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『地平』1月号で、緊急特集「アメリカー選挙と民主主義」、特集「大阪デモクラシー 維新政治の次へ」が組まれています。

 後者では大阪公立大学の前川真行くさんが「大阪維新 2008-2024 東京から大阪へ、そして東京へ」を寄稿してくれています。

 前川さんは、維新による大阪女子大学時代から、女子大学と大阪府立大学の統合、さらに大阪府立大学と大阪市立大学の統合(大阪公立大学へ)へ、という15年に渡る大学への維新の介入に、当事者として抵抗して来た方でもあります。

 この論考では、維新政治を中曽根から始まる新自由主義と大阪土建政治との「結託」という長期のタイムスパンで分析、また所謂「ポピュリズム」も決して関西特有のものではなく、昨今の石丸現象に見られるように、東京のメディア政治とも連動していることが解き明かされています。

 また兵庫県知事選で稲村陣営の共同世話人を務めた、元兵庫県弁護士会長の津久井進さんが、「兵庫県民の選択 ウェブポリュリズムの抬頭」を寄稿。

 津久井さんは私の中学・高校の同級生でもあります。
 今度の原稿は投票日の17日の結果が出てから徹夜で書き上げ、18日早朝に入稿したとか。お疲れ様でした。

 ご関心のある方は、ご笑覧・ご購読いただければ幸いです。

 さて、16世紀―17世紀の後期ネーデルランド人文主義の大きな特徴は「自然法」の世俗化です。

 「自然法」の概念は中世のトマス・アクィナスにおいても中心的な位置を占めていました。皇帝の政治的権力もこの「永遠の法 lex aeterna」に拘束され、逸脱した場合は、「抵抗権」が発生する。

 ただし、中世自然法はあくまで「神」の存在に結びついたもの。また中世後期から近世にかけ、政治権力の基礎づけとしての「自然法」は揺らぎを見せ、マキャヴェリやボダンにおいて「自然法」は周縁化される。

 自然法が世俗化=「神」から「解放」され、理性と結びつくようになるのは、リプシウス、さらに「国際法の父」として著名なグロティウスにおいて。グロティウスは、自然法を「仮に神が存在しなくとも普遍的に妥当する」と断定、さらに主権を共同で所有するのは「人民 populus」であるとする。

 「商業社会」であった当時のネーデルランドの思想家らしく、グロティウスは、「合意は守られるべし」として「契約」を社会成立の根底に置く。

 このグロティウスの契約論は、ドイツのプーフェンドルフへ、そしてルソーへとー断絶を含みながらー引き継がれていく。プーフェンドルフの「人及び市民の義務について」は89年の人権宣言の基礎の一つともなります。

 

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三宅 芳夫 さんがブースト

地平 1月号 が届いていたので、待ち時間の間、車内で読んでいる。

ところで、最近、ZINEが注目されているのだろうか?

三宅 芳夫 さんがブースト

『キングメーカー 大統領を作った男』
『KC金大中IA 南山の部長たち』
『ソウルの春』
『弁護人』
『光州5・18』
『タクシー運転手 約束は海を越えて』
『1987、ある闘いの真実』
『工作 黒金星と呼ばれた男』

ほかに韓国近現代史をベースにしたような映画があったら教えて下さいませ。

三宅 芳夫 さんがブースト

今日未明の現場では武力封鎖された韓国の国会の中に朝日の記者がいたり、日本のメディアの人たちは肉薄してツイートしてたのだが、日本の方の編集局がそれを大ニュースとして扱わなかった。おそらくこれは感性の劣化ではなく構造的な問題なのである。

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三宅 芳夫 さんがブースト

構造的な問題はなにか。こちらはいわば「中の人」の見解。人員削減と「働き方改革」の問題に注目している。新聞社の人員削減は月刊「地平」でも現場からの報告がいくつかあった。NHKにも同じ問題がありそうである。

x.com/kando_abugen/status/1864

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三宅 芳夫 さんがブースト

「ペパーミント・キャンディー」
「なつかしの庭」
「チスル」
「トンマッコルへようこそ」
「国際市場で会いましょう」
「高地線」
「大統領の理髪師」
「ユゴ 大統領有故」

などいろいろ教えてもらいました!見てないのいろいろあります。

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三宅 芳夫 さんがブースト

日本社会は「この年齢でこれを完了する」というステージ方式で、各ステージを順番にクリアしていることが前提になっている。小学校から大学まではもとより、その後社会人になって結婚して子どもができてローンを組んで家を買って… というステージを順番にクリアしないと、途中からいきなり任意のステージに入る、ということが実に難しい。人生のキャリアパスがフィックスされているわけですな。

25年海外にいて、そこからふらっと日本にまた住み始めた私のような人間は、このステージ方式の埒外にあるので、キャリアパスは完全に破綻している。たとえば、クレジットカードを作るのは就職するかあるいは裏技をつかわねば非常に難しい。一種の移民なのである。たとえ例えば大学に就職したとしても科研費をもらうとかもこのステージ方式である。社会システムが排外主義なのね。ホント。

三宅 芳夫 さんがブースト

BT

本当にそう思っています。

芸術、スポーツ、思想、政治・・・、
生活に最低限必要で行うこと以外の人の営みは本来的にはすべて、人間の可能性の追求、なのだと思っています。

「最後まで行く」"aller jusqu'au bout"というフランスの言い方がありますが
韓国でもほぼ同じ「最後まで行く」"끝까지 가다"という言い方があります。

限界にむかって
どこまでいけるか、をずっと探求して「最後まで行く」ことを継続する。

氷上で軽々とジャンプして回転するひとを見たときに
「人のからだって、こんなことが出来るのか!」と驚かされるように、
韓国の映画、本、K-POPなどには「こんな表現ができるのか」といつも驚かされますし、そのひたむきさに打たれます。

今回のように
多くの韓国市民の姿に、驚かされ勇気づけられるのは、権力と闘い、民主主義の実現のため「最後まで行く」姿勢をつらぬき続けるところを彼らが見せてくれるからなのだと思います。

K-POPのダンスに憧れて、拙いながらも見よう見まねで踊りはじめるように、
韓国の鮮やかな民主主義の実践を見て、私たちなりの民主主義を見よう見まねでやり始めればいいんじゃないか。拙くても、そこから始めるしかないのだから。そう思わせる力が彼らにはあると思います。 [参照]

三宅 芳夫 さんがブースト

昨今韓国の文化が熱いわけであるが、これは昨日未明のクーデターとそれをおしとどめた民衆の熱さのA面とB面なのだろーなー、と思う。

いやじっさい、さいきんの韓国の映画とかドラマ、日本の映画よりはるかに面白い。KPOPのアイドルとかをみていても、日本の学芸会みたいなアイドルたちとはエロさもかっこよさもかわいさも美しさも迫力が違う。生きている、という手応えと実感が実存にあらわれているのだろーね。理屈も何も無い意見であるが。

日本の「虎に翼」はたしかに面白かったが(最後までみていないものの)、あの面白さは生命のど迫力が面白いわけではなく、理屈に納得、という面白さであった。その「はて?」の一寸先で終わってしまう理屈がさらに拡張しすみずみまで身体化されたときに、あのど迫力で自動小銃に対峙する人や、特殊部隊と押しくら饅頭する背広の補佐官たち、およびTwiceやBTSのような美しい人々が出現するのであろう。

 拙著『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』において、新自由主義グローバリズム的再編によって、人類が歴史的に大きな分岐点を迎えていることを私は論じました。

 資本主義が迎えつつある危機、政治の世界でも、ここ所急速に前景化しつつある。日本では衆院選で自民・公明与党及び安倍派・維新連合大敗、その後の兵庫知事選では、後者の「闇の勢力」、「法の支配」を一顧だにせず、ファシズム的に権力を掌握せんとする。

 ここで一言必要なのは、斎藤を支えたのは朝比奈社長に象徴される土建屋ネットワークであること。朝比奈氏は安倍派首領西村康裕の20年間に渡る事実上の後援会長であり、その意味では斎藤を支えたのは絵に書いたような「既得権益」集団。

 そして覇権国家米国ではトランプが「トリプル・レッド」で圧勝。パレスティナではイスラエルがジェノサイドを実行しながら、ハマス、ヒズボラーの指導者を血祭りにあげ、さらにイランと事を構えようとしている。

 隣国韓国では、尹大統領が時代錯誤のクーデター未遂を企て、失敗。

 さらに仏では、マクロン政権のバルニエ内閣に対する不信任が可決。CGTを始めとする労組は明日からストに突入。

 どうも、世界の危機、地球上で同期しはじめたようだ。日本社会も根本からの転換が迫られるだろう。

 さっき薬局のTVで、今回の尹大統領のクーデター未遂事件を報道していたが、「強権的とも言える手法」と他人事のように報道していた。

 これ、「強権的とも言える」という表現、厳密に言えば「強権的」とまでは「言えない」かも、というニュアンスを含む。

 しかし、軍を動員した、時代錯誤のクーデター未遂より、「強権的」と言える手法あるのだろうか?

 如何にも日本のTV的だが、「今日のソウルの繁華街には、昨日夜の事件を知らない人も」などと言って、「よくわかりません」と話す若者を登場させていた😡 。

 このTVの「街の声」、これはいくらでも取捨選択できる典型的な例である。

 韓国野党は、尹大統領を明後日金曜までに弾劾訴追する構えというが、これは当然だろう。

 尚、東浩紀氏は、現在は株式会社「ゲンロン」の社長ではないようです。勿論、実質的には主催者ではあるけれども。しかし、この「ゲンロン」とやら、一体何を議論してるのやら・・・

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 ゲンロン(株)社長、ZEN大学教授就任予定の東浩紀氏が、韓国の尹大統領のクーデター未遂事件について、「教訓」として「緊急事態条項をきちんと整備しておくべき」などと世迷い亊を発信しているようだ。

 「難しい所」などと留保をつけてみせているが、要するに常に東浩紀が極右改憲派の「側面援助」の役割を果たしていることに拠る。先の兵庫県知事選挙でも三浦瑠麗と同じくこの役割を果たしている。

 東氏は「日本は空気が暴走する国なので」などと仰っているが、「暴走している」のは君だろ!常に「右」にだけど。

 ところで、山尾志桜里氏も今回の事件を利用して「緊急事態条項の必要性」を訴えているようだ。この人の極右改憲派への「転落」も早かったな―。ま、自分の「思想」というものがない優等生なので、「転向」という屈折もない所が彼女らしいけれども。

 しかし、東氏にしても山尾氏にしても、韓国の状況には全く知識も関心もないのに、即座に「緊急事態条項」の必要性を言い立てるあたり、御用知識人の「面の皮の厚さ」だろう。

 ところで、緊急事態条項、当時「民主的」とされたワイマール憲法に埋め込まれ(誰によっては言わないでおく)、結局大統領独裁、ナチスの独裁へと道を開いたことは20世紀の歴史が教える所である。

 韓国の尹大統領の時代錯誤の「クーデター未遂」事件、当然ながら失敗に終わったようだ。

 与党、検察、警察も「何も知らせされておらず」、取り巻きと一部の軍関係者だけ、だけではクーデターなど可能な筈はない。

 ちなみに韓国では朴正煕政権以来の経済成長、IMFショック、その後のリスタートの三段階で「財閥」は一貫して力を増して来た。これは個別の関係者が収賄などで逮捕されることがあるのとは別問題。他方、軍は民主化以降、その力を低下させてきた。

 これに対し、強力な権力を維持してきたのは検察である。尹大統領は検察出身ではあるが、その検察にそっぽを向かれているようではどうしようもない。

 先日紹介した「旋風」でもそうだが、「ザ・キング」、それに民主化を描いた「1987」などを観ても韓国の検察の政治力は凄い。日本の検察もほんとは凄いのだが、それを表には出さない。韓国の場合、「選挙で選ばれた大統領より俺たち検察の方が上」というメタ・メッセージを隠さない。

 このあまりに強すぎる検察権力を牽制するためにムンジェインの時に「検察改革」を公約としたのだが、これは道半ば。カウンターとして右派から元検事総長の尹が大統領になる。ただしあまりに政治的に無能なため支持率は低迷。破れかぶれでクーデター未遂というところか。

三宅 芳夫 さんがブースト
三宅 芳夫 さんがブースト

韓国の友達に聞いたら、明日監査院という機関の院長が弾劾される予定で、そうすると芋づる式に尹大統領も弾劾されることになるはずで、それで今日尹大統領が強硬手段に出たということらしい。

三宅 芳夫 さんがブースト

韓国は先ほど尹大統領が非常戒厳を宣布しました。軍事独裁時代に宣布された戒厳令を2024年に宣布したのです。尹氏がバカなのは前から知っていましたが、本当に頭がおかしくなった様です。

jp.yna.co.kr/view/AJP202412030

  参院で村上総務相が立憲辻本議員に質問に答える形で、先の兵庫県知事選で斎藤陣営が行った「脱法」的やり口を「一般論」としては、「公選法違反の恐れがある」と答弁したようだ。

 総務省というと、各種選挙の事務関係の責任官庁。総務大臣は最高責任者にあたる。

 その総務大臣が記者会見ではなく、国会答弁で「一般論として公選法違反の恐れがある」としたことは極めて重い意味を持つ。

 つまり、国会で総務大臣が個別の案件について、「公選法違反」と答弁する可能性はないので、実質、今回の兵庫県知事選の斎藤陣営の「やり口」が公選法違反にあたるかどうかは、神戸地検と兵庫県警が判断する、ということになる。

 これで国から神戸地検と兵庫県警に「ボールを投げられた」ことになる。

 常識としては、先日の告発状と合わせて、もはや「捜査をしない」という選択肢はなさそうだが、さてはて?

 いずれにせよ、包囲の環は少しづつ狭まってきたようだ。ちなみに総務省村上誠一郎は長く「反安倍」で自民党内で干されて来た人物であり、彼が国会答弁でここまで踏み込んだことで、まずは斎藤、朝比奈は「枕を高くして眠れなくなる」ことは間違いない。

 あの能天気なOUIの折田社長はどうかしらないが。
  [参照]

三宅 芳夫 さんがブースト

 1944年11月、フランスがWWIIの際動員したセネガル兵を復員後、兵舎に収容、捕虜のドイツ兵より劣悪な環境に抗議したセネガル兵たちを虐殺した「ティアロエ」事件。

 80年を経て、仏マクロン大統領がこの「虐殺事件」を公に認めました。

 フランスはWWIの際もセネガル人を主に「狙撃兵」として動員。WWIIの際はノルマンディー上陸に合わせた南仏上陸作戦では、セネガル兵、アルジェリア兵を大量に動員、多くが戦死しました。

 しかし終戦後、一転してフランスはアルジェリア、セネガル、マダカスカルなどの植民地独立を軍事力で抑圧。アルジェリアのセティフでは数万人、マダガスカルでも数万人をそれぞれ虐殺。

 アルジェリアではその後、戦争へと突入、数百万人のアルジェリア人が犠牲となる。

 仏第四共和政はWWII後、インドシナ、チュニジアと植民地独立問題への対応に苦慮し続けたが、ついに1958年ド・ゴールによるクーデターによって崩壊。

 1944年の虐殺に戻ると、セネガル出身の作家・映画監督ウスマン・サンベーヌ(1923生、ファノンと同世代)は「ティアロフ兵営」を1987年に撮影。これは私は在仏中に観たが日本では未上映。

 ただし、小説「黒人沖仲士」、「セネガルの息子」などは日本語訳がある。

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