シベリウスのヴァイオリン協奏曲、一番の激アツポイントがヴァイオリンソロが休んだ瞬間にあるのずるくないですか!!
(唐突に大好きな #クラシック について吐き出すトゥート)
https://www.youtube.com/watch?si=1lVGJJKbqX3JJuRV&t=401&v=J0w0t4Qn6LY&feature=youtu.be
ストラヴィンスキーの『春の祭典』は「春」とあるけど、最初は夏の構想だったらしい。これは、古代スラヴで太陽神を中心とする宗教において、生贄の儀式を伴う祭りは真夏に行われるものだったことに由来する。
画像にあるような衣装と輪舞はその伝統を受け継いでいるものの一つ。
一つ思ったのは、映画の『ミッドサマー』ってこのコンセプトと関連あったりするのかな…
あれは舞台がスウェーデンだけど、古代スラヴの発祥と言われるウクライナ・ベラルーシ・リトアニアとも (バルト海で隔たりはあるけど) 近いといえば近いような。衣装も似ている。観たいけど…観たくない…
画像参照元: https://discover.in.ua/traditions/ukrayinski-obrjadovi-tanci.html
#クラシック
友人とフォーレのピアノトリオの話になったので、久しぶりに聴いている。改めて、本当に美しい曲だ…
フォーレの音楽的語彙 (和声とかメロディ運びとか) って、美しいのにどこか不可解というか、非常に独特な言い回しという感じがする。
普段、和声や楽曲分析の講師として仕事していると、機能和声の理論を全部理解しないととか、どのメロディが何を象徴しているのか説明できないとという柔軟性のない思考に陥りがちだけど、そういうことじゃないのよ…とそっと肩に手を置きながら言われた気分になった。浄化されるね…
https://youtu.be/px59G3t-biM?si=pZRvOKD4METUhPmN
#クラシック
ブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲を分析中。
この第1楽章、ソロが二人もいるのになんだか物足りないなぁと思っていたのだけど、その理由がわかった。
対位法的な絡み方をしていない。対位法的というのはざっくり言うと、互いに独立したメロディが重なることで豊かな和音やリズムを作っている状態のことなのだけど、これがない。
つまり、この二人のソロ楽器は「互いに独立していない」、ほとんど常に一人のソロであるかのように書かれている。
一説では、仲違いをしてしまった二人 (ブラームスと友人ヨアヒム、またはヨアヒムとその妻という説がある) の和解を象徴しようという意図があったと言われているのだけど…
互いに境界が無くなるほどに一つになっている表し方をされていると考えると、奇妙な危うさが見えてきてしまうな。
#クラシック
社会人大学院生: サウンドプログラマ/フロントエンドエンジニア/大学非常勤講師として働く傍ら、インタラクティブアートやサウンドアートについて研究中。作品制作も細々と。