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昨日もまた、おいしいきのこ鍋を囲みながら「小説が書けないんだよねえ…」とみんな返答に困る愚痴を言う最悪のムーブに及んでしまったわけですが(ほんとうにごめんなさい)ちょっと前までは「書けない」という焦りすらあんまりなかったので、「書けない、でも書きたい」という焦燥が出てきたのは前進かもしれないな。

(そもそも、ちょっと前までは亀の歩みながらも作文仕事を一応こなしていて「書いてる」状態だったのに、かれこれ10年書けていません…ぐらいの深刻なテンションにすぐなっちゃうのが、私の「書けない」を薄っぺらくしているよな…わかってはいる…)

小説を書きはじめるときというか、お話ができるときの最初のとっかかりも、音楽だったり単語だったり色々あるんだけど、今は「書きたい、何かないのか」と原料を漁ろうとしてなんとなく見つかるそれっぽいものは「場面」で、同じ場面を繰り返し想起しているので、きっとこれが何かの種なんだろう、と思うようにもなった。ただ、まだ場面しかないのでどうにもならないという感じ。気長に追いかけてみたらいいのかな。

「あったこと」で書きたいことが溜まってきてるけど、こういうボヤッと思うことがいちばん書きやすいのでつい…展覧会や読んだ本のこともおいおい書きます。

小説を書きたい。長らく「これが新作です」というものを出せていない気がするので、出して読んでもらいたい。何より、小説を書いているときにしか感じることができない快楽みたいなものが(苦痛:快楽が9:1ぐらいの割合とはいえ)やはりあって、それを味わいたい。

…という気持ちだけが高まっているのだが、いっこうに書けない。書ける気がしない。
私は基本的にいつも「書けない」と呻いているうえに、「書けない」と言いながら作文仕事を完了させたりもしている。なので私の「書けない」はなんていうか、とても薄っぺらく、「また言ってるよ」「そんなこと言いつつ書くんでしょ?」といなされても文句は言えないのだが、それにしても、書けない。
そもそも書くことがない。何を書いていいのかわからない。小説って何を書けばいいの?何だっていいよ、何を書いても小説にはなるよ、ささいなこと、朝起きて夜寝るまでのなんの変哲もない日常だって、小説にできるよ。こういう自問自答を毎日繰り返して、でもやっぱり、書くことがない。

いっそ「小説が書けない」ことを小説に書けばいいのでは?!とかも考えるんだけど、なかなか難しい。小説ってどうやって書くんだっけ…。
そんなわけで、文学フリマに新作を持っていきたいという気持ちはとてもあるんですが、予定は未定です…

『ロスト・キング』を観てきた。2012年に、ひとりの無名の女性が主導してレスターの駐車場からリチャード三世の遺骨が発掘された、という実話の映画化だ。
このとき発掘されて再埋葬されるまで、リチャード三世には墓がなく、簒奪者として王族の名誉も剥奪されていたことをこの映画を観て初めて知った。

女で、中年で、研究者としての地位もキャリアもないアマチュアで、純粋な情熱によって行動するフィリッパが、権威を持つ男性に常に軽く見られることが強調されていた。フィリッパを助けるのは女性や子どもなど、相対的に力を持たない人たちだ。発掘を指揮するバックリーも、フィリッパに協力すると決めたときはレスター大学から解雇されて後ろ盾がなかったし、資金難に陥ったときクラウド・ファウンディングに応じたのはリチャード三世の「ファンクラブ」と嘲笑されるリカーディアンたちや、フィリッパの家族だった。
馬鹿にされ、低く見られがちな立場の人たちの「感情」「直観」などがプロジェクト成功の大きな要因になるところが清々しかった。

劇中劇のリチャード三世がすごく良かった。そのリチャード三世が幻覚としてフィリッパの前に現れる、というのにも最初は戸惑ったけど、途中からは楽しんだ。
culture-pub.jp/lostking/

2023年11月11日開催の に屋号【痛覚】で出店します。
ブースは第一展示場 L-44に配置されました。よろしくお願いいたします!
コピー本を何種類か作っていきたいな〜と思っています。B6の、ぺらっとした100円ぐらいのやつを…

あと『ロータス』を紙で再版するか迷っています。
もともとは、気にかけて、必要としてくれる人がひとりでもいる限り手渡す、1冊からでも頒布しつづける、という心づもりでいて、それが一昨年〜去年ぐらいに「いやそれももういいかな…」という気持ちに変わって品切のまま放っておいたのですが、今でもたまに関心を持っていただけるのはやはり『ロータス』からなので…
というか電子配信しようと思ってそれも手をつけられていないままだった。まずはそこからか…?

去年よりはだいぶ元気な状態で臨めると思うので、遊びに来ていただけるとうれしいです!
bunfree.net/event/tokyo37/

半年足らずでベンチャーを脱出することになった理由は複数あるけど、IPO(株式公開)を目指している会社でその対策をしなければならなかった、という要素もかなり大きい。単純に業務負担が大きくて未経験の私にはこなせないことが容易に予想できたというだけでなく、そもそも私はIPOという語を今の会社に来て初めて聞いた。一般的に出版社は、大手であっても上場していない。私は20年ぐらい出版業界にいて、そういうことも知らなかった。「株」に興味がなくてもやっていけてしまうのだ。

どんな業界も資本主義の影響を免れ得ないとはいえ、他業界に比べたらやはり出版は比較的その影響を受けにくいところにいる。
リンク先のツイートはまったく正論だと思う。そうなんだけど、これで出版業界にまで今以上に資本主義画浸透してしまったら、資本主義の最前線に半年足らずで疲弊して、また出版に戻ろうとしている私はもう行く先がないな、と思う。
x.com/kaerukoakeno/status/1710

9月の終わりに国立新美術館「テート美術館展 光」に行った。一度、日曜日の夕方に出かけたら入場50分待ちで諦め、いつ行っても混んでいる気配にためらっているうちに会期終了前最後の土日になってしまったので、覚悟を決めて10時の開館直後をめがけて行ってきた。

序盤は宗教画や風景画が続く。ターナーやミレイの光のやわらかい感じがほんとうに美しく、観ていてホッとする。
ターナーはロイヤル・アカデミーで受け持っていた遠近法の講義のための、光の反射や屈折を図解した絵も面白かった。

カンディンスキーが登場して以降、草間彌生、ゲルハルト・リヒター、ジェームズ・タレル、オラファー・エリアソンと現代アートのスターがどんどん出てきて、すごくテンションが上がった。しかもそのエリアは比較的空いていて見やすく、最高だった。
透過光フィルムとライトボックスを使って精神病院の廊下を描いたキャサリン・ヤースの連作が印象的だった。

「光」というテーマに沿って、古典的な宗教画や風景画から始まって、現代のインスタレーションまで来る展示の構成がとてもよかった。
最も好きなタイプの展覧会でした。
tate2023.exhn.jp

6月に入社した現職ですが、今月いっぱいで退職することになっており、半年足らずの在籍のくせに有休も発生しているので出社日数はもうあと7日もない。
なのだが、現在絶賛繁忙期でもあるため、もうすぐ辞める身とはいえめちゃめちゃ業務に追われている。今日…いやもう昨日か?木曜日は1時間早出して昼休みを返上して3時間残業して、合計13時間ぐらい働いてしまった。1日って24時間しかないのに…!この間、目を血走らせて伝票を入力し続けている私を憐れんだ同僚が差しいてくれたビスコと、さすがに夕方ふらふらになってコンビニに買いに行ったおにぎりしか食べていない。最悪すぎる。自分で自分に引いている。
こういう感じだと、もはや仕事以外のプライベートの活動なんて何もできない。ラジオ英会話を聴くことと、Duolingoの連続記録を絶やさないようにすることで精一杯だ。

それでも今は実家にいるので、帰宅するとごはんとおかずとお味噌汁ができているし、急激な冷え込みで人間の体温で暖をとりたい猫のお世話もあるし、健康な生活をギリギリ保っていられるが、ひとり暮らしだったらカップ麺を食べて床で寝る日々だったと思う。
長時間労働させる会社は、労働者だけでなく労働者の家庭にも依存しているということをしみじみ感じてしまう。

ダリア、響きがきれいでとても好きな名前の花なんだけど、花そのものを見たことがなかった。ついさっき初めて写真で見て、あっこんな花だったんだ、と知って、それをずっと知らなかったことにも気づいた。名前になじみすぎて、どんな花だか知っていると思い込んでいた。

そういう知識がたくさんある。名前だけ知っていて、その名前についてのイメージが自分の中でできあがっていて、でも実際には色もかたちも手触りも知らないこと。

長子偏愛されをり暑き庭園の地ふかく根の溶けゆくダリア(塚本邦雄)

一週間も前の出来事をなぜ今になって書いているのか…という感じですが、この一週間…いや二週間くらいかな?は現職の繁忙期からのゴタゴタと転職活動(2023年に入って半年ぶり2度め)の山場で精神的な負担が凄まじく、コンサートの感想も走り書きでメモだけしたものの、まとめる余力がなかった…。

それもなんとかいちばんしんどいところは終わり、いったんホッとしています。
いやまだこれからいろいろとやらなきゃいけないことはあるんだけれども。
とりあえず2023年はめちゃくちゃ頑張ったと思う。あっという間に9月も終わるけど、個人的にはまあそりゃそうだよねというくらい色々あった。ので、今年はもう店じまいにしたい気持ち…

落ち着いたら、インボイス反対署名50万筆受け取り拒否についてのご意見なども政府に送らねばだな(昨日はちょっとそれどころではなかったので)

土曜日にはなんかものすごいお寿司を食べさせてもらったりもしていたんだけど、そんなこんなで胃腸の具合も万全じゃなかったし、見せびらかす余裕もなかった(で、今、見せびらかす)。
今日、一段落してお昼に食べたオリーブとツナのサンドイッチでやっと生き返った気がします。

宝塚時代の相手役さん4人がゲストとして登場する19日の公演は配信で観た。
髪をひとつにまとめ、パンツにブーツのマニッシュなスタイルとはいえ、とくに男役らしく作ってもいなさそうな明日海さんを、4人の元娘役さんたちがわいわい取り囲んでいるところは単純に観ていて楽しかった。明日海さんには『CASANOVA』が似合うよ!

個人的な思い入れがいちばん強かったのは花乃まりあさんとコンビを組んでいたころで、とくに『金色の砂漠』の二人はほんとうに大好きだったので、花乃ちゃんとのデュエットはグッときました。
いつも思ってるけど『金色の砂漠』は劇中で使われている曲もいいよね…

私はトップコンビが見せるロマンスにけっこうときめいてしまうほうだと思うんだけど、もう男役と娘役ではなくなって、フラットに楽しそうにしている明日海さんとゲストの4人を見て、ほんとうによかったな〜と感じた。

この回はゲストのコーナーが長かったのでPINKがカットされてしまって、それはかなり残念だった…

紗幕を使った演出が幻想的でとても綺麗でした。

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先週の話ですが、東京国際フォーラムホールCで行われた明日海りおさんのコンサート「ヴォイス・イン・ブルー」を、現地と配信とで2回観た。

現地に行けたのは18日のマチネ、田代万里生さんがゲストの回。
明日海さんの歌唱のキーが、前に観たコンサート「ASUMIC LAB」よりもさらに高くなっていて、「私だけに」はとても進化していた。しかし私はそもそも明日海さんの男役時代のあの声に惹かれて宝塚を観るようになったこともあり、あの低めの声を聴ける機会が減っていくことにはどうしても寂しさを感じてしまう。今回、宝塚時代の曲もキーを上げて歌われていたので。
そんななか、ALL THAT JAZZはとても良かったです。フェミニンなセクシーさを前に出した衣装や化粧だったけど、私がいちばん好きな明日海さんの声だった。

20周年記念コンサートということもあって、明日海さんがこれまで歌ってきた曲が中心のセットリストだった。
『エリザベス・アーデン vs. ヘレナ・ルビンスタイン』のPINKをもう一回聴けたのが最高だった…!
『ガイズ&ドールズ』のIf I Were a Bellもかわいかったな。田代万里生さんがSit Down, You're Rockin' the Boatを歌ってくれたのも良かった!

実は読む機会がなかった『BANANA FISH』を読んだ。
すごかった…めちゃくちゃ面白かったです。

作中の人間関係が単純に敵と味方じゃないのが良かった。絶対的な信頼関係がある親友が共同体のしがらみに縛られて思うように動けなかったり、敵対勢力の構成員が個人として感情を動かされて助けになってくれたり、複雑な要素が絡み合って話が進む。
パパ・ディノ、月龍、ブランカはとくに複雑で、そこが魅力でもあった。そういえばこの3人はアッシュへの執着がとくに強かった。

文庫版で読んだんだけど、どこかの巻の解説に、最初はリアルな劇画だったアッシュの作画が途中から少女漫画になるみたいなことが書かれていて、最終巻と1巻を比べてみたらほんとに絵がぜんぜん違ってびっくりした。描線からして違う。どこで変わったのか、読んでいるあいだは夢中でまったく気づかなかった。月龍が登場するあたりから線が細くなってくるかも?

描き込まれているワールド・トレード・センタービルを見るたびに「ああ…」と思った。

それにしてもこんなスケールの物語を、よく緊張感を保ったまま終わらせたなと感心してしまう。もちろん作者の力量によるところが大きいけど、「時代」もあるだろうと思う。これは2020年代の、ピザゲート陰謀論が跋扈する今は作れない話なのではないか。

で、『橋からの眺め』を観たあとNTL版のことを調べようとして、もう『ベスト・オブ・エネミーズ』の上映が始まっていたことを知り、そのまま東京芸術劇場からシネ・リーブル池袋へ移動して観てきたのでした。

しかしもともと睡眠不足気味だったうえに、芝居を一本観たあとでさすがに目が疲れており、途中かなり意識が飛んでしまった…正直、NTLみていて一瞬も意識が飛ばなかったことってあまりないので、通常営業ではあるんだけど、それにしてもかなりの時間意識がなかった気がする。面白くなかったわけではないのに!

そう、面白かったんですよ。TVの生放送を舞台上に再現したセットもよかったし、公開生放送という場の力に煽られて二人の討論がどんどんただの罵り合いになっていく様子は、旧ツイッターでの不毛な議論を思い出さずにはいられなかった。
カメラがないところで二人きりでなら、人間どうしとして対話できるのに、というのが切なかった。
ntlive.jp/bestofenemies

東京芸術劇場『橋からの眺め』を観てきた。
stage.parco.jp/program/aviewfr

妻と姪と三人暮らしの貧しい港湾労働者エディの家には最初から陰鬱な緊張感が漂っていて、イタリアから出稼ぎに来た密入国者の兄弟を匿いはじめてからどんどんそれが強くなっていく。起こりませんように、と願っていた良くないことが起こるべくして起こり、最悪の予感が現実になったところで、幕切れになる。
カタルシスのない話だった。NTLで観ようと思っているもののタイミングが合わず観られていないので今回観ることにしたのだが、私にはうまく咀嚼しきれなかったので、やはりNTLのほうも観てみたいなと思う。
saebou.hatenablog.com/entry/20

積み上げられたコンテナのような壁のせいで舞台上の「家」の空間が狭く見え、閉塞感があった。照明の色の使い方が印象的だった。

キャストは真彩希帆さんはじめ、みんな素晴らしかったです。
ヤングエリックもきれいな歌声ですごかった!

あとアンサンブルとオーケストラもあらためて良かったな〜としみじみ…一幕のビストロの場面とか、観ていてすごく楽しかった。

ちなみに「宝塚で観た海外ミュージカルを外部のプロダクションで観ると話がものすごくよく理解できる体験」の初回は帝国劇場の『ガイズ&ドールズ』でした。
私は2015年の星組版が大好きなんですが、Sit Down, You're Rockin' the Boatがどういう意味を持ってるのかよくわからなくて。で、帝国劇場で観たら「えっこの曲めちゃめちゃ重要じゃん!!」って衝撃を受けたっていう…
たぶん、宝塚版だとナイスリーじゃなくてスカイがこのナンバーを歌っちゃってて、それで混乱したんだと思う。

『ファントム』でも、宝塚版は物語上の必要性以外の事情でアレンジを加えていたんだな、と感じてしまう箇所があり、やっぱりそれって個人的にはあんまり好ましくないよなあ…とあらためて思ってしまったのでした。

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『ファントム』を劇場で1回、そして大千秋楽の配信でも観た。
2019年に雪組での上演を観ていて、それも大変良かったのだが、宝塚で観た海外ミュージカルを宝塚でない(いわゆる「外部」の)プロダクションで観ると話がものすごくよく理解できる現象をまた体験してしまった…

まずエリックが明確に「精神的に大人になりきれていない、身体だけが育ってしまった子ども」として演出されていて、とても腑に落ちた。
エリックに素顔を見せるよう懇願したのに驚いて逃走してしまうクリスティーヌを、仕方ないとはいえほんとうにひどいな…とずっと思っていたんだけど、でも、素顔を見たにも関わらず彼女は戻ってきてエリックを膝に抱くわけで、エリックは最期はクリスティーヌにすべてを受け入れられたのだ、ということが初めてわかりました。

ブレイクの詩を朗読するクリスティーヌが途中で声を詰まらせるところが好きだったなあ。あの場面は背景の布が落ちる演出も印象に残りました。ベラドーヴァの抱いていたおくるみが紙ふぶきになるのも。

キャリエールは何度観ても所行が最悪なんだけど、何度観てもYou Are My Ownが良すぎて憎めない…演じていた岡田浩暉さんもとても素敵でした。
umegei.com/phantom2023/

私は自分のことを「女」だと認識している(つもり)ですが、世の中の多くのシス女性の認識とは違っているのかも、とはよく思う。だいたい自信がない。すぐ「つもり」「たぶん」「はず」とか言い出す。
あと「女をやめたくてもやめられない」とかもピンと来ない。自分がそうであるか確信が持てないものはやめようがない…みたいな…

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私は「女である以上、力(体格差、筋肉量)ではどうやっても男には敵わない」という感覚がほんとうにわからないんだよな。
運が良くて男性から暴力を受けたことが比較的少ないからか?(とはいえ、小学校のころに物理的ないじめをしてきた相手は男子だった)

体が大きく筋肉量が多そうな男性が近くにいると反射的に緊張する場面もないではないけど、それは「体が大きく筋肉量が多そう」に反応しているのであって…まあたしかに、そもそも「体が大きく筋肉量が多そう」なのは圧倒的に男性が多いんだけれども…。
思えば体育や部活などスポーツで「頑張っても男子に勝てなくなった」みたいな悔しさを感じたこともない。そもそも運動神経が悪くて、男子にも女子にも誰にも勝てないのがデフォルトだった。しかも経験したことがある運動部は男女差が出にくいとされる馬術部…

だから一部の女性たちが男性にほとんど生理的にもっている(ように見える)危機感・恐怖感を、私はあんまり理解できていない。
このことには多少の後ろめたさと疎外感と苛立ちがあります。

ただ、私のこういう恐怖感はホモソーシャルへの親近感にすり替わりやすいし(実際、ただホモソーシャルな関係性を長いことAro/Aceっぽさだと誤認してありがたがっていた)「女性は貞淑であるべし」「肉体は管理されてあるべし」みたいな価値観と同一視されかねないのも嫌だなあ、とは常々思っている。

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このフローレンス・ピューのありかたはほんとうにかっこいいなと思いつつ、私はけっこう肉体がこわい。毛が生えていて、体温と体臭があって、いろいろ分泌したり排泄したりする生々しい肉体がこわい。「無機」への憧れは10代から消えたことがない。
どんな表現でも基本的には古典より新しいものに惹かれがちなんだけど、ダンスだけはクラシック・バレエがいちばん見やすい。強固な型が生々しさを抑えてくれるからだと思う。前衛の舞踏とか、こわくて観られない。ピナ・バウシュもめちゃくちゃこわい。

この恐怖感はおそらく性嫌悪と地続きだと思う。生々しい性愛や肉体がこわいのは私が幼く未成熟なせいだ、まとめて「克服」しなければ、と思っていたこともあったけれど、最近はとくに性嫌悪のほうは開き直ることにしている。セックスに嫌悪感があっていけないことある?
elle.com/jp/culture/celebgossi

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