明日は「Anatomy of a Fall」見に行く予定。あらすじによると夫が転落死して妻が容疑者になり、盲目の息子がその事件の"目撃者"として証言台に立たなければならなくなる話みたい。今年のパルムドールなんだ知らなかった。

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「Anatomy of a Fall」見てきた。クールな法廷ドラマだった。犬は途中無事じゃなかったが事なきを得ました。盲導犬役のかしこいボーダーコリーちゃんだった。

「Anatomy of a Fall」、邦題は「ある夫妻の転落」とかになりそう、と思いながら所感。 

人里離れたフレンチアルプスのロッジに住む夫妻。妻は著名な作家、夫は教師。一人息子は幼少時の事故で目が見えない。ある日夫がロッジの屋根裏から転落死し、妻が容疑者に。自殺か、他殺か? 夫婦は愛し合っていたのか、憎み合っていたのか?……という私の大好きな破綻した結婚生活モノでした。

語り口は淡々としていて、観客も劇中人物と同じく法廷に提出された証拠しかわからないので、観客にだけ明かされる「真相」というのはないんだけど、そういうクールな法廷劇いいね!という場合はおすすめ。

「Anatomy of a Fall」しかし私の心に残ったのは 

これ「物書きの苦しみ映画」でもあるんですよね。夫は教師なんだけど作家志望(一冊も完成させたことがない)である一方、妻は人気作家でばんばん本とか出しているわけですよ。この設定を聞いただけで観客は、あ、殺人起きるかもな…と思ってしまう。そこに物書きの業(だと我々が思ってるもの)がある。書けないことは屈辱であり苦しみである、と信じられているから。

しかし、書けない、ってそんな重大な苦しみだろうか? 私も一応なんか書く人の末席としてあえて疑問を提出してみるけど、フィクションが書けない程度のこと、人命を奪ったり奪われたりするような、憎んだり憎まれたりするような重大なことなんだろうか。だってフィクションでしょ??? 作りごとですよ???? それは人生を豊かにするものであっても人生そのものじゃないじゃん。いったいフィクションが作れる・作れないことの何がそんなに人間のプライドの根幹に関わるんだろうか。

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