【英語学習記録(6/17月)】
・英語のハノン(中級)
→10.3×5
この文法、前にでてきたけど覚えてないな~ってのがちょくちょくある。終わったらまた最初からやろうね。。。
『ヒトラーのための虐殺会議』感想続き
様々な観点が提示されて、問題点が明らかになり、どんな解決策をなしうるかを話し合いで決めていく様は、池井戸潤の小説に出てきそうだな~と思った……そこで話し合われている内容が「ユダヤ人をどうやって効率的に殺害して絶滅させるか?」でさえなければ。
参加者たちは全員、自分の職務を全うするためによりよい意見を出し合っていた。もうすぐこどもが産まれる人も、前線に立って戦争の残酷さを経験した人もいた。そういう「優しくて優秀なひとたち」が淡々と話し合いを進めていく。会議の参加者たちは全員、ユダヤ人も人間であるとしっかり理解したうえで話を進めていた。「収容所への移送を無理やり進めると動揺して暴動が起きるので他の方法を考えよう」みたいな、ひとの心理を理解していなければ出てこない意見がたくさんでてきた。だから、彼らは自分たちが何をしているのか分かった上で「どう絶滅させるか?」を議論していたのだ。この世界のためにそうするべきなのだと信じて。
もう一度言う。観ていてすごく面白い会議だった。明確な目的があり、出席者は全員熱意にあふれ、活発な議論がなされて、問題点が提示され、解決策を話し合う、凄く「有意義な会議」だった。その面白さが、なんなら『関心領域』よりも怖かった。
『ヒトラーのための虐殺会議』(2023)
監督/マッティ・ゲショネック
脚本/マグヌス・ファットロット、パウル・モンメルツ
#映画 #感想
湖のほとりに建つ白い邸宅に続々と黒い車がとまる。午前中に開かれる会議に参加するために軍人や官僚が集まっているのだ。議長・国家保安部代表ラインハルト・ハイドリヒの元に集まったのは高官15名と秘書1名。会議のテーマは「ユダヤ人問題の最終的解決について」ーー
おじさんたちが机にへばりついて会議しているだけの映画なのに、100分間息をつめて観てしまった。白熱した議論が展開されていたし、なにより「面白かった」ーーそう、この会議はすごく「面白かった」
最近会社で色々とめんどくさい会議をしているオットーはこの映画を観て次のような感想を述べた。
「議長の手腕が凄い。まず、会議の目標を明確に定めているのが偉い。色々と反論や横やりがありつつも最終的に100点満点中80点位で達成したし、80点の内容でも全員の合意がとれたので議長がプロジェクトの主導権を得た。よくできた会議には下準備と根回しと数字が大事だなと良く分かった。でも、こんな映画でわかりたくなかった!!!」
ほんまそれ。
続く)
『マッドマックス:フュリオサ』感想続き
映画のあとに公式Webサイト掲載の絶賛の声をもう一度観てみると、こんな映画だったかな?と思う。
https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/news/news_240528_2.html
少なくとも「ぶちあがる」ような映画ではなかった。何度も観に行きたくなるような熱狂はない。ぶちあがるには生々しすぎる。マッドな世界なのに、給湯室のあのイタさは生き延びているのだから。
怒りのデスロードが神話に例えられたように、フュリオサもかなり神話を意識されている。ディメンタスの乗り回すバイク二台立ての戦車(この奇天烈な乗り物がCGじゃなくちゃんと動いててすごかった)や赤いマントはトロイア戦争のアキレウスのようだった。
それで私が思い出したのは、パット・バーカー著『女たちの沈黙』だ。戦で闘い血を流し、指導者に忠誠を誓い、同性間で友情を築くのは、ギリシア神話の時代からずっと男性だけだった。この小説では男たちの物語の裏側でモノとして扱われ、神話の中からことばと存在を抹消された女性達に焦点があてられる。
『フュリオサ』もそういう映画だったとおもう。故郷を連れされられたあとのフュリオサはことばをほとんど発しない。ただ静かにじっと見つめているだけ。神話に似ているとしたら、それは『女たちの沈黙』に似ているからだとおもう。
『マッドマックス:フュリオサ』
監督/ジョージ・ミラー
脚本/ジョージ・ミラー、ニコ・ラサウリス
#映画 #感想
故郷から連れ去られ、母を殺された少女フュリオサは、荒くれ者の集うバイカー集団を束ねるディメンタスの養子として荒れ果てた地で生き延びる。要塞シタデルでイモータン・ジョーの子産み女となった彼女は、やがて髪を剃り男装してメカニックの技術を学び大隊長となって再び故郷を目指す。瞳に怒りの炎を宿しながら。
宣伝文句の仰々しさが白々しく思えるほどに、静かな怒りに満ち満ちた映画。改造バイクや馬鹿でかいタンクローリーといったいかれたメカニックは山盛り登場する一方、全作みたいな熱狂はまったくない。あれはなんだったんだろうなあ、イモータン・ジョーって前作も今作もすげーヤなやつなのに。
今作のヴィランとして登場するディメンタスは、イモータン・ジョーに比べると凄く小悪党だ。部下にも裏切られるし治世も下手。そのくせ、恐ろしい男ぶろうとヒゲを赤く染めてマントを羽織る姿は痛々しさすらある。二つ名を自分で名乗りはじめたときが最高にイタかった。
あのイタさには見覚えがある。給湯室や女子だけの飲み会で交わされる、職場の○○さんについてのトーク。男性がなにかを守ろうとして強い男を演じている姿はたいていバレている。
続)
『関心領域』続き
それでも、家の住民たちは、それらが「何」なのかをよく理解している。分かったうえで見えないふりをし続ける。使いかけの口紅は念入りに拭うし、川からあがれば急いで風呂に入って皮膚が痛くなるまで身体をこする。壁のむこうで煙がたてば窓を閉める。そうしながらも、この生活が末永く続くことを願う。
もし、私があの家の主だったなら、気づけるだろうか。いや、気づいたとしてやめられるだろうか。自分の生活を維持するために誰かが死に続けているのだと知って、ちゃんと絶望できるだろうか。下手なホラーよりもすごく怖い映画だった。
とりあえずいまは『<悪の凡庸さ>を問い直す』が読みたいです。
あと、これは好みの問題だけど、私は昔からシンセサイザー系の音がうょんうょん鳴ってる系の演出が得意ではなく、この映画で使われていた音はどっちかというと苦手なやつだったので、序盤からずっと腹の底がむずむずしていた。なんかぞわぞわするねん、いや、そういう映画だけども。
『関心領域』(2023)
監督・脚本/ジョナサン・グレイザー
原作/マーティン・エイミス
#映画 #感想
大きなおうちには召使が二人。きれいに手入れされた広い庭。夏になれば子供たちを連れて近くの河でピクニックや水遊びを楽しみ、冬はふかふかの暖かいコートを着込んで散策する――誰もがうらやむ素敵なおうちの真横では、アウシュビッツの焼却炉がいつも低く唸っている。
立川イオンシネマの極上音響で観た。定点カメラで記録したような映像が続き銃撃戦もカーチェイスも凄腕音楽家も出てこない映画なのに「極上音響」で上映されていた理由は、この映画の主役は音響にあるからだ。
銃声、汽車の音、悲鳴、怒声、警備の連れる犬の鳴き声、そしてなんだかよくわからない、船のエンジンが動いているような低い音。家の主でアウシュビッツ局長のルドルフ・ヘスは、自宅に軍人を招き、いかに効率よく焼却炉を稼働させるかの計画を立てている。ふたつの炉を交互に動かして24時間体制で稼働する計画だ。
低い音は映画の最初から最後までずっと響いている。
数々の音の正体は、最後まではっきりと明かされることはない。家の住民たちが身に着ける服からでてくる金歯や口紅が、畑に撒かれる灰が、靴底の血が、川底にみつかる骨が、一体「何」なのかは一切示唆されない。
続)
【英語学習記録(6/13木)】
今日も今日とてきんに君の有酸素運動を10分間。
きんに君、マイナカードのCMに出演していて、筋肉には裏切られてないけどきんに君には裏切られた気持ち。勝手に。
6/10(月)
5歳サンがテレビタイムを中断して保育園の支度をしている間に、母はきんに君の有酸素運動で汗をながす試み。「保育園の先生も『パワー!』『ハッ!(笑顔)』ってしてたよ~」って教えてくれました。みんな大好き、きんに君。
【英語学習記録(6/10月、11火)】
・英語のハノン(中級)
→9.3×6(月曜日)
→9.4×6(火曜日)
短いくせに言いにくい文章ばっかりなので大目に繰り返した。なんでこんな問題ばっかり出すん?(そういうテキスト)
活舌は良くなった気はしないけれど、英語っぽいリズムは分かってきた気がする。
#まめ英語
『マーリ・アルメイダの七つの月』
著/シェハン・カルナティラカ
訳/山北めぐみ
#読書 #感想
目覚めると彼は冥界にいた。マーリ・アルメイダ。戦場カメラマンで希代の好色漢でゲイでギャンブラー。<光>に向かうまでの猶予は7日間、その間に彼は自分の死の謎を解き、愛する者たちに隠された写真の在りかを伝えなければならない。その写真があれば戦争を終結に導くことができる――死者と生者の入り乱れる混沌の国を風に乗って駆け抜けながら、スリランカの内戦終結のために奔走する。
大好き。最初から最後までずっと好き。「おまえ」で語られる不思議な文体も、皮肉屋な主人公も、ヴォネガット風の愛と達観も、何もかもが好き。単行本上下巻だし馴染みのない固有名詞が山盛りでてくるしスリランカの歴史全然知らないし登場人物めちゃくちゃ多いけど、文体のグルーヴにのせられてぐいぐいと読み進めてしまった。あぁいい小説読んだなあ、Novel《新奇なもの》を体験したなぁ、という気持ち。説明したら野暮になるので読んで欲しい。
映像化されるかなぁ、いやされてほしくないなあ、あまりに奇妙だし、この小説に溢れる死者たちを映像にしたらきっと陳腐になってしまう。どうせやるなら松尾スズキ風(この人もヴォネガットの申し子である)の舞台にしてほしい。
『レオン』感想つづき
子役女性への配慮のなさで、目のやりばに困ったシーンがあった。マチルダがシャツとパンツ姿で家事をするシーン。おそらくブラを付けてないために、乳首らしき輪郭がはっきりと分かる。もうちょっとこのシーンの衣装に配慮はできんかったのかとおもった。
一応擁護しておくと、「レオン」の元ネタになった「グロリア」という映画(※女殺し屋が男の子を保護する話)でも、タンクトップにブリーフ姿の男の子がベッドで煙草を欲しがるシーンがでてくるため、そのオマージュだったのかもしれない……いややっぱそんなん関係ないな。6歳の男の子から12歳の女の子に設定変更している時点でその辺もうちょっとどうにかしてほしかった。
この映画が映画史に残る名作として扱われ、恐らくこの先も残り続けるであろうなか、ナタリー・ポートマンの心中を思うと、何とも言えない気持ちになる。
2018年、俳優やスタッフに繰り返し性加害をおこなったとしてリュック・ベッソン監督が告訴されている。この映画が「名作」とされてきたのも、男性にとって都合のいい視線が溢れているからかもしれない、と思う。ちなみに私は「グロリア」のほうが好きです。
『レオン 完全版』(1994)
監督・脚本/リュック・ベッソン
#映画 #感想
麻薬取引のいざこざから家族を殺された少女は隣人の部屋に転がり込む。その部屋の主はプロの殺し屋だった。復讐を誓う彼女は殺し屋から殺しの手ほどきを受けていく。孤独な二人の奇妙な共同生活、その終焉までの話。
あらすじもいらない程の有名作品を20年ぶりに再見。細部はほとんど忘れていたにもかかわらず、ゲイリー・オールドマン演じる警察官の狂気を現すしぐさ(ピルケースを鳴らす、薬を噛みしめて天を仰ぐ、云々……)を観た途端、脳細胞が「あぁ~~~~~~!!これ覚えてるぅ~~~~~~!!」と悲鳴を上げたので驚いた。観たものの記憶に刻み込む演技をする役者、すごい。
モノマネクイズの「イーストウッド?」「…ジョン・ウェイン」で笑うことができて、私自身の成長を感じた。20年前はジョン・ウェインは勿論イーストウッドが誰だか知らんかったので……。
「主役の性愛の対象にはならない」が一貫しているので今も鑑賞に堪えうるし、これからも残り続けるんだろう。ただ、監督の性加害報道を知ったうえでみると、その設定自体がちょっと言い訳めいたもののような気もする。
今日もきんに君の有酸素運動と腹筋&下半身筋トレ、合計20分。最近すっかり一週間に一度の頻度になってしまった。筋肉を裏切ってしまった。またせめて三日に一度程度のペースに戻したい。
【英語学習記録(6/7金)】
【英語学習記録(6/6木)】
【英語学習記録(6/4火)】
・英語のハノン(中級)
→9.1×5
9章難しくてちょっとサボってた。「You told me you were glad to be there」という文で、動詞の「told」と「be」が強調されるとは頭で理解しているのにものすごく読みにくかった。英語っぽく読むのがずっと難しい。
まめです。本や映画や漫画やゲームの話をします。
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