『翻訳をジェンダーする』読み。翻訳学者が翻訳における「女ことば」を分析する本。自分は翻訳小説をよく読むにも拘らず、登場する女性達が過剰な「女らしさ」をセリフによって表現させられていることに数年前まで気づかずにいた。本文によると女の子には「わたし」・男の子には「ぼく」と何の説明もなく「性別に応じた一人称」が割り当てられるように、説明がないことは畢竟それが自然であるとして、説明されるよりもより読者に浸透してしまう。つまり小説において「女らしい」言葉を女性キャラに喋らせることは、一意的な「女らしさ」を女性は持っていて当たり前だと読者に刷り込むことにもなったと語る。それが明治からずっと続いてきたが、おかしいと思った作家や翻訳家によって女性達のことばから「女」の役割を示す語尾が除かれる傾向が生まれていること、またウーマン・リブ運動のことにも詳しく触れて社会の変化が翻訳にどう影響したかの実例も示す。
『ことばが変われば社会が変わる』と同じく、ことばと社会の相互関係に注目している。
ノンバイナリーの代名詞について触れてあったのも嬉しい。日本語で確定された代名詞はまだないけれど、かつて「彼・彼女」を生んだように翻訳から生み出せるのではないかと期待の話をしつつ、訳語「彼人」が出てこないのはちょっと意外だった。

honto.jp/ebook/pd_33731020.htm
『長安ラッパー李白』読み
表題作がまさかの反体制もの。唐詩(に限らないが)の押韻をラップに読み換え民衆の味方となって城壁に囲まれたまちまちを鼓舞するシーンは『両京十五日 天命』中盤の熱さを想起した。おかしさと悲しみのあるパンダSFも好き。多くが「文」にまつわる話だった。よく文を学び文を著せば立身出世に結びつく科挙制度(ざっくり言い過ぎだが)の浸透した時代ならではの物語群だなと感じると同時に、そんな制度があろうと自由になれない側にいる女性たちを語る「仮名の児」や「シン・魚玄機」が収録されているのも佳き。
好きの筆頭は巻頭の灰都とおり「西域神怪録異聞」。文章が飄々と歴史に穴を開け、未来も過去も織り交ぜて新しい「事実」に書き換えてしまうお話。文字を駆使したフィクションという小説の外見と内面の両要素を物語そのものに活かした手腕が見事だった。こういう、その媒体にしかない特徴を活かした「遊び」、好きです。この作品が巻頭でよかったなあ。

iwanami.co.jp/book/b649632.htm

『あいだのわたし』読み。
内紛状態の故郷(ルビが一貫して「くに」)から逃れてきた難民家族の長女マディーナが主人公。ドイツ語を覚え、親友が出来て、新しい生活になじんでいく少女と対蹠的に”伝統的”な家父長制を強いるように変節してしまった父親。
ここでは爆弾は落ちてこない。怪我人を助けたって捕まらない。連れ去られることは殺されることを意味しない。けれど仕事はなく親友の誕生日にプレゼントも買えず自分の過去を話そうとすれば目立ちがり屋と嘲笑される学校生活、そして強制送還の可能性が常に在る。
15歳の少女の視点から安心な暮らしを得ることの困難さを描き、しかし潰されそうになってもしがみつき、愛する父親と対立してでも自分と家族を守る決断の物語だった。
マディーナの不屈さは彼女が書き続ける日記に「物語」が混じり出したあたりからとても強くなる。心を守るための逃避先だった空想が「物語」として確固たる形を得たとき、現実の彼女の強さとなる。家族のために急いで大人にならざるを得なかったマディーナ。子ども時代に終止符を打たれ、けれど己を生きることの自由が始まると感じられた。
特にラストの「闘い」付近は『ノマディアが残された』の光の帯を想起した。
そこには人間がいるのだ。

honto.jp/ebook/pd_33625284.htm
『わたしはヤギになりたい』
ヤギ5頭と島暮らし。飢えさせないため日々草を刈り、枝を伐ち、草木の盛りを見極め季節で変化する味の好みにも対応するヤギ中心生活&植物エッセイであった。大好物のマメ科だが食べすぎると病気になる、特に足が水で濡れるのを嫌う、群の順位付けはあわや流血沙汰になるレベルとか、ヤギ飼育のおもしろさ難しさを実直に織り交ぜて綴る。
最初は庭の草刈りを任せようと飼い出したのに、表情や好悪の有ることを知り、どんどんヤギにとっての心地よさを求めるようになる著者。庭のみならず耕作放棄地を回って草刈りマシーンに己が成る展開に笑ってしまったし、その覚悟がなければ個人での飼養が難しいことがよく分かる。それでもやはりヤギを人間の生活に合わせるのである。発情期と去勢、きょうだいの片割れを里子に出すこと(同腹との離れ離れはヤギのストレスだそうだ)など、「他種を飼う」ことへの葛藤も書き込んであった。
文章のみでも生活の感じはよく伝わるのだが、あちこちに挿入された写実的かつ柔らかなイラストによって著者の見た光景を「体験」できるのも楽しかった。乾燥させるためぐるぐる巻きにして作ったタワー状の芋蔓にクリスマスのイルミネーションが飾られている光景、見たすぎる。

honto.jp/ebook/pd_33570284.htm
『伯爵と三つの棺』ひょうきんで面白く、自分が築いた物語の土台をないがしろにしないフーダニットだった。18世紀末、中欧の架空の王国。自領の出城で起こった殺人の謎解きに乗り出す若き伯爵、容疑者は城を管理する仲良しの三つ子。伯爵の書記官たる「私」が編集した記録の態なので、「当時の服のミニチュア」写真や登場人物による「※編者注」が出てきて笑った。度量衡の単位や土地の様子も著者独自のもので、少しファンタジーを感じる具合も好きだった。しかもフランス革命という実際の歴史が添えられることで現実からはみ出しきってもいない。この時代この土地なのでこのくらいの捜査能力でやっていきますの宣言通りに犯人を特定できるのも巧みだった。
官能小説を書くために官能小説を読んでいることをまあまあ大っぴらにしている子爵夫人が度胸と知略の人で素敵だし、血筋のみの地位でなく己の才器によって領民に安心される存在になりたいと探偵に乗り出し失敗してその失敗を受け入れられる伯爵もよかった。途中カモシカだったし。
そうしたコミカルさを前面に出しつつ、階級が存在する事で内面化されてしまう差別心を省みるまっとうさがあり、すごく好きな作品にインしました。

雨隠ギド『ゆらゆらQ』は理想と現実の見た目、自己をどうやったら肯定できるのかの話をずっとやっとるが、4巻でボディポジティブの話題と絵を出し、クラスの裏スレッド(何つうの?)を登場させて一人一台ネット端末を所持する時代の若者の「つながり」の苦しさに言及し、きゅーこの姉ちゃんのひとりに彼女がいると明かしてきて、今の若者向けの少女漫画であることに自覚的だなあとしみじみ思いました。

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『中国の信仰世界と道教』
淡々と道教・儒教・仏教そして民間信仰における「崇拝される存在」の相同と相違を語る。現在の信仰形態に到る歴史、地域、宗教の差を書かねばならないので、文章が淡々となるのもむべなるかな。それでもひょっこり著者の自我が出てきて、例えば、AとBの書は名前が似通っててまぎらわしいのでAはaと呼ぶ、のような一言コメントが差し挟まるのが面白かった。好きなんですそういうツッコミが。
関羽が好例であるが、一度信仰を獲得すると似たような神仙の説話や職能がひとりに翕合されてしまい、今のような地位が築かれるらしい。日本の弥勒菩薩はすらっとした体躯だが、中国の弥勒は布袋とくっついているためふくよか体形で可視化される。『封神演義』が流行りすぎてフィクション世界が信仰世界にも反射し、仙人の中身の「乗っ取り」が起こったり、太公望や孔明など道教が広まっていない時代の人物達が次々と「道士化」されていったことも知った。道服を着ていない方が歴史的には正しいものの、道服着用で描かれすぎて別の服を着ているとおかしいとまで感じるらしく、笑ってしまった。
資料を通年的に追って影響関係を知ることの重要さを感じました。

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『成功したオタク日記』
映画『成功したオタク』監督自身の、推しを推せなくなった時からの日記とインタビューの記録。「推し」が性加害に加担していた。とんでもなく人を傷つけるような人物を見抜けず彼を好きだった自分とは何なのか。佳い思い出があるファンゆえの苦しみを抱えつつ、社会の一員として加害にNOを言い、被害者に及ぼされる影響を慮る姿勢を貫く。中でも、同じひとを好きになった人々と交換し合って集めたグッズをすぐには処分できなかった事について、p270「わたしたちの友情のしるしだった小さなモノたち。それらにしみついている、幸せだったかつての自分を消してしまうことができなかったのだ」と真っ正直に吐露するところは、(まったく別な理由で・別な)ファンダムを最近抜けた自分には突き刺さったと同時に、感情が整理されるものだった。幸せが衰えていない時に幸せだった記憶と手を切るのは難しい。しかし己の幸せのみを優先して加害の肩を持ちたくはないのだ。

iwanami.co.jp/book/b644855.htm
『植物園へようこそ』読んでよかった。面白かった。筑波実験植物園で働く研究者達によるお仕事紹介本。7000種類もの植物の状態を見極めての水やりや栽培してない植物(家の庭における「雑草」)の除去の大変さ、いつでも植替体勢ばっちりな用土の列を前にして奮い立つ熱意、絶滅危惧種の増殖活動や香りの成分を分析して種分化を解明するなどの研究報告が記されている。
園のミッションである「知る・守る・伝える」に即して広報を担う本書は全体まろやかな言葉使いなのだが、たまにひょっこり顔を出す専門用語に、その換言できなさというか、この用語は伝えたいという意志を勝手に感じ取った。押し花様の植物標本のことを腊葉と言い、栽培のプロのことを栽培技術職員と言うんだって。
巻末のおすすめ植物園リストもまた楽しい読み物だった。各施設を二行程に凝縮して説明する中に「アイデアと美しい植栽管理に感動」「1585年に植えられたヤシもある」「犬の散歩も可」が出てくるのだ。自分はこうしたピンポイントを突く個人の主観説明文に興が乗る方なので、おすすめされました。
暑くなくなったら行ってみよう。

honyaclub.com/shop/g/g20984419
『精霊を統べる者』読み。鍛冶靖子の精緻な翻訳が冴え渡り、女性表象キャラの各々の性格に応じて役割語が付与されたりされなかったりで、非常に読みやすかった。魔法とジンが隣人の歴史改変&SF。エジプト魔法省に務める女性エージェントが常に洒落たスーツと山高帽とステッキで事件解決に臨む。金属製の爪が武器で壁も登れちゃう女性が恋人で、近接格闘と記憶力と我の通し方に優れた女性後輩とバディを組む。フェミニズムが宣言され、20世紀初めの植民地支配にもNOと言う作り。ただ自分がこの時代の歴史に疎いため、改変ものの面白さや主張を受け取れきれていない。
特にはジンのバラエティ豊かさが好き。知識量でマウント取ってくる司書、ギャンブル依存の古物商、偏屈な〈ランプの魔神〉、守るべき人間がいる者、哲学、平和主義、彫刻家。彼らはジンという種族であり、ヒトと異なる存在ではあるが、決して「人外」とは名付けられない。種族の違いを排斥ではなく共生として描くところがよかった。

corocoro.jp/episode/3269754496
『ウソツキ!ゴクオーくん』
篤実な物語だったぜ……。
ゴクオーくんの話の基本は嘘をつく→エンマさまによって嘘のつけない舌を授けられる(更正の機会)→嘘をついた心情を開陳する→聞いた側が受け入れる、一度の失敗で人は社会(ここでは小学校の人間関係)から放り出されたりしないと繰り返し繰り返し語る、であるところ、最終回2歩手前で「罪と罰」の話を持ってくるのも凄かったぜ。
「ゆるし」を語ってきた話が、過去の行いで絶対に赦されないものは在る、と示す。

己の卑怯さ、保身から嘘をついたと開けっぴろげにした場所でまた生活を送るの身悶えして逃げたくなるけど、周りの人々が、何だろうな、自ら「ゆるす」と決めて「嘘」の先に立ち、嘘をついた人を見放さないことを選ぶから、居場所が苦しくならず、子ども達が失敗を経ながら大きくなっていく様子を描いていった最終回手前で、でも加害行為は帳消しにはならないと、突き放しはせず見せてきたのがね…。

ゴクオーくんと天子ちゃんを恋愛関係としては読んでいなかったので、作中にそうした揶揄いがないのが助かった。だからこそ「デート」のラストの衝撃もポジティブに凄かったが。
ネコカラスとガマブクロウ、あれから友達やり直しててほし〜

junposha.com/book/b644006.html
『チョコレートを食べたことがないカカオ農園の子どもにきみはチョコレートをあげるか?』
「読むワークショップ」。ターゲットは中高生かな。貧困、多文化共生、エシカル消費などをテーマに、キャラクターが混ざり合わない複数の意見をあげる様子を描いた後、選択肢は二つじゃない・もっと細分化して見てみよう・立場によって意見は異なるよねと論を広げるつくりがよかった。どう考えてたら「正しい」のかと悩む時、一個の完璧な答を自分は注目しがちだから、でも現実の問題には一個の答じゃ足りないよと見せてくれた。特にワークショップとは別の、実際にその問題と向き合って活動する方達のインタビューがよかった。電子マネーでの賃金の支払いだと盗まれないし遠くからお金を受け取りに来させなくてもいいとか、そのチョコレートの問題はもう問題として古い実情はどんどん変化しているとか、ハッとする。

勉強はきっとウチらに平等だ! - 蚊帳りく [ tonarinoyj.jp/episode/25506897 ]
子ども達……。この物語は演出(地に伏せながら“一家の長”の足にしがみつくお母さんの指の荒れ方よ…)によって読者という他者に一見「貧乏」してるように見えない子ども達の困窮への理解を突っ込ませてくるけど、現実では他者に言いたくない・言っても伝わる感じがしないから言えない等の家庭事情がもっともっとあるだろう。お金はあるのに子どもに使わない無責任な親とかさあ。この子達の悔しさや怒りが結局諦めることで「消化」される社会にならないにしなくちゃならない。
偏見が出された時に偏見だよと即座に指摘できるのも、すぐに反省できるのもすごくコミュニケーションだった。すごい若者達だし、これを描ける著者もすごい。
勉強して、知識や技術を身につけることは確かに自分の新しい生活を築く基盤になるけれど、例えば氷河期世代のように就職先が少なかったり、本人にはどうしようもない属性をもって篩から落とされたり、そもそも勉強することを阻害されたりの現実がある。勉強すれば立身出世できるできないのはサボったお前のせいという偏見、打破されろ。
読んだ後に進学資金を親に使い込まれた子どもの場面から始まる『水車小屋のネネ』も思い出した。

honto.jp/ebook/pd_33398741.htm
今日知った『下足痕踏んじゃいました』を4巻まで読んだ。一巻無料キャンペーン中!
ハラスメントをハラスメントと言い切るところや、被害者との距離感、警官ひとりの情熱が組織を変えるわけじゃないけど「はみ出さない」ギリギリを攻める工藤と加藤のコンビが良い。セリフのテンポもよいのと、なんか絶妙に間が抜ける瞬間が度々あってそこも好き。ギリギリを攻めたために監察官に合理的に説明できますか?と詰められるコマの文字の詰め方、刺傷事件の現場でこんな欲望まみれの場所によく切れるナイフは置かない方がいいというアドバイスしたりとか。
熱く楽しく読める警察もので良。

honto.jp/ebook/pd_32677409.htm
『没落令嬢のためのレディ入門』読み。口論する仲の異性同士の恋愛もの。19世紀初頭のきらびやかで排他的な英国貴族の社交界に、父の遺したべらぼうな借金を返すため&家と妹達の暮らしを守るため、自分を高く買ってくれる結婚相手を探しに乗りこんだ「勇敢な生き物」(p.380)こと二十歳のキティ。まんまと獲物(弟)を釣り上げたと思いきや伯爵様(兄)に見つかり邪魔されて社交儀礼の丁々発止を繰り広げる。弟から手を引く代わりに借金を返済できそうな金持ちの内情を教えてと皮肉屋の兄をずかずか訪ねる押しの強さ、その行動のほぼ全てが家族のためであり、時には自分に不利になる行動も取ってしまう情の深さが素敵。お金目当ての結婚がなぜ悪い?金がなければ生活はできないのに特に女性は、という現実の仕組みへの視点が強調されており、ロマンス小説としてもちろんラブ&ハッピーは用意されているが、恋を期待することへの難しさで引っ張る力があった。また、では下級とはいえ貴族の血筋に連なる者より更に「下」の庶民はどうなのかにも意識が向けられてはいるし、戦争経験者のPTSDにも言及がある。しかし踏み込みきってはいないのを残念に思う。
ジャンル物としての面白さは確実で、後味もよいエンタメ。

灰谷健次郎『兎の眼』、名作だ……。読み継いできてくれた人々ありがとう。おかげで残って遅れて読む気になったやつも間に合いました。通勤電車で泣きながら、目が離せなくてずっと読んでた。また、この年齢になって読んだので、書かれたものの苦しさとその苦しみの灰が子どもたちの頭に降らぬようにするのだという決意に自分が気づけたと感じる。
ついさっき読んだ、1998年角川文庫版のp.323『いまの人はみんな人間の命を食べて生きている。戦争で死んだ人の命をたべて生きている。戦争に反対して殺された人の命をたべて生きている。平気で命をたべている人がいる。苦しそうに命をたべている人もいる』が今朝接した日本国首相の「戦争のできる一流国家になった」発言と呼応しまくった。ふざけんなよ。戦争の犠牲になった人の命を悼むこと、それに対してとれる国や国を作る人々の責任は、反省し続けることじゃないか。「戦争ができる」などと何処かの任意/架空の国を「敵」だと示すことでなく、戦争を繰り返さないことしかないじゃないか。

honto.jp/ebook/pd_33126604.htm
『水車小屋のネネ』優しさと実直さと誠実さで社会を包摂的に描くお話だった。2章からほぼ泣いて読んでいた。坦々とした文章で、例えば8歳の子が母親の婚約者から夜に家を追い出されること、外国から労働に来た人が「人間狩り」だと日本人中学生に追い立てられる場面(無事)、友人と栄えた都市に出て洋楽CDを買うこと、牛肉を食べれて喜ぶ若者など、危険なことも幸せなこともすべて日常として一本の道を作っていく。でも狭い道じゃなくて、みんなで広くして、でこぼこをなるべく平らにして、次来る人に残していく道である。生きている限り明日に行かなくていけなくて、そんなこと考えられないよという時でも「前向き」でなければならない時間の、切り離したい痛みを描きながら、絶対にそんな時間を行くひとを孤独にしない。「わたしがそうする」と宣言する物語だった。
蕎麦が食べたい! 血縁による継承も男女の恋愛の出番も極限に少なくしながら、それらを軽んじず、でもそうじゃなくたって大丈夫じゃないかと高らか。藤沢先生の大人として子どもを陰に日向に助ける教師らしさがよかったな。水車小屋に関わる各々の人間とネネとの関係がバリエーション豊かなのもよかったなあ。

挑戦することに不屈の物語『龍と苺』がWEBで180/181話を無料公開中。読んで!
sunday-webry.com/episode/32697
将棋が強いやつは暴力も強いので主人公の中学生・苺ちゃんをはじめ、王位・王座などの名立たる面子が対局前に一殴りする奇天烈さがフックにありつつ、ちゃんと将棋をする。将棋物語における奨励会という存在、天才の中の天才にならねばならないプロ達の葛藤と夢と不屈さが超いい。しかし何より主人公が素敵。将棋には何の知識も感慨もなかった苺ちゃん。イチゴぬいを作るのが趣味で、しかし命を懸けられる本物の闘いを欲していた。
「女は男より将棋に弱い」と決めつける風潮を何度も描きながら、それを打破してゆく苺ちゃんが爽快であるとともに、彼女が乗り込んだ将棋の世界ではいわゆる「女の子」扱いが引いてゆく。生一本の才能と努力による勝負の世界が見えてくる。うまいのがそこで「世間」との落差を出すところ。対局飯や美少女棋士呼びばかりが囃される。
そうした社会批判の視点が顕在であるのが好きだし、苺ちゃんの破天荒さが曲げられずに他者の人生への敬意を獲得していく様子がいいんだ…! それすらコメディに用いてくる。けれど決して成長することを馬鹿にしない群像劇。
181話はネタバレ無しで“体験”してほしい。

honto.jp/ebook/pd_33143237.htm
『両京十五日 凶兆』おもしろかった!! ザ・エンタメ。中国・明代。尊敬される父親の金で呑んだくれるも裏では事件を解決して父親の手柄にしていた捕吏、忠に篤く非義は行わぬと決めて貫く記憶力抜群の文官、才能あふれる医者の技を亡き親友の復讐に投じる女性の三人が、偶然に出会い、命を狙われる太子の仲間となって彼を即位させるため都に向かう旅に出る。
即位の期限まであと十五日。ちっとも寄り道できないのに一日に一度は危難に襲われて、つど旅路はご破算。ずっと危難→脱出の繰り返しで進むが、危難のパターンが豊富&徐々に明かされる人物たちの心情に引きこまれて濃密な時間を過ごせた。特にパーティーの結束が強くなる後半では各自の得意を互いに信じて任せられるようになるのがコレだよ!で良かった。
例えば文官は頭でっかちで市井に通じず騙されたり窮地を呼んでしまったりするのだが、絶対に曲私をせぬので、金がなければ協力しない捕吏が自分の真珠を預けもする。パーティーの中で一番の切れ者で胆力があるのは女性である医者だし、太子は史書に己がどう記されるか常に気を揉んでいるが身分を隠した旅で王家の政治が民を明るく照らしてはいない現実を知ってゆく。(続く)

hanmoto.com/bd/isbn/9784163917
『化学の授業をはじめます』一気読みした。とにかく面白く、犬がすばらしく、自分が自分でいるために闘うシス女性かつ化学者の話。1950年代のアメリカが舞台。「女」には結婚して名前を失い、子どもを生み出し、完璧な家事と美貌の才能が求められ、使命として認められていた時代をこれでもかとエピソードを重ねて描く。その大半は現在にも続くが、作中でそれは社会の構造のせいだと明言するし、あなた(主人公)が好きだとシス女性達が表明する勇気と勇気が行き交う盛り上がりがとても好き。妊娠したことでクビにされ生計を立てるべく始めた「お料理教室の番組」を閉める一言がもう超カッコよかった…! あとマジで犬が良良良。主人公の体の中で育つ新しいいきものに与えるべく路上からチョークをくすねるシーン超かわいい。
一方で懸念点もある。
・主人公が性的暴行に遭う描写が2ページほど記され、女性のエンパワメントとして売り出されている商品であるのに注意書きがない
・公民権運動には数行触れるのみで登場人物はおそらく総て白人
・トランスパーソンのことは念頭にもなさそうな印象を受ける
50年代が舞台だとしても、現在に書かれた作品として、面白く読みながらソワソワする感じが消えなかった。

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