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だから今回のボランティア行ったら人足りてた事件も正解は「人足りてるから帰る」ではなく、「人足りてるけど機嫌よく言われた雑用をやりつつのらくら時間を過ごし、万一なにかタスクが不意に発生した場合にそれをやる」です(そこまでわかってるのに帰る)。

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なぜかというと世のため人のためになることというのは私の都合のいい時に効率的に現れてくれるもんじゃないので、延々と無駄な活動や待機をくりかえしつつある時誰かの必要な時に必要な場所にいることができたらいいね、というくらいのことなので、時間を有効に使いたいパーソンにはそういうチャンスはたぶん訪れないのだった。

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いやでも前も言ってたけど私にもわりとある「自分の限りある時間を世のため人のために有効に使いたい」みたいな感覚ってボランティアに向いてないよなって。ボラ、わりと時間を無尽蔵に無駄に使う可能性のある活動なので…

ボランティア募集の人はいつも人足りない人足りないと言うが、あれは「人(の出席率が予想つかないし万一)足りない(と困るから多めに確保しておきたい)」という意味なのでだいたいの場合は足りてるしわりとやることない(ボランティア人手不足の法則)。

ボラ先の人は「せっかく来てくれたんだから」みたいな感じであんまやることない時もわざわざやることを見つけてくれようとするんだけど、心の底から気を使わなくていいので今日もう人いらないよって言ってほしい。いや帰しにくいのわかるけど!

朝からいつものシェルターのボランティア行ったけど人が足りてるっぽかったから30分で帰ってきた〜。夏休みはバカンスで人いなくなるから足りないって言ってたけど、逆に普段来てない人も休みだからボラしにきてくれたりするし足りてんじゃないかなあ。

しかしこのマストドンを賭けてもいいけど 

これ無意識のやつなのでほとんどの人はやってると思います。やってたことないやつはたぶんいない。グループに話しかける時に平等に視線を送っているか???その中でいちばん話がわかりそうなっていうかグループ内権力がありそうな人だけ見て喋ってないか???って言われたらほぼ全人類がギルティだと思います。私も日本にいた時にやってたし今でもやってる。確実に。

でもこれやってる時は気づかないんだけどやられてる時はびっくりするくらいはっきりわかるので、やっぱり全人類がギルティだからそれが普通とかでなく文字通り全員がギルティであるので皆で意識して克服していこうぜっていう気持ちです。私も気をつけていくわ…視線に…

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そろそろほとぼりが冷めたかと思って話す話題 

いやアカデミー授賞式の時の壇上スルー問題のやつなんですけど。

まあ当時ホットな時は言わなかったんだけど、あれめちゃくちゃあるある~~~で、あまりにもありすぎるので今さら改めて怒る気にならないのだがそれは諦めているとかオーケーだとかいうことではなくてまじで純粋にあまりにもあるある~~だからなんだよなっていうその気持ちを表明しにくかった。ホットな時は。

っていうのを言ってなかったなって思い出したのは、昨日ボランティア先のイベントに参加した時、その場にいた4人くらいでしゃべってたら誰とも視線が合わなかったからです。
いやまじでね、一対一で喋ったりするときはふつーなんだけど、グループになったとたんに発言ターンを持ってる人と視線が合わなくなるからねっていう。

まあすごいわかるんだよな~~~グループに対して誰にともなく話しかける時にその対象が私にならないっていう現象~~~。わかるからってOKということじゃないけど(リピート)。人種以外に個性の問題とかもあるけどね。

アメリカってやっぱちょっと特殊な国だよなって思うこと多い。隣にいると。

最近はオンラインでとれる学位も多いからカナダにいながらアメリカの大学でとるという選択肢もある(アメリカのほうが単純に大学の数が多いので入りやすくもある)んだけど、社会問題を扱う系はやっぱり国によって事情がぜんぜん違うから国内でとったほうがよさそう〜と思うなどした。あとアメリカ、学費が激烈高い。

健康の社会的決定要因 

そうそう社会福祉系ボランティアやってる関係もあってSocial Determinants of Health(健康の社会的決定要因)に興味がでてきたのでやはり無料のオンライン授業をぽちっとしてみたんだけど、コースの提供元がアメリカの大学で、社会的格差の話になるととにかく人種の話をメインでする。それもたぶんいわゆるアメリカ人内における人種格差を念頭に置いてるんだろうなという感じ。

カナダの社会正義・福祉系の場合、重点的にやるテーマってまず先住民(広い意味では人種だけど)であと移民とか僻地福祉とかも多いかなーという印象あるので、やっぱりアメリカは違うなという気になる。Critical Race TheoryとかカナダのSDHの授業では出てこないんじゃないかな。

しかしこんな短期間だけどデイサービスとかホームとかで人とふれあってると「人は車椅子に乗っているのがふつう」「人はお年寄りであるのがふつう」みたいな感覚になってくるので、街を歩いてても車椅子とかお年寄りとかがやたら目につくというか「おっ、あそこに人がいる」っていう感覚になる(それ以外の人の背景度がちょっと上がってるともいえる)。体験は世界の見え方を変えるのですごくおもしろい。

ボランティアしてると、中国語もちゃんと復習しなきゃだし、踊り(まったく踊れないから揺れてるだけ)もちゃんと踊れるようにならなきゃな~などと思うからやることめちゃくちゃ増えちゃう(影響されやすい)

中国語 

で話してた時に「昔どこで働いてたんですか?」って聞いたら「マーガオ」って言われて「どこ????」ってなってしまったのだがあとで気づいた、あれマカオだよ!!!!(中国語では発音アオメンだから全然違う)

ただでさえ私のさびついた中国語ではしんどいのに、やっぱり単語レベルでは英語と仏語がまざってる!!! 教室内では絶対習わないレベルの超絶難度中国語会話!!!

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今日も今日とて病院ボランティア 

といっても2回目!!!なんだけどなんかずっといましたみたいな顔で参加していた。今日は病院にバンドがやってきてのコンサート。「踊って!」って言われたから立ち上がって皆の前で踊ってきたよ(言われたことを真に受ける人)。

そうだ先日言ってた日本語しか話さないレジデントさんに加え、今日は中国語しか話さないレジデントさんがいるから話してみて!と言われたので私のもはや忘れかけた中国語を脳の奥からひっぱりだしてお話したりしていた。

その施設内の共通語まったく通じない状態で長期ホームに入居してる人って意外と多いんだなあ~と思った。なんかすごい目が開かれる。そうなんだーー。

(ただし学位とか資格をとって実益にしたいと思った瞬間にものすげえ金がかかるのが教育なのでそれが社会の歪みです)

最近はオンラインでいくらでも無料勉強リソースがあるからたぶん死ぬまでこんな感じで遊べてしまう。勉強、べつに資格として履歴書に書かなくていいなら安い趣味だなあ。

勉強したすぎて衝動的にオンラインの無料大学で化学入門クラスに入った。私は高校時代にいわゆる文系だったから真面目にやらなかったけど別に理系科目は嫌いじゃなかったしサイエンスやりたいって思ってたんだよな!!!

日々労働(ただし金が発生してない)をしてると体の運動になっていいんだけど、あんまりなーんも考えなくていいから楽であると同時にメンタルが暇…みたいな状態になり、勉強してえ~~という気持ちがわいてくる。勉強してえな~~。

デイサービスセンター 

↓みたいに書くと大変な仕事のように聞こえるけど今やってるボランティアの中でもけっこう楽しくかつラクなほうかもしれない。長期利用者しか来ないし、ああいうセンターに長期で通える人は社交性も高くていわゆる良い人が多いと思うし。

今やってるボランティアの中で一番メンタル的に疲れるのはホームレスシェルターの窓口で食べ物を配る係です。なぜかというと普通のカスタマーサービスと一緒だから。ごく普通に接客業。

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