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物語の中にしか存在できない海の深いところと、浅いところの水を汲んできて、きっかり半分ずつ混ぜ合わせ作られたソーダ水。

金沢八景の駅を出て、シーサイドラインの高架橋を辿るようにして進み始めると、少しして頭上を走る列車に追い越される。
姿が見えなくても、音がするので分かる。

右手側に住宅街、そして左手側には小型の船舶が横付けされた岸。
陸地と海との境をなぞるような位置を通る高架橋の軌跡は、長く伸びて……やがて大きく海の側に逸れた。並ぶ太い柱は視界の外に続いてゆき、野島公園や八景島がその先にはある。

横から風を受けて歩道を道なりに歩き続ける。

しばらくしたらコーヒーと書かれた旗がはためいているのが見えてくるだろう。
不思議な形にまるく切り抜かれた白い外壁から奥まった場所、水色の扉には営業中の札がかかっていて、取手を引くと想像以上に軽い感触でベルの音とともに開かれた。


chinorandom.com/entry/2023/12/

東京都・江東区
友人のご両親が経営されていたレストランが12月中で閉店するというので、今回足を運び、それが最後の利用になった。
約20年。庶民的なイタリアンを提供するお店として地域に愛されてきた場所だった。

高校時代の同級生と5人くらいで連れ立って行ったので、沢山料理を注文して、どれも少しずつ楽しめたのが良かったな。
複数人でご飯を食べる最大の利点、ってそれかもしれない。

書き出すと幸福感で頭がくらくらしてくる……
ハウスワインの赤&白から始めて、生ハムサラダ、ポテトサラダ、野菜のグリル、エビのソテー、ホタテのカルパッチョ、こだわりボロネーゼのピザ、タリアータ、アラビアータ、ペンネパスタ、包み焼きハンバーグ。
おわりにパンナコッタと紅茶!
紅茶はおいしいアールグレイだった。

閉店の主な理由は、健康上の懸念なのだと伺って。

しばらくしたらレストランがあったこの場所にはまた異なる施設か店舗が入る。
オーナーとミュージカル好きのマダムからそのあたりの話も聞きつつ、私は「もしも永遠の命が獲得できたら永遠にお店続けてくださいますか?」とかわけのわからないことを尋ねていた。
記憶に残る飲食店があるというのは良いものだと思う。しみじみ。

セイロンのルフナ紅茶
パニルカンダ茶園 OP1

秋の森! って感じのお茶だった。
かさかさした枯葉を踏んで歩く晴れた日の、空気の香り。
渋くなく、ごくわずかな苦味も全体のまろやかさ(黒糖に似た……)に内包されている。いれたて熱々の状態から少し冷ますとコクが顕著にあらわれるような気がする。
継続して何度も飲んでみないと分からなかった。

レンチンであたため簡単な市販のスコーンと共に🍂

崖に建つ王宮と、その地下に築かれた図書館。

レイン十二邦の王立図書館に勤める書記レイドリーは、同僚のネペンテスが謎の書物を構成する〈茨文字〉の翻訳に異常なほど熱中する様子を眺め、愚痴のように零した。
それを受けて空の学院の生徒、ボーンが答える。

"「亡霊に心を奪われてる。誰だってあくびが出てくるような歴史の断片にだぞ。あれを読んでいるとき、ほかのものが話しかけて、こっちには見えもしなければ聞こえもしないものを伝えてるんだ」
(中略)
「それが魔法の始まりなんだ。想像力を自由に働かせて、あとを追ってみる」"
(マキリップ〈茨文字の魔法〉(2009) 原島文世訳 p.178 創元推理文庫)

……終盤の激情・苦痛・渇望など感情全般の描き方が美しく、その点で同著者の《妖女サイベルの呼び声》に並ぶ作品だと思った。
面白かったし、私の好み。

一番良かった部分に言及しようと思うとすべてがネタバレになってしまうのが惜しくてしょうがない。
ただ、古代の世界でそのようにしか生きられなかったある人物が、これまでには考えられなかった選択をする部分……全てを自分以外に捧げてきた者が初めて己のために願ったことが何か、感慨深かったとだけ。

chinorandom.com/entry/2023/12/

5月頃に訪れて
「前にあった緑のカーテンがない」
と呟いていた喫茶店、バウハウス。
よこはま動物園ズーラシアへのバスが出ているJR中山駅の、南口にある。

先週足を運んだらカーテンが復活していたので、もしかしたら洗濯したり乾かしたりする期間だったのかな、と想像した。
改めて見てみるとやはり格別な趣があり、うっすら草木に囲まれている喫茶店だから、内部からも木立を連想させる仕掛けがあると小人の小屋みたいでわくわくする。

カーテンの素材の感じと緑の色が、店内の椅子に張られた布のなめらかな赤と呼応しているから、まるでカーテンが自分の「役割」に自覚的であるようにも思える。
赤い木の実や赤い靴を隠す、森の役割を担っているのだと。

食べたのはねぎトーストだった。
視覚的にも強い印象を残す分厚い食パンの表面が焼かれ、3等分に切れ込みが入れられて、バスケットの中に横たわる。騎士に何度も両断されて倒れた布団のようなその佇まい。茶色い耳の部分は薄い層がいくつも重なったようになっていて、香ばしい香りがわずかな隙間にも蓄えられている気がする。
たっぷりのチーズに散らされた青いねぎの風味は強すぎず、じっくり噛んでいてとても安心できた。

chinorandom.com/entry/2023/12/


QT: mstdn.jp/@hirose_chino/1103962
[参照]

千野  
駅前の入り組んだ路地にある、昭和54(1979)年から営業している小さな喫茶店。 印象は「草に覆われた民家」というか、ある程度のところまで近付かないと、本当にただの草叢にしか見えない。 昔は内側にうすい緑のカーテンがかかっていたはずで、でも、先日行ったら取り外されていた。とても綺麗な緑色のカー...

ヌワラエリヤ
ペドロ茶園 Pekoe

説明書きに「レモンのような柑橘系の風味の余韻」……とあった通り、さっぱりとした爽やかな香りがする。食事にもお菓子にも合う感じ。
特に、酸味のあるドライフルーツが練り込まれたパネトーネは個人的にぴったりのお供だと思う☕
偶然棚にあったの出してきたら美味だった。

この時期はシュトレンも良いし、パネトーネも好き。

ツシマヤマネコが変わった格好で寝ていた。

地面に対して平行にベーグル形をつくり、丸まって眠る……のではなく、まるで土下座をするように、縦方向に体を縮めて額を地面にこすりつけているみたいな。
首が痛くならないのだろうか?
鼻や顔の全体を毛で温めるのには、あれが適した姿勢なんだろうか。人間には分からないけれどとりあえず外は寒そうであった。

「こんにちは」「寒いですね」などと話しかけてみたけれど、沈黙が返ってくる。
他の多くの動物たちと同じで夜行性。

綺麗で新しいお手洗いが好きな気持ちと、古い建物に宿泊するのが好きな趣味、当然両立するのが難しい。邸宅見学などで当時のお手洗いを観察するのは楽しいけど、全然、使ってみたいわけじゃない。
でも最近は残せる場所は大切にしつつ、浴室なども含めた水まわりだけ全面的にリニューアルしてくれている宿屋も少なくないので、個人的にありがたい~と思う。

ここ数年だと「古い建物+新しいお手洗い」で印象に残った宿が2つある。

ひとつは伊香保温泉の近代遺産、大正期の木造旅館の趣を強く残す「横手館」(写真1)で、古い客室の内部にはトイレが無いのだけれど館内の共用お手洗いがとても綺麗。
一旦部屋から出ないといけない些細な不便さに納得できれば、この手の建物好きにはかなりおすすめ。山の上なので夏は冷房設備なしですが涼しく、冬はありがたいことに暖房もよく効いて暖かかった。

もうひとつは中山道、岐阜県の馬籠宿にある旅籠「但馬屋」(写真2)。
明治期に再建された宿屋で、建物内の階段はどんなに気を付けて歩いてもギシギシと大きくきしむ、どちらかというと音の面で留意が必要かもしれない古い宿。
でも共用お手洗いは個室の数も多く、清潔で安心できます。旅の疲れで爆睡できるなら夜間の音もすっかり聞こえなくなる(自分の体験談)。

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自室の机の上やその周りにいつもたくさんのメモが散らばっている。
落ち葉みたいに重なり、積もっている。

それらは多くが「行く」「買う」「渡す」「借りる」「返却する」「読む」「書く」などに関係する言葉たちで、ほとんど名詞や目的語がそのまま書き留められているだけなのだけれど、大抵の場合は見ればその意味も併せて思い出す。
でも、たまに何の意図で過去の自分が書き残したのか全く分からない、朝には忘れ去られてしまった深夜の走り書きも……ある。

だいぶ前の例だとなんとなく面白かったのが『ジュリアン』だった。
これは神奈川の藤沢にある喫茶店の名前。多分、寝る前に調べて行きたくなったからメモに店名だけ書いておいたのだろうと思うものの、次の日の寝起きの頭では文脈から完全に切り離された『ジュリアン』に理解が及ばなかったのか「ジュリアンって誰だっけ……」と午前中ずっと考えていた。
思い出してからそこにはちゃんと行った。
写真の筐体ゲームテーブルがあり、カレーがおいしかった。

過去の自分が書いた謎のメモは詳細を思い出せない場合、本当の意味で、時空の隙間から部屋に滑り込んできた存在に変わる。
もしかしたらジュリアンは忘れてはならない友達の名前で、思い出してあげないと二度と会えない誰かなのかもしれない。呼ばれている。

冷蔵庫内のジャガイモからつやつやの白い芽がたくさん出始めていて、危機感をおぼえたので取り除いてからニョッキを作りました。

そうしたら成形した生地をお湯に投入後、茹でられている姿が完全に「幼虫」で、しばらく無言になった。違うって自分に言い聞かせてもやっぱりイモムシさんに見える。
いや、確かに芋でできてはいるんですけど……

薄力粉でも作れるレシピを参考にしましたが強力粉を使ったほうが好みそうなので、次からはそうします。今回は家の中になかった。
柔らかめが好きな人はむしろ薄力粉使用の方が合うのかもしれない。

あとは今年の1月半ばに名古屋で発見したこのあたり……もう相当に強烈な魅力を放っていた小さなビル1階の扉。
確か新栄町駅~千種駅の中間あたりだったかな。

そう、これ、何らかの会社? 事務所? が入ったビルの出入口のもので、観音開きになる仕様だったんです。実際に開けて覗いていないから正確なところは分からないけれど、おそらくは細い上り階段に続いている。
しかも他の部分はタイルだったりモルタルかコンクリートっぽいごく普通の壁だったりするのに、ここだけに木の素材を使っていて、良すぎた。畳みかけるように視界に飛び込むのは味のある磨りガラス。
引、の1文字。
正方形の金属のパーツ。
この世界のどこかに、これを製造した場所がかつて確かにあったのだと想像するだけで、ときめいてしまった。自分に強大な力さえあればもぎ取って持って帰りたいくらいだから。

一般公開されているわけではないので中に入れてくれと頼むこともできないのがやはり市井の建築散歩の難しさというか、本当により深いところまで調べたいなら、それこそ研究会として活動しなければならないのがこの手の建物なのであった。
こっそり扉のところだけこうして記録。

左側に写っているあやしい影は私と同じく散策趣味の友人です。
妖怪じゃないよ~。

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あまりきちんとは記録できていない……ながら、例えば昨年冬の散策でかなり印象に残った渋ビルといえば「クラタビル11号館」が挙げられるかもしれない。神戸市中央区にあります。
珍しくちゃんとブログにも写真を載せていた1件。

浴衣レンタル店やアンティークショップなどが入ったビルになっていて、道路に面した正面入口から内部に足を踏み入れると、真ん中が四角いドーナツみたいな吹き抜けになっている。
この時点でえ!? 面白いかも……!
と思ったんですよね。外からだとそんな風には見えないので。

吹き抜けがあるので階段も、その空間を遮らないように真ん中を空けてぐるっと配置されている。
あの、あれ、エッシャーが版画『上昇と下降』で描いたペンローズの階段みたいな……一種のだまし絵みたいな様相が展開されているのだった。

四分円形に張り出したちっちゃなベランダ的部分があったり、微妙にガス灯をなどを模しているのか洋風の照明器具があったりと、見どころが多い。
壁、レンガ風にしてあるところとそうではないところの対比も好きだった。
廊下の天井の方を飾る丸い照明が謎に2色(白と橙)なのは、偶然なのか意図的なものか不明……。もしもわざとなら相当にお洒落だし、これもまた渋い。こだわりを感じる。

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西池袋の「ブックギャラリーポポタム」に連れて行かれ、店内をいろいろと見た。
そこで写真1枚目の『名古屋渋ビル手帖 第2号』(名古屋渋ビル研究会発行・編集)を買ってみる。

何冊か試しにパラパラ内容を流し見て、一番自分の好みそうな号に決めたけれどどれも素敵。

私も「渋いビル」の愛好者なので、どこかで発見すると外観の写真を撮ったり、また一般人でも立ち入れるような店舗などの施設なら、中を見物してみたりもする。
でもこんな風に冊子の形でまとめたことはないし、きちんと現所有者の方に連絡を取って非公開部分まで調査するとか、過去の様子が写された写真も参照して記録するのなどは全然実行したことがないので……『渋ビル手帖』はまさに「研究会」の名にふさわしく心がわくわくする1冊だった。

なんというか面白い立ち位置の存在だな、と思う。渋ビル(昭和初~中期に建造されたものが持つ独特の様式・細部の意匠)。
広義の歴史的建造物ではあると思うけれど、社会的な文化財というよりも個の所有物的な側面が大きい。

最近私が見つけたのは大田区の髙橋ビルかな。写真2&3枚目。
扉の取手の「PUSH」にご注目。Pのアルファベットの中に「押」の漢字1文字が内包されているのはすごく渋いし、結構レアだと感激した。
良。

おいしく、なり、ました!!
安堵の記録メモ🍽

火からおろす直前に刻んだ生トマトを混ぜ込んで完成させてみた
ちょっと豆の量が少なすぎるかと思ったけれど1人分なら100gなくても大丈夫かも……自分の好みとしては……
チリパウダーは大さじ2分の1くらいでも結構汗が出てくる辛さになる。そしてもはや参考にしたレシピには書かれてなかったオレガノもバジルもナツメグも何でも入れ放題って感じ(それでいいのか? でもおいしかったからいい)

チリコンカンモドキ

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今日は現在家の中にあるものだけ……で、チリコンカンにできるだけ近付けた何か、モドキを作ってみたいと思います。
チリパウダーと各種スパイスで温まりたい。

足りないもの:
(1)キドニービーンズ缶→ミックスビーンズ缶で代用
(2)合い挽き肉→ベーコンを多めに入れて代用
(3)赤ワイン→料理酒とケチャップの混合で代用

あとはかさ増し要員としてニンジンをすりおろしたものを入れ、ます……。
おいしくできるかな!? モドキ。

街を歩く人々が上着を羽織り、さらにそのうち半数くらいが首にマフラーを巻きつけるようになる頃。
色々なお店に「赤い服を着て白く長いひげを生やしたおじいさん」の描かれた商品が、たくさん並ぶ。

そのおじいさんの絵が印刷された品物の数々を見ていると、温かいような寂しいような気持ちになって、家に帰りたくなったり、でも同時にそのまま違う土地に行ってみたくなったりもする。
不思議。

赤い服を着て白いひげを生やしたおじいさんは、絵の中では大抵、微笑みを浮かべているようだ。
その周囲にいる子供たちも、背中に翼を持つ小さな者たちも、リスやクマやノウサギなどの動物も誰ひとりとして悲しそうな顔や怒った顔はしていない。星の見える夜空の下、世界は危険な場所ではなく、家屋の開口部から漏れる橙色の灯りで照らされるための舞台になっている。
綺麗で、だからこそ私はむしろ奇妙なほどはっきりとした疎外感を感じるのだろう。でも、決して入れない場所は、足を踏み入れることができないから美しいままで在る。

窓に穴を開けて紐が結ばれたような商品を1つ買った。

深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側で、おじいさんが大きな布袋(革袋かも)を逆さにし、建物の中に大量の小箱を注いでいる。
天使たちがその傍らで、果物を手に順番を待っている。

ピーター・S・ビーグル〈旅立ちのスーズ〉井辻朱美訳を読み終わる。

〈最後のユニコーン〉の続編にあたる〈二つの心臓〉と〈スーズ〉が収録されている1冊。
前作で「何かを信じられなくなった王様」としてのハガードに思いを馳せていたから、今作では一方「何かを忘れつつある王様」リーアに目を向け、それから「時」というものが人間(つまり、永遠に生きるわけではない存在)にどう影響するのかを見た。

私は〈スーズ〉を読んでいてどこかの地点で一度泣いてしまったのだけれど、振り返ってみると、それがどこだったのか覚えていない。

『スーズ、スーズ。死にたくないわ。永遠に生きられるって言われた……あたしは昔からみんなの女王になるはずだったって』
P・S・ビーグル〈旅立ちのスーズ〉(2023) 井辻朱美訳 p.169 ハヤカワ文庫FT

「何物も永遠には続かず、故に心を投げ出すほど価値のあるものはない」と述べたハガードが作中で「いつも年老いている」ことと、森の奥に住むドリーミーたちの王が「ほとんどのものより年を取ってる」と説明される意味を思う。

年齢や性別や種族を超越して存在できる。そうジーニアが言うドリーミー達の世界は素晴らしそうなのに、ここでの彼らがそのように描かれていないのはなぜか……。

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昔の写真。

英国湖水地方のクロマック湖、またその双子(氷河湖の成り立ちからいえばそう……かな? 面積が異なるので、印象は兄弟?)のバターミア湖は18世紀末、画家ターナーが描いていた大きな大きな水たまり。
両者を分かつようにある谷間の陸地には、小さな「ブリッジホテル」が建つ。

砂利道の端にロープを引いただけの駐車場に友人の車が止められ、ほぼ助手席で寝ていただけの私も外に出て、ブリッジホテルの横をぶらぶら歩いていたら、近くの家から犬が登場した。

見たことのない種類で、まるでモップのような粗めの毛並みと、目の周りから顔の側面にかけてだけがクリーム色になっているのが忘れられない特徴だった。
耳が蝶々か、角度によっては触覚を思わせる形をしている。
うす茶色と灰色の混ざった鼻は栗と見紛う。柔らかく煮て、甘く味をつけた栗。マロングラッセ。そーっと触りたいけれど、野外では動物には触らないよう幼少期から教えられていた。

首輪はしていない。でも、民家の塀の内側から出てきてこちらに近寄ってきた犬。話しかけて、しばらくしたら早々に別の場所に行ってしまった。

この道はよく動物が通るらしい。帰りに、群れからはぐれてしまったのか、体に識別の印がついた羊を2匹見たから。きっと後で回収されたのだろう。

ピーター・S・ビーグル〈最後のユニコーン〉鏡明訳、読了

本を開いている間ずっと、ハガード王のことを考えていた。

マキリップの〈妖女サイベルの呼び声〉を読んでドリード王に延々と思いを馳せていたみたいに。
あーあ、また「何かを信じられなくなった王様」のこと考えてるよ、この人……って自分に対して呆れていたら、この〈最後のユニコーン〉のあとがきで乾石智子氏が実際にサイベルの作品名を出したものだから、ちょっと面白かった。同じ文庫から出ていて絶版なんだけど復刊しないかな。閑話休題。

『だが、わしにはわかっていたのだ、自分の心を投げ出すほどに価値のあるものはないことを。なぜなら、何物も永遠には続かぬのだから。そしてわしは正しかった。そこで、わしはいつも年老いているのだ』
『それでも、自分のユニコーンたちを見るたびに、いつもあの森の朝のように感じる』
P・S・ビーグル〈最後のユニコーン〉(2023) 鏡明訳 p.296-297 ハヤカワ文庫FT

今の私の内側には作品について語れる言葉が一語としてなくて、だからただ、続編という位置づけで存在している〈二つの心臓〉と〈スーズ〉に手を伸ばす……。
続きがあるのなら読まなければならない。

ユニコーンの貝殻色をした角が視界の端にある。

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