『マッドマックス:フュリオサ』感想続き
映画のあとに公式Webサイト掲載の絶賛の声をもう一度観てみると、こんな映画だったかな?と思う。
https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/news/news_240528_2.html
少なくとも「ぶちあがる」ような映画ではなかった。何度も観に行きたくなるような熱狂はない。ぶちあがるには生々しすぎる。マッドな世界なのに、給湯室のあのイタさは生き延びているのだから。
怒りのデスロードが神話に例えられたように、フュリオサもかなり神話を意識されている。ディメンタスの乗り回すバイク二台立ての戦車(この奇天烈な乗り物がCGじゃなくちゃんと動いててすごかった)や赤いマントはトロイア戦争のアキレウスのようだった。
それで私が思い出したのは、パット・バーカー著『女たちの沈黙』だ。戦で闘い血を流し、指導者に忠誠を誓い、同性間で友情を築くのは、ギリシア神話の時代からずっと男性だけだった。この小説では男たちの物語の裏側でモノとして扱われ、神話の中からことばと存在を抹消された女性達に焦点があてられる。
『フュリオサ』もそういう映画だったとおもう。故郷を連れされられたあとのフュリオサはことばをほとんど発しない。ただ静かにじっと見つめているだけ。神話に似ているとしたら、それは『女たちの沈黙』に似ているからだとおもう。