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近年のパルムドール受賞作品のうち”私の想像上のカンヌこういうの好きそう大賞”は「ザ・スクエア 思いやりの聖域」です。めっちゃパルムドールとりそう(とってる)。

「Triangle of Sadness」アマプラにあったので見てるけど、カンヌこういうの好きそうっていういかにも私の想像上のパルムドールっぽい映画だった。ハイソな映画祭が富豪層とかハイソ文化を笑う風刺好きなのって要するに自虐・自己批判って面があるんだろうけど、自虐で楽しめるのもprevilegeか~という気がしないでもない。

でもその前に「Thanksgiving」っていうスラッシャー映画が公開してるからそれ見たい! 単発の季節ものスラッシャー好きです。四季おりおりに楽しみたい、人がバタバタ死ぬ映画。

そういえば「The Marvels」もう公開してた。EG以降のMCUはスパイダーマンとドクターストレンジしか見てない気がするからどうしようかな。猫、じゃないフラーケンのグースがたくさん出るなら見たいかも。

さっき実家との電話で「初恋のきた道」(=チャン・イーモウ監督の中国文革期舞台の感動作)って見た?という話題が出て、見たけどいやあれって事実上「Pearl」(=タイ・ウェスト監督の血みどろスラッシャー)じゃない??!!という話を熱くしてしまった。都会から村にやって来た青年への恋なんて恋じゃなくて外の世界への憧れ…“ここ以外のどこか”とか”これじゃない人生”への切望やで…という話をめっちゃした。

「Anatomy of a Fall」しかし私の心に残ったのは 

これ「物書きの苦しみ映画」でもあるんですよね。夫は教師なんだけど作家志望(一冊も完成させたことがない)である一方、妻は人気作家でばんばん本とか出しているわけですよ。この設定を聞いただけで観客は、あ、殺人起きるかもな…と思ってしまう。そこに物書きの業(だと我々が思ってるもの)がある。書けないことは屈辱であり苦しみである、と信じられているから。

しかし、書けない、ってそんな重大な苦しみだろうか? 私も一応なんか書く人の末席としてあえて疑問を提出してみるけど、フィクションが書けない程度のこと、人命を奪ったり奪われたりするような、憎んだり憎まれたりするような重大なことなんだろうか。だってフィクションでしょ??? 作りごとですよ???? それは人生を豊かにするものであっても人生そのものじゃないじゃん。いったいフィクションが作れる・作れないことの何がそんなに人間のプライドの根幹に関わるんだろうか。

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「Anatomy of a Fall」、邦題は「ある夫妻の転落」とかになりそう、と思いながら所感。 

人里離れたフレンチアルプスのロッジに住む夫妻。妻は著名な作家、夫は教師。一人息子は幼少時の事故で目が見えない。ある日夫がロッジの屋根裏から転落死し、妻が容疑者に。自殺か、他殺か? 夫婦は愛し合っていたのか、憎み合っていたのか?……という私の大好きな破綻した結婚生活モノでした。

語り口は淡々としていて、観客も劇中人物と同じく法廷に提出された証拠しかわからないので、観客にだけ明かされる「真相」というのはないんだけど、そういうクールな法廷劇いいね!という場合はおすすめ。

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「Anatomy of a Fall」見てきた。クールな法廷ドラマだった。犬は途中無事じゃなかったが事なきを得ました。盲導犬役のかしこいボーダーコリーちゃんだった。

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明日は「Anatomy of a Fall」見に行く予定。あらすじによると夫が転落死して妻が容疑者になり、盲目の息子がその事件の"目撃者"として証言台に立たなければならなくなる話みたい。今年のパルムドールなんだ知らなかった。

プロパガンダ映画の話するときいつも思い出すけど中国のプロパガンダ映画「鉄道遊撃隊(1956年)」まじでふつうに面白いので好き(youtubeにあるけど字幕なし)。あのへんの時代の抗日映画わりとどれもおもろい。鉄道遊撃隊は2016年にジャッキー・チェンが「レイルロード・タイガー」という題でリメイクしてるみたいだけど未見。

プロパガンダ映画についてぼんやり所感 

いや私はTGMってまぎれもなくプロパガンダ映画だと思うけど、ただプロパガンダ映画とは何かっていうそもそもの話もあるなと思っており。

一般的にプロパガンダ映画というと「国家や軍など特定の権力に奉仕するために作られた(つまらない)映画」というイメージだと思うんだけど、実際はフィクションであるかぎり観客を楽しませるという使命を負うので(面白くない物語はプロパガンダとして機能しないから)、そこで一種の逆転現象が起きることがある=題材にされている権力が物語に奉仕する、つまり国家や軍がただ面白い物語を作るための「ネタ元」でしかないような見え方をすることがあると思います。

物語を利用して広報をしようと思ったら物語に利用されていた…みたいなことはわりとあると思っていて、権力が物語というものの本質的な身も蓋もなさを甘く見るとそういうことになるんですけど、私はTGMはこのパターンのやつだと思っています。ただだからといってプロパガンダ映画じゃなくてエンタメ映画だというわけじゃなくて。そもそもよくできたプロパガンダってよくできたエンタメだからね、という。だから何の思想もなくただエンタメだけを追求する人って、ぜんぜん作れるんですよねプロパガンダ映画。

物語つくる人についての物語で思い出すのは「Their Finest(人生はシネマティック!)」で、ダンケルク救出作戦での民間人姉妹の活躍(実際はしなかった)を1000倍くらいに脚色してプロパガンダ映画を作る話なんだけど、物語づくりのムチャクチャさとか身も蓋もなさとか保守性とか権力性とかあらゆる非倫理ぶりが描写されているのに最終的に物語ってやっぱり素晴らしい!ってなってしまうとこまで本当に物語ってヤバ…という気持ちになる。人類の最大の弱点、物語。

「The Creator」クソダサフォントを許すな。 

クソダサ日本語フォントを許すな。フォントがダサいということ、それはお前が日本語をデザインしているのに日本語を解するデザイナーを雇っていないということ、もしくは雇っていても発言権を与えていないことを表している。日本語を解する人よりも自分の美的感覚のほうが正しいと思っていることを全観客にわかるように表している。相手を舐めくさることよりもやってはいけないこと、それは相手を舐めくさっていることが相手にバレることだ。心底舐めているのは仕方ない。バラさないだけの慎みを持て。人類はクソダサフォントを駆逐するのにあと50年かかるかもしれない。それでも我々は戦わなければならない。最後のクソダサフォントを殲滅するまで我々は戦いをやめてはいけない。

「The Creator」いやでも反省もあって 

たしか「モアナ」が公開された時ポリネシアン文化をミックスしてるって批判があって、私はそっかーでもまあ架空の世界だしクリエイティブな判断としていろんな文化からインスパイアされて新しい世界観を作るのもいいんじゃないかなーとかぼんやり考えてたんですが、「The Creator」とかみてるとアジア文化をテキトーにミックスしてるだけでまったく統一感がない…この世界でこのニューアジアの人々が言語も文化もごちゃ混ぜのままでどう暮らしてるのかぜんぜんわからんじゃないですか。文化はおでんじゃないんだから別々の具を串に刺しときゃいいってわけじゃないし。そういうことが言われてたんだなっていうのが今さらわかりました。

さっき映画タグつけ忘れたがまあいいかっていう感じの「The Creator」。90年代にタイムスリップしたみたいだった。4DSF体験。

こないだ「バビロン」の映画評読んでたら「ハリウッドが一番好きな題材は自分自身(ハリウッド)だ」と揶揄されててわかる~ハリウッドそういうとこある~と思いつつも自分自身の話題が好きじゃない人間だけが石を投げなさい…って思ったな。まあSNSや酒の席で自分語りしてるのと、何百億も投入して自身についての映画作ってしまうのでは罪の重さが違うかもしれないけど。

しかし陪審員全員が白人ミドルクラス中高年男性でなければそもそも…とは言ったけど、劇中で差別者のNo.10が全員から相手にされずに打ちのめされるシーン、あれって自分と同じ階層(='"we")だと思ってる集団からそっぽを向かれるから堪えるんであって、差別してる対象の人間(="them")にやられても堪えないから成立しないんだよな…と思うなどはした。自分が常に排除する側だと思ってるから自分が属しているはずの集団から排除されるとショックを受けるわけで。

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あとやっぱり12人もいるのにひとりひとり個性が際立っていて判別しやすく、揉め事が起こった時の人間のいろんなタイプ(怒る、論理に頼る、日和見する、多勢になびく、差別する…etc)を非常によく表してるなあと思いました。密室劇だし人間のプロトタイプみたいなのが描かれているからそこまで時代を感じない。なぜ12人とも男なのかという点を除いては。

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プライムにあったので「12人の怒れる男(1954)」見た。そもそも陪審員が全員怒れる男(=白人ミドルクラス中高年男性)でなかったら最初の時点で11人も有罪に賛成してない気がするけどいったんそれは置いておいて、いかにも確からしく聞こえる証拠がどんどん崩れていくのは面白かったー。さすが名作なだけある! しかし劇中でも言ってるけど本当に弁護士が無能。陪審員に探偵業までさすな。

Prime Videoで「Totally Killer(ハロウィン・キラー!)」見た。35年の時を経てふたたび現れた連続殺人鬼”スウィート16キラー”に母を殺された高校生ジェイミーが、80年代にタイムスリップして殺人鬼の誕生を阻止しようとする。2020年代っ子から見る80年代のヤバさジョークみたいなの面白かった。ただの楽しいコメディかと思いきやスラッシャーとしてもwhodunnitとしてもわりとちゃんとしており真面目。

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