シュライアー本の表紙 

これが正式なタイトルなのだとしたら不思議だ。なぜわざわざ「少女」というジェンダー化された語彙を使用したのか。

「トランスジェンダーになりたい少女」といった時、反トランスの論理からすればこの人は"トランス男性になりたい願望を抱く、出生時に女性として割り当てられた人"を指すはず。しかし、反トランスが主に攻撃対象とするのはトランス女性なので、これではトランス女性が「少女」であったことを肯定することになり、右翼の戦略としては成功していないように思われる。それとも、トランス女性を攻撃するよりも「女性が男性化する」リスクの方を天秤にかけてこのようなタイトルをつけたのか。あるいは単に少女という語彙を使えば憐れみをかけられると思ったのか。よくわからない

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