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「Anyone but You」見たよー。思ったより3倍くらいアホだったがクリスマスだしコアラかわいかったので許した。メリークリスマス〜。

この週末は「Anyone but You」見られるといいな。なぜ12月に公開してるのかわからんすごい夏っぽさ。あ、オーストラリアは夏か。

ソルトバーンを見てても思ったんだけど 

この作り手の人、ほんとに物語が面白ければ登場人物を人間として見たときの感情とか人生とかわりとどうでもいいのでは、っていうことだった。オリバーもなんか意図がある人だということはわかるけどそれが何の意図なのかよくわからんよねって思う。それが執着に変わった愛なのか、強烈な上昇志向なのか、階級への憎悪なのか、自分ではない誰かに取って代わりたい願望なのか、それとも真に邪悪なのか。そしてそういうのを掘り下げることに興味がなさそう。

さっきも書いたけどそういうタイプの物語作る人っていると思うし、すべてが物語に奉仕するギミックだから面白いには面白いと思うそういう物語。私は物語大好き観客なので次作品もへ~今度はどんな物語かな?って期待して待つけど、人間としてはムカついてしまう可能性を内包してるな。

ソルトバーン 

同性愛表象としてはわりと古風な、っていうかまあリプリーなので90 年代でも十分作れるくらいの感じであって同性愛を「物語的においしいもの=メインギミック」としてガンガンに消費していくというタイプなので、いわゆる当事者性とかエンパワメントとかそういう要素はない、または限りなく薄いかとは思います。

ただ「同性愛を物語的においしいものとして消費する」ことと用語としての「クイアベイティング」って違うもので、後者はなんかそれっぽい要素あるよ!そう見えるでしょ?!っていいながらじつはそれっぽいだけでそうでないっていう手法(Sherlockとかグオメ1期とかのアレ)のはずなので、ソルトバーンは作品だけでいうと性行為のexplicit表現もあるんでベイトとは言わないかとは思う。

「同性愛を物語的においしいものとして消費」しているだけで現実の同性愛へのアドボカシーとかぜんぜんないよねっていう批判ならいやそれはそう…ごくごく伝統的な消費…とは思う。

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「Saltburn」批評的なというかトマト点数的なものでいうとバリー・コーガンがもうちょい全開になってないほうがもっと上を狙えたような気はするが、それはそれでsubtleで上品なものを好む映画スノッブ根性なのかもしれないからなんともいいがたいのだった。

プロミシング・ヤング・ウーマンも私は同じこと思ったんだけど、なんか物語的カタルシスのほうが作中人物より優先されるタイプの作り手なのかもって。プロミシング〜は物語的には面白いけど私は個人的にすげー嫌いだったので二度と見ない枠です。ソルトバーンはまた見てもよし。

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「Saltburn」見終わりました。いやー皆見てますか? ソルトバーン…。みんなの見たいバリー・コーガンが全部見られる…。正直見られすぎて話の本筋を見失うくらい見られる。ただただバリー・コーガン見たいガチ勢向けの映画爆誕してしまった。せっかくなのでガチ勢もガチじゃない勢もみんなで見ようソルトバーン。

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だってようするに「リプリー」だよね…? ということは結末はわかりきってるのでは…?(繰り返すがどんな映画かまったく知らない)

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プライムのトップに出てきてた「Saltburn」見てる。00年代のオックスフォード、大学生活をエンジョイする周囲にまったく馴染めないオリヴァー(バリー・コーガン)と、ハンサムで人気者のフェリックス(ジェイコブ・エロルディ)。序盤すでにしんどい! わかりきった悲劇の予感がする!(どんな映画かまったく知らないです)  

死が動機付けに使われる女、数多すぎてほんといろんなタイプがいて、私が近年映画でよく見るものとしては「スマホ動画の女」とかもあります。すでに死んだ/殺された妻や惚れた女で、スマホ動画の中にだけ美しい思い出として残っていて海辺とかでいちゃいちゃしてる幸福な過去のインサート映像で主人公の動機付けを全編にわたってサポートしてくる女(例:ジョン・ウィックなど。ザ・クリエイターもややこの気配あった)。別名、愛という概念としての女。

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ジョン・ウーの久々ハリウッド作品「Silent Night」見てきた。全編会話なしのリベンジアクション。 

ギャングの抗争の流れ弾で息子を失い、自らも声を失った父親(ジョエル・キナマン)が復讐を志してムキムキになる話。最初から最後まで一切の音声会話なし。言語情報は背景のラジオとかスマホのメッセージや手紙のみ。

私はジョン・ウー作品ぜんぜん見てないのでわからんけど、たまーに「??」みたいな変わった演出があったりしたが全体的にはいかにも近年のジョン・ウィック系ソリッドアクションという感じだった。それがジョン・ウー作品としてどうなのかはわからんけれども。

あと私の心に残ったのは、主人公が復讐のために運転の練習をする場面。そういえば確かに復讐のために体を鍛えたり射撃を練習したりする人は多いけど、ちゃんとカーチェイスの練習する人ってあんま見ないな!と目が開かれた。やっぱカーチェイスも訓練せねばできん。それはそう。

近年のパルムドール受賞作品のうち”私の想像上のカンヌこういうの好きそう大賞”は「ザ・スクエア 思いやりの聖域」です。めっちゃパルムドールとりそう(とってる)。

「Triangle of Sadness」アマプラにあったので見てるけど、カンヌこういうの好きそうっていういかにも私の想像上のパルムドールっぽい映画だった。ハイソな映画祭が富豪層とかハイソ文化を笑う風刺好きなのって要するに自虐・自己批判って面があるんだろうけど、自虐で楽しめるのもprevilegeか~という気がしないでもない。

でもその前に「Thanksgiving」っていうスラッシャー映画が公開してるからそれ見たい! 単発の季節ものスラッシャー好きです。四季おりおりに楽しみたい、人がバタバタ死ぬ映画。

そういえば「The Marvels」もう公開してた。EG以降のMCUはスパイダーマンとドクターストレンジしか見てない気がするからどうしようかな。猫、じゃないフラーケンのグースがたくさん出るなら見たいかも。

さっき実家との電話で「初恋のきた道」(=チャン・イーモウ監督の中国文革期舞台の感動作)って見た?という話題が出て、見たけどいやあれって事実上「Pearl」(=タイ・ウェスト監督の血みどろスラッシャー)じゃない??!!という話を熱くしてしまった。都会から村にやって来た青年への恋なんて恋じゃなくて外の世界への憧れ…“ここ以外のどこか”とか”これじゃない人生”への切望やで…という話をめっちゃした。

「Anatomy of a Fall」しかし私の心に残ったのは 

これ「物書きの苦しみ映画」でもあるんですよね。夫は教師なんだけど作家志望(一冊も完成させたことがない)である一方、妻は人気作家でばんばん本とか出しているわけですよ。この設定を聞いただけで観客は、あ、殺人起きるかもな…と思ってしまう。そこに物書きの業(だと我々が思ってるもの)がある。書けないことは屈辱であり苦しみである、と信じられているから。

しかし、書けない、ってそんな重大な苦しみだろうか? 私も一応なんか書く人の末席としてあえて疑問を提出してみるけど、フィクションが書けない程度のこと、人命を奪ったり奪われたりするような、憎んだり憎まれたりするような重大なことなんだろうか。だってフィクションでしょ??? 作りごとですよ???? それは人生を豊かにするものであっても人生そのものじゃないじゃん。いったいフィクションが作れる・作れないことの何がそんなに人間のプライドの根幹に関わるんだろうか。

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「Anatomy of a Fall」、邦題は「ある夫妻の転落」とかになりそう、と思いながら所感。 

人里離れたフレンチアルプスのロッジに住む夫妻。妻は著名な作家、夫は教師。一人息子は幼少時の事故で目が見えない。ある日夫がロッジの屋根裏から転落死し、妻が容疑者に。自殺か、他殺か? 夫婦は愛し合っていたのか、憎み合っていたのか?……という私の大好きな破綻した結婚生活モノでした。

語り口は淡々としていて、観客も劇中人物と同じく法廷に提出された証拠しかわからないので、観客にだけ明かされる「真相」というのはないんだけど、そういうクールな法廷劇いいね!という場合はおすすめ。

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「Anatomy of a Fall」見てきた。クールな法廷ドラマだった。犬は途中無事じゃなかったが事なきを得ました。盲導犬役のかしこいボーダーコリーちゃんだった。

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明日は「Anatomy of a Fall」見に行く予定。あらすじによると夫が転落死して妻が容疑者になり、盲目の息子がその事件の"目撃者"として証言台に立たなければならなくなる話みたい。今年のパルムドールなんだ知らなかった。

プロパガンダ映画の話するときいつも思い出すけど中国のプロパガンダ映画「鉄道遊撃隊(1956年)」まじでふつうに面白いので好き(youtubeにあるけど字幕なし)。あのへんの時代の抗日映画わりとどれもおもろい。鉄道遊撃隊は2016年にジャッキー・チェンが「レイルロード・タイガー」という題でリメイクしてるみたいだけど未見。

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