稲村候補のXアカウント、凍結されましたよね。
「「有権者に情報に触れていただく機会が奪われた」とし、県警に相談していると」
【兵庫県知事選挙で落選の稲村和美氏陣営、選挙中にXアカウント2度凍結…「組織的に虚偽通報された」と主張 】2024/11/18 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/election/20241118-OYT1T50157/
GPIFの植田最高投資責任者が「特定の2証券会社のみ」に国債取引を独占させ、さらにうち一社の役員とは「証券会社時代の特別な人的関係」があったことから、GPIFの将来の投資行動に関する情報まで提供していたことが、監査報告で明らかになったと云ふ。
植田氏はゴールドマンサックス証券取締役を経て2010年にGPIF理事に就任。
この報道だけ聞けば、これは「インサイダー」取引にあたるとしか解釈できない。
しかもGPIFと言えば、世界最大の投資機関家であり、国内債券にその巨大資金の25%を投入している。となると、この取引を独占し、あまつさえ「インサイダー情報をも享受した証券会社が「濡れ手に粟」の巨万の利益を叩き出したことは容易に想像がつく。
老後年金のようなセーフティネットを「ギャンブル」に依存すること自体望ましくないのだが、この「ギャンブル」が不正に運用され外資が巨万の利益を得ていたとしたら、これは「大スキャンダル」である。
他方、物価と保険料は上がり続けるでは、「ルサンチマン」を抱えた大卒サラリーマンが「手取りを増やす」の不倫党首のデマにコロリ、あの「斎藤」の改革を支持、ともなる。
パワハラに関して言うとこの連中にとって被害者は「公務員」であって「内心」何の同情もないのだろう。
昨日の兵庫県知事選、地域別得票率を見ると、都市部、特に人口の多い神戸市沿岸部で斎藤が稲村さんを圧倒。
ここは安倍派幹部・裏金議員の西村康稔元経産相の地盤でもあり、ボランティア500人をはじめとする資源を集中的に投下、維新・闇の勢力も復活を賭けて「ここをぞ限りに」ーN国の立花も含めてー結集した、ということだろう。
神戸市沿岸部は企業・大学も多く、当然人口だけでなく大卒の若年層も多い。従って、地方で負けても総合すれば僅差で勝利できた。
また維新が「公式に」擁立した清水は25万票、斎藤の4分の1以下。上山信一は「維新の票を斎藤さんに集結させましょう」と絶叫していたが、これもある程度実行されたようだ。
であるから、この選挙だけ見れば、まだ対応可能だったとも言える。
しかし、「中の中の解体」に伴うファシズム化の傾向は、世界的な趨勢でもあり、東京でも「あの」石丸がファシズム地域政党を立ち上げると宣言している。これはまず次の都知事選狙いだろう。
石丸個人は次の選挙までに「化けの皮が剥がれる」可能性が高いが、問題は「あの男」をプロデュースする勢力の資源の巨大さである。石丸がこければ、いくらでも「次」を出演させる。
これに対抗できるとすれば、「リベラル」ではなく「ソーシャル」しかない。
おやおや、兵庫県知事選、「あの」斎藤が111万票、稲村さんが97万票とは、神戸新聞の予測通りの結果である。
SNS以外に500人のボランティア、「裏金」議員の西村康裕元経産省(安倍派幹部)の事務所も関与したそうだから、ある意味、維新・安倍派・それに木庭さんの言う「闇」の勢力が全力で資源投入した結果とまずは言えるだろう。
投票率は上がったとは言え50%台だから、主に大卒中心。20-40代は圧倒的に斎藤のようだ。
これは、「陰謀論」にコロリという「リテラシー」の問題ばかりとは言い切れない。何故と云うに、ヒトは「信じたい」ものを「信じる」傾向が厳然としてあるからだ。
現在従来の大卒「中の中」は急速に解体傾向にあり、「生活苦」は日に日に苦しくなりこそすれ、一向に好転の兆しはない。
そこで使い古された手ではあるが「既得権」打破を唱えれば、「既得権さえ打破してれくればやれる」と思い込む「焦る自己責任者」が「陰謀論」にうすうす気づきながらも、斎藤に投票した数字ではある。
というのも、報道が事実であるならば、さすがに「大卒」のプライドが斎藤支持を邪魔するからだ。
いずれによ、戦後体制は世界的にも崩壊しつつある。「ソーシャル」の言説と空間がなければ、圧倒的に「ファシズム」が有利だろう。
「荒野のリア王」木庭顕さんが、ついに「荒野」からお戻りになり、今週の「朝日」デジタルに16頁に及ぶ批評を寄稿している。
ここで木庭さんは「2013年体制」と呼ぶ「極右=ウルトラ・ネオリベラル」体制の起点を1980年代の土光臨調と国鉄解体に見る。この視点は私たちが1990年代に行った「80年代研究会」とその成果、例えば2000年の『現代思想』「ポストモダンとは何だっのか?」、あるいは2023年4月の『現代思想』三宅・大内対談「新自由主義下と教育とイデオロギー」とほぼ同じ。
また木庭さんは新自由主義的再編までの戦後日本体制を「利益集団多元主義」と呼ぶが、これは大企業及び、農協、日本医師会、特定郵便局長、各種業界団体などと自民党の利益調整政治を指す。
新自由主義的再編はこの「利益集団多元主義」さえも立ち行かなくする。例えば小泉による郵政解体などはその典型。
この再編以降の特徴として、木庭さんは、金融、軍事、デジタルの前景化を強調。勿論、統一教会と「反社」による「闇」の浸透も忘れていない。
最後に「希望」として語るのは「個人」をベースにした「連帯」、「新しい市民社会」である。
これは私が「世界史の中の戦後思想」で提唱した「21世紀の社会主義」と同じではないが、かなり重なる概念である。
東浩紀がまたまた兵庫県知事選について「情報が錯綜しているので判断できない」などと発信しているらしい。これは現在、「狂ったように」斎藤元知事を支援している、大阪市・京都市維新顧問、ZEN大学副学長予定者の上山信一が、「百条委員会」の審議の最初に言っていた戯言と同じである。
ある意味「リベラルをリベラルを自称する連中からとり戻す」などと啖呵を切っているネトウヨ大王東浩紀の面目躍如という所か。
しかし、東「、ゲンロン」などという情報で人からカネを取る商売をしておきながら、兵庫県知事選の背景について「情報が錯綜しているので判断できない」などと笑止千万なことを言う。こんなことは「ゲンロン」の社員の一人や二人を兵庫に派遣すれば、立ちどころにわかる話。
要は「情報が錯綜しているから判断できない」ー「判断できないから投票を控える」といういつもの「積極的棄権運動」の反復をしている。
しかし、それにしてもここまで東をつけあがらせ、東的な言説をはびこられ、批評精神を最終的に崩壊させた、東京の文化産業とプロデュースに手を貸した「大物」達は当然知的に責任を問われるべきだろう。
最初の「『存在論的・郵便的』はよかった」などとおためごかしを言っている人は、もう「哲学・思想」について語らない方がいい。
[参照]
事実が明白であり、
結論がはっきりしていることについて、
「情報が錯綜していて判断できない」とか、
いろんな議論があって本当のことがわからない、というようなことをいう人は、
本当に「判断できない」「わからない」のではありません。
これは、歴史修正主義者が、
ホロコーストや南京虐殺など歴史的事実を否定するときの定番のやり方です。
根拠を否定するいろんなレベルの言説を膨大に流して(1つ1つは、被害者数が明確でない、証言者の言うことにブレがあるなど、それ自体としては取るに足らない簡単に潰せるようなこと)、
聞いた人が「真偽不明」だと感じるところまでもちこむことができたら勝ち、
というのが、彼らのやり方なのです。
「情報を錯綜」させて、混乱を引き起こしているのは、むしろ自分たちの側なのに、
まるで無関係な第三者や混乱の被害者であるかのように
「判断できない」「わからない」というんですよね。
しかし、村上隆はともかくとして21世紀に入って、落合Jrやスプツニ子!が「アーティスト」を自称するにようになったのは、「劣化二乗」という所だろう。
落合陽一は「身分制にもいい所がある」として古市ともに、「民主主義解体」を鼓吹し、スプツニ子!はネオ・リベエリートに「バラエティー」と(代理母出産の可能性)」を提供する、といった具合である。
こうなってくると、「芸術家」というよりは「芸能人」であり、その辺りのことも自覚して「アーティスト」などと名乗っているようだ。
サブカルの中でも比較的多様性があると思われる漫画にも最近自称「脳科学者」中野信子原作のものが侵入していると聞く。
中野信子と言えば芸能プロダクションに登録・TVレギュラー、昔外で食事中「アジア人で主体的に思考できる人は2割以下と脳科学で証明されている」とTVで話しているのを聞いて椅子から転がり落ちそうになった。
この人は三浦瑠麗と違って、一見「政治」的な矢面には立たなず、反感も持たれにくいのか、着実にキャリアを積み重ねているが、彼女の振りまく「脳科学」言説の「いかがわしさ」は三浦瑠麗と「どっこいどっこい」である。
芸能とて近世には権力と距離をとっていたものだが、現代の「芸能」は文字通り権力の幇間に堕した(吉本を見よ)。
「現代美術家」の村上隆が川口のクルド人に対する「紛う事なき」ヘイト・スピーチを行っているとのこと。
村上隆は1963年生、私にとっては「現代美術」における東浩紀のようなもので、元来全く評価できない男であり、ここでも繰り返し批判している日本の男中心のサブカルチャーの「反PC」の一翼を担っていると見做していたので、その意味では驚きはない。
80年代消費社会+ポストモダニズムの観点から言えば、村上隆は1993年に「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」なるものによって、「芸大日本画科で初めての博士号取得者となった」らしいが、これは「いかにも」である。
これは芸大日本画家の先生達には訳の分からぬ「現代思想ジャーゴン」をそれこそ「無意味」に並べ立てただけだろう。
しかし、村上隆は元来「論外」なのだが、サブカルだけでなく、日本の「アート」一般の低迷は眼を覆うばかりである。
元来「アート」は権力の周辺で批判的ポテンシャルを爆発させたものだが、これも80年代消費社会の中で完全に体制化された。
特に「アヴァンギャルド」を自称していた空間にそれが該当する。これはある程度世界的に該当する傾向であり、歴史家ホブズボームが『20世紀の歴史』の中で「アヴァンギャルド死す」の章を設けた所以である。
「ともに兵庫、稲村和美」の世話人の津久井進(兵庫県弁護士会会長、兵庫県弁護士憲法9条の会代表)です。」として
以下のX上の訴えが回ってきた。
「#兵庫県 をめぐるWeb界隈は、誹謗中傷やデマが飛び交う大荒れ状態です
私たちの公式後援団体のアカウントも、組織的一斉通報攻撃によって凍結されるという被害を受けました
まさに偽計業務妨害罪にあたる違法行為です
tomonihyogo.jp/info/745/
私たちは、警察や選管とも連携し、毅然と対応する所存ですが、
そうすることによって、すべての陣営が公正な選挙活動を展開し、まともな民主主義社会を兵庫に取り戻したい、その一心なのです。」
これにN国の立花が現地に乗り込み、統一教会が支援する、というのだから、もうこれはほとんど「ゴロツキ」集団だな。
この発信の主の津久井進とば私は中学・高校の同級生である。
私と違い、温和な性格で23歳で司法試験に合格してからも基本、穏健で着実な道を歩んできた。
阪神大震災にあたっても、常に住民側に立って、法的訴訟や住民運動に関わってきた男である。
ここまで来ると「民主主義のレッドライン」まであと一歩しかない。しかし、勝利すれば杉並と並んで非維新・非自民のモデルとなる。これは兵庫県だけに留まる問題ではない。
この永井荷風文学賞・新人賞の創設母体は慶応の「三田文学」で、理事長はラブレーを専門とする荻野アンナということ。
荻野アンナと言えばラブレー研究者で1991年に芥川賞を受賞した作家でもある。これには一種の感慨を覚える。
というのも、ラブレーと言えば渡辺一夫は、戦中荷風と似た位置にあり、圧倒的に大東亜戦争支持だった東大文学部の中で、一人孤立しながら、戦争を批判する日記を書き続けた。
荷風は「ヒトラー、ムッソリーニの二兇」と書いたが、渡辺は1945年5月4日の日記に「ヒトラー、ムッソリーニ、ゲッペルスが死んだ。苦しんでいる人類にとって何たる喜び!いずれも怪物だった」と記している。
ラブレーに関して言うと、M.バフチンの「F.ラブレーと中世・ルネサンスの民衆文化」の翻訳が1974年に出て、日本のラブレー像は一新された感がある。
ラブレーの言葉遊び、性的放蕩、スカトロジーなどの強調は研究としては正しいのだが、日本に導入される際は、ピッタリ消費社会の前景化とクロスし、荻野アンナなども、TVで頻りに駄洒落を飛ばしていた。当時、これは消費文化としての江戸ブームと通じるものがあった。
ところが、今や田中優子は政権批判、荻野アンナが荷風文学賞創設とは40年で時代ははっきり変わったようだ。
永井荷風文学賞・新人賞の開設発表が「ゆかり」の市川市で行なわれた、という記事を読む。
荷風という名は、21世紀に入ってからは、専門とする人以外はすっかり耳にする機会がなくなったような気がする。
実はWWII直後は、随分肯定的に言及されたものである。ただし、荷風は自分で「戯作文学」というだけあって政治的内容を含むものはない。
とは言え、自ら「戯作者」を名乗り、江戸の下町情緒が残る浅草・墨田を創作の場としてのは、荷風の明治政府への批判の表れである。
米・仏の留学から帰り、「三田文学」を創刊するも、1910年の大逆事件に遭遇。その際、荷風は「体制派は、逆らう市民を迫害している。ドレフュス事件を糾弾したゾラの勇気がなければ、戯作者に身をおとすしかない」として、以後江戸の文人や下町に依拠しながら、明治東京の「安普請」を批判し続けた。
ほぼ全ての作家が「文学報国会」に加入する中で、荷風をそれを拒否、日記「断腸亭日乗」を書き続ける。1945年春には「ヒトラー、ムッソリーニの二兇敗れて死せりの報、天網漏らさず」と書く。
同じ日にラブレー研究者渡辺一夫は日記に「なんたる喜び!」と書く。
ところで空襲で焼失した有名な荷風の消失した偏奇館、六本木じゃなかったか、と思ったら戦後市川に居を構えたらしい。
永井荷風文学賞・新人賞の開設発表が「ゆかり」の市川市で行なわれた、という記事を読む。
荷風という名は、21世紀に入ってからは、専門とする人以外はすっかり耳にする機会がなくなったような気がする。
実はWWII直後は、随分肯定的に言及されたものである。ただし、荷風は自分で「戯作文学」というだけあって政治的内容を含むものはない。
とは言え、自ら「戯作者」を名乗り、江戸の下町情緒が残る浅草・墨田を創作の場としてのは、荷風の明治政府への批判の表れである。
米・仏の留学から帰り、「三田文学」を創刊するも、1910年の大逆事件に遭遇。その際、荷風は「体制派は、逆らう市民を迫害している。ドレフュス事件を糾弾したゾラの勇気がなければ、戯作者に身をおとすしかない」として、以後江戸の文人や下町に依拠しながら、明治東京の「安普請」を批判し続けた。
ほぼ全ての作家が「文学報国会」に加入する中で、荷風をそれを拒否、日記「断腸亭日乗」を書き続ける。1945年春には「ヒトラー、ムッソリーニの二兇敗れて死せりの報、天網漏らさず」と書く。
同じ日にラブレー研究者渡辺一夫は日記に「なんたる喜び!」と書く。
ところで空襲で焼失した有名な荷風の消失した偏奇館、六本木じゃなかったか、と思ったら戦後市川に居を構えたらしい。
大阪市・京都市で特別顧問を務め、私の記憶の段階ではZEN大学の副学長予定者でもあった上山信一氏が、今度の兵庫県知事選で、「あの」斎藤元知事を狂ったように応援する発信をしているようだ。
上山氏によると、斎藤知事の部下の自殺に繋がった「パワハラ」は全くの事実無根、マスコミの「陰謀」ということになるようだ。いやはや、これぞ「嘘も百回言えば本当になる」というヒトラーの格言を実践中。
その上、今度は何やら兵庫県の「維新サポーター」なる集団に向けて、維新が公式に擁立している前参院議員の「清水さんに寄せた票をまとめて斎藤さんにうつしましょう」と呼び掛けている。上山氏によれば「それが本当の維新。兵庫維新は斎藤さんの復活からやり直す」と咆哮している。
正直、最初「ホンマかいなー。そこまでやるの?」と思ったが、どうも本当に「そこまで」以上にやるつもりらしい。
実際N国党首の立花氏まで斎藤氏の応援にかけつけ、「斎藤さんを圧勝させなければならない。彼は被害者」などと演説しているというのだから、これはもう日本の極右は、兵庫県知事選を「背水の陣」として大集合中。
実際、エキセントリックな人とSNSだけでは県知事レベルの選挙戦は戦えない。膨大でリアルな「カネとヒト」が必要。一体これ、どこから出ているの?
Xユーザーの山崎 雅弘さん:
「読売新聞グループ本社の山口寿一社長って、ただの新聞社社長じゃありません。岸田前政権に軍備増強政策を働きかけた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」(2022年11月22日)と「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」(2024年2月19日)の委員。政策関係者です。https://x.com/jijicom/status/1854512952499654743」 / X
https://x.com/mas__yamazaki/status/1855948716655460623
「(続き)2024年2月20日付の「しんぶん赤旗」によれば、読売新聞グループ本社の山口寿一社長「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」において「メディアにも防衛力強化の必要性について理解が広がるようにする責任がある」と発言していた。
軍備増強を推進する新聞社社長。
https://t.co/V0CCSzWDjb」 / X
https://x.com/mas__yamazaki/status/1855949705244758096
Xユーザーの山崎 雅弘さん:
「(続き)「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」には、軍備増強で莫大な利益を手にする兵器産業最大手・三菱重工業の宮永俊一会長や通信最大手・NTTの澤田純会長らも参加。落合陽一・筑波大准教授の名も。これらの人間が、日本の軍備増強を日本政府に働きかけ、日本を準戦時国家へと造り変える。 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1855950683276767282」 / X
https://x.com/mas__yamazaki/status/1855950683276767282
「日経新聞も軍備増強に協賛する側です。
「三菱重工業、川崎重工業、IHIの重工大手3社の防衛事業が拡大している。2025年3月期の防衛関連事業の売上高に当たる売上収益は3社合計で1兆5110億円と前期から25%増加する見通しだ。日本の防衛予算拡大が続くとの期待から市場の注目」
https://t.co/aNeLucciwT」 / X
https://x.com/mas__yamazaki/status/1855955066622291993
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年