経験したあとにたどり着いたのがこれだったし、この分野なら誰にも負けない自信があると。

その際に占星家がやるべきことは、桐吉先生が書いていたように

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出生図は変えられないからそういった衝動が湧きあがってくるのは仕方がない。でも無茶なことをしたり過度な責任感を持ったりして自分で自分を傷つけてるんじゃないか?ということを自覚することはできる。
占う側として、そういった気付きを促せるようになれたらと思っています。
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という「気づきのサポート」だと思っている。この気づきだけで、人は大きく変われるのだと。それは私自身が自分の体験として学んだことでもあるし、クライアントの方とのやり取りで学んだことでもある。

そして、もう1つは、全体性の視点について。これも桐吉先生が記事の中で書かれているが、実際のリーディングにおいては、部分部分の配置だけで事が完結していることはない。様々な配置が影響しあって、その人独自の表現として現れる。

【心理占星学から構造論へ】

桐吉先生の記事を拝見した。相変わらずの、正統派の心理占星学的な記事で、「さすが桐吉先生だなぁ」と感嘆した。同じく心理占星学を学んでいる者として、こういう知的な文章を読まされるとすごく刺激を受ける。

「過剰に男性性を発揮する」というテーマで、ホロスコープの実例も織り交ぜながら解説されている。その内容については同意すること大なので、特に言うことはないが、思ったことは2つ。

1つは、部分部分の配置(アスペクトなど)について、それがネガティブになって現れてしまう仕組み。この記事では土星が主にテーマになっていたが、それを反転させるとき(ポジティブに表現させるとき)に重要になるのが「意識化」だということ。

・自分が無理をしている(過剰表現している)と意識すること
・自分の本心と少しズレていると意識すること(本当はもっと違った形で表現したいのに)

そういう意識化(気づくこと)によって、その人の表現は変わる。それはゆっくりとして少しずつかもしれないが、確実に変化として現れてくる。

●女性の中の「傷ついた男性性」について
utakokiriyoshi.com/wounded_mas

たくさんの別れのたびに、寂しさの奥から、新しい命(物語)が湧いてくる。そうやって人は自分の新しい物語を紡ぎ出しているのであり、その度に生きる喜びを感じるのだろう。

トランジット天王星がやってくるときは、そういう新しい命(物語)の始まりの時なのだ。

●メイドインアビス 烈日の黄金郷
youtube.com/watch?v=xeR3vflsfE

そうやって、微かな情熱の光を感じだす。それはまだ未熟で、炎と呼べるようなものにはなっていないが、「この道をいこう」と静かな決意を与える。この「原初の光」と呼ぶようなものが牡羊座的な1としての意識。

まだ何も始まっていないが、今まさに始めようとする時の気持ち。

そわそわして、不安で、未知で
でも、どこか楽しくて、希望を感じて
「いってみよう!」と体を動かすもの

そういう「終わりと始まりの気持ち」をぴったり表しているのが、アニメ【メイドインアビス】だと思う。正直このアニメは見ていてとても苦しい。生と死、人生の非情さ。生易しいところなど1つもなく、見ていて鬱な気持ちになる。だが、出会いと別れを通して、生と死を通して、苦しさと絶望を通して、

「それでも新しい一歩を踏み出そう!」

と前向きな気持ちにさせてくれる。冒険や挑戦―。どんなに人生が厳しくても、どんなに未来が不安でも、その先にはきっと素晴らしいことが待っていると信じて、新しい物語を始めよう。

【トランジット天王星のちから】

以前書いたことがあるが、私は記録魔で、18歳のとき「今までの自分をすべて捨て、新しい人生を歩もう!」と決意してから、ずっとその記録をしたためてきた。だから、それ以降のトランジット天王星の影響は、具体的な出来事の記録すべてが残っている。

さらに加えて、私の「ネイタルの太陽・月・金星」が5度以内で重なっているので、トランジット天王星の影響がやってくるとき、一気にそれが現れる。その特徴を活かして、関連性をずっと研究してきたとも言える。

天王星のちからがやってくるとき、よく言われるように「出会いと別れ」がくる。それは物語が古いものから新しいものへと変化する合図であり、それ以降、自分の歩む人生(物語)が大きく変わり出す。

今まで体験していた物語が終わるのだから、その切り離し(別れ)はとても辛いものになる。だが、その未練を断ち切り、今まで持っていたもの・執着していたもの・まとわりついていたものがなくなると、何もなくなった喪失感のあとに、ふっと湧き出る「何か」を感じる。

・ 私は自由だ
・ もう今までのものに縛られなくていいんだ
・ じゃあ、これから何をしよう?
・ いや、今までできなかったことでやりたかったことがあったじゃないか…

【事物(モノ)と表象のテーマ】

自分の不勉強もあって、これまで事物(モノ)と表象(心の中のイメージ)を一緒くたにして考えてしまっていた。常識では「物質としての事物(モノ)と、心の中で描く心的表象(イメージ)は異なるもの」として考えるのだろうが、ヌースをやっていたせいか「いや、それは最初に心の中で対象としての事物(モノ)をイメージ(表象)できるから、知覚情報を弁別して事物(モノ)をつくりあげている=事物(モノ)を発生させている」のだろうと。

外的世界(物質世界)が最初にあるのではなく、内的世界(人間の意識世界)が先にあるから、それを外に投影して外的世界(と見えるもの)を作り出しているのだと。

そういう意味で、私がこれまで使っていた「モノ・表象」という言葉の定義があいまいになっていたと思う。それらについてこれからもっと丁寧にしていきたいと思う。

事物(モノ)と表象の関係性
それは当然記憶とも関係があるし、双子座(3)蟹座(4)のテーマである「イメージ化・言語化・想像・意味づけ」とつながってくる。

今やっている天秤座(7)蠍座(8)のテーマに区切りがついたら、次は双子座(3)蟹座(4)のテーマに取り組んでいこうと思う。

人が生まれ、幼少期・青年期を生き、そこで様々な希望・挫折を抱き、成人期・壮年期でそれらを克服し、成功を成す。自己物語として形成する人間の人生はそういうマクロ的な視点(意識)が必要であり、それには始めと終わりがあり、出来事の前と後があり、だからこそ、それを成立させるために「時間の流れ」を生み出すのではないのだろうか。

そういう人間の認知能力によって時間は発生し、逆にいえば、人間でなければ「時間」は生まれない=体感できないのではないだろうか。

時間とは認知能力であり、物事をマクロ的なまとまりとして形成する意識のことだと。

●時間の矢について / Time's arrow
speakerdeck.com/kaityo256/time

この秘密は何なのか?―を考えたとき、「人間の認識(能力)」に鍵があるのではないかと思っている。以前この動画を見た時、のもとさんが「時間の矢は人間が作り出している=人間のぼやけた視界」と説明されていた。

●【エントロピー】時間の矢は人間がつくり出している!?
youtube.com/watch?si=GfVhcpLmq

人間が作り出している―それは人間の「認知のちから」が作り出しているということではないかと。人間が物事・出来事をマクロ的な視点で捉えようとする意識。瞬間瞬間の出来事では、私たちは喜怒哀楽の突発的な感情(あるいは思考)しか抱かない。だが、それをいくつか並びたて、差異を取って関連づけ、大きなまとまりとして意味づけ・テーマづけを与えて練り上げる。

物語には必ずこうした「個々の出来事のつなぎあい」「それを1つに収めるテーマ性」などが含まれる。逆にいえば、そういうマクロ的な視点でまとめあげるものがなければ、物語は物語として成り立たない。

【時間の方向性と人間の認知作用】

私たちは「時間の流れ」を意識しているが、これほど不思議なものもない。物理学では時間反転対称性というのがあって、ニュートンの運動方程式のように「時間の流れを正と負どちらに向けても数式は成り立つ」が、私たち人間にとっては、時間の流れを負に変えたら生活が成りたたない。

だが、物理学においても視点をマクロにすると、この時間反転対称性が破れる。典型的なのがエントロピー増大の法則で、「物事は乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない」。

この「差異性の見えなさによる苦悩」の1つの具体例は、例えば、モノとしての見え姿(表象としての見え姿)を自分自身と思ってしまうこと。視覚情報として現れる自分こそが自分と勘違いし、美しい・若々しいことが正しいと思ってしまう。

「そんな外見としての見え姿(表象)では、自分自身の内面性(性格・人間性・生き方・価値観)は分からない」ということが分からなくなってしまい、ただ美しくあること、カッコよくあること、見た目的に良くなることを絶対にしてしまう。

中年になっても20代の姿であろうとしたり、見た目の良さに大金をはたいたり、多くの時間をかけたり。

一緒に過ごせば、一緒に暮せば、そんな見た目など大した価値はないとすぐ気づくのに、そのことが分からなくなってしまう。人としての内面性(人間性)を磨くことを疎かにし、結局、周りから「あの人といると嫌な気持ちにしかならないね…」と言われてしまう。

それはその人自身の「アイデンティティ性(自己物語性)」から来るもので、それを理解するには、その人にその人のこれまでのこと(人生)を語ってもらうしかない。自分の勝手な判断ではなく、その人自身によるその人の語り(自己物語)を。

そういう自己と他者が真摯に向き合うのは、天秤座(7)蠍座(8)レベルの意識に至らないと不可能。その人の見た目(対象としての外見)では無理だし、自分が勝手に想像するその人の内面性(考えていると想像すること・感じていると想像すること)でも無理。

意識はこうやって様々なレベル(差異)に分かれているのだが、私たちにはそれがすべて1つにまとまって見えている(重畳性)。この罠によって様々な誤解・苦しみが生まれている。ホロスコープ構造論として示すべき道は、この差異性に気づかせ、誤解や苦しみをなくすこと。

例えば、私たちは雑誌・テレビ画面・PCやスマホ画面に写った人(タレント・芸能人・モデル・自分・友人知人)を見て、人を判断しようとする。あの人はキレイだ、あの人はカッコいい。だが、それは双子座(3)蟹座(4)レベルの対象意識(見え姿としての表象)にすぎず、そんな外見でその人の本質がわかるわけがない。

一緒に過ごしたり、一緒に生活すれば、その人がどんな考え方をして、どんな価値観を持っていて、どんな振る舞いをしているのかが分かる。その人の内面性(人間性)を表したもの。それは見え姿とは違う。視覚情報という外見的な見え姿では分からないもの。それを捉えるときは私たちは無意識に獅子座(5)乙女座(6)レベルの意識を使っているということ。

さらに言えば、そういう他人の内面性を捉えようとするとき、私たちは自分の価値判断で勝手に相手を理解している(あるいは裁いている)。

・(きっと)この人はこういう人なんだな
・(おそらく)あの人はこういう気持ちでああいう態度をしているんだな

でも、それは他人の内面性を自分で勝手に捉えているだけにすぎず、相手が本当はどういう気持ちで、どういう価値観で、そういう態度を取っているのか―本当のことは分からない。

・ その人が何を想っているかは外からは見えないものだよ
・ その人の心のうちは外見を見ただけじゃ分からないものだよ

自分が何を考え、何を感じ、どう想って、どう行動しようとしているのか。そういう人としての内面性は「モノという対象=視覚情報的な人間の姿」には現れない。

さらに言えば、そういう自分がこれまでいろいろ考えてきたこと、感じてきたこと、味わってきたこと、そういうものをすべて含めて「自分の生き方(存在性)」として、自分のアイデンティティにまでまとめあげる意識は、獅子座(5)乙女座(6)的な瞬間瞬間の、日常的な枠組みでは得られない。

10年20年あるいはそれ以上の、これまでの時間すべてまとめて、「わたしという存在性(アイデンティティ)」にまで高めることで作られる。それは天秤座(7)蠍座(8)の意識レベルによって作り出されているもので、獅子座(5)乙女座(6)の意識レベルとは次元が違う(差異がある)。

こういう異なる差異(レベルの意識)が1つに重なることによって(重畳性)、私たちが普段見ている世界・感じている世界が成り立っているということ。この差異に気づくことによって、逆にホロスコープが示す構造性の姿にたどり着けるようになる。

外の世界にある(と思っている)様々なモノ(家・建物・道路・花・木々・人々の姿…etc)も、双子座(3)蟹座(4)の対象意識によって「モノ化」されることによって、私たちはそれを家や道路や花として捉えることができているのだと。

私たちは自分の姿を鏡で見て、「私はこういう顔をしていて、こういう髪型で、こういう体つきで、こういう歩き方をして、こういう態度振る舞いをしている」と理解するが、それは自分自身を「モノとして対象化=視覚化」することによって可能になっている。

だが、よくよく考えてみればわかるように、このモノとしての外見(視覚)は、私自身の性格・人間性・これまで生きてきたあり方…etcを表してはいない。「私という人間がどういう性格で、こういう個性で、どういう価値観を持っていて、どういう信念を持って、これまでの人生を生きてきたのか、生きているのか」。それは鏡に映るモノとしての姿(私という人間の姿)には映らない。

この「自分としての内面(性格・個性・人間性)」は双子座(3)蟹座(4)レベルの対象意識=表象意識ではなく、その上の獅子座(5)乙女座(6)の自己意識(主体認識・客体認識)によって生み出されている。

【抽象的な”差異性”】

ヌーソロジーから学んだ1番重要なことは「差異の考え方」だ。これをホロスコープ構造(意識構造)に当てはめることで、私の占星学理解は大きく飛躍した。だが、この「差異」という考え方を言葉で伝えるのはとても難しい。図を使いながらなんとか伝えられないかと試行錯誤しているが、なかなかどうして難しい。

私自身がまだきちんと具体的イメージ化できていないこともあるし、その手段をまだ確立できていないこともある。だが、このイメージを伝えることが「占星学の新しいあり方」にとってとても重要なことだと思っている。

未熟であるのを承知の上で、少しずつ気長にトライしてみようと思う。

双子座(3)蟹座(4)の意識レベルは、モノとしての対象意識(弁別意識)にあると思っている。その典型的なものが「視覚」で、私たちは光(の反射)という物理的な情報を感覚器官で捉え、それを脳内の視覚野で「ある一定のまとまりを形作る対象」として捉えることで、モノという概念を産み出している。

言葉(単語)というのも、この対象意識=弁別意識があって初めて理解できるものだし、「ある一定のまとまりのある形を、外部的なモノ(対象)として捉える意識」がこれらを生み出していると思われる。

木星の衛星ガニメデの最新画像、NASAの探査機ジュノーが撮影
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木星の衛星エウロパの最新画像 NASAの木星探査機「ジュノー」が撮影
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木星の衛星イオの最新画像 NASA木星探査機ジュノーが2023年末に撮影
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