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インタラクティブアーティスト David Rokeby のエッセイ『The Construction of Experience : Interface as Content (1998)』を読んでいる。
主旨は、インタラクティブアートの「内容 (体験を作り出すもの)」とはインタラクションによって現れるものと捉えられることが多いが、それよりも「インターフェイス」こそが内容である、というもの。
この頃からインタラクティブメディアを通して得られる自由感や支配感のような魅力的な体験の多くは、商業的な文脈によって (欺瞞的に) 演出されているものであって、そのようなコミュニケーションは社会構造そのものや我々の世界の認識そのものを作り変えている可能性を示唆し、それに対して批判的な視点を持とうと呼びかけている。
これは今まさに、また今後もずっと必要な視点だと思う。自分がどういうメディアやインターフェイスの上でコミュニケーションしているかによって、自分自身の意志や行動や世界の枠組みはほとんど必然的にすり替えられている。
もちろんその影響から完全に逃れる方法もあまりないだろうけど、意識しているかしていないかには大きな差はあると思う。

それとは全然別の話だけど、筆者がビデオゲームやコンピュータのペイントソフトに一日じゅう熱中していたとか、体の動きで音が鳴るという自身の作品を1時間ほどテストしていたら、世界中のすべての音が自分の動きによって起こってるんだ!という楽しい錯覚を覚えたが、CDを聴いたらそれが覚めて騙された気分になったとかいうエピソードが合間に挟まれていて、愛すべきギークみが漏れ出ていてちょっと楽しいな…という気分にもなってる。

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