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『中国の信仰世界と道教』
淡々と道教・儒教・仏教そして民間信仰における「崇拝される存在」の相同と相違を語る。現在の信仰形態に到る歴史、地域、宗教の差を書かねばならないので、文章が淡々となるのもむべなるかな。それでもひょっこり著者の自我が出てきて、例えば、AとBの書は名前が似通っててまぎらわしいのでAはaと呼ぶ、のような一言コメントが差し挟まるのが面白かった。好きなんですそういうツッコミが。
関羽が好例であるが、一度信仰を獲得すると似たような神仙の説話や職能がひとりに翕合されてしまい、今のような地位が築かれるらしい。日本の弥勒菩薩はすらっとした体躯だが、中国の弥勒は布袋とくっついているためふくよか体形で可視化される。『封神演義』が流行りすぎてフィクション世界が信仰世界にも反射し、仙人の中身の「乗っ取り」が起こったり、太公望や孔明など道教が広まっていない時代の人物達が次々と「道士化」されていったことも知った。道服を着ていない方が歴史的には正しいものの、道服着用で描かれすぎて別の服を着ているとおかしいとまで感じるらしく、笑ってしまった。
資料を通年的に追って影響関係を知ることの重要さを感じました。
#読書