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復刊されるサラ・ロイ『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』(岡真理、小田切拓、早尾貴紀 編訳)は、ガザ地区におけるイスラエルの占領の実態と現在の虐殺に至る背景がよく理解できる内容なので、この本を最初に読んでも良いと思う。

ホロコースト生存者の二世で反シオニストのユダヤ人である研究者のサラ・ロイさんと、徐京植さんとの対談も収録されている。
お二人の対話では加害国としての日本、その意識についても触れられており、読んだ時は自分のこれまでの無自覚さが恥ずかしく苦しくなった。





西村紗知『女は見えない』

タイトルやテーマからの想像に反して、通常のフェミニズムの文脈とは違う形での対象への眼差しと思索で論が展開する。

まえがきとしての提示された「推し」文化の分析(『「貨幣」と「娼婦」の話』)がすごく面白かったので、色んな人に読んでもらいたいな。内容も文も強烈で、脳内でこの著者の独特な文のリズムがずっとリフレインしている。

ただ、私も著者の言うところの「貨幣的な創作物」へ対して不満を抱く一人であるだろうが(「貨幣的な創作物」とは、「人々の願いや主観をそのまま反映させてはいるけれども人々が転覆してほしいと思うものを転覆してくれないもの」と提示されている)、作品とはそういうものであったはずと言われればその通りで(「自分の信念の仮託」を貨幣はやってくれない)、しかし実際のところ私はその作品が批判性を伴わないことへ失望しているのではなく、この世の中で多数派がエクスキューズ無しに受容する様を見続けている少数派の切実な痛みや憤りを「アレルギー的反応」と呼び軽視されたくはない。

ここしばらく短篇集を中心に読んでいた中で、『シャーリイ・ジャクスン・トリビュート 穏やかな死者たち』がすごく豪華なアンソロジーだった。

カルメン・マリア・マチャド、ケリー・リンク、ジェフリー・フォード、ポール・トレンブレイ、ジョイス・キャロル・オーツなど、作家18人の書き下ろしを一度に読めるのが嬉しい!
マチャドをはじめいくつかの作品では、クィアな登場人物が語り手として当たり前に出てくるのも良かった。60代の主婦中間3人がある家を見つける、怖くて悲しいお話『所有者直販物件』も好き。

腕の確かなアンソロジストが声がけして集めた、腕の確かな作家たちの書き下ろし短篇を一冊の中で楽しめるアンソロジーって、めちゃくちゃ贅沢。
絵画や彫刻をモチーフにした、ハーパーコリンズの『短編画廊』『短編回廊』も好きだった。海外のアンソロジー、もっとたくさん邦訳が出てほしい。いろんなテーマのアンソロをもっと読みたいです。

フレドリック・ブラウン『真っ白な嘘』(越前敏弥 訳)

超有名作家ではありますが、これが初読み。
予定調和を外していく構成やひねり方が絶妙で面白かった。どの話も映像がはっきり浮かんでくる。
『叫べ、沈黙よ』の恐ろしさはただ事ではなかった、余韻がすごい。表題作のタイトルの意味にもクスっと。

とりわけ短いにもかかわらず、読んだタイミングもあって『町を求む』が一番印象に残った。オチのラスト数行が強烈。
視点人物である悪党が最後に突然、読者に向かって話しかけてくる。

「この前の選挙のとき、あんたはどうした?」

市井の人々を貪る悪党にとって都合の良いことは何かという、1940年の小説の皮肉な警告。

「なんだって?投票所へ行きもしなかったのか?」

悪党にとっては理想的、Yeahhhhーーー!!なんだもんね。ちょうど昨夜、京都と前橋市長選投票日に読んでいたので、ウワーッってなった。

ようやく今年初の書店に行けたので、ドラマも好評で楽しみにしていた、ボニー・ガルマス『化学の授業をはじめます。』を買ってこれた。

『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』で初めて倉橋由美子作品を読み衝撃を受けたので、同じ「掌の読書会」シリーズの『柚木麻子と読む 林芙美子』も読んでみます。

昨年末と今日買った本。
◆ボニー・ガルマス『化学の授業をはじめます。』(鈴木美朋 訳)
◆ジェイソン・レクーラック『奇妙な絵』(中谷友紀子 訳)
◆シオドラ・ゴス『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』(鈴木潤 訳)
◆西村紗知『女は見えない』
◆佐々涼子『夜明けを待つ』
◆飯田朔『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』
◆『掌の読書会 桜庭一樹と読む 倉橋由美子』
◆『掌の読書会 柚木麻子と読む 林芙美子』

荒木あかね『ちぎれた鎖と光の切れ端』

すごく真っ当で大事な視点とメッセージが詰まっていてビックリしました。最近読んだミステリの中で、屈指の真っ当さ。
この社会で寄り添って生きる、血縁によらない関係性を描いているのも良かった。何より、めちゃくちゃ良い女バディが生まれたのが嬉しい〜!続編希望です。

家族間や部活動や会社組織で生じる、さまざまな形の抑圧や所有意識やパワハラといった加害と、権力勾配に無自覚でいること。
そうした健全ではない関係性を理解するまでの心理が、複数の人物を通じていろいろな角度から描かれているのが良かった。
たとえ加害者が「愛情ゆえ」と本心から思っていたとしても、それは正しくないし、受け入れる必要などないということもハッキリと。

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今年もっとも好きな語りだったのが、バーナディン・エヴァリスト『少女、女、ほか』(渡辺佐智江 訳)。

1890年代から2010年代後半の英国で、黒人の血を引く女性たちとノンバイナリーの12人が、一章ごとに視点人物となり各人の生が語られてゆく群像劇。
台詞には鉤括弧が無く、一人称と三人称がしょっちゅう切り替わり、文にピリオドが付かないままに勢い良く進んでいく。独特な語り方なのだけど、ものすごい没入感だった。

人種、セクシュアリティ、教育、階級、女性蔑視など、時に重なり合うそれらの抑圧に苦しみ打ちのめされ、食いしばって生きる12人の過去から現在。
しかし抑圧や暴力に傷つきもがくと同時に、12人ともが皆それぞれ内面に、別の属性へ対する見下しや偏見に基づく無自覚な差別心を持っている。

どんなに近しい関係性でも他者の内面を見通すことはできないし、良いことであれ悪いことであれ真に分かり合えることもない。
哀しいしやるせないけれど、完璧な人間など誰ひとり出てこない、それらの描きようが素晴らしかった。今年のベスト本です。

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2023年に読んだ本の、ベスト10冊。
特に好きな語り方だった作品を選びました。

◆『少女、女、ほか』バーナディン・エヴァリスト/渡辺佐智江 訳
◆『ピュウ』キャサリン・レイシー/井上里 訳
◆『純粋な人間たち』モハメド・ムブガル=サール/平野暁人 訳
◆『女たちの沈黙』パット・バーカー/北村みちよ 訳
◆『亡霊の地』陳思宏/三須祐介 訳
◆『イスタンブル、イスタンブル』ブルハン・ソンメズ/最所篤子 訳
◆『ミルク・ブラッド・ヒート』ダンティール・W・モニーズ/押野素子 訳
◆『ああ、ウィリアム!』エリザベス・ストラウト/小川高義 訳
◆『襲撃』ハリー・ムリシュ/長山さき 訳
◆『ニードレス通りの果ての家』カトリオナ・ウォード/中谷友紀子 訳

今年一番衝撃を受けた本が、カイラ・シュラー『ホワイト・フェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史』(飯野由里子 監訳/川副智子 訳)でした。

19世紀の女性参政権運動以来、マジョリティ女性が白人男性との比較においての女性差別のみに焦点を当て、マイノリティ女性(人種、エスニシティ、国籍、性的指向、性自認、障害)への差別構造を積極的に利用し抑圧してきた歴史と、それらのホワイト・フェミニズムに対抗すべくマイノリティ女性が実践してきた200年間のフェミニズムの歴史。

各章ごとに白人女性の思想家と、同世代のマイノリティ女性(黒人女性、先住民女性、ラテンアメリカ女性、トランス女性)がペアになる形で語られる。
例えば【白人の同情 対 黒人の自己決定】の章では、ハリエット・ビーチャー・ストウとハリエット・ジェイコブズが、【リーン・インか連携か】の章では、シェリル・サンドバーグとアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが対となっており、今考えるべき事柄が詰まりに詰まった内容でした。

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2023年に読んだ人文書やエッセイのなかで、個人的ベスト10冊。

◆『ホワイト・フェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史』カイラ・シュラー/飯野由里子 監訳、川副智子 訳
◆『セックスする権利』アミア・スリニヴァサン/山田文 訳
◆『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』森山至貴×能町みね子
◆『ガザに地下鉄が走る日』岡真理
◆『本の栞にぶら下がる』 斎藤真理子
◆『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』アンジェラ・チェン/羽生有希 訳
◆『無意識のバイアスを克服する』ジェシカ・ノーデル/高橋璃子 訳
◆『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』サイディヤ・ハートマン/榎本空 訳
◆『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』五月あかり、周司あきら
◆『ケアする惑星』小川公代

岡真理さんの『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』も届きました。
10月に京都大学と早稲田大学で開催された緊急セミナーでの講義内容を、それぞれ第一部・第二部として収録した本。
オンライン視聴させてもらいましたが、本として手に取れてすごくありがたい。

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12月に買った本。
バーナディン・エヴァリスト『少女、女、ほか』の語りが素晴らしくて、最高の群像劇でした。今年の個人的ベスト本。

エリザベス・ストラウト『ああ、ウィリアム!』もとても良かった。
ストラウトが書く、時が経ち今となっては遠くて曖昧な、しかし確かな感触を伴って自分の裡に浮かび上がってくる記憶の断片を積み重ねてゆく語り方、やはりめちゃくちゃ好きです。

ニナ・ラクール『イエルバブエナ』は、年末年始休暇に読もうと取ってある。訳者の吉田育未さんがアナウンスしてくださった時から楽しみにしていました。

*

◆バーナディン・エヴァリスト『少女、女、ほか』(渡辺佐智江 訳)
◆カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(小山内園子 訳)
◆エリザベス・ストラウト『ああ、ウィリアム!』(小川高義 訳)
◆マイカ・ラジャノフ、スコット・ドウェイン『ノンバイナリー』(山本晶子 訳)
◆ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(吉田育未 訳)
◆ピーター・スワンソン『だからダスティンは死んだ』(務台夏子 訳)
◆岸本佐知子『ひみつのしつもん』
◆小学館編集部編『超短編!大どんでん返しSpecial』
◆皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』

ジェンダーやセクシュアリティのことで悩んだり、社会規範に対する居心地の悪さを感じているクィアの人たちへ、まず一番にこれを読むと良いよ!とお勧めできる本。
この本を読むと自分のラベルを発見できるとか確信を持つとか、そういうものではないのだけれど、お二人の対話を通して見え方が少し変わったり腹落ちできたり、気持ちが楽になったりするのではないかと思う。

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「紀伊國屋じんぶん大賞2023」、私が投票したのはこの3冊でした。

◆カイラ・シュラー『ホワイト・フェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史』(飯野由里子 監訳/川副智子 訳)

◆アミア・スリニヴァサン『セックスする権利』(山田文 訳)

◆森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』(←19位にランクイン)

『ホワイト・フェミニズムを解体する』は、マジョリティ女性の成功や特権の獲得のために周縁に置かれ、抑圧され犠牲となってきたマイノリティ女性による200年間の対抗史という、フェミニズムにおいて知るべき歴史と今考えるべき事柄が詰まりに詰まった濃密な、今年一番衝撃を受けた本でした。

『セックスする権利』は、著者が「必要に応じて不快と葛藤の中にとどまろうと試みた」と言う通り、分かりやすい形での明確な答えを示すものではなく、それどころかある意味でとても居心地の悪いこの一連のエッセイこそとても重要で、かつ面白く、素晴らしい語りだった。

トニ・モリスン『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』(都甲幸治 訳)

アメリカ文学史における「白人男性を中心とした思考」とその構造を分析する濃密な批評で、130ページほどだが一読では理解しきれず、ゆっくり読みかえしている。

トニ・モリスンは『タール・ベイビー』しか読んだことがなかったのだけど、少し前にサイディヤ・ハートマンの『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』を読んだことが歴史的背景を理解する助けになった。

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11月に買った本。
トニ・モリスンの『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』が素晴らしかった。
今年最初の読書がモアメド・ムブガル・サールの『純粋な人間たち』だったので、『人類の深奥に秘められた記憶』も年内に読みたいな。
今はフォロイーさんに教えてもらった、早尾貴紀さんの『ユダヤとイスラエルのあいだ 民族/国民のアポリア』を読んでいます。

*

◆モアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』
◆早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ 民族/国民のアポリア』
◆マリーケ・ビッグ『性差別の医学史 医療はいかに女性たちを見捨ててきたか』
◆三木那由他『言葉の風景、哲学のレンズ』
◆波戸岡景太『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』
◆児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』
◆ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』
◆トニ・モリスン『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』
◆井上雅彦監修『乗物綺談』

マリーケ・ビッグ『性差別の医学史 医療はいかに女性たちを見捨ててきたか』(片桐恵理子 訳)を読みました。

常に男性を基準として発展してきた医学の領域について、様々な事例をもって論じながら「医学はジェンダーニュートラル」という欺瞞を暴いてゆくエッセイ。
ジェンダーバイアスによって周縁に追いやられ、医療が遅れ健康を害する「男性以外の身体」について、男女二元論から脱却しその先を目指さんとする、誠実でかつ面白く魅力的な語りがめちゃ良かったです!

三木那由他『言葉の風景、哲学のレンズ』を読みました。

日常で直面する、言葉やコミュニケーションに感じた違和感を「今、何が引っ掛かったんだろう?」とスルーせずに見つめ直すこと。
三木さんが哲学のレンズを通して行う丁寧な思索をこうして読んでいると、自分自身の日々の景色もクリアになっていくような興奮があり、めちゃくちゃ面白い。

昨年、母に三木さんの前作『言葉の展望台』を読んでもらって読後にたくさん話をしたのだが、それ以来、クィアな話題を何でも共有して話せるようになった。
元々母とは倫理観も社会問題の認識にも齟齬が無く、これまでもSNS上の差別言説への怒りを聞いてもらったり、一緒にドラマ『POSE』を観たりしていたけれど、それでもすごく変化があった。

自分が以前にもまして「安心できる食卓」と感じられているのは間違いなくこの本がキッカケだったことを、「一緒に生きていくために」の章を読んだ時に思い出した。

自死の幇助をめぐる討論を描いた戯曲、フェルディナント・フォン・シーラッハ『神』を夏に読んだすぐ後に、ちょうどこの児玉さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』が出ることを知り、合わせて読みたいと思い発売を待っていた。

『神』では人間の自由意思と生き方が議論の中心にあったけれど、シーラッハが俎上に載せて交わされた意見や懸念(ドイツでは2020年に自死幇助禁止が裁判所により覆され、具体的な法整備の議論はこれからという状況)は、他の国々ではすでにそれらを遥かに通り越した実態が出来つつあり、更に加速しようとしていることが分かり恐ろしくなった。

『神』での、「あなたはこの自死の幇助に賛成か?反対か?」と読者が結論を下すコンセプトが、もはや問題に思える。

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児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』を読みました。

医師の幇助による自死が可能な国々で起きている、私が安楽死というものへのイメージとして持っていた「耐えがたい痛みに苦しむ終末期の人が救済策として望む選択」とはかけ離れた現状と、様々な実態についての懸念がまとめられています。

法的要件のルールがどんどん緩和され、社会的弱者への圧力とならないように設けられていたセーフガードが取り払われながら安楽死の対象者が拡大してゆく中、医療現場では安楽死容認の指標が「救命できるか否か」から「QOL(生活の質)の低さ」へと変化し始めている実情などが示されている。
そして安楽死対象者の拡大と指標の変質は、「障害がありQOLが低い生には尊厳が無い」という価値観が世の中に浸透していくことに繋がり、命の選別と切り捨てへ向かうという強い懸念も。

医療や福祉の支援があれば生きられる人たちへ、社会福祉が尽くされないまま自死を解決策として差し出す恐ろしい現実がすぐそこにある今、児玉さんの「安楽死は「賛成か反対か」という粗雑な問題設定で語れるものではない」という言葉が重く響きました。

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