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nagayaさんがいつになく強い言葉を使ってる。

私も最近つくづく思うが、私自身も含めて、皆、勝ち目のない“愚かな“闘い(必ずしも相手がいる闘いだけでなくても、自己主張とか、何かの実現とかでも同じ気がする)に、あまりにも及び腰すぎるんだろうと思う。失敗したり全く話にならなかったりして恥かいたりガッカリしたりするのが怖いんだよね。そうして皆、小賢しいばかりで虚しい人生送ってる。だから、いよいよ追い詰められて闘わざるを得なくなっている(そうでなければ自分の存在そのものを抹殺されるような目に遭っている)人たちへの共感がない…どころか、どこから湧き出るのかそう言う人たちへの憎悪で一杯になっている人間も少なくない。

(nagayaさんのツイート↓)

自分を頭がいいと思ってる合理主義ブタがなんか言ってますが、権力を持たない者の闘いは権力の横暴を広め賛同を集めるところからしか始まらないんですね。そういう意味では、座り込みやデモというのは弱者の世の中を変える手段なんです。それはTwitterも同じ。

♪闘わない奴等が笑うだろう。ファイト

twitter.com/nagaya2013/status/

Twitterで見てブチ切れてしまった。この副総裁、ほんっとうに “望んだ情報” しか認識しないしそれが問答無用で世界の「真実」なんですよね。クソじゃん。一切政治に関わらないでほしい。

自民党のいう “少子化問題”、悲しいくらい “上の世代を支えるための頭数が足らない” の意味でしかない。産み育てる人間はまさに機能としてしか認識していない。
どうしてこんなにも、ここに生きる人間のことを無視した発言ばかりできるんだろう。なぜ平均初婚年齢がその年齢なのか、なぜ複数の子供を産まないのか、そこを見事にスルーして、全てを “あんたらが早くに産まないことが少子化(=社会が困る)原因” とする。クソだ。“結婚は出産のため” が常識な人間が政治をやってる。

news.tv-asahi.co.jp/news_polit

子を産めば働けず、働けば産めず、女はクリスマスケーキと言われ(※)、保育園は足らず、男社会では追いやられ、内面化して順応するか選択肢は与えられず、まともな性教育も与えられず、リプロダクティブ・ヘルス&ライツなんて大半が聞いたこともなく、生まれた子に障害があれば女のせいにされ、または強制不妊手術をされ、異性婚で子を持つことが普通とされ、そんな社会を作って来たのはあんたらですけどーーーーーーーーーー。

※クリスマスケーキのように24日(歳)に価値の絶頂を迎え、25日(歳)を過ぎたら見向きもされないという例え。当時、普通に言われていたし、内面化させて焦る女性も多かった。

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インボイスの実質延期!!!????? まじ????? よーーーーしこのまま「登録しない」という抵抗を続けるの超大事では

日本が労働に過度なクオリティを求めるのって、搾取の問題であると同時に雇用機会の問題でもあるなと思う。
笑顔で立って接客しなくても支払いとしてのレジ業務に問題はない(だからこそセルフレジ化が可能だった)けど、立って笑顔でやらなければ「勤務をこなせる」と認識されない。そのために雇用機会から排除されてしまう人は間違いなくいるわけで。
消費者のちょっとした快適さのために、雇用機会という根本的な生活の支えから締め出される人がいるなんて、あまりに理不尽じゃないだろうか。
接客業に限らず、顧客にしろ社内の上役にしろ、とにかく全力で誰かのご機嫌を取るのが労働みたいになっているのは本当に愚かなことだ。そのために費やされる無数の無駄な人的・金銭的コストがあり、そのために排除される「人材」がいる。

「きりぎりす絵巻」(江戸前期)

いや待ってwまさかの昆虫擬人化w
玉虫姫と蝉の右衛門が結ばれてキリギリス失恋って
てか宴のシーンで鯛とかタコとか調理してるwww虫がwww待ってwww

RT 京都 細見美術館
‪「思わず凝視間違いなし!住吉如慶《きりぎりす絵巻》。着物姿の人が描かれているかと思いきや着物姿の虫..?!遊び心とシュールさがクセになります。‬

‪長い巻物なので全場面はお見せできませんが、絵部分のみ全場面こちらでご覧いただけます↓」‬
youtu.be/GbyQnwb9It4‬

mobile.twitter.com/HosomiMuseu

精神科訪問看護は自宅に直接看護師さんが訪問して服薬管理や悩みの傾聴、主治医との連携、制度利用のためのサポートなどを行なってくれる医療サービスです。
自宅に人を入れることに抵抗がなければですが、実はカウンセリングよりも気軽に利用しやすく生活に密着した支援ではないかと思っています。

利用にあたって必要なのは精神科医の指示書だけなので、福祉サービスと違って行政の聞き取り調査も必要ありません。
自立支援医療制度が適用されるので、頻繁に訪問してもらったとしても利用料の自己負担がかなり抑えられます。

私は一番体調が思わしくなかった時期から5年ほど週3回利用していますが、日々の健康や生活上の悩みについてその都度相談できることに非常に助けられました。利用できていなかったらもっと療養が長引いていたと思います。

相談できる相手と時間が足りない、服薬に問題を抱えている、外出が困難、などのお悩みを抱えている方は一度検討されてみてはいかがでしょうか。

https://encourage-s.jp/consultation_supports/8

だいたい、こう言っては何だが、奨学金で学費を賄って得た知識がマネタイズに繋がらず、SNSのネタ程度にしかならないのは僕の責任なんだろうか。奨学金の返済というスキームには問題がないか。

50代になっても奨学金の返済をつづていることで、僕は将来の生活保護受給に確実に近づいているのだが、それはトータルで見て国の財政にとってどうなのか。保護費からも返済をさせるからいいとかいう理屈なんだろうか。

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少し前の大阪北部地震が起きるまで、自分にとって「前の地震」といえば阪神淡路大震災だった。
自分は被災してないんだけど、それだけ関西での影響力が強かった。

僕は決して裕福でもないし、たいして蓄えもないです。

でも、スーパーで食料品を買う際は、少しでも消費者を考えていると感じられるものを選んで購入しています。

ただただ、ブランドとして無添加や無農薬を標榜して富裕層向けに高い値段をつけているものと、最低限の農薬を使ったとしても真面目に取り組んだ商品とは見ればわかりませんかね?

そして、僕が応援したいのは、富裕層向けに価格を釣り上げられることを知った農家ではなく、真面目に生産したい人がコストが掛かってでも、これから無農薬もしくは更なる減農薬に取り組もうと努力している農家さんの方です。(当然、今、無農薬であるに越したことはないですが。)

というのも、農薬に関して言えば、我々人間は、一般論として、他の生物に比べれば、非常に耐毒性が優れていますし、かなりの検証を終えてきているので、そこまで心配する必要はないんです。むしろ、ヒト以外の生物への影響を考えて、少しでも農薬を減らせればと思っているわけです。

ここまで説明すれば、おそらく、世間のロハスとか言って、オシャレに身を飾る人たちと方向性は似ていそうで全く違うということが分かってもらえるかなととは思うんですがw

ちょっと政治的な話になりますが、我々は主権者だということを、もっと自覚すべきだと思うんですよね。

政治家なんて、所詮は政治の場における我々の駒なんですよ。なのに、政治家の言動に我々が囚われ、一喜一憂するってのはおかしくないですかね。

彼らの言動は我々の個々の発言を背景に力を持つのであって、彼らの発言に我々が賛同して力を持つというのはおかしいんです。そこの微妙な差異を勘違いしてしまうと、民主制といっても実質を伴わないと言って良いのではないでしょうか。

そして、この主権者であるという自覚は、現代社会において、政治に限らず、他分野にも及ぶのではないでしょうか?

例を挙げるなら、著作権という、よく分からない法律も、元を辿れば、無知蒙昧が模倣品を購入することによって、真に芸術を担うものの障害となるから用意されているようなもので、この社会の将来を深く考える主権者であれば、個人の利益を離れ、社会における芸術の将来を考えるパトロンとして振る舞えば必要のないものではないですか?

野菜を買うにせよ、何にせよ、我々は、消費者としてではなく、小さいかもしれないけどパトロンになったと思って、生産者の将来を見据えて購入することが大事なのではないかと思います。

Twitterで"生涯子無し"がトレンド入りしててふと思い出した。自分が子供のおもちゃを扱う仕事をしてた時のこと。
おもちゃを見たい母がいるということで訪問した家。その家の母親は知的障害者だった。知育玩具云々は伝わらない。ただ単にかかってきた電話に「はい、はい」と答えた結果のアポだった。
お子さんは3人だった。上の子は小学生らしかった。が、トイレができなかった。言葉もなかなか出ない。下の子2人は保育園くらい。奇声を上げて暴れ回っていた。自分は詳しくないが、恐らく3人とも知的障害者ではないんじゃないかと思った。ただ、生育環境の問題で覚えることができなかったのだろう。
そこへ家事その他を受け持っているだろう祖母がやって来た。おもちゃの営業でしかない自分に愚痴を言う。「息子がなかなか嫁を貰わなかった。40過ぎても独り者。それじゃ世間体も悪いしこの家の跡取りもいなくなる。だから若い女で文句を言わないのを探して連れてきたんだ」と。よくあるんだそうだ。結婚しない中年の息子に知的障害を持った若い女性を娶せる。子を産ませれば世間的には妻子を持った一人前の男として認められる。

その家の母親は話していることがあまり理解できないようで、自分の持っていった知育玩具で遊んでいた。積み木を重ね、絵本をめくる。自分を営業だとはわからず「先生」と呼んだ。遊び方を教えたからだろう。発音がうまくできなくて「てんてぇ」と言って手を上げる。「てんてぇ、もっと」とおもちゃを欲しがる。30歳くらいだろうか。
このお母さんはどうやってこの家で暮らしてきたのだろう、結婚の意味を知っていたのか。子供を産ませるために連れてこられて、その行為をどうやって受け入れたのか。男を受け入れ、身体は受精し、妊娠し、出産し。だが、この人はその意味を理解していたのか。
おもちゃは売らなかった。欲しがってくれはしたが断った。
何故こんなことを。そんな思いでその家を出た。こども。家。跡取り。そのためにあの女性は道具にされた。これが現代の日本で起こることなのか。
あの女性は本来なら支援を受けるべき人だ。生きていること、存在していること、それを社会が支援するべき人。何故そんな支援が届かないのか。
「嫁の親だって片付いて欲しいからね」あの祖母の言葉。
それからそんな母親を何人も見た。現代日本の話だ。

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 戦後の労働運動についての歴史は、いつ誰によって、どのよう書かれるのだろうとときどき思う。連合結成前後の経緯は、敗戦直後の派手な動きに比べれば、一見淡々と進められたかのような外観を呈してはいるが、当事者たちにとってみれば、まだあまりに生々しく、歴史となるだけの十分な時間はまだ経過していないという印象を受ける。
 ようやく少しづつ語られ始められるようになった80年代の国鉄分割民営化を契機としたその「再編」にも、社会党内部の、つまり労働運動内部の右派と左派の対立が見え隠れしている。それが非常にはっきりと書かれていないのは、おそらく非常に言語化が難しい部分なのだろう。動労の問題(コペルニクス的ち称されるそれ)も絡んで、前者は戦前に遡り、戦後の混乱で形成され、後者はきわめて戦後的なテーマとなるから、その全体像はひじょうに見えにくい。
 たぶん私や、その下の世代にとって直接的な関わりは薄いのだが(80年代は中高生、90年代は長い大学時代だ)、しかし、それを無かったことにはできないだろうなという諦念がある。

NEUT Magazine さんのイエローライト特集号!日本の中で起こるアジア系への差別の現実を、生きている一人一人の声から届ける稀有な雑誌。
みなさんもぜひご覧ください‼︎
編集長の平山さんの言葉から引用
“「黄色信号みんなで止まれば怖くない」。このまま社会全体でアジア人差別の話をすることがなければ、差別はないものにされるか、もっと悪化し、危険信号のレッドゾーンへ向かってしまう気がするからだ。そうではなく今、差別のことをオープンに話し、ピカピカと光る警告の黄色信号でみんなで立ち止まることで、いい方向に向かうのではないだろうか。"

まだ返してなくて借りてる段階で500万超えてとても返せないからと自殺を真剣に考える学生さんもいる。

なんもかんも値上げしとんのに
労働力だけお値段すえ置きとか絶対バグやろ!!!(NД≦) ꐦ

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