まだ少し早いですが、12月に買った本。
『物語ることの反撃』は、2014年に刊行されたガザの若手作家たちのアンソロジー。
ガザの魅力あふれる若い人々の個性を世界の読者に示そうと(欧米メディアによって植え付けられた、非人間化された集団というイメージを払拭するために)、作者の略歴を充実させた刊行当時から、作家たちの現在のプロフィール欄が完全に変わってしまっていることを受け止められず、数日ごとにやっと一篇とその作者のプロフィールを読んでいる。
『カメラを止めて書きます』は、ドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』のヤン ヨンヒ監督のエッセイ集。録画した『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』と合わせて、冬休みに読みます。
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◆『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』リフアト・アルアライール編/藤井光 訳、岡真理 監修
◆『私の人生』ダーチャ・マライーニ/望月紀子 訳
◆『カメラを止めて書きます』ヤン ヨンヒ
◆『傷ついた世界の歩き方 イラン縦断記』フランソワ=アンリ・デゼラブル/森晶羽 訳
◆『マイナーな感情 アジア系アメリカ人のアイデンティティ』キャシー・パーク・ホン/池田年穂 訳
◆『メロディアス』井上雅彦 編
◆ 『ボストン図書館の推理作家』サラーリ・ジェンティル/不二淑子 訳
話題の年賀状じまい、祖母に相談してうちも今回で基本的には止めることにしました。
表面だけ印刷会社へ発注していますが、ハガキ代&印刷費の値上がりで今年は200枚で26,000円ほどで、昨年より2割ほど上がっていた。印刷代の値上げは仕方がないとはいえ、昨年との金額差の大きさには本当に慄く。
これまで友人の会社に印刷してもらっていたので心苦しいけれど、もう難しいよ〜……。
前職では社内で年賀状を出し合う文化があり、自部署メンバーはもちろん自分の業務と連携している他部署の人やグループ会社の人たちにも出そうね、そして役職者へは全員出すのがベターですよ、という意味不明な暗黙のルールが敷かれていたため、会社分だけで60枚以上書いていました。
思い出すとイライラしてきた、何なんだこのお金も時間もめちゃくちゃ取られる社内文化は……。総務や経理の方たちはほとんど全員と関わっているので、出す枚数が多く本当に大変そうだった。
今でも年賀状で近況のやり取りをしている前職の大好きな方々もいるけれど、この年賀状強制ルールは無くなっていてほしい。
アリアン・シャフヴィシ『男はクズと言ったら性差別になるのか』
ここまでタイトルのことでモヤモヤするのは、正直、私は書店でこの本を見た時に「ミサンドリー的な内容では……?」と怯んだのが第一印象で、信頼できる著者/内容なのか不安に思ったから。
このタイトルのようなフレーズが出てくる場合、セクシュアル・マイノリティへの偏見をはじめ様々な差別言説を内包していることも実際に多いから、どうしても警戒してしまう。
知らない著者や書籍の場合は、訳者あとがきや帯や解説を書く専門家の言葉を見て「大丈夫な本」かどうかを判断しているけれど、本書はどちらも無かったので本屋の店頭で判断することがそもそも難しかったところに、この煽りタイトルだったから……。
結果、良い本だったけども。
社会学やフェミニズムの棚に置かれていても、社会の周縁にいる人々を無視して白人キャリアウーマンだけをエンパワーする『LEAN IN』的なホワイト・フェミニズムの本じゃないかどうか、それどころかフェミニズムの本のフリをしたヘイト本じゃないかどうか、読者側は買う際にマジでめちゃくちゃ警戒しているんですよ!
ということを、出版社には本当〜に知っていてもらいたい。
BT、アリアン・シャフヴィシ『男はクズと言ったら性差別になるのか』についての、ぬまがさワタリさんの一連のトゥートは本当にその通りだと思うのですが、でも私はやはりこの邦題は良くないと思う。
前にも書いたけれどこの本は、人種差別や性差別への指摘に対して「逆差別だ!」とまぜっ返すような反論をすることをはじめ、批判や指摘を受け止めずに別の方向へ捻じ曲げる言説について、現実社会での様々なシーンを例に出して哲学のレンズで考えてゆく内容。
にもかかわらずこの邦題だと、むしろ「逆差別だ!」と主張する側の手法を取ってしまっているように感じて、ものすごく引っ掛かかる。
章タイトルでのレトリックの場合と本のタイトルになる場合とでは、受け止め方も本への印象も全く変わるし……。(まさにタイトルだけ見て差別だ!と怒っている人は論外ですが)
この本に限らず、手に取ってもらうための販促戦略とはいえキャッチーさ優先で煽動のようなタイトルを付けてしまう出版社の姿勢は疑問だし、信頼できないな……と先ず思ってしまいます。
北村紗衣『女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選』
邦題のせいでスルーしていた昔の映画が、そんな内容だったの!?と本書で知って驚いたりも。
『ベッカムに恋して』がロンドンで暮らすインド系移民のヒロインがサッカーを志す話だなんて、今の今まで知らなかったよ。しかもパーミンダ・ナーグラ主演でアーチー・パンジャビも出てる!観れば良かった!
同じく原題の意味が消えてしまった残念邦題の『キューティ・ブロンド』は、昔観た時に、ヒロインのエルはもちろん他の女性たちもその関係もめっちゃ良くて好きな映画だった。
そして当時まだ、邦題や宣伝のダサピンク現象という問題を意識できていなかった子供の自分でも、このタイトルは嫌だなと思っていた。本当に日本の配給は考えてほしい……。
北村紗衣『女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選』
圧倒的に男性中心的な場である映画界の価値観が反映された「名作リスト」ではなく、女性をはじめ自分は多数派に属していないと感じている人のための映画おすすめリスト。
私も子供の頃にいつも、女性が主人公の映画を観たくて雑誌やフリーペーパーで探しながらレンタル店へ通っていたことを思い出しました。
今ですら、女性やマイノリティの様々な側面や表象を描く物語で溢れているとは全然言えないし。こういう映画ガイドをもっと読みたいし、もっとたくさん必要。
今鑑賞したら引っ掛かる部分もあるのだろうけれど、これは中学や高校の時分に観ておけば良かったなあ……と思う作品がたくさん紹介されていました。
いま読んでいるサラ・アーメッドの新刊『苦情はいつも聴かれない』を買いに行った時に、社会学やフェミニズムの棚に見当たらなくて、検索機で探すとビジネス書のコーナーに置かれていた。
最初は「えっそこなの?」と思ったけれど、組織内での差別やハラスメント等への苦情の声を無力化するメカニズムについて書かれた本だから、ビジネス書棚を見ていた人に手に取られるのはとても良いなあ。(社会学の棚にも置いてほしいけども)
この本に限らず人文書の新刊が専門書棚に直行してしまうと、こういう本があるということを知る機会が減ってもったいないから、興味を持つキッカケが出来るようにあちこちの棚に分散して置かれていると良いのにな。本屋の中を見て回るのももっと楽しくなるし。
難しいのだろうとは思いますが……。
11月に買った本。
パレスチナ出身の作家アダニーヤ・シブリー『とるに足りない細部』は、静かで克明な筆致から濃密なイメージがまざまざと立ち現れた。現在も続く暴虐を重ねずにはいられない凄まじい切迫感に、読み終えて改めてタイトルを思う。
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◆『とるに足りない細部』アダニーヤ・シブリー/山本薫訳(河出書房新社)
◆『女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ』メリッサ・M・シュー+キンバリー・K・ガーチャー編/三木那由他+西條玲奈監訳(フィルムアート社)
◆『苦情はいつも聴かれない』サラ・アーメッド/竹内要江、飯田麻結訳(筑摩書房)
◆『傷つきのこころ学』宮地尚子(NHK出版)
◆『〈弱さ〉から読み解く韓国現代文学』小山内園子(NHK出版)
◆『女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選』北村紗衣(書肆侃侃房)
◆『柚木麻子のドラマななめ読み!』柚木麻子(フィルムアート社)
◆『死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか』春日武彦(朝日新書)
◆『魔女の檻』ジェローム・ルブリ/坂田雪子監訳、青木智美訳(文春文庫)
◆『血腐れ』矢樹純(新潮文庫)
◆『撮ってはいけない家』矢樹純(講談社)
◆『さかさ星』貴志祐介(KADOKAWA)
◆ 『GOAT ゴート』(小学館)
『柚木麻子のドラマななめ読み!』は2014年に始まった連載の書籍化なのですが、各話ごとに現在の視点からの振り返りが加筆されているのがとても良かった。
今ではもはや素直に読めない事柄も出てくるので、著者自身が当時と現在では作品への思いや俳優に対する認識が変化していることが分かる構成だったからモヤモヤが残らずに読めた。こういう本作りすごく好き。
そして番外編として、芦原妃名子さんの漫画『セクシー田中さん』の原作改変について(作家でありドラマ脚本も経験した自分の体験から、原作者が守られるようにとの思い)や、ファンを公言していた俳優の性加害について、被害者やファンに今の思いを語らせることへの批判(加害が当たり前の社会で「個人の知恵や直感やセルフケアでなんとか生き抜いてください」とぶん投げられていることの表れであり、そんなのは「自衛の啓蒙」ではないか)など、他社で書かれたエッセイも載っている。
ドラマがテーマのこの本で、これらのエッセイを入れるのはとても誠実だし、入れてくれて本当に良かった。
読んだ本のことなど。海外文学を中心に読んでいます。 地方で暮らすクィアです。(Aro/Ace)