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  世紀末プラハ、グラーツの作家としては、カフカの他に他にR.M.リルケ(1875生、母方がユダヤ系)、「特性のない男」R.ムージル(1880生)がいます。

 カフカ(1883生)の父はチェコ語を母語とするユダヤ人、母はドイツ語を母語とする「同化ユダヤ人」。

 カフカ本人の母語はドイツ語。カフカも「ユダヤ人」という自己意識はなかったが、ガリシア(現ポーランド)からのアシュケナージの移動劇団とイデッシュ語に触れる中で、自己の「ユダヤ系」を再考するようになる。

 ショースキーやモッセの研究でも明らかなように世紀末ウィーンとWWI後のベルリンは、ドイツ語を母語とするユダヤ人によって支えられていた。これに中世以来ユダヤ人ゲットーがあったフランクフルト(アドルノ、ホルクハイマー)、それにW.ベンヤミンを加えてもいいだろう。

 それにしても「人生」を不条理な監獄と見立てて、そこからの脱出の「不可能な」試みを悲喜劇的に描写する、というナラティヴはある意味非常にフランス的でもある。

 両大戦間にカフカを「発見」した時の驚きをボーボォワールは自伝に記している。

 サルトルはブランショをカフカ的な視点から高く評価し、一般読者に紹介する批評を書く。ただし、やや「ユーモアに欠く」とした。左ムージル、右リルケ
 

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