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『スオミの話をしよう』を見た。
富豪の妻が誘拐され、その富豪の家に妻の元夫たちが集まって、夫たちの語る妻の姿はそれぞれ異なっており、というコメディ、なんですが、いやこれ、だいぶつらい話だな。
作ってる人もこれがつらい話だと把握していて、だからつらくないように演出しているというか。
「スオミ」という名前もだいぶつらくて、作中出てくる「ヘルシンキ」は「シャングリラ」と同じ意味合いで、見果てぬ夢の土地で、いつか辿り着けるといいねと祈るしかないというか。
それぞれの男に合わせ依存し乗り継いで漂流し、その旅路に寄り添い続けたのがシスターフッドっていうのも、切ねえな。
夫たちの年齢と社会的地位スオミよりだいぶ上なのもエグいんですよ。これさ、コメディじゃないと正視に堪えないですよ。
喜劇の役目は悲劇を悲劇のままに終わらせないことかなと思うんですが、誤魔化してもやっぱり悲劇は悲劇なんですよ。だけど、ただ憐憫するのもスオミに対する侮辱になるようで、ううう。

『男たちの挽歌』を見た。
いろいろ雑だったけど、とても良かった。
土台の話としてはヤクザからカタギになるのはとても大変という話しなんですが、弟、元相棒、元部下からの主人公に対する引力が強烈で錯綜していて、足を洗いたい主人公の足を引っ張り巻くってるんですよ。
反社の家族が刑事になってる話の根本の設定がまず雑だし、処置中の手術室に面会人が着の身着のままで立ち入ってなおかつ汗を拭いてるし、足を負傷した元相棒は軽快な身のこなしでラストバトルしてるしで、いろいろ雑なんですが、そんなことはフィルムに焼き付けたいことの前には些事なんですよ。
いやだってさ、黒のロングコートでサングラスして二丁拳銃打ってるの、問答無用でイイんですよ!
元相棒の笑い方がですね、とてもチャーミングで、こんな慕われた方したら主人公は振り払えないし、その笑顔を曇らせて「人生を取り戻したい」とか言われたら付き合わざるを得ませんよね!
冒頭、主人公と元相棒、主人公と弟と、それぞれイチャイチャしてる場面がありまして、元部下も主人公とイチャイチャしたかったんだろうなあと思うと、ままなんねえなあと思います。
んであと、弟の彼女は弟を振ってもいいと思うよ。自分で持ち込んだゴミは自分で片付けろ、弟。

立民の新しい代表、のだっちかあ。
ケンケンお疲れ様。この三年間、立民が瓦解しなかったのは、ケンケンのおかげだと思うんだよね。
良ければ、また、代表になってね。

刀剣乱舞はなあ、敵の名前が歴史修正主義者ってのがあかんなあ、と思うわけなんですよ。言葉をね、ハッキングするのはあんまり良くねえんじゃねえかと、思うんですよ。
あとね、刀剣の銘って偽史まがいなので、いわゆる正しい歴史ってのとの食い合わせがすげえ悪いな、と思うんですよね。

今日は、サンダルを修理に出して、通勤用の鞄を買いました。

大根 さんがブースト

アレンジがいろいろ効くようだけど、材料を集めるところがいちばん大変そうだ。集めてしまえばできそう
cotta.jp/special/article/?p=75

先週から足の中指が痺れてる感じが続いてるんだけど、これ何だろう?

表題作の「ジョゼと虎と魚たち」は、表題作になるだけあって、とても良かった。
たぶん、これ、泥の中に落ちてるビー玉の話で、汚泥の中にあってもビー玉の本来的な輝きは毀損されるものではありませんし、泥の中に沈んでも輝いてるビー玉がその中にあるということには変わりありませんし。
刹那の美しさを描いたものなのですが、その美しさに耽溺できないとうか。わたしが耽溺できないのか、作者が許してくれないのかは、分かんないんですけど。刹那に美しいものは、刹那だから美しく。
輝ける一瞬、その一瞬があればそれでいいのかという問題で。
「良くないよ!全然良くないよ!」と喚きたいのを押し殺して、苦虫を噛んだ思いで「良かった」というほかないような、そんな感じでしたね、わたしにとっては。

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田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』読了。
短編集。良かったけど、居心地は悪い。
日に焼けた古い畳のにおいがする。引越しで退去する直前の、カーテンもなく西日の差し入るがらんどうの部屋で、うっすらと甘苦い感傷を取り出して舌に乗せるような。
古いシールを剥がして粘着剤が残り、指で擦って取ろうとしたら上手くいかず、黒ずんだ汚れが薄く引き伸ばされて、ベタつくような。
なんかね、そういうシール跡の汚れが少しばかり心に貼り付くような、そんな感じだったの。
んであと、単純に、いわゆる「女」の話をされると疎外感を抱くんだよね、わたしは。
少し時間の経ったお刺身、脂が乗ってねっとり甘いけど、いささか生臭い。

縄文土器ってさ、底が小さくて(尖ってたりして)、上の方に重心があってさ、使いにくそうだよね。

あした出勤になったんやが、台風は、まあ大丈夫かな。
(最近、こっちは晴れてるのに福岡のほうで大雨が降って、雨規制で電車が止まりがち)

鶏頭花溽暑の夏の残り火を燃やすも尽きずなお燃え盛る

外来種の侵入、セイタカアワダチソウに関しては非常にエモさを感じているので、罪悪感チョットアル。
見知った風景がセイタカアワダチソウに蹂躙されてる幼少期の記憶が快楽で。
入植した惑星でヒトが滅んで、あたり一面に蔓延ったセイタカアワダチソウが明るい星あかりに照らされて、ですね!

侵入生物、琉球朝顔もいいですよね(よくない)。
うちの近所では葛と覇権を争って、ともにわっさわっさ、もりもりと繁って聳えており、11月の半ばぐらいまで暗い青紫の花を夜になっても精力的に咲かしており、「うひゃー、侵略されてるう!」という悦びを日々わたしに与えております。

日常と、穏やかな終末が並存してる感じがいいんだと思う。世界はだんだん終わっていくね。
チェーン店の並んでいる、物理的には遠い街にまで繋がっている、ロードサイドの閉塞感とかも。

新しく買った鞄が荷物に対して小さかったですね。俺はいつも目算を誤る。
荷物を減らすか、鞄を買い直すかなんですが、鞄を買い直しに行きましょうね。
親には荷物を減らせと言われています。

僕の住んでるところは書店ゼロ件ですな

大根 さんがブースト

ポッカサッポロのレモネード買うと売り上げの一部が小児がん支援に寄付されるとのことだけど、ポッカサッポロが使っているレモンはイスラエル産だから買えないな…。

清水俊史『ブッダという男』読了。
面白かったし、とても分かりやすかった。説明が親切で明朗!
これを読んでもブッダという人がどういう人だったのかは分からないのですが、どういう考えを持っていたんだろうかというのは分かります。

はじめにに“これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探索しているはすが、彼が二五〇〇年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている”とありまして、本文に“ブッダは、無から仏教を発明したわけではない。当時のインドの諸宗教の前提を受け継ぎ、それを批判し乗り越えるかたちで仏教は生まれた”とあります。

前半では、ブッダは古代インドの価値観の中に身を置いた存在だったと解き、後半で、仏教と諸宗教を分かつもの、ブッダの独自性を紐解いていきます。
諸宗教と比較しながら論が進むので、古代のインドの考え方のさわりに触れられるのも、楽しかったです。

わたし達の理想を投影した「神話のブッダ」について決して否定的ではないのが、良かった。長い歴史の中で、求められていたのは「神話のブッダ」なのだから、と。
んで、経典は解釈で左右されるの例で出てきた、戦中・戦後の浄土宗の偉い人は、言ってることがデタラメやった。

中村哲先生に生き方については、次男の方のくだりが迫力があるんですよね。
息子の生死よりも優先するものがあった。自分にできることのほうを選択した。

覚悟がガン決まりで、だからなんつーの、中村先生の生き方に倣えとか、倣いたいとか、あんまり言えないところがあるっつうか。
ただまあ、爪のほんのひとかけらの灯火ぐらいは、あやかれる人間でいたいよね。

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