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発売時にスルーしてしまったマネル・ロウレイロ『生贄の門』(宮崎真紀 訳)と彩坂美月『double 彼岸荘の殺人』も、『このホラーがすごい!』の影響で読みました。

『double 彼岸荘の殺人』はしっかり謎解きがあるタイプのホラーミステリだったけれど、ものすごく積極的に物理的&精神攻撃をガンガン繰り出してくる「幽霊屋敷」「怪物屋敷」っぷりが凄かった。
そして幼馴染の女性2人の物語でもあって、ラストの選択と結末は別に悪いわけではないが2024年の新作で見たいのはコレじゃないんですよーーー!!
「異能」を持つ人間の選択と生き方と関係性に対して、どうであれ2人がこの世界を共に歩んでいくような物語が必要なんですよ!!とどうしても思ってしまう。

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『このホラーがすごい!』、今だと国内編のランキングは特定のジャンルホラーが席巻しているのかな?と思っていたら、1位は小田雅久仁『禍』で斜線堂有紀 『本の背骨が最後に残る』もかなり上位、貴志祐介『梅雨物語』や高原英理『祝福』などもランクインしていて、自分の勝手な想像とはかなり違っていた。

私は3位に入っていた北沢陶『をんごく』が最近読んだ国内ホラーの中では一番好きだった。
物語も登場人物もその心情もすごく端正な描きぶりで、ゾワッと恐いシーンもグッと気持ちが高まるシーンも良くて。
何より、人の営みと祈りや妄執が生む怪異と民俗が、ちゃんと真っ当に描かれているホラーが読めて嬉しかったんですよ。
ところで『をんごく』は作中に出てくる「ある存在」のことを、あらすじ紹介でネタバレしているけど、良いのだろうか……。そこに惹かれて読みたくなる側面もあるだろうけれど、私はできれば知らずに読んで驚きたいな。

キム・ハナとファン・ソヌ『女ふたり、暮らしています。』(2021年/清水知佐子 訳)がTwitterで急に話題になっていましたが、この本は本当におすすめです!

血縁でもなく結婚でもなく恋愛関係でもない40代女性2人が、共同名義でマンションを購入しお互いの飼い猫4匹との生活を綴ったエッセイです。
世間が当たり前に思っている「普通」の家族関係とは違う生き方を実践している人たちの個々の体験を知れることが嬉しい。

元々「ひとり力」マックスの才能でもってシングル生活を1000%楽しみ、人生を謳歌していたキム・ハナとファン・ソヌが、どうして「誰かとの生活」を望むようになったのかや、一人暮らしならば起こらない共同生活における面倒事に窮屈さを感じたり、でもその不自由を上回る安心感を覚えたり、喧嘩して衝突を繰り返しながらも譲り合って暮らす日々を丁寧に語っています。

同時に2人の生活には、女性が社会から受ける圧力や恐怖、固定観念の押し付け等が立ちはだかってくる。こうした現実に対して、この本で2人が語りかける言葉に救われる人が沢山いると思う。

安田菜津紀・金井真紀『それはわたしが外国人だから? 日本の入管で起こっていること』

日本に住む外国ルーツや外国籍である4人の方がそれぞれ直面した、日本での「壁」の体験を通して、入管施設のこと、難民のこと、差別・偏見とはどういうことであるのかが整理され、包括的に示されていた。

子供へ向けて分かりやすいように漢字には全てルビが振られ、文章にも構成にも工夫が随所に見られる、すごく良い本だった。
世間からの刷り込などで陥ってしまっている思い込みや思考の罠を、丁寧に解きほぐすように進むのがとても良かった。
この本を読むと「どんな立場の人にも人権は有る」という大事なことが自然にハッキリと分かるので、この本をそのまま教材にしてぜひ小学校などで教えてほしい……!

『ガザ日記』(収益は全額ガザ支援団体へ寄付される)を出している地平社による月刊誌、『地平』創刊号。

読みごたえのある論考やルポが詰まっていた。ジャーナリズムと真剣に誠実に向き合う『地平』のような雑誌が新しく創刊されたことがとても嬉しい。
毎日酷いことが目に入り惓むばかりだけれど、まだ希望は持てるように感じられて。

◆創刊特集「コトバの復興」
◆緊急特集「パレスチナとともに」
◆特別鼎談/岸本聡子×南彰×内田聖子「地域・メディア・市民 」

他にも沖縄、ウクライナ、イエメン、桐生市の生活保護問題、PFAS問題など様々なテーマの論考や連載、能登地震や原発訴訟のルポなども。

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6月に買った本。
近藤銀河『フェミニスト、ゲームやってる』が本当に良い本だった。上半期ベストの一冊。柴崎友香『あらゆることは今起こる』も。

◆『エブリデイ・ユートピア』クリステン・R・ゴドシー/高橋璃子 訳
◆『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』イ・ジンスン/伊東順子 訳
◆『白い拷問 自由のために闘うイラン女性の記録』ナルゲス・モハンマディ/星薫子 訳
◆『不完全な社会をめぐる映画対話』河野真太郎、西口想
◆『フェミニスト、ゲームやってる』近藤銀河
◆『それはわたしが外国人だから? 日本の入管で起こっていること』安田菜津紀、金井真紀
◆『アートとフェミニズムは誰のもの?』村上由鶴
◆『異形コレクション 屍者の凱旋』井上雅彦 編著
◆『女彫刻家』ミネット・ウォルターズ/成川裕子 訳
◆『あらゆることは今起こる』柴崎友香
◆『地平』創刊号
◆『このホラーがすごい!』2024年版
◆『吟醸掌篇』vol.5、vol.4
◆『MONKEY』vol. 33/ニュー・アメリカン・ホラー特集

『私の身体を生きる』

作家17人による、「身体」にまつわるエッセイ。自らにも内面化された強固な規範意識とその圧力への葛藤、わだかまり、怒りなどが作家それぞれの体験や思索を通して語られる。
性別を理由に受ける蔑視や暴力、様々な形で表れる人権軽視があまりに蔓延っている日本社会のリアルを改めて突きつけられるので、通して読むのがものすごく辛かった。

ただ、この本は『文學界』の連載をまとめたものだけど、企画趣旨の説明などが無い(まえがきもあとがきも無い)のは残念に感じた。なぜ今このテーマを取り上げたのか、編集部の姿勢を示してほしかった。
企画趣旨を表明するページは蛇足なんかではなく、必要だと思う。

新装版が出たのを機に初めて読んだミネット・ウォルターズ、1993年の作品『女彫刻家』。
少し引っかかる部分もあるものの面白く読んだのだけど、解説の評論家がウォルターズ作品を「女臭い」と評し、ひたすら嫌味と当て擦りで論を展開させるのが不快すぎて、読後感がめちゃくちゃ悪くなってしまった……。
作家について「女性差別用語を総動員して世の顰蹙をかっても(中略)なお忌避したい嫌悪の対象」とかそんなこと書く必要ある?

この人によると「早い話が4Fミステリなんである」とのことだが、本作が女性作家と女性翻訳家による女性読者のための女性探偵物語などと言うのなら、いっそ解説も女性に譲って「5F」にすれば良かったのでは??
作者/作品とジェンダーを雑に絡めること自体がダメだけど、でも嫌味を返したくもなるわ。

この解説は2000年に文庫化された当時のものを再録しているのだと思うけども、今これを新装版に載せるのならその旨(初出日)を明記すべきだったでしょ。私は最初、普通に今書かれた書評だと思って超ドン引きした。
というかそもそも再録しないほうが良かった……。

世界の様々な女性たちについて書いたエッセイ集は、はらだ有彩『「烈女」の一生』もとても良かったです。

トーべ・ヤンソン、崔承喜、フリーダ・カーロ、吉屋信子、ワンガリ・マータイ、プーラン・デーヴィーなど、抑圧とスティグマと共に生きた20人の人生を綴った一冊。

実を言うと本を開いた時は、他者が眼差した解釈と言葉で誰かの人生が立ち上らされることへの居心地の悪さのようなものを少し感じていたのだけど、そんな葛藤などはすでに著者は考え抜いており、この本は「彼女たちが残した感情の痕跡に、自分の感情を託す本」でした。
「烈女」たち各人ごとに要となる視点があり、その要とフレーズを反復させながらどんどん膨らんでゆく語りが素晴らしかった。

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小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』

マリ・キュリー、湯浅年子、ミレヴァ・マリッチ、カミーユ・クローデル、リーゼ・マイトナー、ヴァージニア・ウルフら、「彼女たち」の生と死に耳を澄ませる著者の真摯さに、私がかの人たちのことを「知り直した」時の沸々とした感情も蘇ってきて、ものすごく揺さぶられました。

個人だけではなく、工場で被曝し放射性障害になった「ラジウム・ガールズ」、ボコ・ハラムに誘拐され解放後に再び「学校へ通う少女たち」、学徒動員された女学生ら「風船爆弾をつくった少女たち」、旧日本軍慰安婦被害者たちとともに日本大使館前に集う「水曜日にその傍らに立ち続ける女たち」など、戦争と無関係には生きられなかった人々の声を聞き逃すまいとする著者の率直な胸の内が迫ってくる。

「偉人」のすぐ側で功績も存在も顧みられず忘れられていった女性たちが心に住んでいるのが自分だけではないことが嬉しかった。
アインシュタインがリーゼ・マイトナーを「我らがマリ・キュリー」と呼んだのは賛辞なのだとしても、私も著者と同じく何度でも繰り返したい。「我らがリーゼ・マイトナー!我らがリーゼ・マイトナー!」

小川公代『ゴシックと身体 想像力と解放の英文学』

19世紀英国のゴシック小説を、「“ゴシック”はつねに政治的な機能を果たしてきた」戦術という視点で読み解く一冊。
引用される作品を未読でも全く問題なく面白いです!

「“ゴシック”とは、因習や道徳に抗う方法論として“想像力”と“倫理”を効果的に運用する近代における新たな装置なのではないだろうか」

ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』においてゴシック小説のお約束である、犠牲となる高潔なヒロインや古城などの舞台装置が「家庭の領域」に置き換わっていることを、「家庭の領域が、ゴシックの基盤、あるいは女性を対象とした暴力、虐待、搾取のトポスとして読み直すことができる」とし、
そこからメアリ・ウルストンクラフトの『女性の虐待あるいはマライア』について「“ゴシック”に常套の展開を家庭の領域に持ち込み、女性にとっての真の恐怖物語を描いた」「当時のイギリス社会に生きた女性の現実的な恐怖やみずからの生命を守ることの価値を示そうとする戦術なのではないか」と論じる章が素晴らしかった。

降矢聡+吉田夏生 編『ウィメンズ・ムービー・ブレックファスト』

発売を楽しみにしていた、女性たちと映画を巡るガイドブック。
私はChapter 2「彼女たちの映画史」とChapter 3「映画を広げる女性たち」での、鼎談やコラムやインタビュー等が特に面白かったです。

個人的に、様々なトピックで数多くの映画やキャラクターを紹介するChapter 1は、テーマもページ作りも多彩で見た目にも楽しい反面、女性のキャラクター表象における各種ステレオタイプや、「芸術」の追求として女性たちへ注がれてきた視線や撮り方、その暴力の歴史がまとめて可視化されてもいるので、改めて振り返ることになるのが凄くキツかった。
怒りが込み上げてくるし気持ち悪いしで、思いがけずズーーンときてしまった……

上川多実『〈寝た子〉なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常』

部落出身の両親と部落ではない地域で生まれ育った著者が、幼少期から日常の中で起こる周囲とのギャップに対して何を思い、どのように向き合ってきたのかが、つぶさに記されている。
差別とその矮小化への戸惑いと憤り、両親も属する組織としての運動内部の抑圧とその在り方への疑問、大きな運動を離れ別の方法を探し実践してきた過程、他の属性のマイノリティが受ける差別と自身のマジョリティ性を知ったこと、そして子育てにおいて二人のお子さんとの接し方など、誠意にあふれた思考と実践が丹念に綴られており、すごく力をもらった。
個人的に人生ベストに入る、素晴らしいエッセイでした。

今日は早起きして家の前の側溝の泥上げを済ませ、庭の草むしりと羽衣ジャスミンの植え替えも完了。シャワーを終えたら疲労で起き上がれなくなりましたが、先に夕飯用のお弁当も買ってきてあるので今日はもう何もしません。
これで町内会の春の定例ミッション(町費、総会、側溝泥上げ)が全部終わったので、気持ちがめちゃくちゃ軽い〜!

佐々涼子『夜明けを待つ』がとても良かった。

日本製紙石巻工場の震災復興のノンフィクション『紙つなげ!』や、『ボーダー 移民と難民』などの著作がある佐々涼子さんの、エッセイとルポルタージュをまとめた一冊。

技能実習生の現状やダブルリミテッドの子どもたちへの支援についてのルポでは、「日本人が心情的な鎖国を解かなければならない日がやってくる」と佐々さんが書く一連のルポは2013年のものだが、今も何も変わっていないことに暗澹たる思いになる。

身近な人たちの死と自分自身の死について思いを巡らせる本でもあったのだけど、著者のご病気とあとがきの内容が受け止められず、最後の文は未だにしっかり読めていません……

障害者の権利保障については、清水晶子、ハン・トンヒョン、飯野由里子『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』が良い入門書となると思う。

障害の「個人モデル」と「社会モデル」の考え方や、障害者の社会生活上の不利や困難を「思いやり・善意」で解消しようとする考え方の問題点、ならば「一般の人」に必要な視点とは何かということが、対話形式でとても分かりやすく理解できます。

「障害者差別解消法」で法律が変わっても、マジョリティの障害問題に関する受け止め方が相変わらず「思いやりと優しさ」であるため、「自分たちに余裕がない時にはしなくても許される」という感覚が広がったままになっている、という話も出てくるのだけど、この数日のSNSを見ているとまさにその感覚が全く更新されていないんだな……と思う。
1990年代のキャッチフレーズ、「心のバリアフリー」のまま。

横道誠さんら5人の対話を収めた『ケアする対話』を買いに大型書店へ行ったら、何故か手話のコーナーに置いてあった。

福祉分野の書籍って、書店さんが内容を勘違いしているのか、「置く棚が違うのでは……?」と思うことが頻繁にある。
特にタイトルに「ケア」が入っている本は内容とは脈絡のないコーナーに置かれていることがよくあって、勿体ないなあと思ってしまう。色んなコーナーに分散設置してくれている場合は、すごく嬉しいのですけど。

この本のことではないですが、著者がアカデミアの人であっても、内容が専門書ではないエッセイよりの本の場合などには、エッセイの新刊コーナーにも置いてほしいなあといつも思っている。
新刊なのに最初から専門書棚に直行でひっそりと置かれていると、知る機会も興味を持つキッカケも失われているようで残念で。いろいろ難しいのだろうとは思いますが。

3月4日は国際HPV啓発デーだったらしく、子宮頸がん予防のHPVワクチンの無料キャッチアップ接種はあと1年で終了してしまうと知りました。
多くの人がHPVワクチンについての知識を得て、接種を望む人に届いてほしい。

マリーケ・ビッグ『性差別の医学史』で、英国やヨーロッパではHPVワクチン接種によって女性の浸潤性子宮頸がんの罹患率が大幅に減少した10年間の研究結果が示されていた。日本は何故これほどまでに遅れてしまったのか……。

それとHPVの保有・感染は男性のほうが多いにもかかわらず、社会においてHPVが「女性の病気」と語られ、生殖医療は女性だけが責任を負うものとされる問題も示されていた。

「裏を返せば、男性は検査も予防接種も受けられず、感染によって生じるがんのリスクも知らされていない」

アラスター・グレイ『哀れなるものたち』(高橋和久 訳)を読みました。

語りが入れ子構造になっている原作に対して、映画版では終盤のベラの書簡部分が丸ごとカットされていると知り、ベラの生き様と最後の言葉を読んだ者としてはすごく悲しい……。
ベラがこれまで奪われ続けてきたもの、選択し学び勝ち取ってきたもの、絶対に譲れない願い、それらベラという人間の人生が無かったことにされたように感じてしまう。

映画は未見ながら世界観や表現には惹かれるし、女性の主体性を一番のテーマとして描く物語になっているのだろうとは思うが、映画版がベラを主人公として語り直しているからといって、それをもって「真の意味でベラの物語」と表現されることには強い拒否感がある。
原作で描かれた一番のキモであるはずのベラから見た真実、そのベラの声を奪われたようにどうしても感じてしまって落ち込んでいる。

松田青子さんのエッセイ集『自分で名付ける』を読んだ方は分かると思うのですが(?)、アリ・アスター監督の笑顔を見ると松田さんのつわり経験のことを思い出してしまう。

「いいですか、お前は無力です、とひまわりのような笑顔で監督に言われているような気持ちになった。」
『ヘレディタリー』を観たダメージに被さる、つわりのしんどさの記憶。そして1年後に『ミッドサマー』を調べ倒したこだわりは、つわりの余波だったのだ……のくだりは読後2年経った今もハッキリ覚えているので、新作公開につきアスター監督を見るたびに松田さんの文が蘇ってくる。

『自分で名付ける』は、この社会から押し付けられる規範と抑圧へのモヤモヤを、可視化したのちブッ飛ばすような松田さんの語り口のノリと勢いに、胸がすく思い。
出産や育児の経験の有無とは関係なく全ての人にオススメの最高なエッセイです……!

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