"例えば、陸上自衛隊の火箱芳文・元幕僚長が昨年、「日本会議」の機関紙に「国家の慰霊追悼施設としての靖國神社の復活を願う」という文章を発表しました。「近い将来国を守るため戦死する自衛官が生起する可能性は否定できない。我が国は一命を捧げる覚悟のある自衛官たちの処遇にどう応えるつもりなのか」と問い、靖国神社を国の施設にするように訴えたのです" https://digital.asahi.com/articles/ASS3H5RSRS38UPQJ00L.html?ptoken=01HSCW84QDP66ZZJE399MRAWRW
この映像を撮った人、すごいな。この絵だけ見ると爆撃されたようにしか見えないし希望がまったくない状況をよく表している。この日本で3ヶ月近くも経って片付けすらできてない状況ってひどいよな
ブルーインパルスが能登半島上空を飛行し 住民たちが歓声 | NHK | 令和6年能登半島地震: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240318/k10014394621000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240319/k10014394661000.html
こういう地道な取材の過程で空洞化していく地方社会を映し出すのは偉いと思う。
復刊された上野英信『地の底の笑い話』(岩波新書)、ものすごーくよかった。感動の1冊です。名著なのですでに読んでる人も多いと思いますが、中高生諸君に強く推したいですね。
「わたしはその一つ一つに耳をかたむけながら、労働者にとって、労働とは何であるか、職場とは何であるのか、愛とは何であるのか、死とは、性とは、夫婦とは、仲間とは、いったい何であるのか、あらためて根本から考えなおさずにはいられなかった。なによりも、わたし自身その一員として働いてきながら、労働者の歴史について、思想について、人間そのものについて、じつはなに一つ知らなかったのだということを、いやというほど思い知らされたのである。」
https://variety.com/2024/film/news/jonathan-glazer-oscar-speech-zone-of-interest-open-letter-1235944880/
これはまたきついニュースが来ちゃったな…。先日のアカデミー賞で『関心領域』の監督が行ったスピーチに対し、反ユダヤ主義を煽るとかなんとか非難する公開書簡に著名な監督や脚本家、プロデューサー、俳優を含む450名ものユダヤ系クリエイターが署名。じっくり名前を見ていくと落ち込むなこれは。
450名というのは停戦を求める書簡に署名した人数より圧倒的に多く、批判内容もかなりえげつない。本当に異常だよ。
あんな控えめなスピーチにここまでの反応が起きてしまうとは、フリースピーチの国アメリカはどこへ。
トランプがスピーチで、選挙に勝たないと「全国が血祭りになる」と言った。こんなスピーチをする候補者が現役の大統領と五分五分なんて信じられないしまともじゃないよ。
これはstochastic terrorismというやつですね。
en.m.wikipedia.org/wiki/Stochastic_terrorism
今日の公共放送ニュースでトランプがまたまた移民を「人間じゃない」と言ってたのをやったんだけど、大事なことは2回繰り返してるしキッパリとdehumanizing anti-immigrant rhetoricとかescalating campaign of violent rhetoricと言ってる。グッジョブ
「政治を持ちこむな」みたいな話をされるとき、現政権与党側とかいわゆる「右」の政治性は透明化されるよな、ファンアートに添える意匠としてはプライドフラッグより日の丸のほうがよっぽど「政治」じゃん…と思って、アッ私が刀剣乱舞の二次創作に感じていた危うさはこれだわ、というところに着地してしまった。 政治的であるということを意識すらせず、ただ「なんかかっこいいから」というだけの理由でキャラクターに日の丸を添えるようなことを私自身もやっていた。日の丸に誇りを感じる人ならそういう表現になっても筋は通っていると思うんだけど、私はむしろ忌避感があるほうで、そういうことはあんまりしたくないし、気づいた以上もうできないなと思って離れたのでした。清光や長谷部や鶴丸のことはずっと好き。
[徐京植コラム]「兵器提供者」となった韓国と「芸術の力」https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/45285.html
アイ・ウェイウェイ
「芸術家は戦争を止めることができなかったし、今も止められない。将来もそうだろう。その意味では無力だが、感情に訴え、間違った思考の国家に対し、違う考えがあること、それぞれの人生は意味のある美しいものであるというメッセージを出すことができる」
今日の東京新聞の書評にまたまた江藤淳本が取り上げられている。
書評の内容が「超テキトーだな」と思ったら、評者与那覇潤だった。これは「テキトー」で当たり前か。
それにしても、どうも最近岩波も含めやたらと江藤淳を「持ち上げる」傾向が見受けられるが、呆れた話である。
与那覇は三島や江藤を「素朴でありたいと願った」作家などと言っているが、こんな「素朴」な話はない。
江藤などは、戦後民主主義へのルサンチマンを内に抱えつつ初期はキャリアを築くために、「戦後文学」に寄り添う「振り」をした。
有名な批評「作家は行動する」はサルトルの『文学とは何か』の完全に劣化したコピーである今なら「剽窃」にあたる。この「劣化」によってサルトルのこの名著は日本語空間では誤読されたままになっている。
60年安保には石原慎太郎、大江健三郎などとともに「反対」の立場に立ったが、その後急速に右傾化、埴谷雄高を攻撃、福田和也などのただの「キッチュ極右」を育てた。
常に社会のマジョリティに寄り添おうとする、その一貫した姿勢は吉本隆明と軌を一にするものがある。
ところで著者は小林秀雄について「戦争を含めてかつての自分を含めてずべてを書く覚悟ができていた」などと与太を飛ばしているらしいが、これは全くのデタラメである。
"―サイードにとって「批評」とはどういうものだったのでしょうか。
それが本書を通して考えようとしたことでした。理論的に説明するために、「旅する理論」(『世界・テキスト・批評家』収録論考より)という論考を読解しました。サイードはジェルジュ・ルカーチ(ハンガリーの哲学者)を解釈しながら、「理論」と「批評意識」の関係を論じています。「理論」が学問の制度に吸収されてしまうと、それ自体が支配的なシステムと化してしまう。しかし、支配的なシステムの内部にすでに、それを批判し食い破るような「批評意識」が潜んでいるというんですね。つまり、現行のシステムが立ち行かなくなった時に、そこで革命を起こすことができる意識です。批評とは、私たち自身がもっている、システムを変えていくようなものの見方のことだと思います。"
「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯|好書好日
https://book.asahi.com/article/15197337
シュライアー本の表紙
ありがとうインフレも気になる
編集業。하야카와 타다노리 。『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版→ちくま文庫)『原発ユートピア日本』(合同出版)『「愛国」の技法』(青弓社)『憎悪の広告』(共著、合同出版)『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社→朝日新聞出版)あり。 真理が我らを自由にする&労働が我らを自由にする。