映画と小説のいちばんの違いって、やっぱり映画は生きてる人間(しかも生きてる人間の中で魅力値が高いほう)が演じてるから、キャラクタに魅力が!出ちゃう!どんなクソなキャラクタでもクソなりの輝きが!
小説だったらキャラの魅力なんてないほうがデフォルトっていうか、憎らしいキャラを憎らしいものとして、なんもいいとこないキャラをなんもいいとこないものとして描けると思うんですよね。そういう非情さが映画にはない。映画には情状酌量の余地がありすぎる。 #映画
オッペンハイマーが賞レース荒らしがち問題
いや私も実は今年度見た中だとオッペンハイマーがダントツおもしろだなって思うんですけど、しかしあんないろんな話できそうな題材を扱っておきながらお前にできることは超おもろ映画を作ることだけなのか?!っていう気持ちもある。むしろ「あ、この人面白い映画しか作れないのでは…?」って思ったよね。面白さに呪われている。
面白い映画には面白い映画にしかできないことがあるけど、面白い映画にはできないこともあると私は思うなー。面白さってひとつの側面でしかないし、面白さが隠してしまうものってたくさんあるんですよね。特に現実世界とのリンクが強い題材のときはそれ感じる。おもろいものしか作れないならノーランはSFだけ撮ってて(暴言)。#映画
Poor Things、ラファロの役が良すぎたみたいなとこあるな。クソすぎかつおいしすぎ。あんなに見せ場ある必要ある?!くらいある。#映画
フェミニズム映画とは何みたいな話(再)
いやなんか前トゥートではPoor Thingsがフェミニズム的に見えるって話したんだけど私の中で疑義もあって、というのも「男の愚かさ」を自虐的・内省的に描いた作品ってフェミニズム的って言っていいのかな?って。
男性クリエイターの中に「男の愚かさ」についてめちゃ表現したい層が一部存在している波動はけっこう感じてて、そういう自己批判的(時にマゾヒズム的?)な視点ってたしかにフェミニズムと通じるもの多いだろうけど、しかしそこにおける興味の対象ってあくまで「男」であってそれ以外のものじゃないんだよなっていうか、結局はお前の話かよ!みたいなとこある。
「男」の愚かさを描きたい物語における対立概念としての「女」って、それはそれでまた人間じゃないみたいなとこあるだろうし。男の愚かさを罰するための概念みたいなやつだから。Poor Thingsはその波動ちょこっとある。ミクロンくらい。愚かな男への解像度ののほうがベラへの解像度より高いやろ疑惑。#映画
そういえば実家の人が「プラダを着た悪魔」初見したというのであらすじを聞かせてもらった(私未見)のだが、オチまで聞いて私は思わず「えっ保守的〜つまんない〜」って言ってた(伝聞による忌憚のない感想)。まあ2006年だし…。すでに最後までネタバレたが、バレが影響するような物語じゃないので今度私も見るかな。 #映画
フェミニズム映画とは何かって話
作り手にフェミニズム映画を作ろう!と意図があって誕生するというよりも、フェミニズム的な感覚をもった観客がそれを鑑賞した時にフェミニズム映画が誕生する。っていう所感。
というのもヨルゴス・ランティモスとかアリ・アスターとか、あのへんは世界有数の「ユニーク」枠の人々なのでまあそりゃ人とは違うポイント・オブ・ビューがあるからジェンダーに関しても非伝統的な描き方をすることがあるわけで、それが我々が考えるようなフェミニズムとして意図されてるかっていうのはよくわからん(だって何もかもがよくわからんしあの枠)というかあんま問題ではないと思う。
やっぱ解釈というのは観客が作るものだから、作り手が意図してなくてもその感覚を持つ層にとってはまじ名作が爆誕することもあるし、逆にどんなに要素を意図してぶち込もうが一部の観客にとっては永遠に誕生しない。
私の所感でいうと近年フェミニズム映画を爆誕させがちなのは女性(自分の世界観を追求するとそうなりがち)以外だと、上記のユニーク枠とか、あと俺達はただ面白いものが作りたんだ!のエンタメ枠とか。この中にはほんとはマッチョな思想の人も含まれてると思うけど、作品はフェミニズム的になりうる。いろんな人がいろんな動機で爆誕させてほしい面白いから。 #映画
「Poor Things(哀れなるものたち)」
やっぱこう、旅…というか人生の楽しさって、なにもそこで美しいものを見たとか、おいしいもの食べたとか、素晴らしい人に出会ったとか、キラキラ体験ができたとかそういうことじゃないなって私は思うんですよね。
ベラの旅ってある意味ではクソみたいな男にひっかかって家出して結局遠い街の娼館で働くっていう典型的不幸というかダメ・オブ・ダメみたいなやつなんだけど、ベラの視点から見たらそれはアドベンチャーであり発見に溢れたすごい楽しいものだったなって。
そこで見たのはクソ男性であったり虚飾であったり不平等であったり全体的にグロい世界だったかもしれないけど、そういう世界を歩くのは楽しいことでありうる。人生は、世界がどうであるかだけに決定されるものではないので(それが人間の主体とか主観というものなので)。 #映画
いやでもラブラブだと思ってた夫が突然死んだら実は愛人?との別宅を持ってた…パリのド真ん中に…ってなったら愛の不条理よりまず金のこと考えない??? 誰がパートナーにばれずに動かせる金そんなにあんの??? 世界の何%に起こりうる不幸なのそれ????(「Good Grief」の話をしています) #映画
忙しくて他に何もする時間がなかった…かと思いきやネトフリは見ていた。私「Good Grief」見てたんだけど皆はどうでござった? パートナーの急な事故死…死後に判明する浮気…みたいなのから友情と金の力で立ち直る話(独自解釈)なんだけどいわゆるセレブ夫夫だからほんとめっちゃ金あるなって思って、金あるとパリ旅行して悲しみに浸れる余裕とかあってしまうからやべえな…いやそもそも作家って売れっ子とはいえあんなに金ある…?みたいなこと考えて気が散るなどした。人生と友情の話なのに金のことしか覚えてない。#映画
そうだちょっと前に「Leave the World Behind(終わらない週末)」も見てた。これも終末系。一家でちょっとお洒落な山奥の別荘にバカンスにきてて外の様子がよくわからんうちになんかアポカリプスぽいものが起こったぽいのだが何が起こったのかまったくわからん、ていう話。ぜんぜんわからん。でも面白かった。#映画
「プリティウーマン」のすごさ
って本当に最初から最後まで金が(そして金だけが)すべての問題の根源なところで、ビビアンがセックスワーカーやってるのもお金に困ってるからっていうだけだし、ビビアンの「変身」も別に教養を身につけたとか自立心が芽生えたとかそういう要素はなく(そもそもエドワードは”ピュア”なビビアンが好きなのでそういう要素必要ない)本当に身に着けてるものが超高級になったってだけだし、エドワードが白馬の王子様たりえるのもビビアンにより良い暮らしを約束できるからだし、たとえ建前だけでも「金で幸せは買えない」とか「あなたがたとえ一文無しでも愛してる」みたいなエクスキューズが一切存在しないんですよね。
ビビアンは自分に今までとは違う人生を約束してくれる白馬の王子様としてのエドワードが好きだし、エドワードは自分を癒してくれるかわいいペット(たまに自分の人生観を変えてくれたりする。これはペットを飼った人はだいたい経験します。何かをちゃんとお世話するという経験は人を変えるので)みたいなビビアンが好きだし、この需要供給一致カップルに対するジャッジメンタルなメタ目線がぜんぜんない。それがすごい。 #映画
「The Killer」私の持論、「モノローグでいかに俺が人の心を持たない人間なのかを語る主人公に心なかったこと有史以来一度ない」がまた証明されてしまったな(通称デクスター理論)。そう言いながら情に流されていった人間をわれわれは星の数ほど見てきました。 #映画
「The Killer」映画とかではカッコよく描かれがちな暗殺業だけど実際こんなもん…と考えると明らかに費用対効果が合ってない。なんかいっそモラル高いというか教育的メッセージすらある。暗殺者になんかなってもなんも良いことないよっていう。#映画
ネトフリ復帰して「The Killer」見た。暗殺者って割に合わない商売だなあ(感想)。関わる人間全員が不幸になるビジネス、暗殺。#映画
ひとりごと用アカウント(閲覧・フォローはご自由に)。映画見たりファンフィク書いたり猫と暮らしたり。在加のため日本公開前の映画の話してることもある。
現在トップガン:マーヴェリックのハングマンxルースターの話ばっかりしてる。
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