石野卓球相手に田端信太郎がスベっているのを見ると、イキりビジネスインフルエンサー的ムーブを選んだ人間のなかには、サブカルヒエラルキーのセンス競争のなかで自分が上手く勝てなかったことへの屈託がある人も、結構多かったのかなあと改めてちょっと思った。
70〜80年代のある種の日本サブカルチャーが、それまでの知の体系を破壊し水平化することを試みていたとして。90年代終わり頃にはそういう水平革命的な試みは既に、センスエリートを生む新たなコードと化していた。ゼロ年代には、そういうコードに対する攻撃が各所において出現する。
7/12フジテレビ『超個人的フルコース』松村沙友理の強力な人見知りとそれを防御すべく「さゆりんご」というキャラが構築されたのがよくわかった。年齢相応の幼さを抱えたまま上京し一人で暮らす結果後々ちょっとしたスキャンダルに繋がったのも納得。一歳若い高山一実のようにスタートが他のメンバーと一緒に寮生活であったりしたらああした事態は迎えなかったかもしれないが、逆にあのキャラも存在せずタレントとして大勢していなかったかもしれないしグループとしての共同生活に馴染めずもっと早く卒業して芸能界には残らなかったかもなと。白石麻衣とか橋本奈々未とか深川麻衣とか他の乃木坂年長組は本当にしっかりしてたんだなと今更ながら思う。それに比べればデビュー時の松村沙友理は18歳なりにしっかりもしていただろうが精神的にはそれなりにぐらついてそう。
「言論封殺と名誉」
この一月、麻生の「戦時の覚悟」に始まり、原発汚染水放出、東浩紀の「言論封殺」・「大学解体」のファシスト宣言、そして、その「痴愚神」を「礼賛」する祭り、と続いて慌ただしく、すっかり「どわんご」問題を忘れていた。
ところが、今日大学に行ってみると、事務の方から「東京地裁から郵便が届いています」と声をかけられた。
はて、と思って開けてみたら、「どわんご」さんが私に対して訴えを起こしたらしい。
7月に内容証明が来た際は「すわ」と勇んで、同僚の実定法の人やメディア関係者に相談したら、「いや、これで名誉棄損ということない」とあっさり言われ、「あらら」、となってほとんど「忘れていた」のである。
しかし、地裁からの文書を見ると、確かに「どわんご」さん、私を「名誉棄損」で訴える、と仰っている。
これは勿論受けて立つ。
何と言っても、これは「21世紀のファシズム」による「言論封殺」のスラップ訴訟である。
20世紀のファシズムは滝川事件、天皇機関説と大学への攻撃で完成した。
フランス語で「名誉を救う sauver l'honneur」という表現があり、私は好きではあるが、簡単に使えるものでもない。
しかし、今の時、「名誉」に賭けて言論封殺を粉砕すると宣言しましょう。
https://mainichi.jp/articles/20230829/k00/00m/200/216000c
作品自体は見てないから何とも言えないけど、ここで連発されている「平凡な日常の尊さ」「当たり前の日常が失われることの悲劇性」という語り方がテンプレ化していることにすごく気持ち悪さを感じる。
こういう対比は、平穏な日常を送っていたらいきなり天災のように戦争が始まって、あとはどうしようもないというイメージに根差していないだろうか。でも実際には戦争を止められたかもしれない戦前の期間や、お国のための異常な日常である戦前と戦時中が存在する。そういうものを透明化した語りのように感じる。
「鈴木寛さんの豪華すぎる肩書」
今日の新聞広告、「日経ソーシャル・ビジネスコンテスト2023」という怪しげな一面があり、そこに見覚えがある名前が写真入りであった。東大教授、慶応SFC特任教授、鈴木寛とある。
あのZ大学の総長就任予定の鈴木寛さんである。しかし、告知動画での鈴木さんの「法律は守りますよ、守りながら・・・」という意味深な発言には驚いた。
これを論評したら、当然鈴木さんもメンバーである筈の笹川財団ドワンゴ学園から「法的恫喝」の内容証明が送られて来たのにも多少驚いたけれども。
ところで、鈴木さん、慶応SFC教授であるのは、人脈上当然だとして、東大教授も兼ねているとは知らなかった。一体どこの部局かと思って調べてみたら、「公共政策連携研究部・教育部」という、学部はなく、修士からのみの所だった。ここにはかの三浦瑠麗氏が通っていた。
一体何を教えているのかと思ったら、ベンチャーや社会的企業家の育成らしい。「起業」に一番必要なのはコネ。どうりでSFCと公共政策から、「起業家」、「ベンチャー」が次から次へ飛び出してくるわけだ。
それにしても鈴木さん、この上「法律を守りながら」Z大学総長にもなろうとは、ちょっと「欲張りすぎ」では?
古来、「足るを以て知る」という言葉もありますよ。
『BS1スペシャル 女性兵士たちのアフガン~米帰還兵と特殊部隊FTP~』
「2021年の米軍撤退により8万人余りのアフガニスタン人がアメリカに逃れてきた。なかでも命の危険にさらされているのが、米軍がアフガン女性で組織した特殊部隊FTPの隊員だ。その救出・支援に取り組むレベッカさんは米軍の文化支援部隊の元兵士。テロリストの掃討作戦等にアフガン女性を動員し過酷な体験からPTSDに苦しんだ。自らのモラル・インジャリー(道徳的負傷)に向き合いながら、支援に奔走する元兵士を追う。」(番組紹介ページより)
アメリカに亡命して来た元アフガン女性兵士にはタリバンから殺害を匂わせる脅迫メールが届き、元米軍女性兵士は政策転換により自らの労苦が水泡に帰した精神的ダメージに苦しむ。バイデンのアフガン撤退敢行が生んだ歪みは他にも沢山あるのだろうが、こうした“アフガン帰還兵”については全く知らなかったので非常に衝撃を受けた。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023129514SA000/
岸田首相や東浩紀などはまるで「アルプス汚染水」を流すことが廃炉につながるかのような悪質な印象操作を行っている。
実際は廃炉の目途は全く立っていない。現在1-3号機に全体でデブリは約880トンある。
このデブリの取り出しは遠隔でのロボットアームによるとされているが、1回目で取り出せるのは数グラム。しかし、これさえ可能かどうかはわからない。廃炉検討委員会でさえ、「廃炉計画に具体的見通しがあるわけではない」と述べている。
要するに、万能感を演出しているIOTとAIと組み合わせても、全く「廃炉」の目途は立たないわけである。
ところで今日の日経コラム「春秋」は「海容」という言葉と汚染水「海洋」放出について語っている。
「原子力発電の事故という人間の大きな過ちを、海は受け容れてくれるだろうか」
これ、得意の「一億総懺悔」語法である。原発事故の責任は東電と原子力ムラにあるのであって、立ち退かされたり、漁業に携わる人々にはない。
「少しづつ流すご海容を願う姿勢」を「海は見ている」とコラムは終わる。
しばし絶句である。
ここには汚染水を流される側の韓国、中国、台湾、香港、マカオの人々への責任は全く登場しない。
これで「一国平和主義」の限界などと宣うのであるから笑止千万である。
ETV特集『ミッドウェー海戦 3418人の命を悼む 第二部残された者たちの戦後』
「どこか話が通じるようなものをお互いがノックをして探ってそして話し合って。人間だから同じ事を思うという事を、繋がりってものを、これからやらなきゃならないと思ってますね。で、わかろうとする努力されあれば人間は捨てたものではない、そうでなかったら人類ってものは呪われた存在になるんじゃないかと私は思ってる。私は割に楽天的ですね、だって自分が希望を捨てたらその後に来るものがあまりにも酷いもの、そこからは何も生まれないもの、だけど希望を失ってはいけないだろうと思いますね。だから絶望はしない、希望を持って。」
ミッドウェー調査から40年後の澤地久枝92歳の言葉。現状の諸々に鑑みると重い気分になるが、遠くに明かりを見出すようにしてやっていくしかないんだろうなと思わせる。開通する見込みのないトンネルを永遠に掘り続けていく作業のようなものだとしても。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023128694SA000/
コメント載りました。だいぶ端折り気味ですが、どうぞ :日本は再び戦争をする国になるのですか。|通販生活®【公式】カタログハウスの通販サイト https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/voice/shuusen/04/
これは口を酸っぱくして言い続けていることだけど日本における差別の最大の問題は、差別に対してあまりに寛大過ぎることだと自分は思う。
積極的に差別する人間は比較的少ないかもしれない。一方で差別に対するカウンターや批判はあまりにも少ない。これは体感ではなく学術的にもされている(ソースは今探し中笑)。かつてキング牧師は、普通の人の無関心が最大の悲劇だという趣旨の発言をしていたが、それを日本という社会は体現してしまっている。経験者なので分かるけど、直接加害されるよりも怒ったり抗議したりしてくれる人が少ないほうが絶望や孤独感を感じ易い。また、差別を黙認するという消極的差別な姿勢は当事者意識が極めて欠けているが故に飛び出すものなので、日本に◯◯差別は無いんじゃないかな〜?という態度にも繋がり易く、ある意味では直接的な差別よりたちが悪くなる時さえある。
また過去の裁判所の判決を見れば嫌というほぢ分かるが、差別を差別と認めず「偏見」「嫌悪」などと言い換えている例が非常に多い。日本社会の人権感覚の低さが原因なのか、この国はとにかく差別を差別と認めない。最低限のラインにすら立てていないのだ。人権の話になると「普通の日本人」と絶望的に会話が噛み合わなくなるのはその辺りが原因だろう。
児島「ネクストブレイク期間が長すぎて停滞しちゃうと解散してしまう。そうするとシーン全体が盛り下がってしまいます。誰か1組が売れるとかじゃなくて、シーンが全体的に盛り上がっていたり活性化していたりしないと、みんな総倒れ、総崩れしてしまう可能性もあります」
コウテイとかコマンダンテみたいな“次来る”勢が解散すると直接のコアファンじゃなくてもなんとなく意気消沈するあの感じはこれかと膝を打つ。
あとちょっと引っ掛かったのが「コロナが明けて」と児島気奈が言ってて───それは司会者が「コロナが落ち着いてきた今」と切り出した所からの流れなのだが───児島さんは「公式にはコロナが落ち着いて来た事にされつつある今」という意味で言ったのかもしれないが、そこは誤解を招く一助になり得る表現で良くないと思った。
【対談】TIF プロデューサー 菊竹龍×K-PRO代表児島気奈 ライブシーンを支えてきた両者が語る、お笑い・アイドル業界を後退させないための危機感と取り組みとは?
https://artists.tiget.net/post/interview-kina-kojima-ryo-kikutake
NHK-BSでも放送してた『タリバン統治下に生きるアフガニスタンの子どもたち』イスラム神学校に通うかたわら父であるタリバン指揮官の護衛も務める8歳(!)の少年が語る「前は若い女が頭も足も出していました。顔も隠すべきです。何もかも隠してしまうと悪い奴が自爆攻撃などを企てるかもしれません、でも全身を覆うのが一番です」という言葉に胸をえぐられるような思い。どう考えても自身による見聞や考察によらない、学校や周辺の大人やタリバンに教わった事を8歳なりに纏めた言葉なのだろうが。最近の日本に於けるトランスフォビアとミソジニーを綾織りにしたような風潮とは違った歴史的宗教的経緯なのに色々共通する部分も見え隠れ。タリバン統治の内実を伝える貴重な映像、とか定型分でクールに纏めたいが、そんな言葉では追いつかない重い気分にさせられた。
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/5NM77LK1R4/
Blueskyのテスト運用がいつまで続いてどういうステップで本格的にオープンとなるのかわからんけど、今のTwitterの混乱と惨状が影響を及ぼさないわけがないというかジャック・ドーシーの目にも見えてる筈で、果たしてどうなるもんなんかね? 招待コードがあっても登録停止みたいになってるらしいがマストドン同様インフラが追いつかない感じなのか。
https://www.techno-edge.net/article/2023/07/02/1526.html
@LoveIsNotLoving@mstdn.jpから引っ越して来ました。そっちは冷凍中。
@LoveIsNotLoving@Twitter