昨今韓国の文化が熱いわけであるが、これは昨日未明のクーデターとそれをおしとどめた民衆の熱さのA面とB面なのだろーなー、と思う。
いやじっさい、さいきんの韓国の映画とかドラマ、日本の映画よりはるかに面白い。KPOPのアイドルとかをみていても、日本の学芸会みたいなアイドルたちとはエロさもかっこよさもかわいさも美しさも迫力が違う。生きている、という手応えと実感が実存にあらわれているのだろーね。理屈も何も無い意見であるが。
日本の「虎に翼」はたしかに面白かったが(最後までみていないものの)、あの面白さは生命のど迫力が面白いわけではなく、理屈に納得、という面白さであった。その「はて?」の一寸先で終わってしまう理屈がさらに拡張しすみずみまで身体化されたときに、あのど迫力で自動小銃に対峙する人や、特殊部隊と押しくら饅頭する背広の補佐官たち、およびTwiceやBTSのような美しい人々が出現するのであろう。
BT
本当にそう思っています。
芸術、スポーツ、思想、政治・・・、
生活に最低限必要で行うこと以外の人の営みは本来的にはすべて、人間の可能性の追求、なのだと思っています。
「最後まで行く」"aller jusqu'au bout"というフランスの言い方がありますが
韓国でもほぼ同じ「最後まで行く」"끝까지 가다"という言い方があります。
限界にむかって
どこまでいけるか、をずっと探求して「最後まで行く」ことを継続する。
氷上で軽々とジャンプして回転するひとを見たときに
「人のからだって、こんなことが出来るのか!」と驚かされるように、
韓国の映画、本、K-POPなどには「こんな表現ができるのか」といつも驚かされますし、そのひたむきさに打たれます。
今回のように
多くの韓国市民の姿に、驚かされ勇気づけられるのは、権力と闘い、民主主義の実現のため「最後まで行く」姿勢をつらぬき続けるところを彼らが見せてくれるからなのだと思います。
K-POPのダンスに憧れて、拙いながらも見よう見まねで踊りはじめるように、
韓国の鮮やかな民主主義の実践を見て、私たちなりの民主主義を見よう見まねでやり始めればいいんじゃないか。拙くても、そこから始めるしかないのだから。そう思わせる力が彼らにはあると思います。 [参照]