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Wikipedia なら [要出典] と付けられちゃいそうなところも多いねぇ…
書いているときは、いろいろな文献を読んで導いたから、理論が何のほころびもなくつながっていると思いがちだけど、後から見たら「この論どこから出てきた?」ってなるやつ。
当時は情報が広がりすぎて収集つかなくなりかけて、それをなんとか意味が通るようにまとめるので精一杯だったな。文章書くのはシンプルに難しい。

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わけあって自分の修士論文を見直している。当時は死物狂いで書きあげてあまり見直す時間もないまま提出しちゃっていたけど、やっぱり結構ミスが多いな。
最初に4つの単語を列挙しておいて3つのことしか論じてなかったり、言葉の定義が章によって微妙に違っていたりする。

それとは全然別の話だけど、筆者がビデオゲームやコンピュータのペイントソフトに一日じゅう熱中していたとか、体の動きで音が鳴るという自身の作品を1時間ほどテストしていたら、世界中のすべての音が自分の動きによって起こってるんだ!という楽しい錯覚を覚えたが、CDを聴いたらそれが覚めて騙された気分になったとかいうエピソードが合間に挟まれていて、愛すべきギークみが漏れ出ていてちょっと楽しいな…という気分にもなってる。

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インタラクティブアーティスト David Rokeby のエッセイ『The Construction of Experience : Interface as Content (1998)』を読んでいる。
主旨は、インタラクティブアートの「内容 (体験を作り出すもの)」とはインタラクションによって現れるものと捉えられることが多いが、それよりも「インターフェイス」こそが内容である、というもの。
この頃からインタラクティブメディアを通して得られる自由感や支配感のような魅力的な体験の多くは、商業的な文脈によって (欺瞞的に) 演出されているものであって、そのようなコミュニケーションは社会構造そのものや我々の世界の認識そのものを作り変えている可能性を示唆し、それに対して批判的な視点を持とうと呼びかけている。
これは今まさに、また今後もずっと必要な視点だと思う。自分がどういうメディアやインターフェイスの上でコミュニケーションしているかによって、自分自身の意志や行動や世界の枠組みはほとんど必然的にすり替えられている。
もちろんその影響から完全に逃れる方法もあまりないだろうけど、意識しているかしていないかには大きな差はあると思う。

換気してお湯を飲んだら少し楽になってきた。水分不足だったかな。
あと、こういう頭がとっちらかったときのためのアナログノートがあるんだった。都度思考を書き散らしながら作業を進めるのは大いに効果がある。

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今日はなんだか全くこれっぽっちも集中できない :tiredcat:

実体験でないこと、だとちょっと狭すぎるか。全てのものごとを体験できるわけではないし。
よく知りもしないこと、かな。

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勝手に他人の代弁をするとか、実体験でないことを憶測で語るとか、ろくなことがないからシンプルにやめるべきなんだよね。
それで話すことが無くなるのなら、何も話さなくていいと思う。

Fleischmann/Strauss/Bohn: Liquid Views (1993)
isea2022.isea-international.or

水鏡を模したタッチスクリーンがある。鑑賞者はそれを覗き込むことでそこに自身の映像が映し出され、触れることによって水面が波打って映像が乱れることを体験する。
スクリーンの映像は、その作品が置いてある部屋の壁にも実は映し出されており、他の鑑賞者にそれを観察されたり、自分で自分自身を他者の視点から認識したりすることになる。

ちなみに個人的には、鑑賞者としてこれに参加するのは正直非常に嫌だ。
鑑賞者を強制的に他の人の鑑賞対象にさせるのは暴力的ではないだろうか。参加型アートでは稀によくあるけど。
今回は特に、自分自身を鏡越しに見るという最も内向的な行動のひとつを他者に晒させるという点でだいぶ攻撃性が高いと思う…
この作品は何度か様々なバージョンで展示されているらしく、場合によっては鑑賞者の画像が保存されて、行動が分析されることもあるようだ。作品という体で他人に勝手にそんなことしていいの?と私はどうしても思ってしまうのである。

Myron Krueger: Small Planet (1993)
digitalartarchive.siggraph.org

スクリーンの前に立ち、空を飛ぶように腕を広げると、スクリーン内の小さな仮想地球の上を飛び回ることができるという作品。
体を傾ければ進行方向を、腕の高さを変えれば地面からの高度をコントロールできる。
インタラクションが直感的だし、気持ちよさそう。

実際に体験はできないけど、文献で見つけた面白そう/重要そうな作品を見つけたら、 のタグを付けて投稿していこうかな。主にインタラクティブアート、サウンドアート、インターネットアートのあたりを掘っていくことになりそう。

Evernote から大体のデータを救って Notion に移し終えた。大学からの講義ノートとか読書ログとかが大量に発掘されて、懐かしいような寂しいような気持ちになる…
移行は全くスムーズではなくだいぶ大変だったけど、重要な知識の再取り込みに良い機会だったかも。

100均でタオル生地みたいなレッグウォーマーを買ったら、編まれたゴム部分に短いU字の糸が無数にひっかかってるだけみたいな構造だったらしく、少し擦るだけで無限に毛玉が抜け落ちて信じられないほど散らかったので一回も使うことなくゴミと化した…
久々に安かろう悪かろうをがっつり踏み抜いてしまった :tiredcat:
洗う前に捨てれたのは怪我の功名だった。確認せず洗濯してたら大変なことになるところだった…

単語帳アプリに登録するのもいいけど、こうやって他の人に説明するように書き出すのも記憶に定着しやすくなって :yoki:

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句動詞「amount to」を新しく知った。
単語からそのまま連想されるような「合計が~に達する」という意味もあるが、「~と同義である/結局~と同じである」という表現にもなる。ネガティブな文脈に使われることが多いが、中立的な表現も可能。

例文:
✍ Despite all his efforts and planning, the project ultimately amounted to nothing.
✍ Mimesis amounts to a concept of representation, which can be broadly construed as the use of an artistic medium to signify and communicate certain hypothesized realities.

Lucid Rhythms: Hammer Waves
youtube.com/live/JU0tSeOc7_E
ずれていくリズムと移り変わるハーモニーが寝る前にとても良いのでおすそ分け… :blobboneclover:

まあ、新しい学問の基礎は必ずしも面白かったり楽しかったりするわけではないから、時間をかけて一つのことを学習することを改めて理解してもらうという考え方もあるのかな。

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いま大学では和声学の授業を担当しているんだけど、課題を解くとかより楽曲分析で和声を知っていくほうが圧倒的に楽しいよなーって勝手に思っている不真面目講師である。
和声学は確かに西洋音楽の文法なので演奏には非常に重要ではあるけど、基礎和声の課題を解くって「This is a pen.」みたいな超基礎だけど普通使わない文章を覚えて書くみたいなことだと思ってる。色々複雑な文法ルールにまみれているのに、例外や個別パターンも多すぎるので、場合によっては英語よりもしんどい。
一学年を複数の講師で四半期ごとにローテーションして受け持つシステムなので私一人が好き勝手にやるわけにもいかないし、課題がどれくらい解けるかで成績をつけるしかないので、授業もどうしても課題ドリブンになりがち。なんかもっと、面白くしたいんだよね…という着地点のない悩みごと…

Zettelkasten をもっと有効活用するための模索のつづき。
元々の Zettelkasten では、ノートの段階は「即興メモ」と「保存用メモ」の二段階だけど、さらに前段階として「クエスチョンメモ」を設定してみることにした。
まだ全く答えが出ていないことだけど、いずれ解決する必要があるような問いをここに並べていく。
本などを読んだり、アイディアが思い浮かんだりなどして仮説レベルの答えが出たときは、第二段階の「即興メモ」改め「考察中メモ」に上げる。
さらに複数の文献によって確固たる結論が出たものに関しては、さらに第三段階「保存用メモ」に上げる。
これでかなりメモ同士のリンキングがスムーズになってきた。 [参照]

芸術作品を触れた時に自分が何を感じることができたかに注目するには、作品や展示の側からの「あなたはどう感じますか?」の問いでは実現されるものではなくて、まず芸術作品への興味と自発的に体験しようと思える入り口/接点が必要なように思う。それは鑑賞者側の態度だけの問題でも、作品のあり方だけの問題でもなく、相互協力で実現できるのではないか。

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