ベラスケス「女官たち」
「おそらくこのベラスケスの絵の中には、古典主義時代における表象関係の表象のようなもの、そしてそうした表象のひらく空間の定義があるといるだろう」(M.フーコー『言葉と物』)
しかし、エル・グレコやあるいはベルニーニの「聖テレサの法悦」に関して、同じことは言えるだろうか?
そもそもベラスケスは、この時代、あるいは西洋美術史においても傑出した大芸術家であって、「バロック」という枠にも「古典主義」という枠にも収まらない。
このあたり、フーコーもある意味バロック的カトリックとジャンセニズム(パスカルなど)が、せめぎあいながら、「古典主義」美学を発達させた、「あまりにもフランス」的な美学の内にいる、とも言えるのかもしれない。
「零度のエクルチュール」(誤)
「零度のエクリチュール」(正)
ところで、「ベラミ」の最後の場面を「バロック的空虚さ」と表現したけれども、「バロック的」とは何か?というのはなかなかに難しい問題である。
現在では例えば、フーコーの『言葉と物』の文体を「バロック的」やら「シャトーブリアンばりの美文」と呼んだりもする。
元来はブルクハルトのバーゼル大学の後任、美術史家のヴェルフリンがルネサンスの古典主義と対比させて提唱した概念。
ルネサンスの均衡・静謐・円に対して非対称性、ダイナミズム・楕円などを特徴とする。
ただし、このような美学的特徴だけではマニエリスムとの区別がつかない。実際ヴェルフリンは両者の区別をつけていない。
やはり、反宗教改革期のカトリックや近世国家をパトロンとした「見世物芸術的な派手さ」を加えることが重要だろう。
これは聖書のエピソードを信者に「読ませる」のではなく、教会の壁画で「見させる」というカトリックの要求とも合致した。
ハプスブルク家の外交官でもあったルーベンスはその典型。
ただし仏では大作家とされるN.プーサンはバロック的というよりも古典主義の典型とされる。
これは演劇の分野でのラシーヌとコルネイユの違いと対応しているかもしれない。
オランダは今でこそ欧州の小国ですが、17世紀にはスペインから独立する過程で「海洋覇権国家」となり、世界の海は一時オランダが支配しました。
ポルトガル、スペインそして英国を押しのけて日本と通交を始めたのもこの頃。
台湾、マラッカ、インドネシア、セイロン、ケープラウン、北米(ニューアムステルダム)、南米に、拠点を築きます。
アムステルダムは世界の金融センターとなり、同時に世界初のバブル(チューリップ・バブル)も起こります。
また同時にアムステルダムは相対的には宗教に関して欧州で最も場所となり、デカルト、ホッブス、ロックそしてスピノザといった思想家が行きかう都市となる。
スピノザは元来ポルトガルからの亡命マラーノ(ユダヤ人)であり、同時にユダヤ共同体からも追放された孤高の人でもある。
ただし、スピノザはデ・ウィット兄弟などの共和主義者と親しく、また宗教的にも当時のオランダの基準よりラディカルな寛容を主張。
さらにホッブス、ロックよりもさらに民主主義的な政治理論を構築。スピノザが社会契約の後でもマルチチュードに「自然権」は残される、としてのは、当時のオランダの連邦制を念頭においたもの。
つまり中央政府に対する各連邦の自立性(この点でホッブス・ロックと対極)を基礎づけようとした。
下のリンクから、地平社のホームページと版元ドット.コムに飛べるようです。
今日、ついに校了。
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』、4月30日には一般の書店さんに並ぶとのこと。
4月1日に立ち上げられる「地平社」の最初の単行本となる栄誉に浴することができました。
それにしても、この3月、とにかく疲れたなー
BT)した風刺漫画、まことに「ヘリテージ財団」の果たした役割を視覚的に的確に表現しており、おもしろい。
ヘリテージ財団は、レーガン政権が国際的反共主義を主張し、アフリカ、中米(ニクラグア)、カンボジアへの軍事介入に関与し続けた。
またユネスコから米国を脱退させることにも成功。
国内ではレーガノミックスという名を新自由主義政策を全面的に展開させることに多いに貢献した。
このあたりのことは、S.ジョージ『アメリカは』、キリスト教原理主義・新保守主義にいかに乗っ取られたか?』に詳しい。
しかし、ヘリテージ財団に限らず、ランド研究所、ブルッキングス研究所など「横」から政策決定に力を及ぼす「シンクタンク」が数多い。このシンクタンクのメンバーからホワイトハウスの要職に「回転ドア」で入室する者も多い。
つい最近退任した国務次官ビクトリア・ヌーランドの夫の、ロバート・ケーガンはブルッキングスとジョージタウン双方に関与する典型的な現世代ネオコンのリーダーである。自称「リベラル・ホーク 自由な鷲」。
米国の象徴は「鷲」なのだが、現在はイスラエルのガザの虐殺を温かく「見守っている」。たいした鷲である。
ところで、ヌーランドは米国のウクライナ政策の最高責任者の一人でもある。
尚、画像はラファエロによる「教皇レオ10世」。
レオ10世は、フィレンツェ・ルネサンスのパトロン、ロレンツぉ・ディ・メディチの次男だけあって、芸術家の保護、芸術振興には熱心でした。
またレオ10世の従弟にあたるクレメンス7世も同様。マキャベリに『フィレンツェ史』やミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画などもクレメンス7世のパトロネージの一環です。
ただし、政治的には仏のフランソウ1世と同盟、神聖ローマ皇帝カール5世と対立したたため、ローマ劫掠(Sacco di Roma)を招きます。
この仏との同盟は、シャルル8世の有名なイタリア遠征(仏では知らぬ人はいない)以降、メディチ家のフィレンツェが選択した「安全保障」戦略。
ローマ陥落の後、クレメンス7世はカール5世と和睦。クレメンスの子、アレッサンドロはフィレンツェ大公として帰還。
その意味ではローマ教皇というよりメディチ家の利害を優先したと言える。
その観点からバランスをとるためにメディチ家からフランソワ1世の子アンリに嫁いだのが、「聖バルテルミーの虐殺」で名高いカトリーヌ・ド・メディチ。
まるで日本の戦国時代ですが、ちょうど時期も重なる。ただ規模が全欧規模だったので、ついに最強国家スペインによる統一はならなかった。
さて、中世では「ウリガータ」(ヒエロニムス訳ラテン語聖書)が近世以降と同様に重視されていたか、と言えばそれは違います。
中世のカトリックの大司教、枢機卿、教皇のほとんどは「聖書」など読んだことがなかった。代わりに、彼らが精通していたのは教会法。
つまり、カトリックとは中世ラテン世界をまとめ上げている教会という名の組織であり、その組織の運用のルールである教会法、それにその言語であるラテン語によって、広範囲の官僚組織として機能していた。また一応、法的には「独身」とはなってはいますが、事実上の「妻」が複数おり、子供も複数いた。
有名な例ではルネサンス期のアレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)と息子チェーザレ・ボルジアです。チェーザレは最初枢機卿、次に教皇軍司令官となってイタリア統一を目指します。マキャベリが「君主論」を捧げたのは、このチェーザレに対して。
聖書を「読む」ことが、宗教上重要な意味を与えられるのは、ルターの「宗教改革」、教皇レオ10世(ロレンツェ・ディ・メディチの次男ジョバンニ)の時から。
これに対してカトリックは大衆が聖書を「読む」ことを禁止、分かりやすいバロック芸術で啓蒙する道を選択。
あれやこれやでグーテンベルクの印刷技術と結びついた独語圏の識字率急上昇となる。
『政治と美学 ベンヤミンの唯物論的批評』、著者の内村博信さんからご恵投いただきました。
この『政治と美学』、大部になったので、刊行は分冊になるのこと。
内村さんは、すでに『ベンヤミン 危機の思考』を上梓しているので、W.ベンヤミン三部作となり、今や日本のベンヤミン研究の第一人者、と言ってもよいだろう。
ベンヤミンはアドルノより10歳若く、E.ブロッホとともにフランクフルト学派周辺にいた。
本書ではS.ゲオルゲやE.ユンガーの「保守的ロマン主義」・「革命的ロマン主義」をベンヤミンが批判し、それに対しK.クラウスやカンディンスキー、クレーなどの表現し主義を対置したことに注目し、それをベンヤミンの「唯物論的批評」と呼ぶ。
また1933年にパリに亡命したベンヤミンは、そこで展開されている「人民戦線 front populaire」の運動に強い関心を抱く。
本書ではパリでの人民戦線の展開とベンヤミンのボードレール論や第二帝政論を照応させながら議論が展開されていく。
ここではペギーやマルローなどの議論・立場も検討されるが、現在の仏文科で、「人民戦線とマルロー」の研究はあるのだろうか?
ちなみに「人民戦線」はパリでまず展開され、コミンテルンはそれを後追いしたに過ぎない。
前「世界」編集長の熊谷さんが4月1日に設立する、新出版社「地平社」から、4月22日に発売予定の拙著、『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』の表紙カバーが出来上がりました。
これから、3週間程度でゲラ作業を終えないといけないのだが、大丈夫なのだろうか?実は、まだ初稿ゲラも届いていないのである。
いずれにせよ、今年の春休みはこれでなくなったなー😭
ネオ・プラトニズムと言うと、プロティノスが代表的な思想家とされるが、古代キリスト教最大の教父アウグスティヌズも元来ネオ・プラトニストだった。
中世のスコラ哲学では、アラビア語から重訳されたアリストテレスの論理学が中心になる。
ネオ・プラトニズム復興は、ルネサンスのイタリア、特にフィンレツェにおいて盛んになる。ボッティテェリなどフィレンツェ派の絵画は、ネオプラトニズムの寓意としても解読できる。私は高校時代、林達夫と高階秀爾の本でこのことを知った。
同時にルネサンス期には古典ギリシア語から直接プラトンやアリストテレスを「読もう」とする試みが始まる。これが近代文献学第一期。つまりルネサンスは論理学ではなく、文献学の時代。
元来カトリック公認のラテン語の「ウルガータ」(聖ヒエロニムス訳)ではなく、古典ギリシア語から「新約聖書」をドイツ語、フランス語、英語、チェコ語などに翻訳しようとする試みが始まる。当時は聖書の翻訳は「死刑」によって禁止されていた。
各国語への聖書の翻訳と文法書の出現が、「国家語」へと繋がっていく。
ところで、「無限」に関してもプラトンとアリステレスは立場を異にする。通常、プラトンに近いと見られるカントは「無限」に関してはむしろ、アリストテレスに近いのである。
「歴史学研究」に掲載されている、歴研創立90周年を迎えての「リレー討論」、いろいろな立場・分野の人が「ざっくばらん」に書いているので、毎号興味深く拝読している。
今回は歴研編集長、委員長などを10年務めた小沢弘明さんの「歴史学研究会の『世界史的な立場』」である。
「世界史的立場」というと、まるで京都学派のようだが、そうではない。1946年9月の歴研綱領に出てくる文言である。
この綱領の文言ではすでに「祖国」の言葉があり、これは1949年7月の歴教協設立趣旨書では、「歴史教育は・・・祖国のない世界主義とも相容れない」となる。
小沢さんは、この変化を一繋がりに記述しているが、私見ではこれはSCAP/GHQの「逆コース」に対応して、共産党が「民族・民主」を前景化させたことに対応する。
また小沢さんはこれを「民族・民主革命」論として「戦後歴史学の初心」と呼ぶ。これは現在の歴研メンバーからすれば、思想的には違和感がある筈。しかし「歴史」としてみればどうであろうか?
また、日本の歴史学は日本史・東洋史・西洋史の三分類と日本史のヘゲモニーを自明視しており、現在に至るまでそれは継続しているとされる。小沢さんはそれを批判しているのだが、少し日本史専門の人の反論を聞いてみたいものである。
シドハース・カーラ『性的人身売買』
冷戦崩壊後、グローバル資本主義の全地球化によって、劇的に「性的人身売買」が増え続けていることを調査・批判した本です。
旧ソ連・東欧圏の崩壊により、ルーマニア、モルドバァ、ウクライナ、それにチェコなどから「性奴隷」として、毎年数十万以上の女性がイタリア、米国などに「輸出」されている。ウクライナは、社会主義崩壊後、経済的にはドイツの経済的植民地になり、主要な外貨獲得源は「代理母出産」とななった。
南アジアでは、パキスタン、インド、バングラデシュからタイへ数百万規模で「輸送」される。タイでは、農村地域の「児童」が都市へやはり「性奴隷」として売られ、そこには北側の男性達(及び南側の富裕層)が、群れをなして「買春」に訪れる。
この「性奴隷ビジネス」が急成長した直接の原因は、麻薬ビジネス以上の収益率の高さ、とされる。しかし、著者は、背景にあるのは、社会主義崩壊後の新自由主義の全面化にあるとし、特に東欧に関してはIMFに直接の責任があるとする。
ところで、この本を「朝日」で書評した人、「性的人身売買」を「非合法化すべき」と「眠たい」ことを言っていたけれども、当然すでに人身売買は「非合法」なのである。要するに、書評者、この本を読んでないのである。
昨日、大学に行くと、学長選の結果が貼りだされていた。
私は学内の統治行政には全く無縁の人間だが、最近不在者投票もできるよりになり、一応投票はしている。
今回の1位は文学部の山田賢先生である。
山田さんは、清代中国史の専門家であり、この世代のエースと言える人。
また、昨今の歴史学者としては珍しく、四六駢儷体もかくや、と思わせる美文家でもある。
「ほう、人文社会系が学長に選ばれることもあるのかー」と思い、左を見ると、何故か「2位」の横手幸太郎という人が「学長となるべきもの」と公示してある。
これは不思議なこともあるものだ。今回の投票率は90%以上、教員の他に職員も投票している。
横手さんは2位、山田さんより100票少ない。自民党議員でもー現在ではー定数1で2位なら落選である。
形式上、学長選考会議が「最終決定する」ということにはなっているが、今まで選挙の結果が覆されたことはない。
近年流行のガバナンス論の観点からも、3分の2の構成員に支持されていない人が、学長になることは「望ましくない」筈である。
ま、規定では、「選考過程及び学長と選んだ理由」について「公示」=「公に説明責任を果たすこと」あるから、これから、その「説明責任」が果される段階に移行するのだろう。
先週、参院会館で行った、「スラップ訴訟、言論の自由、民主主義」が週刊金曜日の今週号で取り上げられています。ご関心のある方は是非お読みください。
大学の新設計画という公的問題を動画にて突如公開するする以上、当然それは(多少の誤解を含む)論評が出るのは当然です。
それを自分の都合の悪い投稿をした人間に「日本財団・ドワンゴ学園」準備委員会が「法的措置を取る可能性がある」と内容証明で送って来れば、普通人は「心理的威圧」を感じます。
その企画の中心に安倍首相周辺の政治権力の中心や大富豪がいるとなれば尚更です。
法的訴訟となれば、時間はかかりますし、常識的に「スラップ」であって棄却と予想しても、この手のことに「絶対」はありません。
しかし、だからといって、誰もが「スラップ」を恐れ、また「忖度」して言論を自主規制すれば、民主主義は成り立ちません。民主主義は、構成員がある程度重要情報を共有してこそ成り立つシステム。であるから、「言論の自由」、「表現の自由」は民主主義にとっての死活問題。
私としては法的手続きはそれとして粛々と進める予定ですが、法的プロセスは別に「民主主義」と「言論の自由」について、(マスコミ政治家のみなさんも含めて)問題意識を共有していただきたく、記者会見を開きました。
今日、参議院会館で、「スラップ訴訟と言論の自由、そして民主主義」と題する記者会見を開きました。
研究者、ジャーナリスト、それに望外なことに参議院議員である宮本岳志さんが参加してくれ、活発な討論の場になったと思います。
宮本議員はかつて金融ローン会社武富士が週刊金曜日に対して行った1億数千万以上の賠償請求事件に関して、国会質問にたった経験があり、そのことから今日の会見に興味をお持ちになった、ということでした。ちなみにこの際の武富士側の弁護士が、現在の大阪維新の吉村市長です(勿論、武富士の要求は棄却)。
いやはや、20年たっても構図はあまり変わっていないのか・・・
というよりもジャーナリストの方たちのお話を聞くと、この手法は現在さらに多用されており、組織ジャーナリズムは「訴訟」になりそうな記事を自主規制、フリーの人は訴訟のリスク・負担を恐れてこれまた「自粛」という流れもあるように感じました。
「言論の自由」、少なくともこれがなければ民主主義はなりたちません。治安維持法でなくても、大富豪と権力者の企画を批判すること「スラップ訴訟」の圧力で「自主規制」されるようでは、日本の民主主義体制は風前の灯と云えましょう。
尚、今日の動画は近々、公開できると思います。
『四つの未来』ピーター・フレイズ、「ポスト資本主義を展望するための四類型」、訳者の酒井隆史さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます!
しかし、酒井さん、つい先日あの『万物の黎明』を、明快かつ流麗な文体の個人訳で上梓したところである。ある意味、超人的な仕事振りと言えるだろう。
著者のフレイズは2011年の創刊以来英語圏で際立った存在感を示している雑誌、『ジャコバン』の中心メンバーの一人。
英語圏で「ジャコバン」というのがまた興味深い。英語圏の伝統的な政治学・政治思想では「ジャコバン」は基本的に「ネガティヴ」なコノテーションをもつからだ。
フレイズは、いわゆる「ジェネレーション・レフト」を代表する世代の人であり、、アメリカ民主社会主義者同盟のハドソンバレー支部副委員長でもある。
このグループは日本では「民主党急進派」と呼ばれ、オコシオ・コルテスやパレスティナ系初の連邦議員ラシダ・タリーブが知られている。ラシダ・タリーブが、現在進行中のガザの大虐殺に絡んで、つい先日、いわれなき=恥ずべき「問責決議」を米下院で受けたことは記憶にあたらしいだろう。
日本でも『ジャコバン』やオカシオ・コルテス、ラシラ・タリーヴに対応する言説や運動が切に求められている、と言えましょう。
1960年、ベルギー領コンゴがついに独立した年、初代首相ルムンバがベルギーとCIAの連携プレイで抹殺され、殺害の後、硫酸で体は溶かされ、歯の一部がベルギーに「戦利品」として持ち帰られていましたが、数年前、「植民地主義」への反省の意の表明ということで遺族に返還されたことは以前書きました。
この際、国連事務総長ダグハマーショルドは、独立したコンゴへの宗主国ベルギーの権益保持を批判しながらも、ルムンバの「保護」のために国連軍を動かすことは拒否しました。
その結果、ルムンバは(不可能な)ソ連への援助を求め、それをキャッチしたCIAとベルギーによって抹殺された。その意味では国連はルムンバを「見捨てた」とも言える。
しかし、それでもアフリカの「真の独立」を主張するダグ・ハマーショルドは米・英・南アフリカアパルトヘイト政権に危険視され、1961年搭乗機が墜落、死亡しました。
現在の国連の調査ではCIA、MI5、そして南アフリカ情報部の「スイマー」と呼ばれる秘密組織による暗殺説がほぼ確実視されている。
墜落後のダグの死体の襟のスペートのエースを置いて撮った記念写真がある。「スペードのエース」はCIAが任務終了の際に置くカード。
今回、米国は国連そのものに「スペードのエース」を置いたのは?
安丸良夫さんは1934生、富山で軍国少年として敗戦を迎える。
戦後民主主義教育を受けた第一世代として、京都大学文学部史学科に入学。
安丸さんが大学時代の京都の歴史学は、共産党の武装闘争時代、内部でも「国際」派と「所感」派に分かれて、暴力を伴う凄まじい「権力闘争」の真っ只中。
この頃の京都は「所感」派が強く、日本中世史家の黒田俊雄(1924生)なども当時はその立場から政治に参加。
安丸さんと一つ違いである廣松渉も国際派の活動家として京都で活躍(?)していました。
東京では網野善彦さん(1928生)、色川大吉さん(1925生)も武装闘争時代の党員です。
京都は今でもある意味「狭い世界」。左派インテリはどこかしらで顔を合わせます。
それが50年代前半の「武装闘争」の時代ですから、人間関係の圧力は物凄かった筈です。
しかし、安丸さんはあくまで「独立左派」としての人生を歩みました。ここも安丸さんがサルトルに共感した所かもしれません。
1970年に三島由紀夫が「スペクタル」的に自決をしてみせた際、安丸さんは「三島なんかに騙されるな」という文章を書く。
歴史家としては、近世・近代・現在を縦断する思想史家にして社会史家。
思想史学、現代の歴史学の世界ではほぼ絶学となった。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年