1944年11月、フランスがWWIIの際動員したセネガル兵を復員後、兵舎に収容、捕虜のドイツ兵より劣悪な環境に抗議したセネガル兵たちを虐殺した「ティアロエ」事件。
80年を経て、仏マクロン大統領がこの「虐殺事件」を公に認めました。
フランスはWWIの際もセネガル人を主に「狙撃兵」として動員。WWIIの際はノルマンディー上陸に合わせた南仏上陸作戦では、セネガル兵、アルジェリア兵を大量に動員、多くが戦死しました。
しかし終戦後、一転してフランスはアルジェリア、セネガル、マダカスカルなどの植民地独立を軍事力で抑圧。アルジェリアのセティフでは数万人、マダガスカルでも数万人をそれぞれ虐殺。
アルジェリアではその後、戦争へと突入、数百万人のアルジェリア人が犠牲となる。
仏第四共和政はWWII後、インドシナ、チュニジアと植民地独立問題への対応に苦慮し続けたが、ついに1958年ド・ゴールによるクーデターによって崩壊。
1944年の虐殺に戻ると、セネガル出身の作家・映画監督ウスマン・サンベーヌ(1923生、ファノンと同世代)は「ティアロフ兵営」を1987年に撮影。これは私は在仏中に観たが日本では未上映。
ただし、小説「黒人沖仲士」、「セネガルの息子」などは日本語訳がある。