人の励ましありがとうの話 

医療とか看護学に興味があるけど私には到底つとまらないんじゃないかなあ…という話を身内と友達にしたら「できるよ。あなたはなんでもできる人だから(意訳)」って言ってもらえて反射的にいや人生でできないことのほうが圧倒的に多かったのでは???????と思ったがでももう私も大人だからそういう貴重な言葉を素直に受け取ることにしたんだ私は!!!! そう言ってもらえる人がいて私はめちゃくちゃラッキーな人生でした(まだ終わってない)。だから皆がなんでもできるっていうなら私はなんでもできる人なのでできるんだっていう気持ちで生きていくよ。

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今まで自分では一生やらないだろうなって思っていた分野だから、恐れおののきもあるけどすごく楽しみという気持ちもある! べつにだめでもいいし興味があるならやってみようの心持ち。

あっ日本ではまったく経験なくて、看護師プログラムに必要なprerequisite(解剖生理とか微生物学とか)も一切履修したことないので、今年オンラインの大学で科目履修して、来年の頭に申し込んで、来年の秋にプログラム入りたいなって思ってます。すでに学士ある人は2年間のプログラムなんだって。看護師って2年でなれるもんなの?(と思ったら日本もそうだった)

私もえっ…人生のこの中盤期から看護師に…?って思って恐れおののいているけどでもまあなんとかなるよ!!!!!!!!

人生に迷いすぎであれなのだが 

ソーシャルワークとか社会貢献やりたいにしてもどんな分野に一番興味があるのかな~とこの上半期さんざんボランティアをやったりしていたがやっぱり健康や医療分野に一番興味があるなって思いました。disabilityとか緩和ケアとか含めて。だったら最初から医療系の資格とったほうがよくない????ってなった。

あとソーシャルワークはカウンセリングに興味ある人が多いけど、カウンセリングよりはフィジカルケアのほうが興味ある。

あとぶっちゃけると看護師のほうがプログラムの勉強量が多そうなので、たぶん年齢的にいってもこっちを先にやったほうがいい(両方やる気??)と思った。勉強はいつでもできるとはいえ暗記量が多いやつとかはやはり私も年齢の影響多少感じるから。あと普通に理系の科目の勉強したい(勉強したいだけ)。

みんなーー!! 来年ソーシャルワークの大学院入ろうと思ってたんだけど、いろいろ考えた末、やっぱり看護師の学部を目指すことにしました!!!!

2024年上半期、合計7団体でフルタイム労働か?!というくらいボランティアをやってきた感想としては、ボランティア活動とは根源的に「人間の価値とは生産性ではない」という思想(人権)に立つのでボラ活動自体にも生産性の概念がないのは必定、というのがある。

忙しい時間を縫ってやってるのだから無駄なことはしたくない、生産的で人の役に立つこととか意義のあることがしたい!という気持ちだとたぶんボランティアってマジで苦痛なので、そもそもこの社会における無駄とか無駄じゃないとか忙しいとか忙しくないという概念を疑うべき。それこそがボランティア精神(半年の総括)。

さらにボランティアこぼれ話 

いや今日の2件目は病院併設の介護施設だったんだけど、レクリエーション活動専門の担当者が夏休みとってるから代理はどうなるのかな?と思ったらシンプルに代理の人などいなかった。誰も指示を出す人がいないままのレクリエーション活動しんどい!

こっちって皆まとまった休みをとるからその間の代打システムがちゃんとしてるのかな〜と思いきや、ふつうにその間仕事がなんも機能してないだけ説がある。いやしんどかったなー今日。われわれボランティアもほぼ放置という名の自己判断モードだった。

だから今回のボランティア行ったら人足りてた事件も正解は「人足りてるから帰る」ではなく、「人足りてるけど機嫌よく言われた雑用をやりつつのらくら時間を過ごし、万一なにかタスクが不意に発生した場合にそれをやる」です(そこまでわかってるのに帰る)。

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なぜかというと世のため人のためになることというのは私の都合のいい時に効率的に現れてくれるもんじゃないので、延々と無駄な活動や待機をくりかえしつつある時誰かの必要な時に必要な場所にいることができたらいいね、というくらいのことなので、時間を有効に使いたいパーソンにはそういうチャンスはたぶん訪れないのだった。

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いやでも前も言ってたけど私にもわりとある「自分の限りある時間を世のため人のために有効に使いたい」みたいな感覚ってボランティアに向いてないよなって。ボラ、わりと時間を無尽蔵に無駄に使う可能性のある活動なので…

ボランティア募集の人はいつも人足りない人足りないと言うが、あれは「人(の出席率が予想つかないし万一)足りない(と困るから多めに確保しておきたい)」という意味なのでだいたいの場合は足りてるしわりとやることない(ボランティア人手不足の法則)。

ボラ先の人は「せっかく来てくれたんだから」みたいな感じであんまやることない時もわざわざやることを見つけてくれようとするんだけど、心の底から気を使わなくていいので今日もう人いらないよって言ってほしい。いや帰しにくいのわかるけど!

朝からいつものシェルターのボランティア行ったけど人が足りてるっぽかったから30分で帰ってきた〜。夏休みはバカンスで人いなくなるから足りないって言ってたけど、逆に普段来てない人も休みだからボラしにきてくれたりするし足りてんじゃないかなあ。

しかしこのマストドンを賭けてもいいけど 

これ無意識のやつなのでほとんどの人はやってると思います。やってたことないやつはたぶんいない。グループに話しかける時に平等に視線を送っているか???その中でいちばん話がわかりそうなっていうかグループ内権力がありそうな人だけ見て喋ってないか???って言われたらほぼ全人類がギルティだと思います。私も日本にいた時にやってたし今でもやってる。確実に。

でもこれやってる時は気づかないんだけどやられてる時はびっくりするくらいはっきりわかるので、やっぱり全人類がギルティだからそれが普通とかでなく文字通り全員がギルティであるので皆で意識して克服していこうぜっていう気持ちです。私も気をつけていくわ…視線に…

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そろそろほとぼりが冷めたかと思って話す話題 

いやアカデミー授賞式の時の壇上スルー問題のやつなんですけど。

まあ当時ホットな時は言わなかったんだけど、あれめちゃくちゃあるある~~~で、あまりにもありすぎるので今さら改めて怒る気にならないのだがそれは諦めているとかオーケーだとかいうことではなくてまじで純粋にあまりにもあるある~~だからなんだよなっていうその気持ちを表明しにくかった。ホットな時は。

っていうのを言ってなかったなって思い出したのは、昨日ボランティア先のイベントに参加した時、その場にいた4人くらいでしゃべってたら誰とも視線が合わなかったからです。
いやまじでね、一対一で喋ったりするときはふつーなんだけど、グループになったとたんに発言ターンを持ってる人と視線が合わなくなるからねっていう。

まあすごいわかるんだよな~~~グループに対して誰にともなく話しかける時にその対象が私にならないっていう現象~~~。わかるからってOKということじゃないけど(リピート)。人種以外に個性の問題とかもあるけどね。

アメリカってやっぱちょっと特殊な国だよなって思うこと多い。隣にいると。

最近はオンラインでとれる学位も多いからカナダにいながらアメリカの大学でとるという選択肢もある(アメリカのほうが単純に大学の数が多いので入りやすくもある)んだけど、社会問題を扱う系はやっぱり国によって事情がぜんぜん違うから国内でとったほうがよさそう〜と思うなどした。あとアメリカ、学費が激烈高い。

健康の社会的決定要因 

そうそう社会福祉系ボランティアやってる関係もあってSocial Determinants of Health(健康の社会的決定要因)に興味がでてきたのでやはり無料のオンライン授業をぽちっとしてみたんだけど、コースの提供元がアメリカの大学で、社会的格差の話になるととにかく人種の話をメインでする。それもたぶんいわゆるアメリカ人内における人種格差を念頭に置いてるんだろうなという感じ。

カナダの社会正義・福祉系の場合、重点的にやるテーマってまず先住民(広い意味では人種だけど)であと移民とか僻地福祉とかも多いかなーという印象あるので、やっぱりアメリカは違うなという気になる。Critical Race TheoryとかカナダのSDHの授業では出てこないんじゃないかな。

しかしこんな短期間だけどデイサービスとかホームとかで人とふれあってると「人は車椅子に乗っているのがふつう」「人はお年寄りであるのがふつう」みたいな感覚になってくるので、街を歩いてても車椅子とかお年寄りとかがやたら目につくというか「おっ、あそこに人がいる」っていう感覚になる(それ以外の人の背景度がちょっと上がってるともいえる)。体験は世界の見え方を変えるのですごくおもしろい。

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