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『ジャナ研の憂鬱な事件簿』(酒井田寛太郎)

【あらすじ】
学園青春ミステリ短編集。ジャーナリズム研究会、通称「ジャナ研」の編集長・工藤啓介は、先代の部長の卒業後、唯一の部員として孤独にそして気楽に学校新聞を運営するつもりだった。しかし、ある日の放課後、山盛りのノートを抱えて運ぶ美少女・白鳥真冬を手伝ったことがきっかけで、その孤独な活動は終止符を打たれることになる。

『サマータイム・アイスバーグ』(新馬場新)

【あらすじ】
三浦半島に住む高校二年生・宗谷進は毎年夏休みの間だけ叔父・若草鉄矢と叔母・若草優月の元に身を寄せていた。進は、同級生にして幼馴染みの富士天音を拠り所として同級生の安庭羽、天塩一輝と友だちだった。一年前、天音が不慮の事故で昏睡状態に陥るまでは。
今年も叔父たちの家で夏休みを過ごしていた進だったが、夏の補習の初日、湾に氷山が忽然と姿を現す。やがて進は、その氷山の下の浜辺で幼い天音の外見にそっくりなそれを持ち記憶を失った少女・日暈を見つける。進たち高校生三人は、日暈に天音を重ね見てしまい、かえって天音の不在を強く感じてしまう。しかし、引き起こされた不協和音は、日暈と進たちの今年だけの夏休みを忘れられない日々へと昇華させていくのだった。そんな夏休み、氷山の秘密を探る組織たちの魔手が着実に日暈と進たちへと迫っていたのだった。
青春×時間SFの忘れられない夏が来る。

『ラスト・ビジョン』(海羽超史郎)

本当に読みにくかった。ころころと視点人物・時系列が切り替わる上に、切り替わっても視点人物・時系列を示す手がかりがなかなか出てこない。過去・未来を問わずにロボットの中を移動・拡散する意識、というアイデアそれ自体には光るものがあったように思われるが、アイデアに振り回されていた。
ループものとしては、確かに数十回単位でループが行われているにもかかわらず因果が保たれていた上に SF の形式を保持できていたが……。

『紫色のクオリア』(うえお久光)

読みました! 怪作! 「毬井についてのエトセトラ」は「玩具修理者」、「1/1,000,000,000のキス」は「酔歩する男」か。必ず小林泰三の『玩具修理者』を読んでから読むようにと言い含められていたのだが、確かにその通りである。同じような骨子でも意匠を変えることによって、こんなにも雰囲気が変わるのかと感動した。全般的に『紫色のクオリア』の方が好きですね(オタクなので)。
設定的にはループものというよりはむしろ平行世界ものという感じなのだが、平行世界をジャンプしながら友人を助けようとする姿から受ける印象はループものだった。ループものと平行世界ものとの近さを感じたし、今回書こうとしているのはループものなので、そこを意識した書き方にしたいと思った。

『海を見る人』より「海を見る人」(小林泰三)

「山の村」に住む少年だった主人公が夏祭りで偶然にも「浜の村」の住民である少女・カムロミと出会ったことにより始まったロマンス。「浜の村」は「山の村」よりも時間の流れが数十倍近く遅く、二人の年の差はどんどん広がってしまう……。要するに、この地球とは異なる重力圏を有する別世界の物語である。
ロマンスとしてはボーイ・ミーツ・ガールのストレートな味付けで好みである。読者にとっては時間 SF の物語に見えつつ、作中世界の人物らにとっては厳として存在するシリアスなハード SF の物語であるという、読者と登場人物とでジャンルが異なるという読み心地に新鮮味を感じた。

『クロノス・ジョウンターの伝説』より「吹原和彦の軌跡」(梶尾真治)

タイムマシン×ロマンスもの。制限時間付きでしか過去に戻れないタイムマシン、しかも現代には帰れずに未来に帰還させられるという代物を使って過去に戻り、愛する女性を事故から救おうとする男性のお話。
恋は盲目を地で行く男性がいじらしく、思わず手に汗を握ってしまった。彼と彼女の(事実上の)遺物が……というラストなのだが、最後に遺されたアイテムが物語の行く末を暗示するのは「美亜に贈る真珠」でもそうだった。得意のパターンなのだろうか? 短編 SF に相応しい余韻を遺したラストで巧みだ。現代では忘れられた作家になりつつあるのが不思議なくらい。

『ロマンティック時間SF傑作選 時の娘』(中村融・編)

書名の通り、時間を超えた恋愛を描いた短編を集めた一冊。SF 的なアイデアとしてはやや弱いところのある作品が多かったものの、十分にロマンティックさが勝っていた。特に好きだった作品を紹介。
「台詞指導」(ジャック・フィニイ)
私の好みにストライク。映画に出演する美人女優がどうしても役を演じきることができなかったが、ある出会いをきっかけに……、という一作。時間の取り扱いはサイエンスというよりむしろ奇想寄り。時間やロマンスに関するアイデアもさることながら、芸能界の描かれ方が良い。美人女優や主人公の台詞指導係やその他映画スタッフは、作中世界から数十年前に走っていた(作中世界ではもう廃止になった)1920年代のバスを深夜にこっそり走らせる。一夜だけの、いっときだけの秘密を共有する様子には、演技だらけに見える芸能界においてほんの少しだけ顔を覗かせる本物の感情が感じられた。美人女優が役を演じきれるようになった大ネタも滋味深く、何事にも抑制が効いていた。
「時が新しかったころ」(ロバート・F・ヤング)
アクションが光る傑作。豪快なアクションを支える少年少女と彼らに向き合う大人の感情の機微が細かく、読んでいてとにかく楽しかった。

『不思議の扉 時をかける恋』(大森望・編)

時間 SF の名作短編とそのアンサーを主に収めた短編集。「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治)と「机の中のラブレター」(ジャック・フィニィ)が出色。
「美亜へ贈る真珠」は、浦島効果で時間の流れが外界よりも遅くなった男性と、彼を見つめるしかできない女性と、彼女に寄り添う男性の話。時間のズレに翻弄されるラブストーリーが三人で展開されるというのがいい。彼女の感情の奥行きがグッと広がった。本書の収録作「眠り姫」(貴子潤一郎)もそうだが、「むかし、爆弾が落ちてきて」(古橋秀之)はこのバリエーションか。やはりオリジナルだからか「眠り姫」より圧倒的に読み応えがある。

「机の中のラブレター」では、古い机に手紙を隠した当時の女性と、その机の新しい持ち主であり現代を生きる男性とが、時を越えた文通を行う。アイデア面での技巧は凝らされておらず、シンプルな味付けだからこ心に響く。正直、ちょっと泣いてしまった。

『秋の牢獄』より「秋の牢獄」(恒川光太郎)

ホラー風味の綺麗な幻想小説。ループ内での出来事も、ループの入り口・出口も、ループものとして目新しいものは決してないのだが、筆力で魅せた。

『ifの世界線』より「二〇〇〇一周目のジャンヌ」(伴名練)

先行のループものとは異なる読み心地のループものでありかつ王道の SF 作品としての本作を生み出すために、設定を巧みにコントロールしていると感じた。
登場人物にとって原因不明のループが嵩むと一般的にはホラー・不条理ものになるのだが、本作は大きく異なり、以下の二点によって王道の SF として成立している。
一点目に、原理的には無限回のループを起こせる計算機がループを起こすために非ゼロな計算時間を必要とすることにより、実際的には有限回のループしか起こせないという、ループの外部にその回数の物理的な制限を設けた点。ループの内部の主人公にとっては果てしない回数のループであるが、ループの外部の登場人物および読者にとってはしょせん原理の知られた有限のループである。この物理的制約によって、SF 的な読み心地が損なわれていない。また、ループに時間が掛かるということは、その時間で、ループの外部において、他の事件が発生し得るということでもある。

『都市伝説セピア』より「昨日公園」(朱川湊人)

現代サブカルに通じるカノンなので読んだ、という感じ。
特定の場所にいた人間がループに引きずり込まれるという現象が、場所によってループが引き起こされるがために、何度でも、複数の人間にわたって発生するのが特徴か。
ループからの脱出に失敗するタイプのお話なので、必然的にホラー・不条理系となりますね。

『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』(チャールズ・ユウ)

たぶん3回目くらいの通読。
今回は家族小説、つまり父-息子の対立軸を中心に読めました。息子と作ったガレージ製のタイムマシンで箱の中へ、箱の中へと縮こまっていく父を、息子が発見し、
父および息子自身と和解する話。今回はそのように理解しました。
本作におけるループは、時間によってもたらされるというより(いや、確かに一定程度は寄与しているのだが)、むしろ意識によってもたらされている? 堂々巡りの意識こそがループの原因であって、父の発見、和解がその堂々巡りからの脱出の鍵となる(たぶん)。
意識の堂々巡りが、時間の堂々巡り=ループをもたらしている(たぶん)というアイデアは非常にオリジナリティありますね。

『All You Need Is Kill』(桜坂洋)読みました。

何度も読んだ小説ですが、改めて再読。筋はよくよく知っているだろうからまあいいや。
ループの出口はもちろん入り口まで書けたパターン。出口と入り口にロマンスを絡めて役が増えた感じ。私の先行文献調査によると、出口と入り口の接続を達成するのはけっこう難しいらしく、そこが評価された一因だと今ならわかる。
ループからの出口がループへの入り口と接続しているとやはりループそのものへの納得感が高まるものですね。出口さえしっかりしていればそれだけでループものとして成立すると確信を得ているから、自分の小説ではまず出口第一だけれど、余裕があったら入り口も出口に繋げてあげたい。
今回の再読では、アクション部分の切れ味の良さに気付けましたね。こまめな改行、短文、単語の繰り返し。これはそのままライブシーンを書く参考になるでしょう。4年近く書いていないライブシーンの経験値は溶けきってしまっているだろうから、こういう気づきを得られたのは僥倖でした。

『酔歩する男』(小林泰三)

2014年に読んで以来の再読。表題作は風味こそエスエフだが、読み心地はホラー的。エスエフ的な想像力で現実感を強化しているように思わせ、それこそがむしろ罠で、膨らんだ現実感が幻惑的な語り口によって削り取られる。嫌な読後感だった。

『タイム・リープ あしたはきのう』(高畑京一郎)

ウェルメイド! と叫びたくなるような快作。これは度々メディアミックスされるのもわかりますわ。語り手の意識を複雑に〈リープ〉させて見当識を起こさせながらも、読者に筋を見失わせない。よく設計された作りでした。
公式ガイドブックによると、初代『STEINS: GATE』も本作の影響下にあるみたいですね。

『世界は明日、滅びました。(きみのせいで)』(鷹守諫也)

はっきり言って、最初から最後まで全くいいとこなし。全部のアイデアを会話で済ませて、最後も投げっぱなし。会話で全部開陳するのは本当にダメ。

『revisions 時間SFアンソロジー』(大森望・編)

「退屈の檻」(リチャード・R・スミス)が勉強になって、「ノックス・マシン」(法月綸太郎)で爆笑しました。
「退屈の檻」は、ループに適応し始めた主人公に訪れる、ループ特有の悲劇という筋書き。これが最古のループ SF とはたまげた。現代でも読み応えがあると思える骨格がきっちり揃ってる。ループに入るきっかけがループから抜け出せない理由にカッチリとハマっている。適応し始めたにもかかわらず……(むしろそれが「檻」が与える罰)というのが味わい深いですね。
「ノックス・マシン」は、本短編集でも屈指に端正な時間 SF っぽいし、馬鹿馬鹿しさと SF っぽさとの両立ができてたと思うんですが、みなさんはどう思いますか?

『ある日爆弾が落ちてきて』(古橋秀之)

時間ネタの宝庫という感じ! ワンツイスト入れて「時間ネタ」であることを見破られにくくしているのが面白い。「出席番号0番」および「三時間目のまどか」がいい。特に後者。よく考えたらタイムパラドックスが起きるはずなんだけど、読者に考える暇を与えない。短編のスピード感が光る。読者に息つく暇を与えないなら細かい理屈をすっ飛ばせる、 盲点だった。

『終わる世界、終わらない夏休み』(あきさかあさひ)

かなり勉強になりました。特に「誰がループするか/ループしないか」を登場人物間で生まれた感情の物語の根幹に据えている点。ここは個人的に悩みどころだったので参考になります。また「どうループから抜けるか」に対しても、ふんわり SF として一定の解を与えている点もポイント高し。
優れたループ SF になるための必要条件の確信を得てきて、ループする前と後とで人間関係が同じだったらせっかくループする意味がなくて、そうすると、ループする人間は一人ぼっちではなくて複数人いなければならない。そして、誰がループしているか(そしてどんな感情を持ち越しているか)が明かされるポイントが一つの山場になる。
ループを跨いだ感情の持ち越しは『All You Need Is Kill』も顕著ですね。というか、それこそが物語だし。

『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』(鴨志田一)
ループものの今作。ループを一種の未来予測として見なすことで、ループの輪を閉じる必要性をキャンセルしたのはテクニカルでした。繰り返しの中で変わる感情/変わらない感情の峻別の付け方に面白味を感じます。行動が変われば気持ちも変わるし、同じ時を同じ人と繰り返せば愛着も深まる――。
「教科書のようだ」と勧められたのですが、その言葉に偽りなしでした。ループの陥穽へのハマり方、感情の変化をキーとしたループの抜け方、ループ自体の辻褄の合わせ方、どれも SF 的にはもっと書き込めたでしょうに、そこは説明過多にならずに登場人物間の気持ち最優先でお話を進めるところにラノベ作家の匠の技を感じました。

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