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ゆる言語学ラジオさんから。「簡単」の名詞用法、とのこと。

twitter.com/yuru_mizuno/status

「このイラストでは簡単のために、父親と母親それぞれから3本ずつの染色分体を受けついでいる生物について考えます。」だそうです。私は今のところまったく使えない用法です。

理系の世界では時折使う用法のようで、リプライを見ていくとこれは「For simplicity」の訳とのことです。真偽は定かではありませんが、ありそうな話ではあると思いました。

文法借用とでも言いましょうか。明治期に英語の影響で「彼は」「彼女は」といった三人称主語が誕生した事例や、「それが私を怒らせた」みたいな無生物主語の使役文が誕生した事例に似ているのかもしれない。

こういう、ある時点までは自分が使えない新しい形式は、気づかないといつの間にか自分も使える形式になっていることがある。ここに、自分は確かに使えなかったということを記録に残しておこう。

「春よ来い」を使い切った。昨年は2.5kgを3袋使った。それで今更ながらパン焼きの師匠(と勝手に呼んでいる同僚)が言うには、素人には難しい粉なのだと。今日、富澤商店のスタッフさんにも言われました。

で、素直にリスドォルを買ったわけですが、ほんとこれ楽々に膨らむな!ふわっふわです。どっしりしたパンにしたいときは「春よ来い」を使うべきなのかな。

しばらくはリスドォル2.5kgをたんたんとこなしていきたいと思います。

あ、中身はクルミとクランベリーです。

昨晩、作ってきたパンをピザ窯でリベイクしましたが、表面のパリッと加減が素晴らしく、今朝は思い切って、ピザ窯を使ってゼロからパンを焼きました。材料は持ってきていなかったので現地調達でしたが、温度の高い環境でパンが焼けるということをどうしても試してみたかったのでした。

火が通りやすいふわっとしたパンにするということで、強力粉250+薄力粉50で、具は入れないシンプルな丸パンです。結果は思った以上の大成功。

ピザ窯だと温度管理が難しいということでした。なので、2分ごとに蓋を開けて様子を見ながら、向きを変え向きを変え焼きました。やはりかなりの高温で、熾火で350〜400度くらいかと想像します。焼成にかかる総時間は3分程度、油断すると表面がすぐ焦げます。最後は1分程度で向きを変えながら焼きました。

二次発酵はピザ窯の上にホイルを置いて、ボウルをかぶせて1時間程度。ちょうどよい膨れ方となりました。

これなら高加水のパンもうまく焼けそうな気がします。次はオーバーナイトの発酵で高加水にチャレンジしたいところ。

別途作ってあったビーフシチュー的なものを載せて。最高のお正月でした!

ピザ窯でピザ焼き体験。生地とフィリングは私が作成しました。もちろん美味しい。で、ならばということで、持ち込んだ自家製パンのリベイクを窯で。これはうまい!!!表面のパリパリ具合と煙の香りが最高😀

旧年は最後の最後までパンを焼いてました。1日に3周回して、プレーン、チョコ、クランベリーと胡桃を。今年も焼きまくりました。長時間発酵のがうまく焼けるようになりたいです。新年もどうぞよろしくお願いします。

ご近所猫。妻はうちの敷地に入ってくるのが嫌なよう。私と娘は常にウェルカムです。これは敷地外ですが、ご近所で大切にされているから近寄って撮らせてもらうにあたって、この堂に入った様子。

本日も家の周りをお掃除して、データ入力を少しでも進めています。合間にゲームもしている。数年前にどはまった、Hollow Knightを。

冬を越すためのバラの剪定を終える。少しずつ増えて、八鉢にもなっていた。

というわけで、アクセント史が専門の私が見ても、よくできているなあと思う記事を。というか既存の教科書類でも、ここまでコンパクトにまとまっている、良質でしかもアクセント論的に中立の立場を守っている記事は見たことがない。

日本語の方言のアクセント - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日本語の方言のア
*素晴らしい

類 (アクセント) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/類_(アクセント
*安定感がある

中古日本語 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/中古日本語#アク
*もうちょっと参考文献を示してほしいなと思うけれど。

私が授業で話すようなレベルにかなり近いか、部分的にはこちらのほうが上回っている。もし自分がこの粒度で話すとしたら、大学院の演習だなと思う。

ただ学生がレポートでここを参照してきたら、やはり違うだろうと言う。それは百科事典を引いてきた学生についても同じで、他人のまとめに過ぎないからだ。自分で原典に当たってくるべきと言うでしょう。それは決してwikipediaの信頼性を問題視するのではなくて、学問的な姿勢の問題が言わせるのだと思う。(3/3)

無法者のいたずら書きは編集履歴で分かるだろうとも。その意味では印刷版の百科事典より信頼できる仕掛けも持っている、と言えなくもない。印刷版の百科事典は専門家が記名しているが、そのことと内容の確かさは厳密には同じではなく、はっきりしているのは責任の所在の有無だけだ。

査読によって保証されていないということを言い出すのであれば、世に溢れる大学紀要論文には価値がないと言い出されかねない。というか百科事典には私たちはそういう最新の知見やら、個別資料のデータなどを求めてはいない。やはり基礎的な概略なんであって、それがきちんと整理されており、その根拠が参考文献や注の形で示されていれば事足りる。(2/3)

年末だから、ふだん思うことをもう少しメモしておきます。

ある図書館情報学の先生から、今もWikipediaはレポートなどの参照文献に認めない先生がいるらしいけど本当?と聞かれたことがある。Wikipediaが出所不明な間違いを記載するという話は古くあったが、今はそんなレベルではないのだという。

ウィキペディアの信頼性(2023.12.25) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ウィキペディアの

引用されている文献は古い。

CA1676 – ウィキペディアにおける情報の質(IQ)向上の仕組み(2008.12.20) / 石澤文 | カレントアウェアネス・ポータル
current.ndl.go.jp/ca1676

2012年の論文もある。
ウィキペディア:その信頼性と社会的役割
jstage.jst.go.jp/article/johok

いずれも信頼性は程度問題であるとしか読めず、至極妥当だと思う。目を引いたのは、百科事典とは未知のことを概略的に知るためのものであって、専門書などとは訳が違うのだということ。整理された基礎的な事柄が記載されることが望ましいのだということ。(1/3)

日本の古典和歌を埋め込みベクトルで分析する|yhkondo
note.com/yhkondo/n/nd321604729

近藤先生による。LLMで古今集、万葉集、和漢朗詠集を言語的観点から量的にその性質を探ったもの。

こういう研究は、ともすると、定性的観点から研究されてきた文学の成果で答えは出ている、と一段価値を低く見積もられがちとも危惧するのですが、定性的・定量的の両面から妥当性が確かめられてこそ、文学研究の成果も保証されるので、win-winの関係にあると思います。さらにいえば、文学村の閉じた成果がきちんと外の世界から関心を持ってもらえること、そのことを通じて研究が外に開き、新たなブレイクスルーも生まれる可能性を持つことが重要だと思います。

私は統計についてはマスターすることはできていませんが、先輩筋にバリバリ使う人がいたので、自分の研究との接点をそれなりに考えることはあります。文献資料に現れる漢字音というのは、常に古代中国語音への規範的態度と、学習に対する弛緩(いい加減さ)という態度と、日本語の位相で実現させようという態度とが混ざり合って現れます。それを定量的に記述できたら、と思うのです。LLMにもそのヒントがあるような気がして、しかしもう一歩踏み込めずにいます。

今年のM-1で優勝した令和ロマンの、いかにも関東っぽさって何なんでしょうね。関西弁のしゃべくり漫才に感じる「イケてる大学生」みたいな感じがない、あれです。

有り体に言うと、関東はダサい。ゆえに安心してみていられる。いい意味でダサいとでも言いましょうか。文化部的な、それでいておしゃれでしょっていうほどのオフビート感もないというか。

で、昨晩はかたわれの高比良さんのコラムを読んで、関西と関東のことばの違いを論じているのが面白かった。

korekara.news/rensai/7077/

その中で、関西方言と関東方言のアクセントの違いに触れた箇所がある。
「アクセントが語尾にあるので、語頭を少し端折っても伝わりやすい。「なんでだよ」は「なん」にアクセントがあるのでそこと前のボケが被ると分かりづらいですが、「なんでやねん」は「やねん」が大事なのでぶつかっても大丈夫。」

メディアにふと現れるアクセント観察、いつも興味深いと思う。そう聞いているんだあ、という。アクセントは文字に残らないから、こういう記述が後から発見されて、当時のアクセントを再建するよすがになったりする。江戸時代の契沖、平安時代の悉曇蔵の記述もそうだった。1000年後の人がこの記述を見つけたときのことを考えると、ちょっと面白い。

万葉集とかに「十六」と書いて「しし」と読ませたり「八十一」と書いて「くく」とか読ませたりする例を紹介すると、そんな昔からかけ算九九があったんすね的なコメントをいただくが、いやそもそも中国由来だし…とお茶を濁していたところ、今後は紀元前の楚簡から存在していましてー、というエピソードが添えられることになる。

news.livedoor.com/article/deta

KATO Daikaku さんがブースト

すげー。本当に九九だ。

「2300年前の「かけ算九九表」を発見 中国湖北」
news.livedoor.com/lite/article
楚簡「九九術」の竹簡は変形し、文字も不鮮明だったが、解読により「二:五七卅又五、四七廿又八、三七廿又一」の文字が判明。専門家が「九九術」と暫定的に命名した。

自分史上最大の失敗パン。敗因は発酵が不十分、または二次発酵が不十分、または水が多すぎ、または焼き上げの温度不足、またはデカすぎ、またはそれ全部。

昨年、長時間発酵でハードパンをした時はここまで派手な失敗はなかった涙

カンパーニュっぽいのをいい加減にやろうとしてのこれです。やはり衝動的に始めてはならんな、と反省です。無理にバター塗って食べてますが、美味いものではない

すごいです!周りでやった人は誰もいなくて、私はライ麦を買ったところでストップしています。冬休みチャレンジしようかな…

私が持っている授業では、アクセント史の話をするとだいたい「難しかった」とか「奥が深かったです」的な身の入っていないコメントを学生からいただくのですが、今日はなんだか違った。かなり理解している。コメントもめっちゃ専門的と思えるものが溢れている。

これまでと変えたのは、レクチャーだけじゃなく、ワークショップ的にやったところです。ピアの聞き取りや、自分のアクセント体系の分析などを入れた後に歴史の話をしたのが良かったのかもしれない。

これまでの90分から100分になるということにあたって、アクティブラーニング的な手法を入れた方がいいと言われているが、確かにそうかも。カナダの話を聞くと、1コマ3時間だか4時間で、①テスト、②レクチャー、③ディスカッション、④追加レクチャー(TAが担当)などが普通に組み合わさっているという。日本だとTAに授業をさせてはいけないので、これはできないが、年の近い人が説明の一部を担うのは、変化があって学生もいいのではないか。

②のレクチャーパートはもうオンデマンド教材で事前閲覧をさせて、①③④を講義でもガンガンにやっていくのが未来的かもしれない。

ようやっと仕事納め。非常勤先の夕暮れを見ながら退勤です。

学生達から、今年もどんどん卒論の完成報告が届く。本日が〆切。〆切の直前っていろいろトラブルが付きものですが、ある学生からアパートが火事になったという報告、自分の部屋は大丈夫だが避難したと。それでもきちんと完成原稿を送ってきました。

こちらもそわそわしながらメールなどのオンラインツールをチェックしていました。真夜中の送信、早朝の確認の繰り返しです。

いまやコロナでオンライン指導が可能になってしまったので、いつでも添削しなければならない大変さもありますが、逆に隙間時間をうまく使えるのがありがたい。面談式の場合はアポ取ってというところからだったから、人数がどうしてもさばけなかった。

さああとは一人だけ報告がない学生がいますが、その学生の人となりからすると、〆切ギリギリで駆け抜けるんだろうなあと思います。みんな笑って卒業してほしい。

ひち、はち、って結構言ってた気がする。

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