小泉進次郎が総裁選公約で「解雇規制の見直し」を出して来た。これは「ついに来たか」という感慨である。
考えて見れば小泉父の際に始まった派遣労働規制の撤廃によって、現在日本の労働者の4割が非正規、20代、女性では5割を遥かに上回る。
日本はドイツと異なり法律上の解雇規制はなく、判例と慣習によって「ある程度」経営側による一方的な解雇が規制されてきたに過ぎない。
小泉は「大企業に限る」などと超テキトーなことを言っているが、一旦解雇規制の撤廃が始まれば、あれよあれよという間に中小企業にも広がり、米国並みになるだろう。
「正社員」切りは30年前の「新時代の日本的経営」の立案者達の「真の意図」だった。その際は政治的力関係でそこまではやれなかったが。
ただ、それでいて、軍需企業や日本製鉄、電力会社、三菱系、住友系、三井系などのごく一部の大企業だけが「終身雇用・年功序列」に守られた「労働貴族」として残ること、これは間違いない。
そう考えて見ると、旧財閥と軍需産業という意味では、経済・雇用という点でも「戦前」に回帰することになる。
異なる点では戦前には人口の多数を占めた農業、零細自営業の余地がほとんどないこと。
しかし、正社員の解雇規制の撤廃となると政治的には完全にカオスだろう。
菊池誠さんの述べているICRP勧告の解釈は、勧告の内容を理解している人からしてみれば、反論するのが馬鹿馬鹿しくなるくらいには、デタラメで、低次元です。
それで、他人を「デマッター」扱いして糾弾しているのですから、呆れるほかありません。
旧帝国大学教授の肩書をもっていれば、これほどひどいデマを撒き散らしても、なんの咎めも受けない、というよい実例だと思います。
馬鹿馬鹿しいほどに初歩的な間違いです。
日本政府の放射線防護基準は、ICRP勧告に準拠することになっていますから、ICRP勧告の基礎的な理解ができていないということは、日本政府の防護指針についても理解できていない、ということです。
ICRP勧告の解釈については、Xでは明らかに誤った解釈を撒き散らしている人たちがいて、本当に有害だなと思います。この方達が、デマバスターズを気取っているのですから、Xの福島言説がいかにおかしいか、ということです。
それを指摘しているnoteで、テクニカルな話(だけど、ICRP勧告を知っている人には当たり前のこと)なのですが、私もここに書かれているのが正しい理解だと思います。
100ミリシーベルト以下は、健康影響が「ない」と断言されるようなコンセンサスはまったくありませんし、100ミリシーベルト以下でも、最近の調査ではLNTに近似する調査結果が出ていると理解しています。
政権批判をしたいならそれこそ言葉には注意を払って使うべきで、すでに加害の歴史、差別の実態が広く存在する日本社会では特に慎重になされるべきなのでそれを踏まえていない「中国」という言葉の使い方は雑すぎるしネットのウケを優先しすぎている。批判されて然るべきだと思う。
私は日本において中国政府批判さえも反共勢力やレイシスト、歴史修正主義者の側がほぼ引き受けている状況にも大きな問題があるように思え、国際的な経済競争の中で強権体制が構築されることへの問題意識を持っていたり日本国内の人権状況の改善や戦時加害の責任追及に取り組もうとする左派の側から中国政府(中国共産党)や中国市民や労働運動への関心があった方がいいのではないかと思う立場で多少の関わりもあるけど、日本人としてやるのは正直すごく難しいと感じるし、何をいうべきかすごく難しいとやりながらすごく思っている。
横浜市長は今年も追悼文出さなかったか。
先日の反町公園での慰霊碑設置要望に対する市職員の回答が「二度とこのようなこと(虐殺)を繰り返してはいけないと市長は強く言っている。それは我々も思いは同じ。」と悪くはないものだったので、或いは今年はと思っていたところはあったが、やっぱりダメか。
前回選挙の時は一番マトモだったので支持したが、野党系であるにも関わらず、追悼文すら出さないような市長を左派が積極的に支持する理由はないだろう。
次回選挙は共産或いは社民が独自候補を出してくれたほうがスッキリする。
私は中学の担任が3年間、口は悪いし手を上げる体育教師だったんだけど、一本筋が通ってて(例えばあの人が3年間で一番怒ったのは虐めの問題だった)、過干渉ではなくて、大好きだったんだよなー。すっかり懐いてたし、今の私の人格の基礎に多分あの3年間はメッチャ影響を与えた。当時の友人関係も含めて。
で、その体育の暴力教師、日教組だったんですよね。
いろいろ矛盾してる。
性格的にとてもまめな人で(私はとても雑でだらしない性格なので、そういうところも尊敬してた。私が職員室に呼び出されて何か叱られていた最中も、誰かのクレヨンの箱のクレヨンを色の順番に並べながら私を叱ってた。そんな人)、夏の校庭の植物の水やりとか、ランニングシャツにジャージ姿で(小太りでお腹も出っ張ってた)、毎日やってたし、何故かいつも職員室にいなくて、大抵は用務員室か事務室にいて、多分変わった人だった。亡くなってから奥さんに聞いた話だけど、奥さんが病気して入院中は自分の3人の息子たちのお弁当を毎日作るようなところもあったらしい。
寡黙で飾らず、直裁に、本質を突いたことを短い言葉で語る人だった。
少なくとも私は彼が担任してくれることで3年間、とても安心して過ごすことができた。
彼の暴力については在学中から私は批判していたけど。
坂東から帰洛したみやこのムジナ