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プロフェッショナルのジブリ回を見た。
こういう既存の映像を切り貼りして、編者がストーリーを組み上げるモンタージュ作品、脳みそがふわあっとなるので好き。素材が細かく切り刻まれてれば切り刻まれてるほど良い。
ドキュメンタリーとして誠実ではないかもしれないが、バイアスが露骨なのでそれはそれで返ってそれで。

容量を溢れさせてしまって、いろんなものが録画できてない

宮内悠介『超動く家にて』読了。
SF・ミステリ短編集。16編収録されてます。気を置けず読める分、なんだかよく分からない話もあるなあ、と思ってたら、あとがきに作者による解説があるのでありがたい。

叙述トリックとパロディが多い。
叙述トリックもパロディも、偏見だったり思い込みだったりお約束だったり様式美だったりと、まず型があって、そこに挿入する要素を捻ることで成り立っていると思うのですが。捻り方をズラすと、すこしふしぎになるのだなあ、と思いました。

技術が更新されることによって世界は進んでいきますが、そこから置いていかれるもの、忘れられていくものも出てきます。最初に収録されている「トランジスタ技術の圧縮」がそういう話だった所為か、そういう置いていかれるものをちゃんとお見送りをしたい、といったトーンの短編集だと感じました。

わたし達の文化は、かつて人を生贄に捧げていましたが、それを手放しました。それは生贄というものの心理的負荷が高いからだと思うのですが。
アステカが存続してたら、どうなってたんだろう?

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岩崎賢『アステカ王国の生贄の祭祀 血・花・笑・戦』読了。
面白かった!
アステカと言えば人身御供で「どうしてこんなことを」と思うじゃないですか。それをアステカの宗教観からアプローチしていこうという本です。
結論から言えば、世界を血=生命力で満たして世界を生かしていこう、太陽も月も星も神々も血を流しているので、人間のほうも血を捧げなければいけない、そうしなければ世界を回らない、という考えだということでして。

アステカは1年を18ヶ月に分けて、それぞれに神がおり、それぞれの神に生贄を捧げる儀式をしていた、とあるんですが。ここに書かれているのは首都の一年であり一般化はできないと思うんですが、大々的なお祭りばっかりやってて経済的に大丈夫なんだろうかと心配になりますね。
捧げる生贄に敵の捕虜の頻度が高く、生贄を確保するために戦争しなきゃいけないんじゃないか(花の戦争、この本には書かれてなかった)とか、縛ったまま生贄にするんじゃなくて結構がっつり祭祀に参加させてから生贄にしてるなあ、とか。あと、臭いが凄いことになってそうだなあとか、思いました。
お祭りの内容が結構具体的に書いてあって、面白かったです。人の皮を被るのとか、分かるけど分からんわあ。

今朝の電車、やわい冷房が入っとる

2023年12月8日
小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』読了。
表紙の惹句?の「歴史学からみてナチスに評価できる点はあるか?」というのが、本の内容を表してますね。

簡明なんだけど、難しい。歴史、歴史学というものの捉え方、考え方に訓練が要って、それがわたしには足りていない。
「はじめに」で、歴史には〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三つの層がある、とありますが、まずここが難しい。
〈事実〉からしてまず、「歴史的事実は「純粋なまま」でわたしたちのところにはやって来ない。なぜなら歴史的事実は純粋な形態では存在しないし、存在しえないから」とあり、読んでる時は「うんうん」と頭で理解できていても、なかなか腹落ちできない。ついつい、あったことはあったことだし、なかったことはなかったことだし、と思っちゃう。

で、ナチスのやったことは、文脈を切り離せば良かったこともあるように見える。けれど、本当に文脈から切り離せるものなんだろうか、切り離して解釈できるものなのだろうか、切り離す時の切り出し方で自ずと別の文脈が乗ってくるよねと、そういうことを、ナチスのやったこととそれにかかわるネット上の言説を具体例に引いて書いてある。

けど、主人公の語りがこんな感じなんですよ。
「テヴィエの場合、不幸は一度で終わらず、次から次へと芋づる式ですからね。たとえば牡牛が死んだとしますよ、そしたら、皆さんには、こんなこと、無縁だといいのですが、一頭では済まないんですよ…… 神様が、世界をこんな風にお造りになったんです。ですから、いじくろうたって、いじれませんよ。やれやれってなもんです!」
この、悲惨なはずなのに悲惨さがいまいち伝わってこない語り口にペーソスを感じる。
「やれやれってなもんです!」という明るい諦観と、神の民であるという素朴で強烈な自負。この諦観と自負なくしては、おそらく頽れてしまうのだろうけれども。なんかえらいもんを読んだ。
「異教徒(ゴイ)がいくら背伸びしたって、ユダヤの人間にはかなわないんじゃないですか? 異教徒(ゴイ)は、しょせん、異教徒(ゴイ)ですし、あたしたちは、あたしたちです」

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『天使のたまご』を見た。
天野喜孝の絵が動いてる。線の細っい、線の多いしちめんどうくさい絵を、よくぞアニメで(FSSや吸血鬼ハンターDのアニメにも同じこと思ったな)。
あまり色彩のない暗い画面、起伏のない音楽、ほぼセリフのない作劇と、全ての要素が眠りに誘ってきます。

ええと、お話としては、「夢から醒めるまでは、それが夢の中かどうか分からない」「卵の殻を割らなければ、卵の中身は分からない」とか、そんな感じのお話だと思います。
永遠の少女が彷徨う夢の中は、水に浸された、陽の差さない、生命の気配のない、廃墟の街で、どうしよもうなく終わっており。
卵の殻を割ったとて、外の世界も果てしない荒野が広がり、夢から醒めたとて詰まらない化石の列に加わるだけで。こんなことなら、無精卵を増やし続ける不毛な夢を見たままでいたかった、と思わんこともないです。

ぶっちゃけ破瓜の話だと思うんですが、夢を見たままにしろ、夢から醒めるにしろ、どちらも惨いことのように描いていたと思います。
ノアの方舟云々とか、帰らなかった鳥云々とかは、よう分からん。
ん卵の中には何が入ってたんでしょうね。

我が家のクリスマスプレゼントは、お店に連れて行ってもらって「好きなものを選べ」という方式だったので、自分の欲しいものを自分で選べて、わたしには良かったですね。

今年の5月に広島サミットがあったのですが、体感として既に遠い

大根 さんがブースト

冬木糸一さんの「基本読書」で、『奏で手のヌフレツン』を紹介いただきました。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp/e

『天使のたまご』を見るのは、意識を保つのが難しい

来年のパリ五輪、どげなんになるとやろか

『李歐』は『わが手に拳銃を』を加筆修正改題した文庫版なわけですが、どちらが萌えるかといったら圧倒的に『李歐』なわけです。 ただしこれは、これに本当に萌えていいのかといった大きな煩悶があるわけでして。 これで萌えていいと言い切ってしまえない辺りが、わたしの弱さなのでしょう。 

主人公の妻が爆殺されて、桜の咲き誇る山里で、男やもめ二人で子育てエンドが『李歐』最大の改変ポイントなので。
ねえ、これ、萌えていいの?萌えるけどさ。

身内の死を外に向かって言う時の言葉が分からん

どうする家康が次で最終回なのですが、本気で話が理解できてないし、台詞が1
ミリも頭に入ってこない。
なんでこんなに理解できないんだろうか(たぶん話がぶつ切りで流れが繋がってないっぽいのが、いかんと思うのだが)。
反対に理解できてる人は、どの辺のポイントが拾えてるんだろうか。

頭痛はないが、なんだか調子が悪い

12月の夜で雨が降ってて寒くないって、だいぶおかしげなことですわね

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