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マーティン・フリッケ『人工知能とライブラリアンシップ』の公開(オダメモリー)
oda-senin.blogspot.com/2024/10

一冊まるごと日本語訳を公開。根本彰先生、太っ腹。AIと図書館との関係に関心がある向きは必読かと。

概要が紹介されているこちらの記事も併せて。

『人工知能とライブラリアンシップ』の概要紹介(オダメモリー)
oda-senin.blogspot.com/2024/10

#図書館

ちょうどいい表現がない場合、戦術として、意味をせばめる(特定する)か、意味をひろげる(曖昧にする)かが考えられる。「早朝」というと眠っているか起きてすぐかの時間に特定されてしまうが、文脈上、たまたま、それでまちがっていなければ、まあそれでもいい。「その少し前」と言えば丸くおさまりはするし、前後をふまえればわざわざ言わなくても「朝」だ(夜明けまでさかのぼることはない)と分かるなら、まあそれでもいい。

(厳密にいえば、「早朝」は earlier in the morning に該当する場合もあるがしない場合もある。earlierが「現在」を起点にしている相対時間なのに対して「早朝」は絶対時間で、現在が10時なら9時30分はearlierだが、太陽が高くなった時点で「早朝」は違和感がある思う。)

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もっと一般的に比較級が翻訳しにくいという説もあり、「その朝のヨリ早い時間」のように、これは比較級の翻訳です、不自然だと分かって書いてます、というていで書くのがいいのかもしれない。

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earlier in the morning って日常的な日本語に翻訳しにくくないですか

「今朝がはじまってから今に至るまでの時間」「その朝のもっと早い時間」
↑分からなくはないが、長すぎるか少し考えさせられる

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システムメンテナンスのため、国立国会図書館のデジタルコレクションを含む各種サービスが、国立国会図書館サーチなどでの検索サービス以外は、年末年始の12/27(金)18時から、年明けて2025年1/6(月)まで使えなくなるとのこと。
ご注意を。

ndl.go.jp/jp/news/maintenance.

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『零號琴』というSFの表紙は文庫(2021年)と単行本(2018年)でだいぶ雰囲気が違っていて、内容を伝えるという点では明らかに文庫版のほうが分かりやすい。ポップな印象も作品と合っている。しかし表紙が内容を伝えすぎると、ネタバレっぽくなってしまうという難点もあるかもしれない。(単行本のほうも、読んでからなら、あのシーンかなという想像がつく程度に内容の一部を表してはいる。)

「注釈」なのか「註釈」なのかの使い分けについては、1) もともとは「注」「注釈」しかなかった 2) 途中で「註」が派生してできた 3) 日本は「同音の漢字による書きかえ」で「注」「注釈」に統一することにした と変遷があるので、「本来は註釈で、注釈は新しく簡略化したもの(だから正統でない)」というのは、あまり正しくない。むしろ「註釈」のほうが創られた伝統ともいえる。
kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/

瀬戸内寂聴訳を読んだ。校注や他の現代語訳ととちょっと照らし合わせてみた範囲では、比較的正確で、はしょっている部分がなく、親切(さりげなく文中に説明を追加してある)。欠点としては、追加される説明の分、全体に少しだけ長くなっている。

原文はちらほら見たか見なかったか程度。

瀬戸内寂聴訳では、敬語がわりと原文とおなじように(つまり、おつかえする側の立場で)使われている。たとえば「源氏の君は……とおっしゃっいました」とか。
林望の『謹訳源氏物語』などだと「源氏は……と言った」となる。出版社はこちらのほうが現代語の小説らしく、読みやすいとしている。

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紙の本は同じ本でも、照明の種類や距離によって色味に変化がでるので、部屋を移動して見ると新鮮に見えたりする。とくに大判の絵や写真のある本。同様に電子書籍はスクリーンによって変化がでるので、マルチデバイスになっているとよい。
……ということは個人的な体験に属することで、写真をとってほらこうでしょ、と説明することをしにくい。

「ミュージカル 南太平洋」という章がけっこう長い。ブロードウェイの同名のミュージカルのパロディのようだけれども、原作を知らないため、どの部分がどうパロディなのかが分からなかった。戦争で南太平洋に行かされた人がそこで恋愛する、というあたり?
en.wikipedia.org/wiki/South_Pa

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古本でいうと、8月に尾道に行った時に古本屋で偶然見つけた中谷宇吉郎「第三冬の華」がよかった。終戦前に初版が出て終戦後に増刷された本なので、満州で当時うっすら感じてた胡散臭さと終戦後の補足文章が加わってたりする。日本という場所で科学を研究することとそのアウトリーチの距離感への考え方が色々書かれてて、戦後宇吉郎が軍事研究に関わった責任で自分の建てた研究所から追放されたのも含めて考えると、歴史のスナップショットとして非常に面白い本。「正直こんな研究者エッセイが3巻目も出てるのなんでウケてるのか全然わからん」みたいなこと書いててちょっと笑うけども。自分の雪の結晶の研究にかなり近しい観察をしてる研究者が江戸時代にいたのを見つけてて、科学の考古学みたいなことやってるのとかかなりグッとくる あと装丁がすげーかっこいい

「ヽ」は片仮名用の繰り返し記号なので、「へヽヽ」は誤りで、「ヘヽヽ」が正しいそうです。(多くの書体で「へ」の形は共通なので見分けがつきませんが)

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わたしの理解では
1) 著作権をもてるのは自然人と法人である
2) 国は法人である
3) 国の機関(複数形)は法人(複数形)ではなく、国という法人の一部や機能である

とすると、首相官邸が
「©Cabinet Public Affairs Office, Cabinet Secretariat.」
kantei.go.jp/
と書いているのは、おかしいのでは?「官邸」を連絡先や担当部門の意味で付記したいのだとしても、著作権者そのものを第一に書くべきなのでは?

明治時代に読点や句点の連続(。。。や、、、)をリーダー(…)のような用途でつかった作家がいるという、真偽不明の情報を目にして、いちおう探してみたが、みつからない。

踊り字の連続(ヽヽヽ)を見てそう思ったとか?
管見では踊り字の用例はやはり、直前の字の繰り返しであって、リーダーのような言いさしや余韻の表現ではない。

「へヽヽ」はいまなら「へへへ」と書き換えられるが、「へ……」とは書き換えられない。

「擡頭」は「台頭」になったが、「頭を擡げる」は「頭を台げる」にならなかった。というより、「台頭」を「頭をもたげる」と読み下すことがなくなり、「台頭」が読み下せない漢語になったのか(「頭をもたげる」という意味だと解釈はできるにしても)。

源氏物語は帚木と須磨が難所だという。帚木は、また物語がはじまったばかりなのにアクションが少なく、会話が長すぎてだれる。須磨は、みやこを去る源氏のことを残念がったり悲しんだりする部分が長すぎてだれる。

あとのストーリーをぜんぶ読んでからだと、帚木で論評される匿名の人物たちはあとに登場するキャラクターを予告しているようでおもしろかったりするのだが、最初読むときはそんなことは関係ないので……。
(だから梗概で内容を知ってから読んだほうがいいのかもしれない。)

点を6個つづけて省略などをあらわす日本語のあの記号(リーダー)は、三点リーダーという名前で呼ばれていることが多いけれども、『国語教育研究大辞典』は、「六点リーダー」と呼んでいる。

文字というか活字としては2個連続して使うから、1個1個を「三点」と呼ぶのだろうけれども、概念としてあるいは記号としては、たしかに「六点」と呼ぶほうが理にかなっている。横長もしくは縦長にすることになっているからといって、記号として分割する理由はない(半角にした記号が記号として0.5個分になるのではないのと同じように)。

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中原中也の英訳、アメリカの研究者が挑む 「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」どう訳す?║好書好日
book.asahi.com/article/1543233

題名から予想される玉音放送もそのパロディも出てこなかったけれど、かわりに敗戦を迎える南洋からのオールナイト・パラオの放送とリスナーからのお便りコーナーがある。

ネタバレ:

ナウシカも出てきます。

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英語で「花吐き病」(Hanahaki Disease)という単語が説明抜きで、だれでも知ってるよねという感じでつかわれていたので混乱した
old.reddit.com/r/AO3/comments/
fanlore.org/wiki/Hanahaki_Dise

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