今年一番衝撃を受けた本が、カイラ・シュラー『ホワイト・フェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史』(飯野由里子 監訳/川副智子 訳)でした。
19世紀の女性参政権運動以来、マジョリティ女性が白人男性との比較においての女性差別のみに焦点を当て、マイノリティ女性(人種、エスニシティ、国籍、性的指向、性自認、障害)への差別構造を積極的に利用し抑圧してきた歴史と、それらのホワイト・フェミニズムに対抗すべくマイノリティ女性が実践してきた200年間のフェミニズムの歴史。
各章ごとに白人女性の思想家と、同世代のマイノリティ女性(黒人女性、先住民女性、ラテンアメリカ女性、トランス女性)がペアになる形で語られる。
例えば【白人の同情 対 黒人の自己決定】の章では、ハリエット・ビーチャー・ストウとハリエット・ジェイコブズが、【リーン・インか連携か】の章では、シェリル・サンドバーグとアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが対となっており、今考えるべき事柄が詰まりに詰まった内容でした。
『ホワイト・フェミニズムを解体する』
1851年の全米女性権利会議での「わたしは女ではないの?」の演説が有名なソジャーナ・トゥルースについて、白人作家がトゥルースの演説内容に南部方言と架空の創作を追加して、ステレオタイプな「奴隷の乳母」に仕立てられたことも詳しく書いてあった。
トゥルースは1790年代ニューヨーク州で奴隷として生まれ、低地ドイツ語が母語であり英語をマスター。
そんなトゥルースの演説を、白人作家のフランシス・ダナ・バーカー・ゲイジが作り話とともに南部方言に書き替え、その後ハリエット・ビーチャー・ストウも、ニューヨーク生まれのトゥルースについて彼女が奴隷としてアフリカから渡航してきた際の話(!?)という架空の物語を寄稿して後押しした、と……。
「白人が心地良く受け入れた、レイシストによるソジャーナ・トゥルースの架空の言葉を覚えているのに、同時代の黒人女性たちの功績、成し遂げたものは忘れている。」
私もソジャーナ・トゥルースが南部方言で話していないと知ったのは数年前(何かの本が発売された時に批判が出ていたのを目にしたのだったと思う)なので、私もずっと白人のリベラルやフェミニストが作り出した都合の良いものだけを見ていたんだな……と改めて思い知らされた。
『ホワイト・フェミニズムを解体する』
現代においては、資本主義における搾取のシステムを無批判に踏襲する、シェリル・サンドバーグの『LEAN IN』のような権力の中心に向かって踏み出す(リーン・イン)ホワイト・フェミニズムか、それとも社会の周縁にいる人々と連携するか。
「キャリアウーマンをエンパワーするフェミニズムよりも、資本主義が生み出す死の行進を止めようとするフェミニズムに注目する人々はますます増えている。」
それと、民主党下院のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス(AOC)について、支持者からの「不休の仕事と不断の優秀さを要求する最適化の罠の舵取りを強いられている。」との指摘にハッとした。
AOCに限らず、私もスーパースター(と見なした人)へ対して「正しく」在ってほしいと手前勝手に願ったり理想を押し付けたりを、ふとしてしまう……。この「最適化の罠」については読後もたびたび考えている。
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