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昔の通勤路は川の横を通っていたのと職場の早出が常態化(改善しなかった)していたこともあり、川面に張り出した木の枝でサギが休んでいる様子をよく見た。気温の低い、水面から蒸気が上がってくるような日もいた。

足がオレンジ色で頬の白い、スズメよりも一回り大きい、何という鳥だろうと調べてみるとムクドリだった。
ツバメがたくさん飛んでいるのもあって、鳥をいつもより見かけるような気がする。民家の庭先に雉がいたのは驚いた。

植民地主義の暴力 徐京植評論集Ⅰ
「ことばの檻」からnote.com/k2y2manabe/n/nb14c348

ロザ=アメリア・プリュメル
 「ここで問われているのは過去の世代が犯した空想の罪などではなく、かつての奴隷貿易国家、奴隷制国家、そして植民地国家が総力を挙げて制度化し、何世紀にもわたって遂行したジェノサイドである。奴隷貿易国家や奴隷制国家が犠牲者たちに負っている負債。これは『過去の世代が犯した』行為のせいで『現在の世代』に押し付けられる『歴史的負債』ではない。これは『いくつかの世代』による行為ではなく、『いくつもの国家』による行為だった。奴隷貿易国家は何百万人もの非ヨーロッパ人男女や子どもの組織的な隷属化と大量殺戮を通じて莫大な富を蓄積し、経済的軍事的強国にのし上がった。この災厄は当該地域の持続的な貧困化と破壊をもたらしてきた。したがって、これらの地域住民とその出身者に対する補償義務に応じることは、かつての奴隷貿易国家が担うべき最低限の責任である。」

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徐京植「和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判」
note.com/k2y2manabe/n/nb14c348

 “すでに述べたように朴裕河の《自国批判》は不誠実な断定に終始しているが、それこそが、リベラル派の消費者にとって市場価値があるのだ。どのような価値か?《節度》ある《良心的知識人》と認められたいという欲望ゆえに抑圧してきた隠された本音を、著者が《自国批判》であるかのようなレトリックを駆使して代弁してくれるという価値である。上野は《著者の自国批判に乗じてはならない》と言っているが、同じ文章の中で《「慰安婦」問題に関わる韓国内の女性団体への(朴裕河の─徐)批判は、日本の運動体がもっとも言いにくかった批判のひとつである》と書いている。”

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徐京植「和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判」
note.com/k2y2manabe/n/nb14c348

 “朴裕河の日本批判はほとんど右派の排外的国家主義者や国粋主義者に向けられた批判(それも甘いのだが)であり、その一方でリベラル派の日本知識人については最大限の理解と共感を表明している。したがって、右派とは一線を画すリベラル派にとっては《耳の痛いこと》どころか、むしろ《耳あたり》がよいのである。朴裕河のすべてのレトリックは究極的には、日韓間の不和の原因は(「日本」にではなく)「韓国」の不信にあるという彼女一流のニセ「和解論」へと収斂する。これが日本の国民主義者にとって《耳の痛いこと》であるはずがないであろう。”

徐京植評論集Ⅲ『日本リベラル派の頽落』「あとがき」よりkoubunken.co.jp/news/n21970.ht

 “この議論に欠けている点は少なくとも二つある。過去の天皇制はまさしく天皇を「超越的で霊的な〈中心〉」に祭り上げ、それを軍部や政界が利用するというもたれ合いによって成り立っていた。天皇は「神聖にして不可侵」という明治憲法上の規定により天皇は戦争責任も問われないという理屈がまかり通っていた。最高責任者である天皇の責任が問われない以上、その命を受けた者たちの責任もまた問われることはない。為政者にとってこれほど好都合な仕組みはあるまい。”

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徐京植評論集Ⅲ『日本リベラル派の頽落』「あとがき」よりkoubunken.co.jp/news/n21970.ht

 “昨年(2016年)、現天皇が譲位の希望を明らかにしてから、その法的根拠づけや手続きについてある程度議論が起きたが、そこに天皇制の廃止を唱える声はほとんど現れなかった。むしろ現天皇の「国民に寄り添う人柄」を称賛し、天皇制の存続を当然視する議論に覆いつくされている。安保法制反対などを主張するリベラル派の論客(内田樹)までもが、自分は「立憲デモクラシーと天皇制は両立しない」と考えていた時期もあったが、いまでは「天皇主義者に変わった」と宣言した(『朝日新聞』2017年6月20日)。国家には「政治指導者などの世俗的中心」とは別に、「宗教や文化を歴史的に継承する超越的で霊的な〈中心〉」があるほうがよい、それが天皇なのだ、というのである。”

『徐京植 回想と対話』satotarokarinona.blog.fc2.com/

 “何よりも深刻さを示しているのが、この藤田(省三)さえもが「頽落」してしまったことであろう。鶴見俊輔は「慰安婦」とされた女性への兵士の「愛」を語った。早尾貴紀の「序文」によると、これを批判した川本隆史に対し「即座に鶴見の盟友でもある藤田省三氏が同誌上で鶴見を支持し、川本さんに対し感情露わに「激怒」を示したことがあった。藤田氏は川本さんにとっても徐さんにとっても恩師であり、また鶴見俊輔と並んで戦後民主主義を代表する思想家である」。”

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鶴見と藤田のやり取りの延長線上にはこうしたことがあるのだなと感じる。

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気圧と睡眠不足で気持ちが悪い。

くだりはつる世の行末はならひ也のぼらばみねに月もすみなん

慈円

かぜのうへにほしのひかりはさえながらわざともふらぬあられをぞきく

音楽で、デモで、差別に抵抗する。思い出野郎Aチーム高橋一さんインタビューashita.biglobe.co.jp/entry/202

 “実は、音楽と能力主義や功績主義は結構相性がよくて。自分は人より才能があって努力もしたんだから、政治から離れた場所で、クリエイティブで自由に生きていられるような気になっている人もいると思います。でも、そういった人の多くはただ単に現政府の元でネオリベ的に成功しているだけですよね。

職業に関係なく大人はみんな社会に対する責任があるし、ミュージシャンは人前で発言できる場面が多く、よりその責任を果たしやすいので、社会に対するメッセージをしっかり伝えていかないといけないと思います。”

フィクションのそういう傾向がなんとなく苦手だ。

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短歌に興味はあるが恋愛(特に異性愛)がメインになりがちなことはなんだかなという気持ちがある。好きだけどなんとなく苦手。小説に対してもそういう気持ちはある。

朝は鳥が、夕方はコウモリが飛んで虫を食べている。

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