あとこれはついでのぼやきなんですが、ヒーローコンプレックス(同作者別作品)で兄が雨の中走る見開きで笑顔だったの作劇としてあそこで笑顔持ってきたい気持ちはわかるが感情の変遷を追ってた人間としてはびっくりするほど予想外で「あのモノローグからのこの顔は絶対違くない!???」って何回読んでも思います。

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タイザン5氏、恐らく必要な情報は画面内に詰め込めるだけ詰める分ノイズになったり関係ないものを省きがちで、東くんの母親の顔がほとんど画面に描かれていないのも作品の本筋と関係ないからで読みやすさの上では正しいけど、東くん視点でその描写をされると母親の言葉ばかり耳に入って顔をまともに見ていないようにも受け取れる。
でも母親からの愛情に飢えていた東くんが怯えや恐怖があったとして、印象が「母の顔<パンケーキ」になるわけないんよな。なのでこれも実際は客観視された東家の情報で東くん主観の画面って実はほとんど存在しない。物語に必要な情報しか読者には与えられてないんだよな。

東くんの感情を上手く読み取れないのここよな。外側からわかる事実のみで本人の内面描写は実は思っているよりずっと少ない。他キャラクタの内面を描く際もこの描き方(物語に必要ない情報を画面から削ぎ落とす)だと同じようにわだかまってしまいそう。
全体的に話の構成はとても整っていて取捨選択の結果だろうとは思うので、やっぱり何度検討しても最終的に『作者と演出の好みが合わない』が答えなんだよな・・・・・

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多分タイトルが「一抜け 東直樹」とかだったら納得できた。
でも家庭で抑圧されてる東くんに劣等感の元である兄が『俺たち家族だろ』的な言葉をかけてそれで彼が救われるの情緒面で本当に全く分からない。だいぶ頑張って噛み砕いてそれらしい理由考えたけど未だに納得いかん。

兄の言葉で東くんを救うには東くんが兄からの感情を求めてる必要があるけど、この話では兄と距離を置いてたのは東くんのほうだし、認めてほしかったのは兄<母という印象が強い。
「俺たち家族だろ」に救われるためには東くん自身に家族に対しての執着や帰属意識が必要で、それがいまいち伝わらなかった(共通認識で片付けられてしまった)のが納得しにくい部分。
描写がどれも東くんの気持ちではなく「この状況なら兄への劣等感と母親に縋るのは当然だよね?」という風な感じ。
ただ東くんは比べられつつも万能な兄なら自分を救えると期待していてそうしてくれない事に憤ったりしたのかもなとは思うので、その辺膨らませたらある程度理解はできるかなあ(納得できるとは言ってない)
それでも最後は家族に依存しない形で締めてるから『兄必要だった?』とは思ってしまう。

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タコピー東兄弟のエピソードにいつまで経っても納得いかないのは描き方以上にタイトルが「東くんの救済」だったからだなあと思い至った。

自分が納得出来る形に咀嚼すると、ここでの「救済」は『しずかちゃんに巻き込まれなくなった』ことなんよな。その意味合いでは間違いなく救われているので。でも描かれ方がどう見ても東くんがこれで救われました!という風で「これのどこが救われてるんだよ!!!!!!」と荒ぶってしまう。

兄の言葉でしずかちゃんからは離れられたけど、そもそも東くんが抑圧されているのは兄ではなく母だから何も根本は解決しておらず、事実を知って母親の態度が軟化するのか、兄が家を離れたらどうなるのか、その後の家庭で彼は救われるのか等々、あのあと東家が幸せになるビジョンが描けない。
本編での描かれ方は確かに彼への救済なんだけど、あれは全て『東くんを客観的に見ての救い』であり『画面に映る範囲での幸せ』でその外側に頓着してなさそうなのが本当に作者と感情面においての反りの合わなさを感じる。

恐らく自分が一番納得していないのはタコピーの内容よりも、この作品が「鬱作品」「考察が深まる作品」として認知されてるところ。途中までは作者と闘ってたけど後半はほぼ読者の反応を倦厭していた。
タイザン5氏がそこまで読み手の把握と予想をした上で、辛い環境に置かれた子供たちをそうやって消費する読者を揶揄するようなメタっぽい終わらせ方をしていたら性格悪すぎて大好きになってたな………というか若干これを期待しつつ読み進めていたけど、めちゃくちゃストレートに模範的な回答を出されて作者と決定的に反りが合わないと理解出来たんだよな。作中のタコピー、美化された読者たちだからもっと精神的にボコボコにされてほしかった。

ただ3人の境遇の酷さも含めたエンタメとして見るととても面白かったし、作者の意図とは違う方向だろうけど感情を揺らす作品で楽しかった。それとは別に、テーマとメッセージは表層的であのハッピーエンドは大衆への救いで当事者の絶望では?と思えるのでヒューマンドラマとしては評価できないです。

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タコピーの最終話、とてもきれいにまとまった反面物語の外側というか、画面の外側については全く気にかけてなさそうで「きれいな箱庭みたいだな」と思ったんよな。
この傾向は作中ずっとあって、それはやっぱり作者の描き方がそうだからで好みの範疇になる。「他者の視点からに感じる心情描写」「物語の外側を汲み取りにくい画面演出」「タコピーという異星人視点」等々。読者の関心を上手く誘導してるとも言えるし、別の視点を追わせないつくりとも言える。
この描写の仕方の影響もあると思うんだけど、テーマも作中のメッセージも優等生の回答で当事者目線では無いよなと感じてしまう。『大勢に当てはまる正しい回答』で『一人だけに当てはまる最適解』では無かったし、現実に近しい境遇だったら多分「それが出来たらこうなってねーよ!!!!」ってキレてた。

描写もメッセージもどこまでも当事者ではなく客観的な位置からのものに感じてしまうのが消化不良の原因かなと思ってる。でもそれは転じて、大衆には分かりやすく受け入れやすい内容なんだよな。

『誰かが隣に寄り添ってくれることで救われる』というテーマを描くのならもっと日常的な題材のほうが好みというか、そっちのほうが丁寧に関係を描いてじんわりと染みる作品に出来たのではって思うけどそれはこの人の作風と合わんよな。再三言ってるけどこの描き方が悪いんじゃなく好みと合わないだけ。
『タコピーが居ても事態が好転しなかったけど、それでいてタコピーの存在で救われた』という着地とてもきれいで救いがあるんだけど、印象が違うベクトルに向くとやばいくらい心に響かず『無』になる終わり方でもあるな。そこに行き着くまでの描写が共通認識の積み重ねだったのもあって割と無だった。

ストーリーはかなり綿密に練られていてテーマもしっかりしてるんだけど、それ体現するキャラクターにあまり人間らしさを感じない(物語の担い手としてのキャラクター性以外の要素を感じない)から最終的な作品の印象が「骨組みのしっかりしたテント」になるんだよな。

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タイザン5氏、タコピーの無自覚に他人を傷つけてしまうところも読者からしずかちゃんの考えが読めないところも東くんの視野の狭さも理解した上でああいう描き方してるんだなと分かったので、最後まで読んだ結論はやっぱり『作者の演出構成が自分に合わない』だった。

この作品は『他者に認めてもらう・寄り添ってもらえることでの救い』をテーマに据えていて、しずかちゃんまりなちゃん東くんの三人とも誰かが手を差し伸べて寄り添ってもらうことで救われる、というのが作者の目指した形なんだな。

しずかちゃんとまりなちゃんは基本的に環境や状況からくる行動や感情で本人の気持ちがどうこうという部分が少なく、理不尽な目に遭ってるけど逆に言えばそれしか情報が無いから大きな破綻も感じず語ることも無いっていう。
「この環境ならこうなるよね」「この状況ならこう思うよね」が前提にありすぎて本人の自我をあまり必要としない配置だなあという感想で、本筋のストーリーについては環境のエグさを子供視点で描くから救いが無いねとしか。

キャラが泣くのめちゃくちゃ性癖なので涙を流されるとその経緯をものすごく探るから、状況や感情の説明のために作者都合で泣かせている涙はすぐ分かるんですよね。
溜めのない涙(泣くに至るまでの感情の起伏が見えない涙)は泣き出すまでの効果演出不足以上にキャラの感情に寄り添っていないことが多い。
ダイ大はその辺が無茶苦茶上手い。

この話のマァムもだけど、ポップがアバン先生から卒業の証もらうところも普段軽口叩いてるポップが抑えきれなくなってアバン先生に素直に思ってること口にして泣き出すのがめちゃくちゃ良いんですわ。
それまでの人物像がしっかりあるから泣き方に個性と説得力が出る。

あとここでポップとマァムが衝突してポップの臆病さが表に出たことでまぞっほがポップの背中を押す流れに繋がるんだな。原作めちゃくちゃ漫画がうまい〜〜〜〜

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ダイ大原作24話、マァムとポップの会話とても良いな。
涙ソムリエなんですが、マァムの涙は単純な悲しみの表現じゃなくて場面ごとに色んな感情の噴出として描かれていて、どれもきちんと内包されてる感情が先にあってそれが噴出してるのが分かる良い涙なんですよね。
涙の感情含有量が多くて満足。

この話だとマァムはポップへの怒りで涙を流すんだけど、まず怒りで涙を流すところが良くて、その涙に一緒にポップへの失望も混ざってるのが更に良い。
同じ涙に前のめりで強い感情と悲観的で後ろ向きな感情の両方が入っている上に、最後には決別の意志まで乗るの感情の見せ方涙の使い方が無茶苦茶上手い。

ゲームって基本的に「体験」を買うものだと思ってるんだけど、クロス探偵物語は「物語」を買った気分になる。
ノベルゲーより選択肢が少なくてシナリオが一本道だからそう思うのかもしれないし、だとしたらゲームとしての自由度を減らしてシナリオの進めやすさを重視したのは大正解なんだよな。

そういう印象や2のシナリオの最後が監獄島じゃなくてミステリーツアーなところでも思うんだけど、クロス探偵物語は探偵として行き当たる事件に焦点を当てた作品ではなくて、それを含めた黒須剣の日常(人生ともいう)を描いてる作品なんだよ。
だから毒蜘蛛と決着が付いて終わり、ではなくその後がある。

緩急をつけるためでももちろんあるとは思うけどやっぱり事件がメインでは無いよな。
ゲームタイトル、『探偵・黒須剣の物語』ではなく『探偵として日々を過ごす黒須剣と、そこに訪れる依頼者との人生が交差(クロス)する』という意味合いで勝手に捉えようと思います。

ハドラーの涙について考えているんだけど、ハドラーって今まで己の強さばかり追い求めていて親衛騎団以外に信頼出来る仲間がいなくて、彼らもある意味自分の分体のようなものだから感覚としては独りだったのかなと。
初めて自分の為に身を投げ打ってくれた"完全な他人"がポップだったのかなあ。

ハドラーにとってアバン先生やダイは戦って倒したい敵や好敵手だけど、ポップはこの状況下でだけ通じ合えた「一瞬だけの戦友」だったのかもしれない。だからハドラーはポップに詫びたし、ポップはハドラーに感謝の言葉をかけた。
なので、あのハドラーの祈りは「初めての友」の為に願った「初めての神頼み」なんじゃ…ないでしょうか……………

>待って!!!!自分好みに解釈しすぎてほんとにちゃんとアニメの内容に沿ってるか不安になってきた!!!!!!こんなに自分にとって都合の良いハドラーとポップの関係性を原作でやってるわけなくない!??????大丈夫!????これ原作ですか!?????

めちゃ納得したんだけどフレイザードもハドラーが生み出した魔族で、ポップがフレイザードに自分と似た部分を感じ取っているのが巡り巡って73話に繋がってるんじゃん。

ポップがハドラーに同じだと伝えるのそのままの文脈で受け取っても通じるし理解も出来るけどあまりしっくり来なくて違和感の正体を探ってたんだけど、多分あの『同じ』の意味合いは"アバンの使徒とハドラー一味の絆に差はない"だけど、それとは別に"ポップとハドラーが同じ"って文脈が含まれてるんよな。
ポップは誰かの為に自分を変えられる人間で、ハドラーは自分自身の為に変化を受け入れられるんよな。
二人とも『自分を変えられる強さ』を別のアプローチで描かれたキャラクターで、だからこそ色んな出来事を経てポップがあそこで「同じ」という結論に行き着くテーマ構成になっている。

ショタコン的には成長や変化って死なんですが、人間的には自分を変えられる・変え続けられるというのは可能性の体現だと思うので、ポップは人間の可能性の体現者だしハドラーは人間に限らず色んな可能性を持てるというメッセージ性を持たされたキャラクターなのかな。

辺見、生を見出す為に死が必須なところがめちゃくちゃわかるなんだよな〜〜〜〜
死にたさも勿論抱えてるだろうけど、それ以上に『自分が生きてる証を掴むには死ななければいけない』感覚なのが一瞬の煌きに魅入られてしまった者の性(さが)じゃん……

辺見の感情は突き詰めると弟を助けられなかった自分への罪の意識なんだけど、同時にあの時目にした命の煌きを実感することが弟が生きた証を立てることにも繋がっていて自分を救う為の行動でもあるよな〜〜〜〜わかる〜〜〜(????)

同じ行動に自罰と救いが同居してて、それがあの欲求なのものすごい破滅的なんだけど、純粋で美しい感情でもあると思うよ。(この場合の美しいは「雑味が混じっていない・純度の高い感情」の意)
あれはもう祈りにも近い願望だよ。

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金カム辺見の在り方、弟の事がきっかけでものすごい歪になってしまった精神故でめためたに重いのにコメディ調に描かれてるから緩和されてる反面、その影響で人によっては辺見の性質を性癖と理解しているのつら。
間違いではないけど性癖以上に自罰と心の崩壊を止める為の無意識の認識ずらしじゃん。

「杉本さん僕のこと忘れないでいてくれますか?」の場面めちゃくちゃ良い。
煌きに魅せられて自分もそうなりたい辺見がここで出てくるの死の受け入れと生への讃歌じゃん………
欲しいものが手に入る瞬間が今際の際しかないんだよな……………

だからあの「生きてて良かった」は求めた死に方でしか得られないし、それを与えてくれた杉本が自分を忘れないでいてくれるのただひたすら嬉しいよな。

偽勇者一行は、
『何度逃げ出しても、たとえ強者を相手取れない、清廉潔白でない人間であっても胸に勇気や正義を持つことは出来るしそれは許される』
というの逃げ出したことのある者への救済のメッセージで本当にありがたい。

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ダイ大アニメ97話で偽勇者一行が出てきたのハチャメチャに感激したんだけど、掘り下げていくとまぞっほがポップにかけた言葉が巡り巡って彼らが世界を救う一端を担う状況を作り出しているとも言えるところに人生の面白さと人間讃歌を感じるんよな。

偽勇者一行は今までひたすら自分たちを優先した行動を取ってきていたからこそ、人間世界の危機という逃げ場のない状態なら生き残るために脅威を食い止める方向に動くという行動指針に納得できるのが良い。
彼らが悔い改めた訳でも急に性格が変わった訳でもなく、必要に応じて自らの為に行うことが世界を救うって構図がとても好みだし、小悪党に身を落とした彼らの胸にもひと粒の勇気のかけらが残っていたのかもしれないという希望的観測ができるところもめちゃめちゃ好き。

そもそもまぞっほがポップを鼓舞した時点で胸に勇気のかけらが燻っていたわけで、それをポップに託して終わりだと思っていたらその因果がきっちり彼らの元に返ってきてるんよな。
強者に立ち向かう正義は持てなくても、生存欲と合致する正義を持てたというの救いだわ。

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