オランダは今でこそ欧州の小国ですが、17世紀にはスペインから独立する過程で「海洋覇権国家」となり、世界の海は一時オランダが支配しました。
ポルトガル、スペインそして英国を押しのけて日本と通交を始めたのもこの頃。
台湾、マラッカ、インドネシア、セイロン、ケープラウン、北米(ニューアムステルダム)、南米に、拠点を築きます。
アムステルダムは世界の金融センターとなり、同時に世界初のバブル(チューリップ・バブル)も起こります。
また同時にアムステルダムは相対的には宗教に関して欧州で最も場所となり、デカルト、ホッブス、ロックそしてスピノザといった思想家が行きかう都市となる。
スピノザは元来ポルトガルからの亡命マラーノ(ユダヤ人)であり、同時にユダヤ共同体からも追放された孤高の人でもある。
ただし、スピノザはデ・ウィット兄弟などの共和主義者と親しく、また宗教的にも当時のオランダの基準よりラディカルな寛容を主張。
さらにホッブス、ロックよりもさらに民主主義的な政治理論を構築。スピノザが社会契約の後でもマルチチュードに「自然権」は残される、としてのは、当時のオランダの連邦制を念頭においたもの。
つまり中央政府に対する各連邦の自立性(この点でホッブス・ロックと対極)を基礎づけようとした。