今日はUplink京都で「香港、裏切られた約束」を見た。2019年の香港のデモがどんどん大きくなり、当局の弾圧も過酷化していく様を2時間ほど見ることになり、結構精神的にきつい。終わった後は監督と駒込武さんのトークショー。それが終わった後はパンフレットに監督のサインをもらった。
まず、感想としては「俺は2019年のことも忘れかけていたのか」という自分の「健忘症」と、「独裁政権の生の暴力装置」たる警察(及び買収されたヤクザ)の非道さへの恐怖と怒り、に集約されるか。「民意」を気にしない政権はどこも似たようなもの。最初は平和的なデモを志向していたが、あまりにも警察の暴力が酷いので「殴られっぱなしでは事態は動かない」と判断したグループがどんどん過激になっていく過程もこの映画は追っている。最終的には大量の逮捕者と亡命者(監督もその一人)を生み出すことになる。
アフタートークで駒込武さんがおっしゃっていたが、「ガザのジェノサイドにドイツが文句を言えないという構造は、中国の香港政策に苦言を言えない日本と相似形。反対表明するのは少数派」というのに頷きつつ、僕は沖縄での基地反対グループに対する「暴力」を思い起こしていた。
ということで、僕同様、5年前のことを忘れかけている人は、もう一度思い出すために、この映画をおすすめ。
今日は研究会。龍谷大学大宮校舎にて、オリオン・クラウタウさんの『隠された聖徳太子ー近現代日本の偽史とオカルト文化』(ちくま新書)の合同書評会。僕も何か発言しようとは思ったけど、今回のオリオンさんの本は「その通りだよな」「あ、これは知らなかった」という感想ばかりで、実は疑問、質問が浮かばなかったというのが正直なところ。
各コメントを聞きながら思ったのは、ちょっと牽強付会ながら、僕の修論って、実は一種の「偽史」研究だったのかもしれない、ということ。僕は修論で、内田良平とか玄洋社(黒龍会)系列の連中が朝鮮に対してどんな考えを持っていたか、自分たちの活動をどう粉飾して述べたか、というのを調べていた。彼らは『日韓合邦秘史』みたいな言い方で自分の都合の良い物語を紡いだわけだが、僕は彼らのそのメンタリティ(なぜそのような「物語」を必要としたか)を分析しようとしていたので、一種の「偽史」研究だったのでは、と後付けだが思った次第。
聖徳太子に対して罰当たりな話をしているせいか、京都は猛烈な雨と雷。というか、こういう冗談が出ること自体、梅原猛的な聖徳太子像なのよね(笑)。素直な子供だったから、『隠された十字架』、信じてたもんね(山岸凉子先生の『日出処の天子』読んだ後に手に取ったのだが)。
ナチズム研究者の田野大輔先生が冗談半分(つまり真面目半分)で作った「源泉徴収はナチスの発明手間はありません」と書かれた「思想の強い」Tシャツとトートバッグを購入した。近々デビューよていです。お求めはこちらからどうぞ。
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ここで「思想の強い」と言っているのはもちろん皮肉で、田野先生の意図は「私は物事を是々非々で見る姿勢を持っているので、ナチズムのような悪の権化と見做されているものでも、評価すべきものはちゃんと評価します」と言って、自分の中立性とか「思想の弱さ」を前面に押し出す連中の浅薄な知識と、それに隠された「思想の強さ(要するに、かつての帝国主義国家の諸悪を相対化したいという強い欲望)」を炙り出すといういじわるグッズ。
先日田宮二郎版の「白い巨塔」(1978)を見た勢いで、DVDで「華麗なる一族」(山本薩夫監督、1974)を見た。キャストでダブる人が多すぎて脳が混乱している(笑)。順序は逆なのだが。にしても、長いな、これ(211分)。 で、結局約3時間半、一気に見てしまった。ウイスキーのロック二杯を飲みながら。とにかく濃すぎ。徹底して俗悪な主人公を演じた佐分利信と原作者の山崎豊子、すげえよ。カタルシスは酒井和歌子演じる末娘の駆け落ちだけだもんな。酒とストーリーでフラフラしています。あと、娘婿役の田宮二郎、やっぱカッコいい。 その田宮二郎演じる大蔵官僚は最後に銀行局長になることが示唆されるが、銀行員だった亡父が「銀行局の課長は電話一本で都市銀の頭取を呼び出せる権力があるんだ」とか言ってたな。東大を受験する僕に間接的に官僚になるのを勧めたのかも知れないが、そっち方面には全く興味が湧かず、文学部の、しかもマイナー学科の宗教学科に行きしっかり裏切ってしまって、お父さん、ごめん(笑)。
小野寺拓也・田野大輔『ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)読了。最初、2段組で怯んだが、読みやすい文章でサクサク読めた。結局ナチスの「発明品」は、「すでに行われていたこと、他人がやろうとしたことを横から奪って「我々の業績です」と宣伝すること」だけだったか…。
一カ所だけ「あれ?」と思ったのは、「(環境・動物保護を推進して)「人間中心主義」の否定が行き着いた極北、それが強制収容所での有機農法であった」(p.94)という一節。遺体を肥料にすることなどが例示されているこの文脈では「否定」で正しいのだが、僕は高橋哲哉先生に「ナチズムはヒューマニズムである(要するに「この人種は絶滅させてもいい」というような判断を神ならぬ人間がおこなった「神が死んだ」人間中心主義のことを指す、と僕は理解している)」という衝撃的な掴みを一般教養の「哲学概論」で聞いた世代なので。
横浜国立大学名誉教授で、美学者の室井尚さんが21日に亡くなられた。僕の従姉妹が室井さんの妻なので、僕は「姻戚」ということになる。
昨日の本葬は、僕が卒業式と謝恩会だったので欠席し(母と姉は出席)、その前日にご自宅に伺い、お顔は拝見した。
専門が違うので、学問的な議論を戦わせたようなことはないが、昔から本を送っていただいたりして、一応「読者」ではあったつもり(いわゆる「ニューアカ」も、室井さんから得た情報だった)。あとは結構「戦闘的」なブログを愛読していた。あ、思い出した。1992年の正月、祖母の家に行った時、僕は東大文学部の宗教学科に進学することが内定していて、そのことを室井さんに話したら「え、宗教学なの?」と一言何か言われたはず。多分室井さんの東大宗教学のイメージは、中沢新一先生経由でしょうけど(笑)。
ある意味、生前最後の講演(3月12日)にお邪魔できたのは幸いだった。魂は向こうに行っても、本は残っている。改めて、これまで書かれた本から今後のさまざまな「ヒント」をもらおうと思っている。RIP。
山本直樹『定本レッド』の最終巻(4巻)読了。陰惨且つ悲惨な結末は分かっているのにぐいぐい引き込まれる。ついでに本棚から大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋、1996)と安彦良和『革命とサブカル』(言視舎、2018)もパラパラ見てしまう。
安彦良和さんは元連合赤軍の青砥幹夫と植垣康博と元々知り合いで、対談しているのだが、永田洋子の『十六の墓標』をリライトしてまとめたのは実は植垣氏というのが明らかにされていて(pp.130-2)、びっくりする。
以前、「閉塞空間での狂気」ということで、連合赤軍とオウム真理教がくらべられたりもしたが、ともに「真面目すぎた」が故の暴走だよな。オウムの場合は、あるアメリカ人の研究者が言ったように「この世を救うために、この世を滅ぼしてやる Destroying the world to save it」(ロバート・リフトン)という世界だけど。
今日は休日の京都の街中にふらっと出かけた。観光客もすっかり戻っていますね。
高島屋京都店で開催されている、陶芸家の加藤泰一さんの個展にお邪魔する。加藤さんは毎年この時期に、この百貨店で個展を開かれる。数年前にファンになってから、毎年出掛けている(今年は2月28日まで)。
今日は青磁のマグカップと、コッテリと釉薬が乗っかったぐい呑をチョイス。こんな器を買ったからには、当然日本酒が飲みたくなるわけで、最近イオンモール京都から街中に移転した「浅野日本酒店」に初めて行き、島根県安来市にある吉田酒造の「月山純米吟醸」というのを買ってきて、家で早速いただく(こんな名前だったから最初は山形のお酒かと思ったら、島根でびっくり)。初めて試した銘柄だが、フルーティで良いね、これ。
年末年始に読む漫画を購入。まずは山本直樹『定本レッド』1、2巻(太田出版)、宮﨑克・魚戸おさむ『がんばりょんかぁ、マサコちゃん』1巻(小学館)、細野不二彦『1978年のまんが虫』(小学館)、上山道郎『悪役令嬢転生おじさん』4巻(少年画報社)。ハードな内容からライトな内容という紹介順。
『がんばりょんかぁ、マサコちゃん』は、公文書改竄に関わらせられて命を絶った赤木さんがモデルの物語。こんなハードな話が『スピリッツ』で連載されていたなんて知らなかった。表紙をめくって冒頭にある言葉が、既に重い。ついでに言うと、元首相の国葬儀に僕が反対していた理由は「国会で虚偽答弁をしまくり」「公文書改竄を示唆したと目される」ような人物でもあったからです。
新聞の渡辺京二さんの訃報の記事を『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005)に挟み込む。彼の『北一輝』(朝日新聞社、1978)も買ってはいるが、実は未読。実は北一輝って、僕にとってはなかなか食指が動かない対象なので。
僕が渡辺さんの名前を知ったきっかけは恐らく石牟礼道子『苦海浄土』の解説「石牟礼道子の世界」ではなかったか。石牟礼さんの残酷で美しい曼荼羅めいたこの作品の「創作秘話」を教えてくれたものとして記憶に残っている。少し引用すると「『苦海浄土』は聞き書き謎ではないし、ルポルタージュですらない。(中略)石牟礼道子の私小説である(p.309)」「すると彼女はいたずらを見つけられた女の子みたいな顔になった。しかし、すぐこう言った。「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」。この言葉に『苦海浄土』の方法的秘密のすべてが語られている。それにしても、何という強烈な自信であろう(p.311)」
『逝きし世の面影』も色々毀誉褒貶がある書物だが、今度じっくり読んでみたいと思う。
このところ、寝る前に『学研の図鑑 LIVE 昆虫』(2022年)を眺めて童心に戻って楽しんでいる。監修は、NHKラジオの「子ども科学電話相談」でお馴染みの丸山宗利先生。
この図鑑の何が凄いかって、全て「生きている時の写真」で、標本がないんだよね。驚き。
あと、改めて昆虫の生態の摩訶不思議さに虜になっている。特に「擬態」と「寄生」のメカニズムには驚かされる。神様のデザインとしても、ここまで凝ったものは作らないだろうと思う。例えばナナフシなんて、そこまで枝に似せなくてもと思うし、「狩りバチ」の餌食になる虫って、前世でどんな悪いことをしたら、とまで思う。大人も楽しめますね、図鑑は。本屋で時々「プレゼント包装はいたしますか?」と訊かれますが。
川瀬貴也。大学教員。宗教学者。専門は日韓近現代宗教史。宗教学、思想史、近代文化史、社会学の周辺をぐるぐるしているつもりです。発言は個人の見解であり、所属とは無関係です。